(左)ゲレンデ入口の案内板。「貝月スキー場」と書かれた部分が破損している。(右)栃の実荘前の駐車場から見た貝月ゲレンデ。
以前、本ブログで坂内ゲレンデの廃止について取り上げた。その坂内ゲレンデのコメント欄に寄せられたとおり、2009シーズンから貝月ゲレンデも営業をやめていることがわかった。現在は日坂ゲレンデのリフト2本を残すだけの営業となっている。
貝月ゲレンデは揖斐高原の3つのゲレンデ(貝月・日坂・坂内)の中では、一番手前に位置していた。栃の実荘という立派なレストハウスもあり、一番取り付きやすいのかと思っていたが、最下部なので積雪にも問題があったのかもしれない。
「久瀬村誌(昭和48年3月)」によれば、「揖斐高原スキー場は(中略)昭和38年12月、大垣市に本社を持つ揖斐高原観光開発株式会社(社長・久世弥平)により開設された。積雪も1.5m~3.5mと多く、高度が大で積雪が粉雪でよいし、ゲレンデは広大で、上中初級向の各斜面があるなど、スキー場としての自然条件は良好である」と説明されていて、往時は環境に恵まれたゲレンデと認識されていたようだ。
(左)貝月第2リフト乗場から見上げたゲレンデ。(右)貝月第1リフトとゲレンデ。
久しぶりに揖斐川町の中心部から揖斐高原を目指す。長い久瀬トンネルを過ぎてしばらく行ったところにある国道303号からの分岐部には、まだ貝月・日坂の文字が併記されている。その先、山間の道を経てたどり着いたゲレンデ入口には、さまざまな案内看板が立てられているが、貝月リゾートの案内板の一部を構成している「貝月スキー場」の部分が破損しているのが寂しさを感じさせる。
アクセス道路を進むと貝月ゲレンデの下、栃の実荘前の広い駐車場に導かれる。リフト施設はそのまま残されているが、チェアは取り外され、一部は仮小屋のようなものの中にしまわれてしまっている。周囲にはコテージなども散在していて、冬期以外のリゾート施設としては利用されているようだ。
再び「久瀬村誌」から引用すると「夜間照明もあって、土曜・日曜や祝祭日には夜のスキーも楽しめる。積雪の状況によって、12月初めからスキー可能の年もあるが、普通の年では12月20日にスキー場開きが行われる。スキー客の多いのは1月と2月で、昭和42年発行の岐阜県の観光によるとスキー客76,600人のうち、1月31,200人、2月37,600人となっていて、大部分のスキー客はこの2ヶ月に集中しているし、交通至便な位置にあるため、マイカー族による日帰りスキー客が大部分であるのが特色となっている」と記載されている。
この記載は揖斐高原スキー場全体を指した話であるが、交通至便のスキー場としてナイターまで賑わいを見せていた当時の様子を感じることができる。(現地訪問:2012年6月)
(左)栃の実荘前にあった案内板には、貝月・日坂両ゲレンデのリフトがまだ記載されていた。(右)営業を続けている日坂ゲレンデ。
むしろ坂内ゲレンデへは滑りに行った翌年に廃止と聞いてそちらの方が印象が深かったです。
今でこそ道が広くなってアクセスが良いですが、70年代は道も細く、谷側ですれ違うときなど川に落ちそうで、助手席で結構ハラハラしてました。今では揖斐川町からあっという間だし、雪さえあれば良いスキー場なんですけどねぇ。