2014年10月10日

東部スキー場(畑沢スキー場) (白馬村)

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(左)「サンサンパーク白馬」から見た堀之内地籍の田頭の集落。その背後の山中にスキー場があった。(右)林業用作業道を進む。正面右手一段上の平らな場所に休憩小屋があったという。ゲレンデはその向こう側らしい。

白馬方面にスキーや登山に出かける道すがら、いつも気になっていたのが、この「東部スキー場」。長野から白馬に向かう通称「オリンピック道路」が美麻トンネルを過ぎて、白馬村の平地に下っていくと、左手に「サンサンパーク白馬」という駐車スペースがある。その北側は堀之内という地籍のなのだが、そのあたりにスキー場があったはずだ。

「白馬の歩み(4)」には、以下のように記載されている。「神城の東部地区の堀之内や三日市場は昭和37年から民宿を始めた。(中略)昭和38年には12軒で民宿組合をつくり、堀之内地籍に畑沢スキー場をつくった。雑木林を一町五反歩ほど伐採、ロープ塔を架け、休憩小屋も建てた。昭和43年、八方尾根で国体スキー競技会が開かれるころになると、スキー客はバスに乗車して八方尾根や五竜とおみスキー場へ行くようになり、畑沢スキー場も休止してしまった」とある。また、「観光と旅19 郷土資料事典・長野県」(人文社:昭和42年3月15日初版、昭和49年6月1日改訂版)には、「東部スキー場」として「神城駅の東約1.5km、バス10分。堀之内部落周辺に開設されるスキー場。ロープトウ1基、宿は東部民宿」と紹介されている。畑沢スキー場と東部スキー場は同一のものと思われる。

秋の気配が色濃くなってきた9月下旬、堀之内を訪れ、集落のはずれで農作業をしているオジさんにスキー場の場所を尋ねてみる。「わかた館・大わで荘という民宿の看板に従って、テニスコートや民宿の横を通り過ぎ、田頭集落の背後の山に入って行ったあたり」とのこと。とりあえず、その言葉に従って進む。「いまは車は入れないかもしれない」といわれたので、邪魔にならない場所に駐車して、あとは歩いて未舗装の道を進む。周囲は杉の植林帯だが、ひとしきり登ると山腹を水平に進む林業用作業道に合流。なんとなく右から左へと下る杉林の斜面は、ゲレンデに適した斜度のように感じられる。

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(左)ゲレンデ下部。重機を使って間伐作業中。(右)ゲレンデだったと思われる斜面を最上部から見おろす。

向こうから伐採作業の音が聞こえてくる。重機とチェーンソーを扱う人、3人ほどで間伐の作業をしている。伐採した木が倒れてこないのを見はからって近づき、尋ねると「その向こうに、スキー場の休憩小屋だった建物が少し前まで残っていた」という答え。作業道から一段上がった平地の上らしい。さらにヤブをかき分け少し登ると、一段上にある作業道まで樹木の少ない斜面があり、そこがメインのゲレンデのようだった。西向きの斜度は、ほどよい中斜面のように思える。

周囲は杉の植林や雑木が取り囲んでいて、ゲレンデの跡もあまりはっきりしない。樹間からかすかに後立山の山並みが見える。スキー場だった頃には、前方に五竜・唐松などの山並みを眺めながら滑ることができたのだと思う。今回も、地元のオジさん、山仕事のオジさんに感謝。(現地訪問:2014年9月)

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(左)ゲレンデ最上部と思われる場所。左下に斜面が下っている。(右)作業道沿いには「白馬きこりの道」というハイキングコースの地図が掲示されていた。赤印でゲレンデがあったと思われる場所を記入してみた。
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