2019年03月15日

栗子国際スキー場(山形県米沢市)

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国道13号沿いから見た栗子国際スキー場。(左)レインボーコース。(右)グランプリコース。

山形・福島の県境に位置する栗子国際。国道13号沿いにあり、車でのアクセスは便利なはず。ホームページ上には「2016〜2017シーズンの営業は、準備不足・諸事情により『休業』とさせて頂きます」と掲示されている。それから3シーズン目となる今シーズンも休業している。はたして再開は可能なのだろうか。

ピーク時には年間23万人以上の利用者があったのが、少雪や原発事故の風評被害などもあって近年では2万人前後になっていた。当初の運営会社は倒産し、それを10年程前に引き継いだ米沢市の会社もリフトの整備費や除雪機・圧雪車の更新費用の資金調達のめどがつかず休業を余儀なくされたという。

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(左)ゲレンデ下には立派な施設。(右)レインボーコースを見上げる。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には以下のように紹介されている。「国道13号沿い、鉢盛山山頂から、北東斜面にのびる広大な高原状の台地に展開するスキー場。雪質は東北特有のパウダースノー。初級者から上級者までバラエティーに富んだ7本のコース。国道沿いの日帰りスキー場としての評価も高く、スキーセンターにもなる栗子クアドーム『DUO』には各種アミューズメント施設も用意されている」

3月上旬の週末、栗子国際を訪れる。国道13号はそれなりの勾配はあるものの、快適な道路でアクセスには何の問題もない。福島方面からは東栗子トンネルを過ぎ、西栗子トンネルに入る直前の左手に「栗子温泉」と掲示された立派な建物が見えてくる。これが前述のDUOだろうか。その向こうには、雪をまとった東向きの斜面が広がっている。

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(左)レインボーロマンスの乗場。(右)グランプリコースとその左にグランプリクワッド。さらに左はエコーコース。圧雪車も置かれたまま。ナイター照明も設置。

センターハウスの前まで除雪されて、軽自動車がとまっていたから、何か作業されているのかもしれない。国道沿いから見上げると、やはり正面にぐっと傾斜をもたげているレインボーコースの迫力が凄い。その右手には谷状のエコーコース、さらに尾根上のグランプリコース。メインのグランプリクワッドは震災の影響なのか、しばらく前から稼働していないらしい。それが、集客にも悪影響を及ぼしていたのだろうか。

クワッドもレインボーロマンスも搬器を外されているが、再稼働は可能のように見える。ゲレンデ奥のリフトの様子はわからない。斜面は新雪が積もるまま。ゲレンデ下の施設は、いまとなってはやや過剰なものに見えてくる。しかし、何とか復活してほしいスキー場。国道13号を山形方面に向かうと、西栗子トンネルを過ぎてすぐ、米沢スキー場がある。そちらは、それなりの集客で賑わっていた。(現地訪問:2019年3月)

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(左)西栗子トンネル入口付近から見たレインボーコース。
posted by 急行野沢 at 18:00| Comment(4) | 山形県 営業休止のスキー場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
山形新聞2018年11月15日(web版)によると、「外部資本導入のめどが立ち、営業再開に向けてリフトなどの設備の点検・整備を行う予定でいたが、修繕に時間がかかることから今季の営業は難しいと判断した。」だそうです。
Posted by さいとー at 2019年03月20日 13:21
90年代のピーク時に何度か足を運びました。
上部のゲレンデに上がる際にレインボーコースを横目にするのですが、急斜面がこぶ斜になっていて腕自慢達のお立ち台のようになっていたのを覚えています。
Posted by 通りすがり at 2019年05月01日 17:07
※私にとってスキー上達の道場だった栗子国際スキー場への思いをつづりました。
 昭和55年に川崎から宇都宮に転勤し、それまで4〜5日/年のスキー日数が、スキー場が近くなったことやマイカー購入により、飛躍的にスキー日数が30日前後/年に増加していた。
東北のスキー場はそれまで蔵王に一回のみ行ったきりで、他のスキー場は故郷の秋田の田沢湖国際スキー場くらいしかなかった。
 マイカーで行くスキー場は、当時の有名どころの蔵王か天元台や猪苗代ぐらいしかなかったが、蔵王や天元台への道中沿いの左手に栗子国際スキー場、やがて右手に米沢スキー場があり、「国道沿いの便利なところにローカルなスキー場があるな」ぐらいの認識しかもっていなかった。
 スキー日数が30日前後/年に増加していたことにや、スキーがうまくなりたいという気持ちを異常なくらい強く持っていたため、スキー場に行く目的はレジャーではなく明らかにスキーをスポーツとして捉え、スキー誌のデモンストレーターの滑りやSAJの教本の教えを意識し、スキー場の斜面に合わせここはパラレルターン、傾斜が緩くなったらスッテプターン、ある程度斜度のある整地斜面は一定のリズムを保つことや左右同じ振り幅を意識したウェンデルン等、斜面の形状ごとに滑るイメージをつくり独自の練習に励んでいた。
 このような練習が実を結び、明らかに上達していく実感がわきはじめた転勤後2シーズン目ぐらいで、蔵王や天元台では物足りなくなり次第にこれらのスキー場から遠ざかっていくうちの帰り道、栗子国際スキー場にそれまで見たことのなかった急斜面のコブコブの一枚バーンが目に入ってきた。「以前からこのバーンはあったっけ?それとも新しくできたのかな?」チョット不思議な気にもなったが、他のバーンはいっぱい人がいるがこのバーンは殆んど人がいない。初心者に毛の生えたレベルから、やっとこさ中級者レベルにまできたという僅かながらの自信をつけた矢先の私にとって、非常に興味深いバーンとして眼に映った。
 それから間もなく栗子国際スキー場に足を運び、そのコブコブ一枚バーン(これがレインボーコースというらしい)の上に立った。感覚的には滑りはじめの斜面は20度台前半でコブは比較的小さく浅く、後半は20度台後半と思われ比較的コブが大きい斜面だった。この斜面形状は滑り始めはゆっくり確実に、後半は滑りのリズムに乗ってから滑ることができるのでショートターンで一気降りするのは実に理にかなった理想の形状だった。雪質は北斜面(だと思うが)ゆえか雪が解けて固まったようなガリガリ斜面には殆んどお目にかかることもなく、柔らかい雪が常に覆い、これまた非常に滑りやすい雪質であった。さらに斜面沿いにこの斜面用の二人乗りリフトがあるが、感覚的にはリフトに乗った20〜30人に一人ぐらいしかレインボーコースを滑る人がいなく、そのほとんどの人は迂回の緩斜面コースを滑る人であり、結果的には常にレインボーコースはガラガラ、このコースは気兼ねなく目一杯飛ばせ、コブ斜面征服には格好の練習バーンだと確信した。リフトに乗っている人からはレインボーコースを滑っている人は丸見えで転倒したらチョット恥ずかしいが、滑りはじめると夢中であるためか気にならない。その反面リフトに乗りながらスキーの上手い人のコース取りをしっかり見ることができ自身のコース取りの参考になる。『こりゃあいいバーンを見つけたぞ!』その後いくつかの他のスキー場に行ったがこれほど気に入ったバーンは他にはなかった。その後、このバーンのとりこになり相当数通ったことは言うまでもない。
 昭和61年年明けに福島市に一週間出張の命が下ったが、現地の社員は殆んどマイカー通勤なのに、会社のお達しでは交通事故を懸念してかマイカーで現地に行くことは禁止とのこと。とはいえ、会社から栗子国際スキー場までは目と鼻の先なのだ。このチャンスを逃がすわけにはいかない。のちにバレたらバレたでただひたすら誤ればよい。理由は何とでもなる。この時期にスキー場に行かず社員寮で夜は一週間缶詰でいたほうが後悔の度合いははるかに大きいと思うと、マイカーで赴くことに躊躇は一切なかった。(その後バレたが、なんと言い訳したか全く覚えていない)
 出張先では夕方5時になるとキッチリ仕事を終え、毎日6時前にはレインボーコースに立っていた。ナイターだとリフト待ちは全くなく、コースを一気に滑り降りすぐにリフトに乗るという一回5分前後のインターバルを延々と9時半まで続けることが出来た。過酷な滑りの連続で呼吸が荒くなり息が整なわないときは、その場で休憩するには時間がもったいなく、迂回コースを息を落ち着かせる目的を兼ね、整地斜面をナイター照明の影で映った自身のフォームを確認しながらゆっくり滑っていた。
 夕食も取らず延々とこのインターバルだったので、一日ナイターで滑った回数は40回前後。雪質が柔らかく疲れがたまった感覚はなかったが、よくこのような無茶が出来たと思う。現在60才台半ばの私にとって、当時若かったとはいえ上手くなりたいと思う凄まじい向上心と体力だった。
 このペースで滑っているとリフトに乗った時は、息はゼーゼーハーハーでずっと下を向いていたが、隣に乗った人が声を掛けてくれ、「何級ですか(バッジテストの意)」と質問され「去年2級を取りました。」というと、「私も2級ですけど私のレベルとは天地の差です。あなたのレベルは1級以上ですよ」と褒められ、思わず木に登ってしまった。(豚のように)『そうなの?この滑りで?』と思ったが、まんざらでもなかった。子供の頃からあこがれていたスキーの上手い大人に近づいたと思うと、とてもうれしくいきなり有頂天。やっぱうまくなっていたんだよなー。また、以前より秋田出身でスキーがあまり上手くないという負い目は常にあったが、これからはこの負い目は消える。因みに、秋田出身なのに不美人の女子も似たような負い目を持っているのかな?と以前より思っていたが、こんな質問は誰にも聞けない。 
 宇都宮に帰還後、『1級以上』という言葉が心に残り、その気になってしまい誰とも相談もせずに内緒で、無謀とも思える浦佐の1級に挑戦することと相成るわけである。(その顛末は追憶のゲレンデ・浦佐スキー場編を見てください)
 平成になってからも、5年ごとに会社から付与される5日間または10日間のリフレッシュ休暇(我社の新しくできたこの制度にはつくづく感謝)を利用し、昼間は家族とレジャーのスキー、夜は再びインターバルのスキー練習に励んだり、何回となく泊まりや日帰りで栗子国際スキー場に行くこととなるが、この時すでにショートターンでの一気降りのレベルは超えた感があり、次の目指すレベルはどこのスキー場でもそれに挑戦している姿や、この滑りを悠然とこなすスキーヤーを見たことのがないことで、自身においては最高峰の滑りと思っているコブ斜面のパラレルターンの練習に切り替えた。基本的にはショートターン同様何があっても上半身はブレさせず、コブの谷間を滑るコースをとりつつもコブに差し掛かった時のターンを、エアーにするかベンディングにするかは滑りながら瞬時に判断する。ショートターンでは前方のみしっかり見ておけばよいが、このターンでは斜面への視角は比べ広くとり、エアーターンの時の着地点は衝撃が少ないコブの傾斜面を目指し、また次のコブへの対応が的確に行えるようにターン後のこぶ状況を見回しながらの滑走となるため、フォーム的には顔の向きが若干変わってしまう。スピードは出ているのではなく出している、コブは飛ばし、決して飛ばされないという意識を高く持ち、コブの大きさやそのコブに入るときのスピードや角度等を試行錯誤しながら悪戦苦闘しつつも確かな手ごたえを感じつつあった時に、ある日斜面を常に整地する暴挙(私にとって)に遭遇。唖っ然。すっごいショック。なんてことをしてくれるんだ。といってもどうしようもない。スキーヤーとしてはとてもストイックでマイナーな存在である私のようなスキーヤーよりも、このところ俄然巾をきかせてきたボーダーの好みに合わせた動きだろうなと推測出来たが、私にとって、コブのないレインボーコースは『ころもしかない天丼』みたいなもの。この現実を素直に受け止め、気持ちはもう「さらば栗子国際」その後栗子国際スキー場には足を運んでいない。
 結果としてコブのあるレインボーコースのパラレルターン制覇は志半ばで頓挫したままである。(せっかくあそこまで上達したのに!)その数年後に他のお気に入りのスキー場も閉鎖され行き場をなくしてしまい現在に至っている。
Posted by 畑山圭司 at 2019年10月03日 13:47
いつも楽しく拝見させていただいております。
東京育ち、スキー歴45年、もうすぐ53歳のオヤジです。
栗子で滑ったことはありませんが、SKI NOW で佐藤正人さんがあのコブ斜面をものすごいスピードで美しく駆け下りていくシーンが目に焼き付いています。あと、最近、スカパーの無料放送で「プレイガール」という昔の大人向けのドラマを見ていたら、栗子スキー場が舞台になっていて、感激しました。
Posted by スキ好き at 2019年12月01日 17:36
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