2012年06月05日

サンマリーナ玉庭スキー場(山形県川西町)

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(左)ロッジ前の標識はリゾート開発はなやかな時代を思い起こさせる。(右)ロッジの建物は破損が進んでいる。

廃スキー場といっても様々なものがある。長年地元で愛され地域に溶け込んだスキー場がやむなく廃止に至ったという場合であれば、懐かしさも手伝い頑張ってその記録を残そうという気持ちになる。けれどもこのサンマリーナ玉庭のように、バブル期につくった巨大な施設が無残な姿をさらしているのを見ると、やりきれない気持ちになってくる。

サンマリーナ玉庭スキー場は、バブル期の1989シーズンに開設。経営が行き詰まり2005シーズンから営業を休止した。当初から総合的なリゾート施設として計画され、ゴルフ場のほかアスレチックや室内プール、そして大規模なリゾートホテルと温泉も備えていた。スキー場としては、クワッド1基・ペア1基を設置。当然ナイター設備も完備え、ファミリーのための託児所も完備。夏はゴルフ場となる斜面を冬期はゲレンデとして使っていたため、最大斜度は22度に過ぎなかった。スキー場としてはコースが緩すぎ、ゴルフ場としてはコースが急峻すぎるという、帯に短し襷に長し…といった状態だったもよう。最長滑走距離1.3km。最寄の都市は米沢市であり、米沢市街からは15kmあまりの距離であった。

当時の案内には、ゲレンデに音のひずみをなくしたという最先端特注機種の巨大スピーカー(3×8m)を設置し、コンサートホール並みのBGMの中で滑ることができると記されている。しかしながら、周辺には蔵王や磐梯周辺のスキー場が林立しており、大都市圏からのアクセスを考えても魅力的なスキー場とはいい難いのではないかと思っていた。

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(左)ゲレンデ左半分。中央にロッジの建物、右下から左上へとクワッドリフトが伸びる。(右)ゲレンデ右半分。中央にクワッド乗場、右端にペア乗場。

米沢市街から国道121号を西へ向かう。右折して県道に入れば、ほどなくサンマリーナ玉庭への入口に至る。途中、サンマリーナ玉庭を示す案内板はすべて撤去されている。アクセス道への入口に向かい合う傾斜地には、ゲレンデと施設のほぼ全容を眺めることができる。眼下には広大な駐車場、右下から左上へと斜面を上っているクワッドとペアのリフト施設は、椅子を除かれてはいるがそのまま残っている。斜面最下部から少し上ったあたりにあるロッジの建物は、雪の重みによるものか、屋根が破損したままになっている。その他の建物も破損が進んでいる様子が見て取れる。ゲレンデ最上部を見上げると、巨大なリゾートホテルがそのまま残されていた。

バブルの残骸といってしまえばそれまで。ゲレンデ入口の案内板に残されていた「こんなスキー場を待っていた」というキャッチフレーズがむなしい。桜前線が北海道に達しようかという4月末。この施設の周囲に人の姿はなく、道沿いの桜はまだ3分咲きというところだった。(現地訪問:2012年4月)

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(左)クワッドリフト最上部付近。
posted by 急行野沢 at 23:00| Comment(9) | TrackBack(0) | 山形県 営業休止のスキー場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月24日

五色スキー場(山形県米沢市)

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(左)板谷駅のホームは移動され、スイッチバック時代のホームは廃墟と化している。五色スキー場が華やかな頃は貴賓室があったというが。(右)五色温泉の1軒宿である宗川旅館。

昨シーズンは日本にスキーが伝来して100周年ということで、新潟県上越市をはじめ各地でさまざまなイベントが開催され、レルヒさんというゆるキャラも登場した。日本のスキー史は、レルヒ大佐による上越市金谷山におけるスキー指導に始まったことはよく知られている。一方、この五色スキー場でも1911年(明治44)3月に、金谷山に遅れること2ヶ月、横浜在住の貿易商・クラッツァーが友人とスキーをしたという歴史がある。

1914年(大正3)には邦人スキークラブが設立され、1924年(大正13)にはスキーヒュッテが建設された。戦前は各宮家をはじめとして、華族や知名人が毎年訪れるスキー場として名を馳せていた。その昔は最寄の板谷駅にも貴賓室が設けられていたという。各種大会も開催され、家形山から一切経山へのツアーの拠点として山岳スキー派にも人気があった。しかし時を経て、1998年に営業を休止している。

福島と米沢を結ぶ交通路は奥羽山脈の南端付近を横切るため、山深い土地を貫いて走っている。国道13号はトンネルの連続だし、奥羽本線は赤岩・板谷・峠・大沢という4つのスイッチバック駅を連続させていた。そのスイッチバックは山形新幹線の開通によって姿を消したのだが。この道沿いには栗子国際や米沢といったスキー場が立地する豪雪地でもある。車で福島側から東栗子トンネルを抜け、板谷大橋を越えたところで左に分岐。旧板谷駅をかすめ南側の山中に続く道をたどる。この先には一軒宿の温泉があるだけとわかっているからか、いっそう山の深さを感じる。6kmほど舗装道を走れば五色温泉に到着。宗川旅館という一軒宿は江戸時代から120年続く湯治場で、子宝の湯としても知られている。

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(左)ゲレンデ上部を見上げる。(右)ゲレンデ下部を見おろす。

宗川旅館の入口に続く道路を横切るように、上から下に続いている斜面がかつてのゲレンデ。この季節にも残雪がまだ多い。ゲレンデトップに向かって左寄りにシングルリフト(600m)が1基架かっていたはずだが、いまやリフトなどスキーに関係する施設は撤去されている。最大斜度20度、最長滑走距離800m。緩やかな斜面ではあるが、快適な滑走が楽しめたと思う。歴史に彩られたゲレンデではあるが、バブルの時期あたりにも結構混みあったりしたのだろうか。人工的なものがあまり目に入らない周囲の山並を見渡すと、そんな想像も滑稽なものに思えてくる。秘湯的な雰囲気にあるこの温泉は人気も高いようで、連休さなかのこの日、旅館の前には東北各地や関東方面のナンバーの車もとめられていた。(現地訪問:2012年4月)

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posted by 急行野沢 at 01:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 山形県 営業休止のスキー場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする