

古い写真から(左)千曲川の渡し舟。(右)七巻スキー場へ向かう。
30年以上前に比較的若くして亡くなった伯父の遺品を、最近あらためて整理する機会があった。国鉄に勤務し飯山線で仕事をしていた時期もあった。その関係からか、スキー場に関する資料や写真がたくさん見つかった。中でも、七巻スキー場に関するものが多かった。
「'68~'69野沢温泉スキー場案内(野沢温泉村観光事業課)」にも七巻スキー場のことが紹介されている。「七巻スキー場は野沢温泉スキー場の北約5kmの所にあり一昨年開設されて以来豊富な雪と絶好のゲレンデに恵まれたスキー場として人気を集めています」。
「ここの特長はなんといっても民宿の待遇のいいことで素朴な人間味と1泊2食付700円ということが魅力です。また、飯山線桑名川駅で下車して七巻スキー場へ行くには舟による連絡があり、この渡し舟が詩情豊かな千曲川とともにスキーヤーの心をたのしませてくれます」


古い写真(左)開業の式典か?(右)ゲレンデ全体を見渡す。
式典が行われている写真を見ると、シーズン当初なのだろうか、積雪は多いとはいえない。渡し舟やスキー場周辺の風景は情緒を感じるものではあるが、いまとなっては営業的に成り立つはずもないのだろうと思う。


(左)七巻スキー場のパンフレット。(右)七巻スキー場のチラシ。
また、同スキー場のチラシには年末年始の臨時急行が上野から飯山線に乗り入れることが記されている。気動車急行が上野駅から直通していたというのは、時代を感じざるを得ない。また、リフト1本のスキー場にしては立派なパンフレットやペナントまでつくられていたようだ。国鉄や地元でスキー客誘致に力を注いでいた様子がうかがえる。

(左)ペナントもつくられていた。(右)現在の七巻スキー場跡。最下部からゲレンデを見上げる。左手にリフト乗場があった。
7年ぶりに七巻スキー場の跡地を訪れてみる。真夏の太陽のもと、草木が大きく生長した斜面はスキー場だった面影を徐々に消し去っていくように思えた。最下部にはリフトのコンクリート部分がいまも残っており、かつてスキー場だったことを主張しているように思えた。(現地訪問:2016年8月)
(左)ゲレンデを少し上ったところから最下部を見おろす。(右)リフトのコンクリート部分が残っている。
こちらもご覧ください→「七巻スキー場(その1)」
大昔、知り合いが行っていてスキー仲間大勢で民宿に泊まって滑りました。
パンフレットの渡し舟、懐かしです。
ゲレンデの印象はあまりないのですが、飲みやすい地酒をお銚子では足りずにヤカンで沸かして飲んでいたのを思い出しました。
青春の思い出にたどり着けました。
ありがとうございます!
たしか「薬師荘」という民宿にまるで住んでいたかのように生活し、とてもあたたかい雰囲気だと記憶しています。
集落からスキー場まで歩いて登るのがつらくぐずっていたように思います。
温かい味噌汁、美味しいご飯の卵かけ。黄色いたくあんなど本当に懐かしい。ゲレンデのラーメンがとても楽しみでした。東京在住