(左)コンクリート部分だけが残されたリフトの痕跡。(右)リフト下からゲレンデがあった斜面を見上げる。
先日、通りすがりに立ち寄ってみると、リフトの痕跡がコンクリート部分だけになっていて驚いた。以前は機器類やワイヤーなども残っていたけれど、それらは撤去されたようだ。いつかヤブ漕ぎをして上部の様子も知りたいと思っていたが、草木の生い茂るこの季節にはそれも難しかった。
前回も触れた伯父の遺品の中から、豊田村にあった大平・涌井両スキー場の案内書を発見した。「今冬開設される…」と記載されているから、開設年の1968年につくられたものと思われる。


(大平スキー場・涌井スキー場の案内書から)
案内書によれば、大平スキー場へは飯山線+バスにより長野駅から40分でアクセスできる。とすれば長野駅から最も近いスキー場ということになる。積雪さえ確保できれば、長期にわたり長野市街に近い便利なスキー場となっていただろう。
なお、案内書には同村内にあった涌井スキー場についても掲載されている。涌井スキー場にはトロイカ1基があったが、「未開のスキー場です」と書かれているのが面白い。こちらの方が大平スキー場よりも先に閉鎖されることとなった。


(大平スキー場・涌井スキー場の案内書から)
立派な案内書もつくられていて、豊田村としては観光集客の目玉として力を入れていた様子がうかがえる。農林業以外にはさしたる産業もなかったと思われる地域にとっては、スキー客による冬期の収入は非常に大きなものだったと思われる。(現地訪問:2016年7月)
こちらもご覧ください→「大平スキー場(その1)」