2012年05月24日

五色スキー場(山形県米沢市)

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(左)板谷駅のホームは移動され、スイッチバック時代のホームは廃墟と化している。五色スキー場が華やかな頃は貴賓室があったというが。(右)五色温泉の1軒宿である宗川旅館。

昨シーズンは日本にスキーが伝来して100周年ということで、新潟県上越市をはじめ各地でさまざまなイベントが開催され、レルヒさんというゆるキャラも登場した。日本のスキー史は、レルヒ大佐による上越市金谷山におけるスキー指導に始まったことはよく知られている。一方、この五色スキー場でも1911年(明治44)3月に、金谷山に遅れること2ヶ月、横浜在住の貿易商・クラッツァーが友人とスキーをしたという歴史がある。

1914年(大正3)には邦人スキークラブが設立され、1924年(大正13)にはスキーヒュッテが建設された。戦前は各宮家をはじめとして、華族や知名人が毎年訪れるスキー場として名を馳せていた。その昔は最寄の板谷駅にも貴賓室が設けられていたという。各種大会も開催され、家形山から一切経山へのツアーの拠点として山岳スキー派にも人気があった。しかし時を経て、1998年に営業を休止している。

福島と米沢を結ぶ交通路は奥羽山脈の南端付近を横切るため、山深い土地を貫いて走っている。国道13号はトンネルの連続だし、奥羽本線は赤岩・板谷・峠・大沢という4つのスイッチバック駅を連続させていた。そのスイッチバックは山形新幹線の開通によって姿を消したのだが。この道沿いには栗子国際や米沢といったスキー場が立地する豪雪地でもある。車で福島側から東栗子トンネルを抜け、板谷大橋を越えたところで左に分岐。旧板谷駅をかすめ南側の山中に続く道をたどる。この先には一軒宿の温泉があるだけとわかっているからか、いっそう山の深さを感じる。6kmほど舗装道を走れば五色温泉に到着。宗川旅館という一軒宿は江戸時代から120年続く湯治場で、子宝の湯としても知られている。

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(左)ゲレンデ上部を見上げる。(右)ゲレンデ下部を見おろす。

宗川旅館の入口に続く道路を横切るように、上から下に続いている斜面がかつてのゲレンデ。この季節にも残雪がまだ多い。ゲレンデトップに向かって左寄りにシングルリフト(600m)が1基架かっていたはずだが、いまやリフトなどスキーに関係する施設は撤去されている。最大斜度20度、最長滑走距離800m。緩やかな斜面ではあるが、快適な滑走が楽しめたと思う。歴史に彩られたゲレンデではあるが、バブルの時期あたりにも結構混みあったりしたのだろうか。人工的なものがあまり目に入らない周囲の山並を見渡すと、そんな想像も滑稽なものに思えてくる。秘湯的な雰囲気にあるこの温泉は人気も高いようで、連休さなかのこの日、旅館の前には東北各地や関東方面のナンバーの車もとめられていた。(現地訪問:2012年4月)

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posted by 急行野沢 at 01:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 山形県 営業休止のスキー場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 30年以上前の学生時代、福島の後輩に連れられて2回行きました。やぐらのシングルリフトは、その当時すでに旧式感いっぱいで、1本しかないコースは半日で飽きてしまいましたが、後輩が「スキー客はタダで温泉に入れるんですよ」…と入浴した温泉が最高だった。
 翌年も同じように温泉に入ろうとしたらジロッと睨まれ「そんなはず(タダ入浴)無いでしょう」と一喝されて帰ってきた。あれは後輩の単なる思い込みだったのでしょうか?
Posted by のぶネット魚沼 at 2012年08月13日 18:03
平成5年頃に一度だけ行ったことがあります。
既に寂れ具合も相当なものでしたが、我々がスキー部として(たぶん十数人くらい)行った時には、シングルリフトの搬器が足りなくなったとかで、いきなりその場で搬器を取り付けたりする豪快なスキー場でした。
Posted by 元スキー部員 at 2014年02月15日 09:08
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