(左)小学校低学年の時に使っていたイムラスキー。竹製のストックが時代を感じさせる。(右)小学校高学年の時に使っていたイムラスキー。
物置にしまってあった古いスキー道具を改めて見てみると、小学校低学年・小学校高学年の時に使っていたスキー板もイムラスキーだった。それらはどのようにして購入したのか記憶がない。しかし、中学1年の時(1970年頃)に買ってもらったスキー板についてははっきりした記憶がある。
小学生の時の道具が小さくなったので、新しいものを買ってもらえることになり、父親に連れられて飯山市街にあるイムラスキーまで直接、買いに出かけた。父親に何らかのつてがあったのかもしれない。長野駅から飯山線のディーゼルカーに揺られて行ったのを憶えている。
中学1年の時に購入したイムラスキー。いま見るとimura skiのロゴが意外に格好いい。
記憶は曖昧だけれど、飯山市街にある事務所のようなところで「これからは、このグラスファイバーという素材がお勧めです」などと説明を受けて、寸法などを決めて注文したのだと思う。大人のスキーヤーの仲間入りができたような気がして嬉しかった。中学・高校時代を通じてそのスキー板を使っていた。
現在、国内のスキーメーカーはオガサカはじめ、ほんの数社になってしまった。かつては日本国内に40社以上が存在したようだ。このイムラスキー(伊村製作所)も既に会社としては存続していないらしい。近くに出かけたついでに飯山市街に立ち寄ってみる。
(左)いまもあるTRANSONICの看板。下にimura skiの文字がある。(右)飯山市中心街。このあたりに事務所があったはず。
飯山図書館の向かい側に、TRANSONICというブランド名が大きく入った看板がある。下にはimura skiという懐かしいロゴが入っている。この付近に工場があったのではないだろうか。TRANSONICということは少し下った時代のものだと思う。私が行った事務所は雁木のある本町城下通あたりだったはずだが、その場所はよくわからなかった。(現地訪問:2019年1月)
「追憶のスキー用品店」
投稿したものです。
現在、国内のスキーメーカーはオガサカはじめ、ほんの数社になってしまった。
↑を拝見すると 日本スキー発祥の地 記念館? に行ったことを思い出しました。
わたし 岐阜の大垣というところに住んでいますが
岐阜市の六条というところに、ヒマラヤの本店があり、25年ほど前はアルペンと出店を競っていました。
ヒマラヤ本店の横にアルペンが出店しその隣に
ヒマラヤの独身寮を建て、その隣にアルペンのゴルフ館を建てと、さながら、陣取り合戦の様子でした。
あれから四半世紀が立ち、アルペンは近くにスポーツデポを建て、陣取り合戦の地はほとんど更地になっていました。
アルペンの赤字・早期希望退職者といい
本当に隔世の感があります。
イムラスキー!!私も小学生の時にまさしく写真にあったのと同じワイヤーの締め具付きのイムラ製の板を履いていました。エッジはビス止めでした。
国産のメーカーのみならず、海外のブランドもかなり減ってしまってさみしい限りです。
懐かしのスキーメーカー、ぜひお願いします。
他にも金田スキーとかアジアイレブンとかありましたね。
ミズノもミズノインパルという名前でスキー板も展開していました。
廃業が進みさみしい限りです。