2017年05月19日

夜久野ヶ原スキー場(京都府福知山市)

今回も京都府北部の廃スキー場のレポート。取り上げるのは夜久野ヶ原(やくのがはら)スキー場。JR山陰本線の上夜久野駅の近くにあったことをネットなどで下調べして現地に向かう。

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(左)上夜久野駅東側の踏切から。左手の小丘陵にゲレンデがあった。(右)駅北側から。前方の斜面がゲレンデ。

1924(大正13)年頃の開設で、当時は駅前ということもあって、多くのスキーヤーで賑わったという。道路網の発達などで他のスキー場へと客が移り、閉鎖されたようだ。閉鎖年月については、現在までの調査でははっきりしていない。

無人駅の上夜久野駅北側にある駅前広場に立つと、駅舎と島型ホームの向こうに斜面が横に広がっている様子がわかる。駅構内のすぐ南側である。ここがスキー場だったのだろうか。駅の近くで犬の散歩をしている男性に聞いてみると、まさに駅南側の現在は樹林が覆っている斜面がゲレンデだったという。

最盛期には第1ゲレンデ・第2ゲレンデなどいくつもゲレンデがある大規模なスキー場で、大いににぎわっていたという。その頃のことなのでリフトなどはなかったようだ。見上げると思ったよりも斜度は急なところがあり、一方、あまり長い距離は滑れなかったようなゲレンデ構成と見えた。

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(左)南側の少し上ったところから駅を見る。(右)道の駅の広場から駅方面を見おろす。

車でこの斜面の上部へと上がってみる。上部は「道の駅(農匠の郷) やくの」として整備されて、日帰り温泉や各種体験施設・郷土資料館・売店・ベゴニア園・花広場などが点在している。一番北側の広場の一角からは木の間越しに、ちょうど特急列車が通過していく上夜久野駅のホームが見下ろせた。下から見たのと同様、けっこう急な斜面だと感じた。

まさに駅前ゲレンデとして人気を誇っていたようだが、車でスキーに出かける時代に推移したことも重なって客足が遠のいたのではなかろうか。国道9号・山陰本線という幹線交通路が通っているものの、周囲はのどかな小盆地の風情である。上夜久野駅が無人駅になったのは、1984年のことであった。(現地訪問:2017年3月)

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(左)斜面の上部は、道の駅として整備されている。
この記事へのコメント
夜久野高原スキーとゲンセスキー場を取り上げて頂きありがとうございます。私はゲンセスキー場では5〜6回滑った事はありましたけど、夜久野高原スキー場では滑った事は無かったです。しかし下夜久野の母の実家に行く時に、たしか夜久野駅で、対抗列車を待つ時間があり、ホームから直ぐ先のゲレンデを滑る、華やかなヤッケを着たスキーヤー達が、滑るのを見ました。その時は未だゲンセスキー場は出来ていない時で、私は親に合板に平エッジで195センチのスキーとカンダーハー、そしてカンダーハーにハマる靴底に登山靴タイプのゴム製のスキー靴を買ってもらい、神鍋スキー場、今のアップ神鍋で本格的にスキーを始めたばかりの頃で、その駅のホームから見た夜久野高原スキー場の女性スキーヤーが、ボーゲンで斜面を滑っているのを見て、未だボーゲンも知らず直滑降だけで、必要な時はテールジャンプで回っていた私は、衝撃的でした。結局夜久野高原では滑る機会はありませんでしたが、今思えば、一度は滑って見たかったですね。余談ですが、私はハチ高原に未だ1本のリフトが無かった時に、丹戸の民宿に泊り、そこの高校生のお兄さんの案内で高原の高丸山山頂までハイクして滑った事がありました。たしか私が中学2年生の時だったと思います。ハチ高原では、登山の人達が高原真ん中で雪中キャンプをしていたのを良く覚えています。
Posted by 藤岡政和 at 2023年01月29日 07:04
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