(左)冬期、鍋平高原への入口ゲートはクローズされている。前方は鍋平ゲレンデ最下部にあった白樺レストハウス。
新穂高ロープウェイスキー場は、他の一般的なスキー場とは一線を画す存在だったと思う。山岳スキーの色彩の強いスキー場はいろいろあるが、北アルプスの稜線といってもよい地点がゲレンデトップという迫力。正面に笠ヶ岳、右手に槍穂高の素晴らしい景観。スキー場廃業後もロープウェイはフルシーズン稼動していて、この景観を見るために観光客が冬場にも訪れる。スキーコースはロープウェイ山頂駅(西穂高口駅)から狭い尾根をくだる、逃げ場のない上級コース(パノラマコース)に最大の特色があった。一方、中間部から下にはリフトも設けられ、特に最下部の鍋平ゲレンデは平均12度の緩斜面だった。
「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」の記載では「標高2,156mの西穂高山頂(注:厳密には山頂ではない)から標高1,308mの鍋平までに広がる山岳色豊かなスキー場。西穂高の尾根に展開する全6kmのコースは、幅15mほどの蟻の渡り、ウサギの逃げ道、腰までつかる深雪、アイスバーンと迫力満点の山岳滑走が楽しめる。ベースの新穂高温泉は川岸の露天風呂がいくつもある人気観光地」と紹介されている。
このスキー場をレポートするには、西穂登山とあわせてがよいと考えて数年が経過してしまった。くずぐずしていても仕方ないので、平地にも雪がちらつきはじめた12月初旬に現地を訪ねた。夏期には第2ロープウェイ白樺平駅下の駐車場まで車を入れることができるが、積雪期に入り鍋平高原入口のゲートは閉ざされている。近くに車を置いて鍋平ゲレンデから歩いていく。すぐにあらわれる白樺レストハウス左手に第3リフトの乗場があったはずだが、痕跡は残っていない。そのほか各リフト施設の跡はすっかり撤去されているようだ。レストハウス前からは尾根に向かって第5リフトの切り開きの跡がはっきりわかった。
(左)白樺レストハウスの前から認められた第5リフトの跡。(右)鍋平ゲレンデの跡は整地されて駐車場になっている。
駐車場として整備されてしまった鍋平ゲレンデを歩いていくと、ビジターセンターや温泉施設があらわれ、第2ロープウェイの白樺平駅に至る。この日も多くの観光客がロープウェイに乗り込んでいた。ロープウェイの右側には第1リフトの切り開きの跡が残っている。そのリフト乗場があったと思われる場所に立って振り返ると、白樺平駅の向こうに新雪の笠ヶ岳が輝いていた。
このスキー場は1973年に営業開始、多くのファンに惜しまれながら2003年3月に廃業となった。2002年10月の新聞報道によれば、「名鉄グループの奥飛観光開発(本社高山市、東匡弘社長)は24日までに、吉城郡上宝村新穂高で経営する新穂高ロープウェイスキー場を、今シーズンを最後に閉鎖することを決めた。リゾート型の大型スキー場とは一線を画し、野趣あふれるコース、ゲレンデが愛好者の人気を集めてきたが、減り続ける入場者で赤字が膨らみ、幕を閉じることとなった。(中略)入場者数は92年の6万人をピークに減り続けた。昨シーズンからはスノーボードの全面滑走可能やクロスカントリーの冬山ガイドツアーを始めたが、入場者は10,817人と微増にとどまった。維持管理費で経費がかさみ、92年から10年間の累積赤字は1億円を超えた。(後略)」ということであった。
いまも廃業にあたっての支配人からのあいさつ文をWEB上で見ることができる(http://www.okuhi.jp/Rops/FRTOPNEW.html)。
野趣あふれるコースは時代の流れにあわなくなっていたのかもしれない。そう思うとなんだか寂しい気がする。(現地訪問:2012年12月)
(左)第2ロープウェイの右側には、第1リフトの跡。(右)第1リフト乗場付近から白樺平駅の背後に新雪の笠ヶ岳。
こちらもご覧ください → 2013年10月04日 新穂高ロープウェイスキー場(その2)
明けましておめでとうございます。
ご無沙汰しております。
新穂高ロープウェイは、自宅から訪れたスキー場としては最遠距離のゲレンデでした(訳あっていまはさらに遠いのですが)。
ですが、初めてのインパクトがあまりに強烈(景色、デンジャラスな尾根コース)で、何度かはるばる足を運びました。
スキーバブルのころ、ロープウェイ待ち2時間くらいだったでしょうか。そんな苦痛よりも、西穂高口のトップに立ちたい気持ちが勝っていたと思います。両側が切り立っていて、コース幅5m足らず、フェンス・ネットもない、今ならあり得ないだろうコースを肝冷やしつつ嬉々して下ったものです。そして正面にそびえる端正な笠ヶ岳。山岳スキーの端緒に触れた思いでした。
アクセスが良いとはいえず、決してファミリー向けでもなく、またボーダー受けするはずもないスキー場。バブルがはじけてしまえば、当然の流れなのでしょうか。中年スキーヤーとしては惜しいですが、感謝したい気持ちでいっぱいです。
あの日本離れ(言いすぎかな?)した稀有なスキー場は私のフェイバリットの一つでした。
いつも楽しく読んでいます。ありがとうございます。
もっとも、閉鎖されたスキー場ですから楽しんではいけないのでしょうけど...
今回の、新穂高ロープウェイスキー場は閉鎖してほしくないスキー場の1つだったのですが...
若い頃に行きました。はるばる四国の愛媛から。当時は車を持っていませんでしたので、JRで高山まで、高山からはバスで新穂高まで。すごく時間がかかりましたが、それでも、やっぱり行きたいスキー場でした。
片流れで難しいコース、急で狭いコース等、でもよかったです。他と異なり山岳スキー場ならではの雰囲気です。とりわけ、2時過ぎ頃からロープウェイで登る時に、ピンク色に染まった槍ヶ岳が数十秒見えます。自然の造形美ですよねぇ、「ああ、はるばる来てよかった」と思う瞬間でした。
ありがとうございました。
いささか寂寥の思いを持って見ています。
このスキー場は大けがをした所であり、その後リベンジを果たしたところでもあります。ここを滑り降りれれば上級という父の言葉ありとても思い出深いところです。
あけましておめでとうございます。今年もご活躍楽しみにしております。さてこの新穂ですが20数年前当地へのスキー紀行では大雪のため
周りを含めたスキー場がクローズとなり結局滑れず終いとなったスキー場でした。(結局高山まで降りてきて開いてるスキー場で滑りました)クローズ後訪れた際にはロープウェイからコースを見て滑っていればと怨めかしく思ったもんでした。
すでに廃止されてしまいましたけど、その直前に滑りに行くことができました。
でも、この新穂高は滑ることができなかった。
ですので自分なりには幻のスキー場となってしまいました。
それから、ここを克服すべくいろんなスキー場の難コースを巡って2年後はここを快適に滑れるようになったと思います。
最強コースのあとは最高の温泉とうまいお酒と美味しい料理といい思い出でした、30年前のことです。
先日、滑ったスキー場が100に達しましたので岐阜県のスキー場を整理していましたら「追憶のゲレンデ」に行き当りました。この新穂高ロープも100のうちの一つです。
私も行ったことはないのですが、岐阜県では飛騨に子の原高原スキー場(オケジッタの近く)、奥美濃に尾上平(ひるがのから大日岳の方に入る)というスキー場もありました。どちらも短命でした。尾上平はリフトの鉄柱が残ってるかもしれません。
これからも楽しく読ませていただきます。
10年以上前ですが、大日岳山頂からひるがの高原へのツアーの途中で尾上平の横を滑りました。当時は鉄塔が残っていました。
又、ご承知のように岐阜県の恵那山にもスキー場が開発されたことがありました。昭和30年代後半か40年代だったと思いますが、新聞記事を読んだ記憶があります。ネットの検索では「黒井沢商業開発」というのに行き当たりました。
さらに、三重県に藤原スキー場というのもありました。これは新聞のスキー場便りに御在所と一緒に積雪量が毎日載っていました。リフトはなかったようですが、藤原岳の山頂あたりだったようです。
その時に、こんなすごいコースを降りていくのかとロープウェイの同乗者が話していたようで、気分が良かった記憶が残っています。
山岳スキーかと思えるコース、最大斜度も確か40度と野趣あふれたスキー場で、廃止となったのは今でも惜しくて堪らないスキー場です。