(左)東山温泉の第1ケーブル山麓駅があったと思われる地点。(右)第2ケーブル山頂駅と第1リフト乗場があった関白平。
会津若松。飯盛山や鶴ヶ城をはじめとする観光地といってしまえばそれまでだが、それだけでは言いつくせない歴史の重みを感じる。その会津若松の奥座敷といえるのが、東山温泉。私もかつて家族旅行で会津方面に出かけたときに宿泊したことがある。そして、そんな東山温泉の裏山とでもいうべき背炙(せあぶり)山はのびやかに山上台地が広がり、猪苗代湖と会津の山並の展望が秀逸と知り、一度訪ねてみたいと思っていた。その背炙山にスキー場があった。
「'76オールスキー場完全ガイド(立風書房)」によれば、「東山温泉から第1・第2ケーブルを乗り継いでゲレンデへ出る。コブもなく、平均15度から20度前後の初中級向きの斜面。スロープは広大でファミリースキーにはびったりといえる。また、第2ケーブル沿いに距離約1キロの林間コースもあり、中級以上には面白い。猪苗代湖・磐梯山・吾妻連峰の雄大な眺めが迫り、温泉スキー場としては立派。リフトは1基(500m)、ナイターなし、日祭日にスキー学校開校。磐越西線会津若松駅下車、駅からバス東山温泉下車徒歩8分」とある。なお、稼動期間は不明だが山頂から反対側に第2リフト(372m)もあった。このスキー場は1960年頃に開設され、1980年代に営業休止したと思われる。
この背炙山については、「失われたロープウェイ」に詳しく紹介されている。ロープウェイ(第1ケーブル)は1956年開業し、当初はたいへん賑わったようだ。私は現地を訪ねたものの、ほとんどこのサイトを参考にしてその跡をたどったに過ぎない。とはいうものの一応、訪問記録を残したいと思う。
(左)山頂部には第2リフトの施設が残っている。(右)第2リフトの乗場方向を見おろす。
東山温泉の温泉街の東側を通るバイパスがトンネルをぬけた南側、会津東山閣キャニオンという廃屋となっている施設の左手に小広い平坦地があり、そこが第1ケーブル(ロープウェイ)の乗場だったようだ。しかし痕跡は何も残っていない。次に温泉街北端から東の山腹へと上って行く県道・東山温泉線を、車でたどって山頂部を訪ねてみる。山頂部は展望の良い地形なのでアンテナが各所に林立している。あいにくこの日は天候が悪く、磐梯・吾妻方面の山並は雲の中。関白平(豊臣秀吉が会津に来たとき休憩したとされる)という地名を示す石碑があったが、その前方(西側)の小ピークあたりに第2ケーブルの山頂駅があり、また、それから乗り継ぐ第1リフト乗場もあったはずだが痕跡は残っていない。
その東側の「背あぶり山レストハウス」駐車場に車をとめて、背炙山山頂まで歩く。10分ほどで山頂展望台に着くと、東側(猪苗代湖側)の展望が開ける。猪苗代湖が思いのほか広大であることを感じる眺めである。その展望台に第2リフト終点の施設が、赤錆びたチェアも付いたままに残っていた。リフトは東側に向かって下っているが、最下部の様子は霧の中に霞んではっきりとはわからなかった。山頂部のリフトの向こう側にある建物は、かつてはスキー場のレストハウスとして機能していたのだろうか。
かつてはケーブル2本とリフト1本を乗り継いで、ようやくここまでたどり着いたわけである。現在は樹木が生い茂ったり、整備しなおされたりして、当時のゲレンデの痕跡は判然としない。周辺は古くから市民の憩いの場としても利用されてきた場所であるらしく、キャンプ場やフィールドアスレチックなどが点在していた。赤く錆びたシングルリフトは何かのモニュメントを思わせるように、この場に妙に調和しているように思えた。(現地訪問:2012年11月)
(左)「スキー場」の文字が辛うじて読み取れる案内標識。いつの時代のものか。