2019年01月27日

イムラスキー(追憶のスキーメーカー・飯山市)

先日、コメント欄に「追憶のスキー用品店」を取り上げてもらえないかという話を寄せていただいた。スキー用品店についてはあまり詳しくないので、どうしようかと思っていたが、ふと昔使っていたスキー板のことを思い出した。「追憶のスキーメーカー」として、このイムラスキーのことは取り上げられないかと考えた。

imuraDSC04785.JPG imuraDSC04782.JPG
(左)小学校低学年の時に使っていたイムラスキー。竹製のストックが時代を感じさせる。(右)小学校高学年の時に使っていたイムラスキー。

物置にしまってあった古いスキー道具を改めて見てみると、小学校低学年・小学校高学年の時に使っていたスキー板もイムラスキーだった。それらはどのようにして購入したのか記憶がない。しかし、中学1年の時(1970年頃)に買ってもらったスキー板についてははっきりした記憶がある。

小学生の時の道具が小さくなったので、新しいものを買ってもらえることになり、父親に連れられて飯山市街にあるイムラスキーまで直接、買いに出かけた。父親に何らかのつてがあったのかもしれない。長野駅から飯山線のディーゼルカーに揺られて行ったのを憶えている。

imuraDSC04783.JPG imuraDSC04775.JPG
中学1年の時に購入したイムラスキー。いま見るとimura skiのロゴが意外に格好いい。

記憶は曖昧だけれど、飯山市街にある事務所のようなところで「これからは、このグラスファイバーという素材がお勧めです」などと説明を受けて、寸法などを決めて注文したのだと思う。大人のスキーヤーの仲間入りができたような気がして嬉しかった。中学・高校時代を通じてそのスキー板を使っていた。

現在、国内のスキーメーカーはオガサカはじめ、ほんの数社になってしまった。かつては日本国内に40社以上が存在したようだ。このイムラスキー(伊村製作所)も既に会社としては存続していないらしい。近くに出かけたついでに飯山市街に立ち寄ってみる。

imuraDSC04758.JPG imuraDSC04756.JPG
(左)いまもあるTRANSONICの看板。下にimura skiの文字がある。(右)飯山市中心街。このあたりに事務所があったはず。

飯山図書館の向かい側に、TRANSONICというブランド名が大きく入った看板がある。下にはimura skiという懐かしいロゴが入っている。この付近に工場があったのではないだろうか。TRANSONICということは少し下った時代のものだと思う。私が行った事務所は雁木のある本町城下通あたりだったはずだが、その場所はよくわからなかった。(現地訪問:2019年1月)

posted by 急行野沢 at 09:00| Comment(3) | 東京周辺 その他 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
管理人さん ありがとうございます。
「追憶のスキー用品店」
投稿したものです。

現在、国内のスキーメーカーはオガサカはじめ、ほんの数社になってしまった。
↑を拝見すると 日本スキー発祥の地 記念館? に行ったことを思い出しました。

わたし 岐阜の大垣というところに住んでいますが
岐阜市の六条というところに、ヒマラヤの本店があり、25年ほど前はアルペンと出店を競っていました。
ヒマラヤ本店の横にアルペンが出店しその隣に
ヒマラヤの独身寮を建て、その隣にアルペンのゴルフ館を建てと、さながら、陣取り合戦の様子でした。
あれから四半世紀が立ち、アルペンは近くにスポーツデポを建て、陣取り合戦の地はほとんど更地になっていました。
アルペンの赤字・早期希望退職者といい
本当に隔世の感があります。
Posted by たけ at 2019年02月02日 16:49
懐かしく思いながら時々こちらのブログを読ませていただいております。
イムラスキー!!私も小学生の時にまさしく写真にあったのと同じワイヤーの締め具付きのイムラ製の板を履いていました。エッジはビス止めでした。
国産のメーカーのみならず、海外のブランドもかなり減ってしまってさみしい限りです。
懐かしのスキーメーカー、ぜひお願いします。
Posted by ひでじい at 2019年03月04日 17:31
私がスキーを始めた頃(55年位前)に履いていたのは確かミタケスキーでした。
他にも金田スキーとかアジアイレブンとかありましたね。
ミズノもミズノインパルという名前でスキー板も展開していました。
廃業が進みさみしい限りです。
Posted by おやじレーサー at 2022年03月02日 23:27
コメントを書く
コチラをクリックしてください