(左)リフト下からゲレンデを見上げる。(右)リフト上部から。(いずれも2010年12月営業時)
2010年12月に魚沼市内のスキー場を踏破するため滑りに出かけたが、そのひとつとして大湯温泉スキー場も訪問した。コース幅が狭い場所もあり、初心者が温泉に来たついでにちょっと滑ってみるようなゲレンデ構成ではない印象だった。その日は雪が降りしきる天候だったので、滑っている人も少なく、視界が効かない中、苦労しながら滑った記憶が残っている。
本年2月「魚沼・大湯温泉スキー場 今期で終了」と新聞報道がなされた(新潟日報)。「利用者減少による経営環境の悪化が原因。来期以降『スノーパーク』として敷地の活用を目指す」と記されていた。
(左)スキーハウス前のゲレンデマップ(2010年12月営業時)。(右)遠景から見たゲレンデ上部。
1960年に旧湯之谷温泉村の村営スキー場としてオープン。ペアリフト1基にコース3本。近年は雪不足の影響もあり赤字が続き、週末中心の営業となっていたが、今シーズンは年末年始と1月の土日だけの営業だった。2月12日には60年の歴史に感謝するたいまつ滑走が行われた。
「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には、以下のように紹介されている。「歴史と伝統のある大湯温泉街にあり、栃尾又温泉も近い。スキーのあとはのんびり温泉に。初級・中級向きが主でコース幅が全体に狭い」。アクセスは関越道小出ICから15km。
(左)スキーハウスとリフトは一段高い場所に。(右)リフト乗場からゲレンデ左手に中級コース。
周囲の山並みが白銀から斑になりはじめた3月、大湯温泉を再訪した。スキー場周辺は温泉客の姿もほとんど見られず、静まりかえっている。車道から一段高い場所にあるスキーハウスとペアリフト乗場に行く道は、除雪もされておらず、足を滑らせながら雪の段差を登って行かなければならなかった。
リフトはまだチェアが付けられたままの状態。リフト下からゲレンデを見上げると、右手には斜度30度の上級コースがそそり立っている。左手は狭いカーブで折曲りながら斜面を下る中級コース。それより上部の様子は下からは見えない。
(左)リフト乗場とその向こうのリフト右側に上級コース。(右)スキーハウスとリフト乗場。
温泉とスキーというのは絶対の組み合わせだったはず。しかし、温泉街に付属する小規模なスキー場は、廃止に追い込まれるところが多い。スキー人口が減り、スキーは一部の人だけのものになったのか。このくらいの規模のスキー場だと最早、温泉への集客の手段でもなくなってきたのだろう。(現地訪問:2021年3月)。
平成16年の六町村合併時、市内には小出・湯之谷薬師・須原・大原・大湯温泉の5ヵ所もの公営ゲレンデがありましたが、すでにスキーブームが去り、少子高齢化も進行してこれらをすべて抱えることなど絶対に無理なのに、スクラップ&ビルドの議論もそれほど無いまま、ズルズルと補助金頼みでここまで来てしまい、なし崩し的に廃業するゲレンデが出ています。
歴史あるゲレンデが減ってゆくことは悲しい事ですが、これからも急行野沢さんをお迎えする事になると思いますので、よろしくお願いします。
魚沼市が誕生した頃に、市内のスキー場の統廃合が話題になりましたが、その後はなし崩し的な気がしています。
他の魚沼市内のスキー場も予断を許さないのではないかと思っていますが、どうなのでしょうか。
湯之谷薬師はトリノオリンピック出場の星瑞枝さんを輩出した名門ゲレンデ?で、4月中旬に雪が消えるまで地元の熱心な指導者や保護者達と子供たちが、毎晩ナイターでスラローム練習をしており、ここは異世界な感じがします。
須原は若い人達が盛り上げようと一生懸命な感じが伝わり、応援したくなりますが、メインとなるクワッドリフトの老朽化が進み、いずれやって来る架け替えが厳しいのではないか、と思っています。マスコットキャラクターのソンゾー君(存続!)とスハラット(ミッキーとは異質なキモカワのネズミキャラ)には頑張って欲しいです。
以上、現地からお伝えします。
2023スキーシーズン終了後の
薬師スキー場にペアリフトを建設する事になりました。
(魚沼市の議会で決定しました)
薬師スキー場のシングルリフトが今年最後となるようです。2024シーズンからペアリフトに架け替えるので
その前にぜひシングルリフトにご乗車下さい。
薬師スキー場は、リフト1本しかない小さいスキー場ですが週末には、関東関西からの基礎スキーヤー、湯之谷レーシングJr、五日町スキー場が休止のため新潟県連の指導員などの養成講習会、120名の小学生のスキー教室など、バブルな賑わいをみせています。