2011年04月28日

音楽の森スキー場(群馬県草津町)

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(左)ヘリポートとレストハウス。(右)奥に見える音楽の森ガレージハウスが第1トリプルの乗場だったようだ。

草津温泉街の中心に位置する湯畑。そこを流れる湯量を見ると、さすがに草津は日本を代表する名湯だという感を強くする。大震災による原発事故の状況を見ていると、火山国特有の地熱発電など、もっと自然の力を有効に使ったエネルギーの確保が出来ないものかと考えてしまう。

草津国際スキー場から北側に谷を隔てたところにあった音楽の森スキー場。「★★の森」という名称に共通にみられるように、ここも林間の緩斜面中心のスキー場だった。「日本のスキー場・東日本編'91(山と渓谷社)」には、草津スキー場の項で「天狗山レストハウス前からシャトルバスで数分、『音楽の森スキー場』は幼児連れファミリーの専用区域。平均4度(最大8度)の大緩斜面1000mのコース3本に、トリプルリフトが2本。メインエリアとは一味違う、静かな林間の『音楽の森』は利用価値大である」と紹介されている。

草津国際の一部としてリフト券も共通だったようだが、音楽の森と草津国際とは客層にかなり違いがあったのではないだろうか。スキー場としての営業休止は1990年代半ばと思われる。その後、冬はクロスカントリーコースとして使用されているようだ。また、スキー場の傍らにヘリポートがあって、以前は本白根山や渋峠までツアースキー客を運んでいた。

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(左)第1トリプル側のゲレンデ(ゴルフコース)。(右)1993シーズンの草津スキー場のゲレンデマッブには、右側に音楽の森スキー場と2本のトリプルリフトが記載されている。

4月中旬、まだ雪の残る草津国際スキー場の天狗山レストハウス前には、「下部ゲレンデは営業終了、上部ゲレンデは営業中」という旨の掲示がされている。「草津音楽の森コンサートホール」を示す案内板に従って県道55号に右折し、谷沢川に架かる橋を渡る。その先、一段左に上がるったところにヘリポートがあり、左にレストハウスや第1トリプルの乗場であったと思われる建物が残っている。その先には、リフトがすっかり撤去された切り開きの跡が残っている。右手のまだ雪の残るゴルフ場のコースがスキーゲレンデだったのだろう。振り返ると温泉街が眼下に広がっていた。

県道に戻り、さらに進んで左折すれば草津高原ゴルフ場のクラブハウスが目の前にあらわれる。スキー場としてのレストハウスでもあったであろうクラブハウスの裏には「音楽の森第2トリプルリフト」という文字がかすかに読み取れる建物があった。こちらも山側に向けて一直線に樹林が切り開かれていて、ここにトリプルリフトが架けられていたのであろうが、いまはリフトの施設はすっかり撤去されている。その左手に広がる、まだ雪をまとったゴルフコースがスキーのコースでもあったのだろう。夏はゴルフ、冬はスキーという形態をとっていたのだろうが、そのかたちのスキー場はやはり無理があったような気がする。ただ、1000mもの長さの緩斜面は家族連れには楽しかったと思う。(現地訪問:2011年4月)

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(左)右手にゴルフ場のクラブハウス。その奥にある建物は第2トリプルの乗場だった。(右)第2トリプルリフトの跡。樹林の切り開きが一直線に続く。

ラベル:音楽の森

2009年12月23日

女ヶ渕スキー場(群馬県嬬恋村)

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(左)ゲレンデ下部から見上げる(写真:2009年12月)。(右)鹿沢スノーエリアに曲がる交差点。右手奥に女ヶ渕スキー場があった(写真:2009年9月)。

新鹿沢温泉から地蔵峠(湯ノ丸)を越えて長野県東御市に向かう道。新鹿沢温泉を過ぎると、まもなく鹿沢ハイランド(鹿沢スノーエリア)に向かう道が右に分岐する。ちょうどその交差点の南西側に広がる場所に女ヶ渕スキー場があった。交差点近くは背の高い草に覆われているが、その前方の小丘陵に向かって斜面が広がる。リフト1基の初中級向けファミリーゲレンデの跡地である。古い地図や観光案内には、女ヶ渕スキー場の文字が残っているものが結構あるのだが、こんな道沿いにゲレンデがあったことは驚きでもある。

私の持っている国土地理院の地形図(上田、1/50,000)にはリフトの記号が、ゲレンデトップに向かって左手に残されている。現地にはいまやリフトの機器などの痕跡は残っていないが、「全国スキー・ゲレンデ案内(1962年11月)」には、リフトの長さは465mと記されているから正面に見える草地よりかなり奥までリフトは延びていたのだろう。新鹿沢温泉からも至近距離であり、家族連れに安心して楽しめるスキー場だったようだ。

「嬬恋村誌 下巻(1977年6月)」によれば、「スキーは地理的条件として本村の冬季スポーツに好適である。(中略)本村で日常的に利用できるのは、新鹿沢の女ヶ渕、五輪、旧鹿沢、万座等数多いが…(後略)」との記載があり、村民スキー大会やバッヂテストも催されるなど地元で親しまれたゲレンデだったようだ。1958年にはスキーリフトも設置された。また、同誌には「(鹿沢高原には)五輪、女ヶ渕の2つのスキー場があり、どちらもスロープがゆるやかで初中級向き。リフトは480mと360mの2基が架設されている」とある。五輪とは現在の鹿沢ハイランド(鹿沢スノーエリア)をさすものと思われる(経営主体は現在も五輪観光(株))。営業終了の時期を明記した資料をまだ見つけていないが、私が初めて鹿沢界隈にスキーに来た1980年代後半にはもう営業をしていなかったと記憶している。

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国道144号に沿ったガソリンスタンド脇には、現在も「女ヶ渕」や「国民休ヶ村」の文字が残っている。
ラベル:女ヶ渕

2009年09月05日

鹿沢スキー場[その2](群馬県嬬恋村)

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(左)角間山登山道から見た鹿沢スキー場全体。中央が湯ノ丸ロッジのあったところ。そこから右上に第3ゲレンデ。向こうに見えるのは湯ノ丸スキー場。

そういえば長らくこのあたりの山に登っていないと気づき、軽い山歩きのつもりで角間山に登った。その帰路に、角間峠から鹿沢スキー場のゲレンデをたどってみた。前回は雪が深くゲレンデ内部まで行けなかったので、湯ノ丸ロッジのあたりがどうなっているか知りたかった。

角間峠から下っていくと、第2ゲレンデ(初中級)に出るが、リフトも撤去され草木も生い茂り、このあたりに第2ゲレンデがあったという程度しかわからない。湯ノ丸ロッジのあった一帯に向かって、広い林道のような連絡コースの跡を進む。湯ノ丸ロッジのあった場所は鹿沢スキー場の中心地で、食堂が入ったロッジ、第1リフトの降り場、第3リフトの乗場があり、滑り疲れたらこの小広い場所でぼんやりとしていたものだった。

いまはロッジもリフトも姿はなく、かわってアズマヤが建てられている。ゲレンデとしての機能がなくなっても、山道の途中に一休みしたくなる場所であることは間違いない。見上げる第3ゲレンデにも潅木が生い茂り、あれだけ慣れ親しんだ斜面もその痕跡は少しずつ消え去ろうとしている。

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(左)第2ゲレンデの跡。右手奥は角間山。(右)湯ノ丸ロッジがあった場所に建てられたアズマヤから第3ゲレンデを見上げる。右側の樹林の切れ目はリフトの跡。

その下の第1ゲレンデをくだって行くと、登山道はときにゲレンデを離れ樹林帯を進んだりもする。一帯は牧場でもあり、生い茂る草木を避けて樹林帯の中に道をつけたようだ。第1ゲレンデはいま見ると、思っていた以上に斜度があるような気がする。

ゲレンデ最下部には見慣れた水色の金網が今も残っているし、県道沿いには「鹿沢スキー場」と彫られた大きな岩がいまだに残されている。ただ、1996年が最後の営業シーズンだったのだから、もう10年以上の歳月が流れ、ゲレンデの痕跡が消え行くのも当然かもしれない。

こちらもご覧ください→「鹿沢スキー場(2009年3月22日)」
ラベル:鹿沢スキー場

2009年08月06日

草津シズカ山スキー場(群馬県草津町)

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(左)センターハウス前からゲレンデ全体を見上げる。左にファミリー用のペア。右にクワッド。その上部(中央に見える尾根の上)に並列にペア。センターハウス前はサッカーの練習場になっている様子。

「恋の病以外は何でも治す(?)」といわれる草津の湯。泉質・湯量など、何をとっても日本を代表する名湯であることは間違いないと思う。その草津温泉には、天狗山ゲレンデや振子沢コースなど個性ある斜面を備えた草津国際スキー場が古くからある。ただスキー人口が多かった頃は、駐車場のキャパが小さいとか、ゴンドラ待ちが長いとかいう話があって、このあたりにもう少し気軽に行けるスキー場があればいいのに、と思っていた。隣り合う万座方面は有料道路を経由しなければならないのがネックだった。そんなことを考えていた矢先にできたのが、このシズカ山だった。草津白根山の南山麓にあたり、草津温泉への入口に位置している。

バブル末期の1990年12月に営業開始。しかし、2005シーズンから営業を休止した。バブル期にできたスキー場に共通に見られるように広い駐車場とセンターハウスを備え、クワッド1本・ペア3本という施設で登場。私は1993年3月に訪れたがあまり強い印象が残っていない。最大斜度28度で、あまり特徴のない中斜面を滑っているうちに下までおりてしまう感じだったと思う。第2期・第3期としてさらにゲレンデを拡張する計画があったことが、今も見ることのできるこのスキー場のホームページ(2004年を最後に更新はされていない)でわかる。そうなっていたら、草津国際に匹敵するほどの大規模なスキー場が出現していたはずだ。

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(左)上部のペアリフトの乗場の上からセンターハウスを見下ろす。(右)上部のペアリフト乗場。右端にクワッド。

草津道路が草津の温泉街に到達する少し手前に、「静可山」を示す標識があり、それに従って左折する。アクセス道路に問題はなく、今でもそのまま広い駐車場まで車を入れることができる。その先のセンターハウスや各リフトもそのまま残っていて、少し手を加えれば営業再開ができるように見える。右手にクワッドとその上部にペアが2本。その左に沢を挟んで、ファミリー用のペアリフトが1本。ペアリフトにはまだ、椅子が付けられたままだ。真ん中の沢沿いの荒れ気味の林道を歩いていくと、やがて右手のゲレンデを登って行く。この季節、ゲレンデは一面の花畑となっている。白い花を咲かせているのはノリウツギだろうか。雨が強くなり山頂にあるはずのレストハウスを見ずに途中で引き返したが、花を見ながらの軽い山歩きもできそうなところだと感じた。(現地訪問:2009年8月)
ラベル:スキー 草津

2009年03月22日

鹿沢スキー場(群馬県嬬恋村)

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(左)湯ノ丸から新鹿沢へ続く車道から、第一ゲレンデへ上る道(左側の雪に埋もれた坂道)。(右)第一リフト乗場があったあたりから第一ゲレンデを見上げる。右側直線に伸びるリフトの跡がわかる。

国民休暇村鹿沢スキー場というのが正しい名前だったと思う。鹿沢といえば今は鹿沢スノーエリア(鹿沢ハイランド)をさすのだろうが、以前はこちらの存在価値も大きかった。20年ほど前には、私の職場(東京)のスキー仲間にとってはホームゲレンデのような存在だった。1996シーズンを最後に休止となり、現在はリフトの跡もきれいに撤去されて、ゲレンデに一部樹木が茂り自然に還ろうとしている。湯ノ丸へのツアーか、もの好きなスノーボーダーたちかが滑った跡もあった。

シングルリフト3本というシンプルな構成だったが、中級(第1・最大26度)・上級(第3・最大34度)・初級(第2・最大21度)とレベルに応じたゲレンデを備え、それらが林間コースで結ばれていて、けっこう機能的だったと思う。湯ノ丸スキー場へも、雪原の道なき道をたどって行くことができた。とくに新雪の後の第3ゲレンデはとても魅力的だった。周辺のスキー場は強風でリフトが止まることが多かったが、ここは前(東側)にある山が風を防いでくれるのでコンディションが良く、人が少ないこともあって、のんびりと、しかし滑り応えのある時間を過ごすことができたと記憶している。

ずいぶん昔には、12時になるとリフトを止めて係員が昼食をとっていた、という話を聞いたことがある。ろくな施設もなく、駐車場は道沿いの路肩のようなスペース。中腹に簡単な食堂があるくらいだった。車道を少し新鹿沢側に下ると紅葉館という鹿沢温泉の元湯がある。この地は雪山賛歌発祥の地でもあり、山の世界では歴史のあるところ。東御市の新張を一番とする百体の石仏が地蔵峠(湯ノ丸)を越えて、この地まで続いており、紅葉館の横に百番千手観音がある。百体の石仏は、このゲレンデにわれわれを誘ってくれるように思えた。

老朽化したシングルリフトを架け替えるような投資をする価値はないと考えられ、営業が休止となったのだろうが、それもやむをえない。周囲にはもっと規模の大きいゲレンデもあるのだから。自然の中に戻っていくのがふさわしいのかもしれない。

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(左)第一ゲレンデ中腹から第一リフト乗場付近を見下ろす。

こちらもご覧ください→「鹿沢スキー場(その2)(2009年9月5日)」
           「鹿沢スキー場(その3)(2022年6月26日)」