2015年09月03日

比叡山人工スキー場(京都市左京区)

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(左)京都側から比叡山へのアクセス手段のひとつ「叡山ケーブル」。(右)斜面下から見上げたゲレンデ全体。

最澄が開創した比叡山延暦寺は多くの高僧を輩出し、現在も日本仏教のひとつの中心となっている。そんな比叡山や北山の奥にはいくつかのゲレンデがあると知ってはいたけれど、どうも京都にスキー場のイメージはあわないと感じていた。

この比叡山人工スキー場は、京都の北東に位置する比叡山の頂のひとつである四明岳の北西斜面に開かれていた。1964年に開業。冬は天然雪に加えて人工雪との組み合わせで、そして夏期もグラススキーやアストロスキーで営業をおこなっていた。暖冬による雪不足やスキー人口の減少により、2000シーズンに夏期の営業を休止し、2001冬期シーズンを最後に閉鎖となった。

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(左)ゲレンデ下にはレストハウスなどの建物が残っている。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には以下のように紹介されている。「京都市内、中心街からでも30分。ペアリフト1基と平均12度の人工ゲレンデのスキー場。足慣らしや仕事帰りのひと滑りに多くのスキーヤーが近郊からも集まる。ソリ専用ゲレンデ、スクール、ナイター平日21時30分、休前日22時」。ペアリフトの長さは170m。期間は12月中旬~3月中旬となっているが、これは冬期営業の期間だろう。アクセスは叡山電鉄八瀬比叡山口駅からケーブルカーで山頂下車、徒歩10分。車では、京都東ICより国道161経由比叡山ドライブウェイ山頂まで20km。

京阪電鉄で出町柳へ。そこからは叡山電鉄の電車で八瀬比叡山口へ。さらに叡山ケーブルに乗って、ケーブル八瀬駅からケーブル比叡駅へ。このケーブルカーは日本一の高低差(561m)を誇っていて、急勾配を登っていくと眼下に洛北の景色が広がる。ケーブル比叡駅に降りると、さすがに京都市街に比べて気温がずっと涼しい。私以外の乗客はすべてロープウェイ乗場へと向かってしまった。ロープウェイに乗り比叡山頂から延暦寺方面へ、さらに坂本ケーフルで琵琶湖側へと下るのが一連の観光コースとなっている。

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(左)リフト乗場には小屋などが残る。(右)リフトは搬器をはずされたまま残っている。

一方、私は杉林の北斜面につけられた林道を歩く。頭上をロープウェイが通り過ぎていく。10分ほどで視界が開け、ゲレンデの下に到着する。ゲレンデボトムになる左手にはレンタルスキーやレストハウスの建物が、やや廃墟化しながら建っている。右手には緩やかな斜面が広がっている。正面奥、すなわちゲレンデトップに向かって左手にペアリフトが残っている。搬器ははずされ、樹木が繁ってリフトの機器の間に入り込んでいる。

見上げるゲレンデは緩やかな1枚バーンで、基礎練習にはもってこいといった感じ。斜面は背の高い草が点在している。ゲレンデ右脇の道を登っていくとロープウェイ比叡山頂駅に出る。付近一帯にはガーデンミュージアム比叡という庭園美術館が広がっている。その展望塔からは京都と琵琶湖、双方の展望を楽しめるらしい。コンパクトな規模とはいえ、市街地からは身近なスキー場であったことが感じられたけれど、同時に時代の変化も感じざるをえなかった。(現地訪問:2015年8月)

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(左)ゲレンデ中腹から下部を見おろす。(右)「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」を参考につくったゲレンデ図。
この記事へのコメント
まさかこのゲレンデが取り上げられるとは思いませんでした。
京都市内から車で30分かからない立地から、営業中は週末なんかは
結構、家族連れで賑わってました。あと、夏期のプラスノーゲレンデでは
競技会もやってましたね。年間10戦ほど有って、毎回3~40名参加者がいました。
ポールを立てて、タイムもゲートを設置して計ってました。懐かしいです。
Posted by ホホホ at 2015年09月03日 13:25
ここまで来られたのですね。
夏のアストロスキー場で、レディースディでリフトタダの日によく利用しました。
競技会もありましたが、講習もあり、
海和さんや里吉さん・金子裕之さんも来られてました。
確かアストロのビーズが、京都の河に流れてたので問題になり
夏の営業が中止。そして冬もという感じでした。
Posted by はせちん at 2015年09月03日 23:46
仕事が終わってから何度かナイターに行ったことがあります。昼間に出来たコブがそのまま氷になっていて、そのアイシーなコブのおかげでコブ斜面が得意になりました。ほぼ20年前ですね。
Posted by さんた at 2015年09月06日 05:22
鴨川にゲレンデに散布したビーズが流れて問題になりましたが、
ビーズを除去して夏営業も最後までやってましたよ。
冬の雪不足対策に、巨大ドラム型の人口造雪機を設置したのに
翌年いきなり閉鎖となり、皆「えーっ!」て感じでした。
Posted by ホホホ at 2015年09月08日 09:34
白馬在住ですが、私をスキーに狂わせたゲレンデはここでした。
アストロゲレンデのポールレース、懐かしいです。少年の日の良い思い出です。
他に京都には花背スキー場、佐々里(ささり)スキー場なんかもありましたね。

白馬ネタですが、みねかたの解体作業が始まっています。
Posted by 地元民 at 2015年09月09日 17:48
皆様、コメントありがとうございます。 思ったよりも反響があって驚いています。近くの方には親しみのあったスキー場だったということでしょうか。京都に行ったとき、半日を費やして訪れた甲斐がありました。
Posted by 急行野沢 at 2015年09月09日 21:57
都市に近い人口スキー場は閉鎖されるものが多いですね。
名古屋市内にも、鳴子アストロスキー場、竜泉寺プラスノースキー場?なんてものがありましたが、いづれも宅地開発に飲み込まれていましたね。
装置産業が生き残るのは大変なんですね。
Posted by スラ at 2015年09月12日 16:54
大学で東京に出るまで京都で生まれ育った者です。小学生の時は年2回学校の課外授業の一環で毎年訪れてました。また中学高校時代は一人で平日のナイターによく行きました。スキーを全くやらない両親の元で育った自分にとって、スキーを好きなったのもスキーの基礎を身に付けたのもこのスキー場でした。懐かしいですね。最後に訪れたのは高校生だった88年頃までですが当時はリフトの反対側(ゲレンデ向かって右側)にロープトウがありました。リフトより上下10m程度ずつ短かったですが、リフトが混んでいる時はよく使わさせて頂きました。当時の休日は家族連れで結構混んでいてリフトも10分待ち程度でした。懐かしいスキー場の写真をアップして頂きましてありがとうございました。
Posted by 京都出身 at 2015年09月16日 14:03
懐かしいです。ピーク時はシリーズ制の大会も開催しておりよく参加していました。ミズノからアストロゲレンデ専用の板があり、比叡山のクラブチームの選手が使用していました。
昔、通っていたゲレンデが次々閉鎖されるのは寂しい限りです。
Posted by おやじレーサー at 2016年02月10日 01:20
学校行事以外ではじめて行ったスキー場でした。
ここで、スキーの楽しみを知り、それからはシーズン始めの足慣らしはいつもここのナイターでした。

ケーブルを降りてからの暗い山道を道具一式担いで行くのは、かなり辛かった。

今では良い思いでです。
Posted by りょうい at 2016年12月10日 22:03
2001年を最後に閉鎖...ショック!です。一乗寺が実家だったこともあり、初めてのスキー経験がここでした。中学時代スキー部(基礎)で過ごし、大学時代は長野県で居候を経験し、社会人になって京都府スキー連盟の準指導員となり、ここのスキー教室に講師として登山した経験があります。あぁ、ひとつの時代が終わった...そんな感じです。
Posted by nabe3 at 2018年02月06日 17:32
小中高と修学院。現在は一乗寺。比叡山には色々楽しい思い出があります。スキーも勿論。最後に滑ったのはもう20数年も前でしょうか。ある日の午後、ふと思い立って、靴をリュックに、スキーを担いで、きらら坂から登山。一時間弱でゲレンデへ。そこそこに混んでいました。適度にコブとアイスバーン。レストハウスで適当に休憩をとりながら、ナイターのライトアップされたゲレンデの滑走も満喫しました。帰りは懐中電灯で足元を照らしながら、きらら坂を下山。懐かしい。
今はスキー場も回転展望台も無くなり、比叡山のひとつの時代が過ぎ去ってしまった様に思います。
Posted by きらら坂 at 2018年09月04日 02:28
子供の頃、比叡山の麓に住んでいました。氷を満載したダンプが何台も上がっていった記憶、一度だけ滑った記憶がおぼろげながらあります。
Posted by ken at 2019年08月23日 14:22
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