2016年06月12日

比良山スキー場(その3)(滋賀県大津市)

前回に引き続いて、比良山スキー場のレポート。比良ロッジから八雲ゲレンデを下って、ゲレンデの中心部までやってきた。いよいよメインゲレンデを観察する。

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(左)前方に第3ペアリフトの跡。(右)第2リフトの跡。右にAコース、左にBコース。

目の前には、八雲ヶ原の北西側斜面に数本のコースが並んでいる。一番左に第3ペアリフト(660m)があったようだが、リフト乗場の跡はわからないものの、前方の樹林に切開きの跡がはっきり残っている。その右にCコース(中級)・Bコース(中級)が並んでいた。Bコースは非圧雪だったようだ。背の高い草が茂りはじめているが、コースの跡はまだしっかり残っている。その右に第2リフト(460m)。こちらもリフト乗場の痕跡はわからないが、樹林の切開きの跡が残っている。一番右に初級向けの緩斜面Aコースがあった。

自然の地形を利用し、どのコースも狭く急なカーブや落ち込みもあって変化に富んでいた。山スキーに近い世界だったようだ。標高が高いため、この地域にしては雪質は良かったという。また、リフト待ちが少なく、客層としては家族連れなども多かったようだ。今日は北西側ゲレンデ最上部までは登ることはできなかったが、展望は素晴らしかったに違いない。

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(左)Aコースの中腹部から見おろす。前方は八雲ゲレンデ。(右)八雲ヶ原から八雲ゲレンデ方面を見上げる。

大パノラマや個性的なコースなどにより独得のカラーを持っていたため、固定ファンも多かったという。当初シングル1基だったリフトも80~90年代に増強され、ペア2基・シングル1基となった。バブル期には拡張計画もあったが、自然保護の観点からの反対運動もあったようだ。

利用客の減少が続き、2004年3月にロッジやロープウェイを含むスキー場全体の廃止に至った。その後、2006年4月から2007年11月にかけて索道施設の撤去と跡地の自然回復が行われたという。

このスキー場が廃止されたことには寂しさを感じる一方、美しい湿原や樹林も広がる自然豊かな山域であることも知り、その自然がいつまでも残されることを願わずにはいられなかった。(現地訪問:2016年4月)

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(左)木道が整備された八雲ヶ原湿原。(右)北比良峠からスキー場上部が見える。その向こうに武奈ヶ岳が顔を出している。

こちらもご覧ください→「比良山スキー場(その1)」「比良山スキー場(その2)」

2016年05月24日

比良山スキー場(その2)(滋賀県大津市)

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(左)比良ロッジの跡は広場になっていた。(右)広々として展望が広がる北比良峠。

前回に続いて、比良山スキー場のレポート。ロープウェイ釈迦岳駅の脇からさらに登山道をたどる。右に釈迦岳へ直接登る道を分け、左への長い斜上トラバースで稜線に出る。稜線近くになると落葉樹林が広がり気持ちがよい。道脇には電柱が点々とあり、開発された山だと感じる。電波塔のあるカラ岳にたどり着くと、木の間ごしに比良山スキー場のゲレンデが見えた。その先は気持ちよい稜線歩きのあと、下り気味に進んで比良ロッジがあった広場に出る。ようやく、ゲレンデの一角にだどりついた。

まずは比良ロッジ跡から西へ、途中ヤセ尾根の崩壊地を過ぎて北比良峠の広場にへと向かう。北比良峠は比良山系登山路のポイントとなる地点で、大きな広場になっている。この広場の東側あたりにロープウェイ山上駅があったはずだが、ここも痕跡はほとんどない。遠く釈迦岳中腹まで、樹林の切開きの跡が認められる。南には琵琶湖を見下ろす大展望、北には比良山スキー場のゲレンデ跡の向こうに比良山系最高峰の武奈ヶ岳が見える。あわよくば二百名山に数えられる武奈ヶ岳にも登りたいと思っていたが、今日は時間的に難しい。広場にある地図には、スキー場やロープウェイが記されたままになっていた。

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(左)ロープウェイ山上駅があったあたりから琵琶湖を見下ろす。前方に樹林の切開きの跡が見える。(右)北比良峠にあった地図には、スキー場やロープウェイの案内もまだ入ったまま。

再び比良ロッジ跡まで戻り、いよいよスキー場中心部へと下っていく。ロープウェイ山上駅からスキー場まで徒歩1キロあったという。ロッジ跡の広場から少し八雲ヶ原に下ったあたりに、第1ペアリフト(約250m)の降場があったと思うが痕跡はない。スキー場からの帰路には、この第1ペアに乗って登り返し、ロープウェイ駅まで歩き、下りロープウェイに乗る必要があった。林道のような道はすぐに幅が広がり、八雲ゲレンデの跡地となる。初級者用の気持ちよい緩斜面が前方に見える八雲ヶ原に向かって下っていた。

八雲ゲレンデを下ったところがスキー場の中心で、リフト券売場・管理事務所・八雲ロッジなどがあったようだ。いまは建物もなく、広い平地に八雲ヶ原湿原が広がっている。かつては「関西の尾瀬」と呼ばれる美しい湿原だったというが、スキー場によって一部損なわれたとも聞いた。木道の敷かれた池塘も点在し、水芭蕉の花も咲いていた。関西にこのような湿原があると知らなかったので、これほど自然豊かな場所だったのかと少々驚いた。登山道各方向の道標が立てられていて、数組の登山者が武奈ヶ岳方面へと足早に通り過ぎていった。(現地訪問:2016年4月)

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(左)八雲ゲレンデから前方にスキー場全体を俯瞰できる。(右)湿原が点在する八雲ヶ原。

→次回、「比良山スキー場(その3)」につづく

→こちらもご覧ください「比良山スキー場(その1)

2016年05月04日

比良山スキー場(その1)(滋賀県大津市)

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(左)湖西線比良駅付近から見た比良山系。右のピークが釈迦岳。釈迦岳の左下中腹にかすかにリフトの跡が見える。

琵琶湖西岸の山稜にはびわ湖バレイ・朽木・箱館山・マキノなどのスキー場があるけれど、比良山スキー場はひときわ野趣あふれる個性的な存在だったようだ。山麓からの独特のアプローチなど興味の尽きない老舗スキー場だったが、残念ながら訪れる機会はなかった。スキー場の開業は1962年。2004年3月にクローズとなってしまったこのスキー場跡地をいつか訪ねてみたいと考えていた。ちょうど関西で所用があったので、その帰路に1日を費やしてスキー場探索を兼ねた比良山系の登山が実現した。数回に分けてレポートしたい。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には以下のように紹介されている。「比良山系の標高900~1000mに位置し、豊富な積雪と粉雪、森の中をぬって滑る独特の雰囲気と大パノラマにファンも多い。コブ斜面もある。親子スキー教室・中高年スキー教室などのスクールがさかん」。ゲレンデ内にはペア2基、シングル1基の施設があった。

アクセスは「湖西線比良駅から比良リフト前行バスで15分」となっている。ただそれは山麓のリフト乗場までのアクセスに過ぎない。スキーを手に持ったまま登山リフト(所要15分)とロープウェイ(1,260m・7分)を乗り継ぎ、さらに歩いてゲレンデにようやく到達するといった具合であった。登山リフトは開業当時は日本一の長さだったという。

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(左)登山リフト乗場跡には2階建の建物が残っている。(右)登山リフト乗場跡。

湖西線比良駅で下車。駅のホームからも比良山系の山並みが見渡せる。登山口のイン谷口までのバスは土日だけなので、今回は比良駅から1時間弱歩く。イン谷口からの道沿いには路側帯のような駐車スペース。その車道も左手に2階建ての建物があるリフト乗場跡で終わり。ここが比良山スキー場の玄関口で、登山リフトの乗場だった。スキー用具は手で抱えて乗車したという。リフト乗場には両側に階段があって、下山でも使われたため乗降分離されている。機器や支柱・ワイヤーなどはすべてきれいに撤去されている。前方の山腹を見上げると切開きの跡がはっきりわかる。

ここからは概ねリフト下を交差しながらの登山道となる。リフト下を横切る場所には、コンクリート壁や石垣が残る箇所も。やがて前方に山腹を固めた巨大なコンクリートの壁があらわれれば、そこが登山リフト終点跡(釈迦岳駅)。登山道側は枕木でガードされて入れないようになっているが、巨大な要塞のようにも見える。

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(左)登山道がリフト下に交差する場所には、コンクリートの壁も。(右)下から見上げた登山リフトの終点。

ロ―プウェイ釈迦岳駅はほぼ完全に撤去され痕跡がわかりにくいが、リフト降場の西側に隣接していた。西側の北比良峠方面に向かって切開きの跡も見える。ロープウェイの定員は当初21人から後に31人に更新されたというから、それなりの設備投資も続けられたのだろう。登山道をひと登りすれば、コンクリートの擁壁の上に出て、登行リフト降場の全体像と遠く琵琶湖の広がりを見下ろすことができる。コンクリートの床には、降りた後の方向を示すペンキの矢印が残っていた。スキー客がリフトを降りてロープウェイに進む姿が脳裏に浮かんだ。(現地訪問:2016年4月)

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(左)登山リフト終点。前方にロープウェイ駅があったと思われる。(右)登山リフト終点を上部の登山道から見おろす。

→次回、「比良山スキー場(その2)」につづく

「比良山スキー場(その3)」

[参考資料]
「失われたロープウェイ」を参考にさせていただきました。

[登山記録(参考まで)]
JR湖西線・比良駅740-820イン谷口-830リフト乗場跡835-935ロープウェイ駅(釈迦岳駅)跡955-1042カラ岳1049-1109比良ロッジ跡-1120北比良峠1140-1150比良ロッジ跡1200-1210八雲が原(周辺探索)1300-1315北比良峠1320-(ダケ道)1350カモシカ平1355-1425大山口1430-1450イン谷口-1530比良駅

2015年09月03日

比叡山人工スキー場(京都市左京区)

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(左)京都側から比叡山へのアクセス手段のひとつ「叡山ケーブル」。(右)斜面下から見上げたゲレンデ全体。

最澄が開創した比叡山延暦寺は多くの高僧を輩出し、現在も日本仏教のひとつの中心となっている。そんな比叡山や北山の奥にはいくつかのゲレンデがあると知ってはいたけれど、どうも京都にスキー場のイメージはあわないと感じていた。

この比叡山人工スキー場は、京都の北東に位置する比叡山の頂のひとつである四明岳の北西斜面に開かれていた。1964年に開業。冬は天然雪に加えて人工雪との組み合わせで、そして夏期もグラススキーやアストロスキーで営業をおこなっていた。暖冬による雪不足やスキー人口の減少により、2000シーズンに夏期の営業を休止し、2001冬期シーズンを最後に閉鎖となった。

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(左)ゲレンデ下にはレストハウスなどの建物が残っている。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には以下のように紹介されている。「京都市内、中心街からでも30分。ペアリフト1基と平均12度の人工ゲレンデのスキー場。足慣らしや仕事帰りのひと滑りに多くのスキーヤーが近郊からも集まる。ソリ専用ゲレンデ、スクール、ナイター平日21時30分、休前日22時」。ペアリフトの長さは170m。期間は12月中旬~3月中旬となっているが、これは冬期営業の期間だろう。アクセスは叡山電鉄八瀬比叡山口駅からケーブルカーで山頂下車、徒歩10分。車では、京都東ICより国道161経由比叡山ドライブウェイ山頂まで20km。

京阪電鉄で出町柳へ。そこからは叡山電鉄の電車で八瀬比叡山口へ。さらに叡山ケーブルに乗って、ケーブル八瀬駅からケーブル比叡駅へ。このケーブルカーは日本一の高低差(561m)を誇っていて、急勾配を登っていくと眼下に洛北の景色が広がる。ケーブル比叡駅に降りると、さすがに京都市街に比べて気温がずっと涼しい。私以外の乗客はすべてロープウェイ乗場へと向かってしまった。ロープウェイに乗り比叡山頂から延暦寺方面へ、さらに坂本ケーフルで琵琶湖側へと下るのが一連の観光コースとなっている。

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(左)リフト乗場には小屋などが残る。(右)リフトは搬器をはずされたまま残っている。

一方、私は杉林の北斜面につけられた林道を歩く。頭上をロープウェイが通り過ぎていく。10分ほどで視界が開け、ゲレンデの下に到着する。ゲレンデボトムになる左手にはレンタルスキーやレストハウスの建物が、やや廃墟化しながら建っている。右手には緩やかな斜面が広がっている。正面奥、すなわちゲレンデトップに向かって左手にペアリフトが残っている。搬器ははずされ、樹木が繁ってリフトの機器の間に入り込んでいる。

見上げるゲレンデは緩やかな1枚バーンで、基礎練習にはもってこいといった感じ。斜面は背の高い草が点在している。ゲレンデ右脇の道を登っていくとロープウェイ比叡山頂駅に出る。付近一帯にはガーデンミュージアム比叡という庭園美術館が広がっている。その展望塔からは京都と琵琶湖、双方の展望を楽しめるらしい。コンパクトな規模とはいえ、市街地からは身近なスキー場であったことが感じられたけれど、同時に時代の変化も感じざるをえなかった。(現地訪問:2015年8月)

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(左)ゲレンデ中腹から下部を見おろす。(右)「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」を参考につくったゲレンデ図。

2015年07月05日

ベルグ余呉スキー場(滋賀県長浜市)

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(左)スキー場へのアクセス道分岐に残る案内板。(右)レストハウス横にあったゲレンデマップ。

前回同様、今回も滋賀・福井県境に位置するスキー場を取り上げる。琵琶湖東岸の木之本ICで降りて国道365号を北上する。県境の栃ノ木峠の滋賀県側に、現在も営業を続ける余呉高原スキー場(ヨゴコウゲンリゾート・ヤップ)がある。さらにその手前に右(東)に「ベルク余呉スキー場」のアクセス道が分岐していて、その角には案内板がいまも建てられたままである。このベルク余呉は、余呉高原と同じ経営主体によるものだが、5年ほど前に営業中止となっている。

ベルク余呉のホームページには、2010年12月17日の日付でコメントが掲載されている。「お知らせ。(前略)今シーズンの営業はゲレンデ整備の遅れから残念ですが中止とさせて頂きます。ご来場を予定していただいている皆さまには誠に申し訳ありませんがご了承頂きますようお願い申し上げます。なお、姉妹施設の余呉高原リゾートヤップは通常通り営業いたしますので、ぜひご利用下さい。」

余呉高原と共通リフト券で一日に両スキー場を楽しむことができた。斜面構成は初心者30%中級者60%上級者10%。リフトはペア3基クワッド1基、最大滑走距離1600m、最大傾斜30度、トップ・ボトムの標高差は250m。北陸道木之本ICから27km、1000台の駐車場があった。余呉高原とゲレンデを接続する計画もあったというが、その後、余呉高原だけで十分という集客状況になったということだろう。

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(左)第一駐車場から、ゲレンデ下のレストハウスやレンタルスキーなどの建物と第1・第2リフト乗場が見える。(右)ルーキーコース中間部からゲレンデ下部を見下ろす。右手一段高い場所に第2・第5リフトの降場が見える。

国道365号から分岐する地点はゲートで閉ざされているので、約2kmを歩いて上りゲレンデまで向かう。アクセス道はところどころ崩れている状態だ。やがてレストハウスやレンタル・リフト券売場などの建物と、広大な駐車場があるゲレンデ下部に到着する。建物はガラスが割れ廃墟と化している。ゲレンデ構成はちょっと複雑。ゲレンデ最下部にはリフト2本の乗場がある。そのうち、左側のリフトはすぐ見上げた先がゲレンデトップでとても距離が短い。右手のもう1本は距離は長いがなだらかな緩斜面。しかし、その両リフトの反対側に逆に降る中級向け斜面があり、残りの2本のリフトはそちら側に架かっている。そのあたりのゲレンデは一部灌木が茂り始めていた。

リフトはチェアをはずされているものの、整備をすれば運転再開も可能な感じを受ける。谷を挟んだ向こう側には余呉高原のゲレンデが見える。関西方面からのアクセスは容易だが、他のゲレンデも隣接している。ゲレンデ構成にはどうも無理があったように思われ、どの程度魅力のあるゲレンデとしてとらえられていたか、疑問に思えるのだった。

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(左)第2リフト降場付近から、第1・第3リフト降場付近を見る。(右)第2リフト上部から下部の建物を見おろす。向こうに余呉高原のゲレンデが見える。