2014年08月29日

乙女高原スキー場(山梨県山梨市)

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(左)グリーンロッジ前の案内板。遊歩道が整備され、季節ごとの花々を見ることができる。ゲレンデは扇状に広がっていた。(右)ゲレンデ脇にあるグリーンロッジ前から見たゲレンデ。

「乙女高原」という名前には、どれほどロマンチックな高原なのだろうかと想像をはたらかせてしまう。いまは山梨市に合併となった旧牧丘村。近くの小楢山に登山したことはあったが、焼山峠をはさんで反対側に位置する乙女高原を訪れたことはなかった。そんな乙女高原にスキー場があった。

山梨県は多くの山々に囲まれているのだが、イメージに反してスキー場にはそれほど恵まれているわけではなかった。1951年1月,乙女高原スキー場は山梨県内で初めて、競技大会が開催できる本格的なスキー場としてオープンした。標高は約1,700mで雪質は良かった。当初は一帯をスキー場にする壮大な構想があり,乙女高原は「(山梨県営)金峰山麓スキー場・乙女ゲレンデ」と呼ばれていた。しかし西保までバス、そこから徒歩4時間という当初のアクセスはなかなか厳しかった。その後近場に手軽なスキー場が次々とオープンしたこともあって、2003年3月には閉鎖されてしまった。ロープトウが設置されていたという記録を見たことかある。

スキー場として使われなくなっても、いまだに草刈りが継続されている。積雪はそれほど多い地域ではなかったため、ゲレンデに枯草が出ないように当初から初冬に草刈りが行われていた。スキー場の最後に時期には人手不足で草刈りが十分に行われなくなり、草原の中には若い森まで遷移が進んでしまったところも出てきたという。その後スキー場が閉鎖となっても、春夏秋に花々が見られる草原としての姿を維持しようという運動が行われ、ボランティアによる草刈りが継続されている。

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(左)下部の駐車場から見上げる。(右)ゲレンデ下部の遊歩道から見上げる。

「熱中症に注意」といわれるほど猛暑の7月下旬の休日。旧牧丘村の中心部から山間に車を進め、乙女高原を訪れる。まずは扉が閉まっているグリーンロッジの前に車をとめて、乙女高原の全景を眺める。草原の中に通じている遊歩道や、この季節に見られる花々の写真など多くの掲示がある。ゲレンデは少し下った位置にある駐車場が最低部で、そこから上部に向かって扇状に3つほどのコースが分かれていたようだ。

最下部から遊歩道を一周してみる。ゆっくり歩いても30分ほどで一周できる。この季節、草原の主役は黄色いキンバイソウや白いヨツバヒヨドリ。ゆっくり歩いていると、いつの間にかゲレンデ最上部に出てしまった。グリーンロッジの赤い屋根がはるか下に見えて、思っていた以上に規模が大きいゲレンデだと分かった。正面に見える山々の名前を記した写真が掲示されている。金峰山や北奥千丈岳といった奥秩父の名峰の名前もあり、それらを眺めながらの滑走はさぞ雄大だっただろうと思われた。(現地訪問:2014年7月)

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(左)遊歩道の最上部からゲレンデ斜面を見下ろす。(右)遊歩道最上部にあった山名案内板。
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2014年08月08日

甘利山スキー場(山梨県韮崎市)

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(左)広い駐車場がある甘利山登山口・広河原。ゲレンデ跡はもう少し先。(右)広河原にあった地図。右下付近に「旧スキー場」の文字。

山梨県韮崎市街地の西方、南アルプス市との境界に位置する甘利山。標高は1,731m。日本百名山のひとつである鳳凰山の、東側稜線上にある小ピークといってしまえばそれまでだが、6月にはレンゲツツジが一面を染め上げ、多くのハイカーでにぎわうのでその名が知られている。山頂のごく近くまで県道が通じていることから、アプローチも容易。広河原と呼ばれる山頂直下には広い駐車場があり、そこから山頂までは20分ほど歩けば到達できる。ちなみに山梨百名山にも選定されてる。

この甘利山の山頂近くにスキー場があった。「日本山岳案内4(昭和16年、鉄道省山岳部)」には「山頂上一帯がスキー場であって、又椹池の凍結と共に甘利神社、鈴尾根、蕨平を含む緩斜面がスキー場として利用される。只椹池までスキー用具を持ち運ぶのが、一寸荷厄介である」と記載されている。

この甘利山スキー場を語るのに欠かせないのは、韮崎に住んでいた登山家の山寺巌氏という方のようだ。昭和20年代に韮崎高校のスキー部を指導するとともに、甘利山の入口に住んでいた小林三郎氏とともに甘利山中腹を下草刈して、スキー場として開拓した。そして昭和30年代には韮崎高校で活躍した選手らが集まり、現地にてスキー大会を行うまでになったという。

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(左)ゲレンデ下から見上げる。(右)青木鉱泉方面に向けての車道が走るゲレンデ最下部。甘利山登山道を示す標識も。

梅雨空の7月の休日。韮崎の中心地から曲がりくねった道を甘利山を目指して、車で上って行く。平地からは15kmほどの道のりだ。ようやくの思いで山頂直下の広河原の駐車場に到着。登山口近くの喫茶兼売店「つつじ苑」の前で、「甘利山倶楽部」と書かれた服を着た小父さんに尋ねてみる。スキー場はこの先、しばらく進んだ左側斜面にあったようだ。ロープトゥの施設などもなかったという。昭和40年頃がスキー場として使われた最後の時期であった。滑っていたのは地元の人たちだけかと思ったら、「その頃はあまりスキー場が多くなかったから、県内各地から滑りに来た」ということだった。

青木鉱泉方面に向かって、車道はここからは下り坂となる。わずかに進むと、左に向けて「甘利山」と登山道を示す標識がある。広河原から山頂を経てここに降りてくる周回コースがとれるのだが、その下部にゲレンデがあったようだ。左手にやや急な斜面があり、そちらがメインゲレンデだったようだ。周囲には森林が広がり、思っていたよりも小さな規模に感じられた。

車道の一段上が平らに整地されているが、そこはヘリポートに使われているらしい。車道を挟んで汁垂ロッジの跡地と思われる平地もある。その斜面の上には、前述の山寺巌氏をしのぶ「山寺巌追悼碑」と書かれた石碑が建てられていた。裏には「昭和四十七年十月 韮崎スキークラブ 白鳳会 親交会 友人 建立」と記されている。スキー黎明期の苦労がしのばれた。(現地訪問:2014年7月)

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(左)甘利山からの下山路からゲレンデ下部を見おろす。(右)ゲレンデ向かい側の斜面にある「山寺巌追悼碑」。
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2011年07月20日

篭坂スキー場(山梨県山中湖村)

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(左)山中湖畔から見た篭坂峠方面。(右)国道138号篭坂峠。

篭坂峠は山中湖から御殿場に向かうときに越える峠。ただし、最近は東富士五湖道路があるので、長いトンネルにより峠を意識することなく通り過ぎてしまう。峠を意識するには、国道138号をたどらなければならない。この篭坂峠にスキー場があったという。
Chronicle(http://plaza.rakuten.co.jp/arcchronicle/diary/200901240000/)にこのスキー場について、詳しく紹介されている。

廣嶋英雄「全国スキー場案内(スキー場とツアーコース)・創元社(昭和35年12月初版・昭和37年10月3版)」によれば、「このスキー場は山梨県と静岡県とを結ぶ篭坂峠1,500mの間に展開するスキー場で、面積は30町歩ほどで、緩急両用のスロープをもっています。ここから西北にあたるゴルフ場にかけて可成り広い範囲にわたって利用できますが、近年雪不足でスキーが満足にできなくなってきました」と記載されている。

ここで記載されているスキー場は、峠の西側に位置したものらしい。地図を見ると「富士ゴルフコース」が記載されているが、このあたりまでが滑走可能だったということだろうか。いずれにしても、リフトなどの施設はなかったようだ。

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(左)篭坂峠の東の樹林の中にあったリフト降場の痕跡。(右)リフトから斜面を見おろす。

一方、峠の東側に富士急が営業していたリフトを備えたスキー場があったようだ。梅雨の晴れ間の一日、山中湖畔から篭坂峠に上りつく。上記サイトの記述を頼りに篭坂峠から50~60mほど南東に入る車道を歩き、東側に踏み跡を見つけて進む。ほどなく、リフトの降車場と思われるコンクリート土台をみつける。2台並んでいるところを見ると、パラで架かっていたようだ。そこから北に向かって下っている斜面には樹林が茂り、ゲレンデだった痕跡は読み取りにくい。思っていたより斜面は緩いように感じた。峠から山中湖方面に下った箇所にリフトの乗場があったはずで、国道138号をくだり一帯を探してみたもののリフト乗場の痕跡を見つけることができなかった。

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(左)リフト降場の近くにあった潰れた小屋。(右)国道138号沿い。正面の樹林の中にリフト乗場があったらしい。

人工降雪の施設もあったとのこと。しかし、そんな立派なスキー場があったとは、いまとなっては想像することが難しい。(現地訪問:2011年6月)
ラベル:篭坂峠
posted by 急行野沢 at 01:00| Comment(7) | TrackBack(0) | 山梨県 営業休止のスキー場 | 更新情報をチェックする