(左)湖西線比良駅付近から見た比良山系。右のピークが釈迦岳。釈迦岳の左下中腹にかすかにリフトの跡が見える。
琵琶湖西岸の山稜にはびわ湖バレイ・朽木・箱館山・マキノなどのスキー場があるけれど、比良山スキー場はひときわ野趣あふれる個性的な存在だったようだ。山麓からの独特のアプローチなど興味の尽きない老舗スキー場だったが、残念ながら訪れる機会はなかった。スキー場の開業は1962年。2004年3月にクローズとなってしまったこのスキー場跡地をいつか訪ねてみたいと考えていた。ちょうど関西で所用があったので、その帰路に1日を費やしてスキー場探索を兼ねた比良山系の登山が実現した。数回に分けてレポートしたい。
「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には以下のように紹介されている。「比良山系の標高900~1000mに位置し、豊富な積雪と粉雪、森の中をぬって滑る独特の雰囲気と大パノラマにファンも多い。コブ斜面もある。親子スキー教室・中高年スキー教室などのスクールがさかん」。ゲレンデ内にはペア2基、シングル1基の施設があった。
アクセスは「湖西線比良駅から比良リフト前行バスで15分」となっている。ただそれは山麓のリフト乗場までのアクセスに過ぎない。スキーを手に持ったまま登山リフト(所要15分)とロープウェイ(1,260m・7分)を乗り継ぎ、さらに歩いてゲレンデにようやく到達するといった具合であった。登山リフトは開業当時は日本一の長さだったという。
(左)登山リフト乗場跡には2階建の建物が残っている。(右)登山リフト乗場跡。
湖西線比良駅で下車。駅のホームからも比良山系の山並みが見渡せる。登山口のイン谷口までのバスは土日だけなので、今回は比良駅から1時間弱歩く。イン谷口からの道沿いには路側帯のような駐車スペース。その車道も左手に2階建ての建物があるリフト乗場跡で終わり。ここが比良山スキー場の玄関口で、登山リフトの乗場だった。スキー用具は手で抱えて乗車したという。リフト乗場には両側に階段があって、下山でも使われたため乗降分離されている。機器や支柱・ワイヤーなどはすべてきれいに撤去されている。前方の山腹を見上げると切開きの跡がはっきりわかる。
ここからは概ねリフト下を交差しながらの登山道となる。リフト下を横切る場所には、コンクリート壁や石垣が残る箇所も。やがて前方に山腹を固めた巨大なコンクリートの壁があらわれれば、そこが登山リフト終点跡(釈迦岳駅)。登山道側は枕木でガードされて入れないようになっているが、巨大な要塞のようにも見える。
(左)登山道がリフト下に交差する場所には、コンクリートの壁も。(右)下から見上げた登山リフトの終点。
ロ―プウェイ釈迦岳駅はほぼ完全に撤去され痕跡がわかりにくいが、リフト降場の西側に隣接していた。西側の北比良峠方面に向かって切開きの跡も見える。ロープウェイの定員は当初21人から後に31人に更新されたというから、それなりの設備投資も続けられたのだろう。登山道をひと登りすれば、コンクリートの擁壁の上に出て、登行リフト降場の全体像と遠く琵琶湖の広がりを見下ろすことができる。コンクリートの床には、降りた後の方向を示すペンキの矢印が残っていた。スキー客がリフトを降りてロープウェイに進む姿が脳裏に浮かんだ。(現地訪問:2016年4月)
(左)登山リフト終点。前方にロープウェイ駅があったと思われる。(右)登山リフト終点を上部の登山道から見おろす。
→次回、「比良山スキー場(その2)」につづく
→「比良山スキー場(その3)」
[参考資料]
「失われたロープウェイ」を参考にさせていただきました。
[登山記録(参考まで)]
JR湖西線・比良駅740-820イン谷口-830リフト乗場跡835-935ロープウェイ駅(釈迦岳駅)跡955-1042カラ岳1049-1109比良ロッジ跡-1120北比良峠1140-1150比良ロッジ跡1200-1210八雲が原(周辺探索)1300-1315北比良峠1320-(ダケ道)1350カモシカ平1355-1425大山口1430-1450イン谷口-1530比良駅
残っているゲレンデでした。コース脇を滑って
いたら、冬山登山の方々が居て、思いっきり
スプレーぶちまけたりとか・・・
ゲレ食の比良定食がボリュームがあってとても
美味しかったです。
1991?3月頃にゲレンデにいったことは覚えているのですが、リフトなどの記憶も記録も無い・・・残念。