2014年08月08日

甘利山スキー場(山梨県韮崎市)

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(左)広い駐車場がある甘利山登山口・広河原。ゲレンデ跡はもう少し先。(右)広河原にあった地図。右下付近に「旧スキー場」の文字。

山梨県韮崎市街地の西方、南アルプス市との境界に位置する甘利山。標高は1,731m。日本百名山のひとつである鳳凰山の、東側稜線上にある小ピークといってしまえばそれまでだが、6月にはレンゲツツジが一面を染め上げ、多くのハイカーでにぎわうのでその名が知られている。山頂のごく近くまで県道が通じていることから、アプローチも容易。広河原と呼ばれる山頂直下には広い駐車場があり、そこから山頂までは20分ほど歩けば到達できる。ちなみに山梨百名山にも選定されてる。

この甘利山の山頂近くにスキー場があった。「日本山岳案内4(昭和16年、鉄道省山岳部)」には「山頂上一帯がスキー場であって、又椹池の凍結と共に甘利神社、鈴尾根、蕨平を含む緩斜面がスキー場として利用される。只椹池までスキー用具を持ち運ぶのが、一寸荷厄介である」と記載されている。

この甘利山スキー場を語るのに欠かせないのは、韮崎に住んでいた登山家の山寺巌氏という方のようだ。昭和20年代に韮崎高校のスキー部を指導するとともに、甘利山の入口に住んでいた小林三郎氏とともに甘利山中腹を下草刈して、スキー場として開拓した。そして昭和30年代には韮崎高校で活躍した選手らが集まり、現地にてスキー大会を行うまでになったという。

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(左)ゲレンデ下から見上げる。(右)青木鉱泉方面に向けての車道が走るゲレンデ最下部。甘利山登山道を示す標識も。

梅雨空の7月の休日。韮崎の中心地から曲がりくねった道を甘利山を目指して、車で上って行く。平地からは15kmほどの道のりだ。ようやくの思いで山頂直下の広河原の駐車場に到着。登山口近くの喫茶兼売店「つつじ苑」の前で、「甘利山倶楽部」と書かれた服を着た小父さんに尋ねてみる。スキー場はこの先、しばらく進んだ左側斜面にあったようだ。ロープトゥの施設などもなかったという。昭和40年頃がスキー場として使われた最後の時期であった。滑っていたのは地元の人たちだけかと思ったら、「その頃はあまりスキー場が多くなかったから、県内各地から滑りに来た」ということだった。

青木鉱泉方面に向かって、車道はここからは下り坂となる。わずかに進むと、左に向けて「甘利山」と登山道を示す標識がある。広河原から山頂を経てここに降りてくる周回コースがとれるのだが、その下部にゲレンデがあったようだ。左手にやや急な斜面があり、そちらがメインゲレンデだったようだ。周囲には森林が広がり、思っていたよりも小さな規模に感じられた。

車道の一段上が平らに整地されているが、そこはヘリポートに使われているらしい。車道を挟んで汁垂ロッジの跡地と思われる平地もある。その斜面の上には、前述の山寺巌氏をしのぶ「山寺巌追悼碑」と書かれた石碑が建てられていた。裏には「昭和四十七年十月 韮崎スキークラブ 白鳳会 親交会 友人 建立」と記されている。スキー黎明期の苦労がしのばれた。(現地訪問:2014年7月)

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(左)甘利山からの下山路からゲレンデ下部を見おろす。(右)ゲレンデ向かい側の斜面にある「山寺巌追悼碑」。
posted by 急行野沢 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 山梨県 営業休止のスキー場 | 更新情報をチェックする
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