(左)統合により現在は使われていない鹿瀬中学校の校庭から。前方の山並の中にスキー場があった。(右)山中の道を進むと峠状の少し開けた場所がある。ここがゲレンデ跡。
新潟県の阿賀野川中流域の4町村が合併しててきた阿賀町。前回に引き続き、その阿賀町にあったスキー場を取り上げる。しかし、前回は旧津川町であったが今回は旧鹿瀬(かのせ)町。昔のガイドブックには「鹿瀬スキー場」と記載されているが、地元では天名(あまな)スキー場といった方が通りがいいようだ。
「スキー天国にいがた(1975年12月10日・新潟日報事業社)」には、「鹿瀬スキー場」として以下のように紹介されている。「昔から地元の人たちの町民スキー場として親しまれてきたスキー場で、シーズン中には町民スキー大会も開かれ、緩急の変化に富んだスロープは中上級向である。ただスキー場前まで車が入れないのが難点である。鉄道:新潟から磐越西線1時間30分鹿瀬駅下車、徒歩40分。施設:リフト1基。40mシャンツェあり。主な行事:町民スキー大会」。
昭和34年1月には、新潟県の高等学校スキー大会(アルペン競技)が開催されたという記録もある。また、昭和41年1月の同県大会ではジャンプ競技がここで行われた。「広報かのせ/昭和33年(1958年)12月1日第19号」には「天名スキー場にロープウエー着工。完成予定は12月15日」との記事がみられる。
鹿瀬支所近くで地元の小父さんに声をかけて、天名のスキー場のことを聞いてみる。よくご存じで「国道459号を津川方面に戻り旧鹿瀬中学校の手前を南の山間に入っていって、左に林道が分岐する小さな峠のあたり」といって地図まで書いて説明していただいた。その地図に従って車で行ってみると確かにスキー場の斜面らしい樹木の少ない一帯はあるのだが、そこだけではゲレンデとしては規模が小さすぎるしあまりに斜度がないと感じられた。どうもゲレンデの様子は想像しにくかった。
いったん山間部から平地まで戻ってどうしようかと考えていると、軽トラが通りかかったので運転している小父さんにまたもたずねてみる。「それじゃ、ちょっと行ってみようか」と現地まで行って説明をしていただいた。
(左)ゲレンデ下から見上げる。前方左の山頂にジャンプ台があった。アルペン競技のコースは右側だったという。(右)ゲレンデの側面から見上げる。山頂から右に向かってゲレンデがあった。
ゲレンデの位置は先ほどの場所で間違いなかったが、現在は樹木が茂っている山頂部分までゲレンデが広がっていたようだ。山頂部にジャンプ台があり、それに向かって右手にアルペン競技の斜面があったと教えてもらった。付近にはクロスカントリーのコースもあったという。このスキー場をつくるとき、町の職員といっしょにこの小父さんも働いたという。当時のことなので。地元の人たちの力を集めて、機械によらずもっぱら人力によりつくり上げたようだ。
シャキッとした山仕事の恰好をして若々しく見えたその小父さんは、今年80歳になるという。その小父さんが若い頃のことだというから、もう50~60年近くも昔のことである。おそらく上記の「天名スキー場にロープウエー着工」という記事の頃にあたるのではないだろうか。ガイドブックには「リフト1基」と書かれているが、小父さんの記憶ではロープトウくらいしかなかったということだった。もちろん若いころは何回もここで滑ったということだが、もっぱら地元の子どものためのスキー場だったようだ。
地元の方に昔のゲレンデについて教えを乞うことはこれまでも多かったが、これほど親切に教えていただいたことはなかった。それほど鹿瀬の方にとっては、思い出深いスキー場だということだろう。地元の小父さんに、感謝。(現地訪問:2014年6月)