(左)雨中ゲレンデの斜面。中央ピークの少し右に第3リフト乗場の残骸。(右)雨中ゲレンデ上部に見られた第3リフトの乗場。その先に鉄柱が1基残されている。
(前回に引き続き、雨中ゲレンデ上部のようすをレポートします。)
小谷村役場に隣接する場所から、連絡リフト的な第1リフト(768m)が上部にのびていた。その第1リフトを降りたところから雨中ゲレンデ(しょうぶ平ゲレンデ)が開かれていた。土倉集落上部から北に伸びる林道をたどれば、雨中ゲレンデと思われる斜面の下に出る。右下に第1リフト終点と第2リフト(431m)の乗場があったはずだが、痕跡は見出せなかった。
左手に広がる斜面はややきつめの傾斜に見えるが、気持ちの良さそうなバーンである。第2リフト左が15~25度の中上級向き、右側斜面最低部とリフト乗場付近が8~13度の初級者向き。見上げるゲレンデの右手上部には第3リフト(446m)の乗場が崩れながらも残っているのが遠目に確認できた。その先にリフトの鉄柱も何基か残っている。第2リフトの鉄柱は見られない。
この雨中ゲレンデには大鹿コース・山の神コースがあったことが「SKI GUIDE '86(山と渓谷社)」に記されている。大鹿コース「第3リフト終点から第2リフト乗場まで全長800m。上級者向け最大30度、平均18度。日照時間が少ないため最高の粉雪が楽しめる」。山の神コース「第3リフト終点から第2リフト乗場までの初中級者向け林間コース。滑走距離840m、最大20度、平均15度」となっている。
さて、第3リフトを降りればそこは小ピークで、眼下にアヤメゲレンデかせ見おろせたはずである。アヤメゲレンデには中間乗場のある第7リフト(400m)が架けられていた。中間乗場がアヤメ池の窪地にあたり、両端がピークとなったV字型のリフトだった。残念ながら林道もゲートが閉ざされ、この日はアヤメゲレンデに近づくことはできなかった。
第3リフトの終点から第7リフト中間乗場までのコースは滑走距離250m、最大26度、平均11度。なお、池の田ゲレンデベース部からこのアヤメゲレンデの一端まで第6リフトが架けられていたが、その頃の第6リフトの場所は、現在の第3クワッドより右側にあったようだ。
(左)雨中ゲレンデからの下山コースはこのあたりか。(右)現在の第3クワッドとスネークコース。上部の平坦地がアヤメ平。
アヤメ平から雨中方面に下るコースは雨中ゲレンデの広い斜面を除いて、滑走コースがはっきりとわからない箇所も多かった。雨模様の7月、水田や草木の中からはたえず蛙の鳴き声が聞こえていた。
一方、土倉民宿街からの第9リフト(以前は第8リフト)は、数年前に休止したばかりなのでいまもしっかりと残っている。グリーンプラザの建物の北側にいまもリフト終点降り場が残っているし、土倉集落内のリフト乗場も大きなつくりの民家の裏庭のような場所にすっかり残っているが、周囲は背の高い草に覆われている。チェアを設置しさえすれば再び稼動させることは簡単に思えた。かつて土倉民宿はこのスキー場の主要な拠点であったが、現在はほとんどその機能は失われているように見えた。(現地訪問:2012年7月)
こちらもご覧ください→コルチナ国際スキー場雨中ゲレンデ(その1)
(左)土倉集落に残っている第9リフト乗場。(右)土倉下りコースから見た第9リフト終点。
土倉下りはまだ小さかった頃(今は高校生です)に
何回も滑って大好きだったコースでした。
途中、車が通る道を超えたり、斜度が緩かったりと何年か休止の年が続き、
気づいたら廃止になっていましたね。
また機会ありましたら、あめや池方面のレポートもお待ちしています!
廃スキー場だけでなく廃コースのレポートも
好きなので、また楽しみにしていますね。
今から35年ほど前の大学時代に雨中民宿に宿泊して登行リフトでゲレンデに上がり、そこから池の田ゲレンデを経由、白馬乗鞍スキー場まで乗り込んだ記憶が残っています。
社会人になってスキーへ行く機会が減り、気づくとグリーンホテルが出来、雨中ゲレンデはなくなっていました。どうなっているのか一度確かめてみたかったので、今回のレポートは、非常に嬉しかったです。
スキー人口も減り、自家用車でのスキーが増えたこの時代なので、雨中ゲレンデの復活はないでしょうね。
ゲレンデの食堂で食べた豚汁は美味しかった記憶もあるなぁ。
雨中ゲレンデは現在ではバックカントリースキー愛好家で密かに賑わっていますよ。
白馬界隈の人気の山が天候不良な日(猛吹雪や、雪崩リスクが高い日など)には愛好家グループや、ガイド率いるグループが、ビーコントレーニングや、シール登行の練習などで利用してます。
連休中に天気が悪いと結構な人が利用してたりします。
今でも登れば結構楽しく滑れますよ。
非公式ながら、ヤナバスキー場も営業休止になりそうです。
雨中ゲレンデは、スキーブームで八方、栂池が滅茶苦茶込んでいた頃に、穴場スキー場として会社の仲間と朝早く松本を出発して何度も行きました。土倉の連絡リフト(駐車場は10台分あったかどうか)からスタートして、池の田から南小谷の駅が見える所まで降りて行きました。あまり圧雪もされておらず結構スリルがありましたが、中間斜面は結構滑りやすかった。しょうぶ平は雪があまり付かずに閉鎖されていたことが多かったと思います。
あの豪華なホテルができてからは一度も行っていませんが・・・・。
とても懐かしいゲレンデです。
北陸本線から糸魚川駅で大糸線に乗り換え、南小谷駅まで、
ワクワクしながら電車に乗っていました。
いよいよ南小谷に着いたら、スキー道具を担いで国道を歩き、
長い長いリフトに乗ってゲレンデに到着。丸一日クタクタになるまで滑って帰りました。
今は東京に住み、スキー場に行く機会も減りました。またいつかもう一度友達と行きたいと思っていましたが、廃止していたのですね。寂しい限りです。
75年版の北信地域のゲレンデの空撮写真とマップが掲載された本を見つけました。
今はないスキー場の様子や
昔のリフト配置などが分かりやすく掲載されていて
興味深く、このHPを思い出しました。
雨中ゲレンデについても掲載されており、
第一リフト乗り場にあったロッジについても
広告が掲載されていました。
ご覧になる機会があれば是非と思い、コメントしました。
機会をみて、その本を探してみたいと思います。