(左)御殿場口からわずかに登ったところにある大石茶屋。小屋の向こう側がメインゲレンデだったと思われる。(右)大石茶屋左手の斜面。
世界遺産への登録が決まったことで最近、にわかに注目を集めている富士山。一方、東南海地震発生の可能性も取り沙汰されている。その雄大な日本一の裾野でのスキーは爽快だっただろうと想像する。富士の裾野には静岡側・山梨側ともにいくつものスキー場があったはずだが、その代表といっていいのが御殿場口登山口付近の太郎坊とよばれるあたりにあった御殿場市市営スキー場。1975年に開設され、リフト1基、Tバーリフト2基を備えていた。しかし、雪崩被害がしばしば発生し、1990年に廃止となった。自然雪のスキー場だったので、雪が少なくて営業できないことも多かったという。
富士五合目付近の雪もなくなった6月、現地を訪れてみた。御殿場口登山道新五合目の駐車場まで車で登る。自衛隊の訓練などがあったのか、駐車場には何台か自衛隊関係の車両がとまっていた。ここから大石茶屋まで登って登ってみようと思う。砂礫で歩きにくい道を10分ほど登れば、まだ営業を開始していない大石茶屋にたどり着く。あいにくと天候が悪く、前方の富士山頂は雲の中だった。しかし、廃スキー場探索ではあまりめぐり合えないような風景が広がっている。
さまざまな資料で見ると、この大石茶屋のトップに向かって左側から上部にかけてがメインゲレンデでだったようだ。見上げるとやや窪んだ谷状の地形になっているが、雪崩が発生してこのようにえぐれた地形になったのかもしれない。割と一定の斜度が保たれているように見える。この斜面に沿ってリフトが架けられていたのだと思う。Tバーリフトはそれよりも下部にあったというから、駐車場からメインゲレンデまではTバーリフトがつないでいたのだろうか。大石茶屋の従業員の服には「御殿場市営スキー場」と書かれているといくつかのサイトで記載されていたが、今日はまだ小屋は営業していないので確認のしようがなかった。
(左)御殿場口登山口にあった掲示板。(右)大石茶屋付近から見おろした御殿場方面。
振り返ると、御殿場の市街をはさんで向こう側には箱根の山並が見えた。私は長野から静岡までスキーに出かけるという機会はまずなくて、日本一の雄大な斜面を滑る機会には恵まれなかった。この斜面を滑走する気分はどうだったのか、いまは推測するしかない。(現地訪問:2013年6月)
<参照サイト>
http://minkara.carview.co.jp/en/userid/383958/blog/27559259/
http://www.fjsan.net/fjskijyouimamukashi.htm
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fujisan/fuji-g.html
御殿場市営スキー場…懐かしいです!
昭和59年頃1度だけ訪れましたが、雪が少なく一部滑走可~との事で、急遽変更~日本ランド(現在のイエティ)スキー場で滑りました。
数年前、御殿場高原へ行った折に思い出し、ネット検索で、雪崩で閉鎖と知りました。
今となっては一部でも滑ってみたかったですし、Tバーリフトもぜひチャレンジしたかったです。
こちらで現地の様子が見られ、嬉しかったです♪
御殿場スキー場のレポートをされたのを拝見して初めてコメントさせていただきました。
まてぃさんの他スキー場の件でもちょっとふれさせていただきましたが、当方まだヘタだった20代前半平成のはじめ頃静岡県西部から1回だけ行った事があります。
本当はもっと何度も行きたかったのですが何しろ普段は全然雪が降らず、新聞のスキー場欄はいつ見ても「×」のためやむなく他のスキー場へ行っておりました。御殿場は幻のスキー場と呼んでおりました。
ある時大寒波がきて「◎」になったためすぐに行きましたが、その頃の車と装備はFRのクレスタに一番安いチェーンのみでしたので、この日ハンパない積雪にスリップして県道から太郎坊のスキー場駐車場までの急坂を登れず逆にズルズル下がった覚えがあります。
駐車場からリフトまですぐに2本のロープトゥで上れるかと思いきや大雪に埋もれて使えず、かなりの距離を足で登らされて1本しかないシングルリフト(全長700m程度だったように思います)にやっと乗れた記憶があります。
ただ天気は曇りから晴れたため非常に良い景色で、富士山に登ったことが無かった当方には回りに木がなくまさに富士山の途中という感じで、グルリ遠くに登山隊が見えたりして非常に不思議かつ感動的な感覚でした。雪の間から見えるのは岩や土ではなく黒い溶岩だったり、リフトは同じ斜度で続く斜面の続き途中で降ろされ、更に担いで登ればいくらでもいける感じでした。イエティやふじてんとは全く違う景色でした。
こんな場所でしたので大嵐が来ると何もない斜面を雪崩が襲い、リフトや山小屋(食堂)が度々流され、ついに御殿場市がサジを投げて閉鎖してしまいました。
もしも今滑ることができたらすごく感動するでしょうね。残念です。
*少し長文になり申し訳ございません。
野沢は1984年民宿阿部での合宿が懐かしいです。
御殿場のこの辺りは今では手軽な山スキーのフィールドとして人気で雪が積もると誰かが滑りに来ています。
2016.11.26富士山スカイラインまで雪が十分つながった時が有り洞門の脇に車を止め12時間かけて3700mまで登り、車まで2時間の滑降でした。
穂高や白馬のスキーも素晴らしいですが、富士山の裾野も特筆すべきものです。
神奈川に住んでいるので長野に居た時に新穂高RWスキー場に行かなかったのが悔やまれます。4年前に上高地側に滑ろうと計画しましたが、RWにスキーの持ち込みも禁止されていました。
閉鎖されたスキー場があまりに多く複雑な思いです。戸狩や横手も心配です。
今のうちに多くのスキー場をめぐってみたいのですが、スキー場まで遠いのが残念です。
興味深いブログありがとうございました。
何時雪崩が起きたのか知りたく、当時は良く通っていました、捜索 or 遺体収容の時に隣で滑る訳にも行かず自粛、全員見つかったとのニュースを聞いて行った所、雪はほとんど消えてました。
以前はホームページやってましたが、今はブログです。
アメブロ検索で友峰のブログ、これで見れるかと
1990年2月中旬(詳しい日にちは忘れてしまいました)、朝2時間ほど仕事して10時ころから年休を取り、一人で御殿場スキー場に行きました。素晴らしい快晴の日で、インター近くの職場から富士山がとてもきれいに見えたので、仕事が区切れたら出かけようと朝から思っていました。その日は平日ということもあり、自分を含めて10人か15人くらい昼前に滑っていました。私は回数券(11本滑れるやつ)を買い、3回パンチしてもらったとき、放送が入り、「本日はこの後無料開放になります」という大盤振る舞い状態へ。回数券の残る8回はまた次の機会に使えばよいと仕舞い込み、11本以上結局滑ることができ、満足して昼過ぎに上がりました。
翌日から天候が悪く営業できない日が続いて、3月には恒常的に発生していた雪崩が2月に起こったことも災いし、リフトが流され、町は復旧を断念、閉鎖されたと記憶しています。このスキー場としての最後の営業日は「無料開放」だったということを覚えている人はもうあまりいないと思います。当方61歳になります。