(左)ロッジ前の標識はリゾート開発はなやかな時代を思い起こさせる。(右)ロッジの建物は破損が進んでいる。
廃スキー場といっても様々なものがある。長年地元で愛され地域に溶け込んだスキー場がやむなく廃止に至ったという場合であれば、懐かしさも手伝い頑張ってその記録を残そうという気持ちになる。けれどもこのサンマリーナ玉庭のように、バブル期につくった巨大な施設が無残な姿をさらしているのを見ると、やりきれない気持ちになってくる。
サンマリーナ玉庭スキー場は、バブル期の1989シーズンに開設。経営が行き詰まり2005シーズンから営業を休止した。当初から総合的なリゾート施設として計画され、ゴルフ場のほかアスレチックや室内プール、そして大規模なリゾートホテルと温泉も備えていた。スキー場としては、クワッド1基・ペア1基を設置。当然ナイター設備も完備え、ファミリーのための託児所も完備。夏はゴルフ場となる斜面を冬期はゲレンデとして使っていたため、最大斜度は22度に過ぎなかった。スキー場としてはコースが緩すぎ、ゴルフ場としてはコースが急峻すぎるという、帯に短し襷に長し…といった状態だったもよう。最長滑走距離1.3km。最寄の都市は米沢市であり、米沢市街からは15kmあまりの距離であった。
当時の案内には、ゲレンデに音のひずみをなくしたという最先端特注機種の巨大スピーカー(3×8m)を設置し、コンサートホール並みのBGMの中で滑ることができると記されている。しかしながら、周辺には蔵王や磐梯周辺のスキー場が林立しており、大都市圏からのアクセスを考えても魅力的なスキー場とはいい難いのではないかと思っていた。
(左)ゲレンデ左半分。中央にロッジの建物、右下から左上へとクワッドリフトが伸びる。(右)ゲレンデ右半分。中央にクワッド乗場、右端にペア乗場。
米沢市街から国道121号を西へ向かう。右折して県道に入れば、ほどなくサンマリーナ玉庭への入口に至る。途中、サンマリーナ玉庭を示す案内板はすべて撤去されている。アクセス道への入口に向かい合う傾斜地には、ゲレンデと施設のほぼ全容を眺めることができる。眼下には広大な駐車場、右下から左上へと斜面を上っているクワッドとペアのリフト施設は、椅子を除かれてはいるがそのまま残っている。斜面最下部から少し上ったあたりにあるロッジの建物は、雪の重みによるものか、屋根が破損したままになっている。その他の建物も破損が進んでいる様子が見て取れる。ゲレンデ最上部を見上げると、巨大なリゾートホテルがそのまま残されていた。
バブルの残骸といってしまえばそれまで。ゲレンデ入口の案内板に残されていた「こんなスキー場を待っていた」というキャッチフレーズがむなしい。桜前線が北海道に達しようかという4月末。この施設の周囲に人の姿はなく、道沿いの桜はまだ3分咲きというところだった。(現地訪問:2012年4月)
(左)クワッドリフト最上部付近。
日本初(!)のフード付きクワッドリフトだったそうです
テーマソングが懐かしい(涙)
福島に住んでいた頃、栗子も米沢も通り越してわざわざここまで来たのは、乗り降り楽ちんで暖かいクワットと止まりそうな緩斜面が子供にぴったりだったからです。
その、屋根が折れてしまったレストランでゴハンを食べました。
たぶん廃止されただろうなーと思っていましたので、やっぱり・・・・と思いました
米沢市内から20分もかからず着いて、米沢スキー場同等以下の楽さだった記憶があります。
「サンマリーナ玉庭」のステッカーがキャンプ用の箱に貼ってあります。
チケットホルダーもあります。
もう25年近く前のことです。
こうなっちゃったのは悲しいなあ
TBSドラマおとなの選択で松田聖子がロケにきたり、リゾートマンションは千昌夫も購入してましたね。
ほかにも当時の人気タレントお忍できてたり。
花があったバブル時代でした。
出来たてほやほやの頃に1度だけ行きました。クワッドリフトは動きが遅すぎてモタモタしてたし、斜面はあまりになだらかすぎて直滑降でもノロノロ。行く途中の道は狭すぎて最悪って感じで、二度と行きませんでした。
昭和64年1月8日のです。
そうです、昭和天皇崩御の日です。
リフトが止まって、黙祷したのを憶えてます…
ちょっと関係があったので、リゾートホテルの中も知ってます。
かなり豪華だった記憶が(笑)
生まれて初めて見る大雪と初めて聞く方言・・
更にその1月に昭和天皇が亡くなり時代は平成へ・・
色々なことがあり、とまどう毎日でしたけど、今でも1番な青春の思い出です。
働いていたレストランやラーメン屋さんの屋根が壊れちゃってる姿を見ると悲しい気持ちになるので
また復活して欲しいな
社内ゴルフコンペのときは、ベンツバスでの送迎があったり、白亜のホテルがこれぞリゾートという感じでした。
数年で利用できなくなり、今は廃墟になっていると聞いて残念です。