2012年01月07日

聖山パノラマスキー場(その2)(長野市/旧大岡村)

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(左)第1リフトはすっかり撤去されていた。(右)駐車場からゲレンデ全体を見上げる。

昨シーズンから営業を休止した聖山パノラマスキー場。その後の状況を知りたくて、年末の一日、聖湖畔から雪道をたどって聖山を目指した。久しぶりに車で走ってみると、こんなに距離があったかなと思う。

現地について驚いたのはリフトがすっかり撤去されていたこと。まだ営業休止から2回目の冬なのに、早くもスキー場の痕跡が消されて行くことに少々焦りを覚えた。食堂やレンタルスキーが入っていた建物はそのまま。上部の第2リフトがどうなっているのかはっきりとわからないが、この様子では撤去されていても不思議ではないだろう。まず復活することはないだろうと考えていたが、これで完全に望みは断たれたわけだ。

多くのスキー場がスキーヤーを集めているのに、斜面にはうっすらと雪が覆う程度で、降雪の少なさは相変わらずだった。下部のやや雪の多いところでは子どもづれがソリ遊びを楽しんでいた。もうひとつ気がかりだったのはゲレンデ下にある聖山パノラマホテルの動向だったが、営業を続けている様子だったので、とりあえずほっとした。

思い起こせば、旧大岡村が長野市との合併を決めた時点で、このスキー場の休止は決まっていたようなもの。その合併により、旧大岡村に何か利点があったかは余所者にはわからない。パノラマホテルの向こうには、北アルプスの白銀の山並が美しく輝いていた。この景観さえあれば、人を集めることができるのではないかと思うが。(現地訪問:2011年12月)

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(左)パノラマホテルは健在。その左には、鹿島槍をはじめとする北アルプスの山々が見える。

こちらもご覧ください→「聖山パノラマスキー場(2010年12月27日)
ラベル:聖山パノラマ

2010年12月27日

聖山パノラマスキー場(長野市/旧大岡村)

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(左)駐車場から見上げるゲレンデ全体。中央奥が聖山山頂。

筑摩山地の盟主である聖山の北麓に開かれていたのが、聖山パノラマスキー場。開設されたのは1966年(昭和41)で当初は「聖ヶ岡スキー場」という名前だったが、私の子どもの頃は長野市内の人間にもあまり馴染みのないスキー場だった。そのころ大岡村まで足をのばすというのは結構大変なことで、飯綱など近場にもスキー場があったから出かけることはなかったが、長野Uターン後は毎年のように訪れるゲレンデになった。

何年か前には「一番すいているスキー場」という開き直った宣伝文句で売ろうとしていたけれど、2本のペアリフトを乗り継げば聖山の山頂直下までたどり着き、北アルプスの展望も素晴らしかった。ゲレンデ下の聖山パノラマホテルも小奇麗な施設だったし、近くに大岡温泉もあり、華やかなリゾート地というわけにはいかないけれど、しみじみとした冬の休日を過ごすには良いところだったと思う。

昨シーズン(2010シーズン)を最後に営業を休止した。2008年1月の統計によれば、利用者は平日平均11人、休日平均121人だったという。その話を聞けば、営業休止もやむをえなかったのだろうと思う。難点はやはりアクセスの悪さにあったのではないだろうか。大岡村は2005年に長野市に合併となったが、長野市街からは国道19号経由で信州新町から旧大岡村中心部を経て上っていくか、麻績インターから聖湖経由で上っていくか。いずれにしても1時間以上を要するけれど、時間そのものより急坂急カーブの続く道であることが何となく足を遠のけていた。

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(左)第1リフト下から見上げる。(右)ゲレンデ下のレストハウスとパノラマホテル。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「戸倉上山田温泉から車で30分、長野市から1時間。標高1,400mの地点にあり雪質はよい。善光寺平やアルプスも眺望でき景観はバツグン。初中級向き。スクール、レンタルあり。ナイターなし。初級30%、中級50%、上級20%」と紹介されている。

雪不足に悩まされることの多いスキー場だったが、たまたま営業最終となった昨シーズンは積雪に恵まれた。さらに格安リフト券の設定もあり(特に長野市民には通常3,500円の1日券が500円になるクーポンが配布された)、多くのスキーヤーで賑わうラスト・シーズンとなった。私も昨シーズン2回出かけ、最後の滑りを楽しんだ。積雪が充分でないと閉鎖されることが多く滑る機会の少なかった、裏側のスカイコースなども滑ることができた。

12月下旬に訪れてみるとリフトの施設は、椅子ははずされているものの撤去はされずそのままだった。ゲレンデ下の聖山パノラマホテルも、室内から灯りがもれていて営業をしているようだし、スキー場営業時とあまり変わっていないので何となくほっとした。パノラマホテルは今後も市内小中学校の林間学校などに使われていくのだろうが、聖山の自然と触れ合えるようなかたちで継続されることを望みたい。

今年は積雪が遅く、周辺のスキー場も先週末の寒波でようやく延期していた開業を果たしたところも多かったようだ。今シーズン営業していたらまた雪不足に気をもむことになったのだろうか。そんな要らぬ心配が頭をよぎった。(現地訪問:2010年12月)

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営業していた昨シーズンの様子(2010年2月)。(左)ゲレンデ下から見上げる。(右)山頂直下から北アルプスを望む。

こちらもご覧ください→「聖山パノラマスキー場(その2)(2012年1月7日)」

2010年03月05日

姨捨スキー場(千曲市)

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(左)スイッチバックの姨捨駅から善光寺平を一望する。

「姨捨(おばすて)」という地名を聞いて思い起こすのは、年老いた母親を山に捨てるという姨捨伝説だろうか。それとも棚田に映る「田毎の月」か。鉄道ファンなら、日本三大車窓のひとつでもある姨捨駅のスイッチバックということになろうか。

信濃では 月と仏と おらが蕎麦     詠み人知らず

いうまでもなく信濃の名物を3つ詠みこんだ句であるが、「仏」は善光寺であり「月」は姨捨の「田毎の月」を指している。姨捨は紀貫之の和歌にも詠まれ、平安の昔から月の名所として京の都にも知られた場所だったようだ。また俳人松尾芭蕉は1688年(元禄1)、木曽路を経てこの地を訪れた。『更科紀行』はその時の紀行文で、猿ヶ馬場峠を越えて姨捨に出た芭蕉は旧暦八月十五夜の仲秋の名月を観賞している。

前置きが長くなったが、そんな姨捨にスキー場があったという記載を見つけたのは「冬の信州(昭和28年版(1953年))」。はじめは「まさか姨捨に」と思ったものだった。同誌には「篠ノ井線姨捨駅より徒歩にて25分で到着できる。最近開発されたスキー場で、海抜600m、変化にとんだスロープが多く、初中級者用として適当。すこぶる展望よく、千曲川と川中島古戦場を含む善光寺平が一望にのぞまれる。特に付近に上山田戸倉温泉があり、スキーと温泉を楽しむことができる」と紹介されている。「更級埴科地方誌」などを調べていくと猿ヶ馬場峠へ向かう途中にあったことがわかってきた。

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(左)八幡林池の南畔からゲレンデがあった斜面を見上げる。(2010年2月)(右)斜面上部から見おろす。最下部には八幡林池がある。(2010年2月)

姨捨駅から一段上ったところにある大池の集落で、薪を軽トラに積み込んでいる小父さんに聞いてみると「姨捨スキー場は、この上の八幡林池の右手(北側)斜面にあった」という。昭和15年生まれという小父さんは「中学卒業の頃まではスキー場があって、雪が降った後にはよく滑った」というから、昭和30年(1955)頃まではあったようだ。

大池集落からさらに、大池キャンプ場へと上っていく車道の右手にあるのが八幡林池。この季節は一面の氷で覆われている。池の北側にはむかし開拓で入ったという何軒かの民家があり、その背後から左手にかけて緩やかな斜面が広がっている。上部には国道403号が走っているが、そのあたりまでの斜面がゲレンデだった模様だ。

適度な斜面と見受けられるが、さほど長い滑走距離がとれたとは思えない。リフトやロープトウなどの施設はなかったということだが、ガイドブックに登場しているということはそれなりの集客もあったのだろうか。「今年は雪が多い方だけれど、最近じゃ雪が少なくて、とても昔スキー場があったような面影はないね」と小父さんは話してくれた。

2009年09月11日

地蔵峠スキー場(長野市)

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(左)ゲレンデ下部から上部を見上げる。(右)ゲレンデ中腹から下部を見下ろす。

地蔵峠という名の峠は各地に見られるが、長野市松代と上田市真田(旧 真田町)を隔てる峠もそのひとつである。峠を越える県道は今でも急坂・急カーブが連続するが、千曲川に沿う国道18号は渋滞が激しいため、長野・上田間の抜け道として使われている。

いまでは信じられないことだが、その地蔵峠の北側斜面に昭和40年代にはスキー場があった。資料によれば1927年開設という記録も見られる。今日ではとてもスキー場に足る積雪があるとは思えないが、その頃は北信アルペンスキー大会や少年スキー大会が行われていた(「長野市誌」)。リフト等の施設もなく、地蔵峠へのアクセスも容易ではなかったようだが、峠を越える県道の開通にともない再び賑わいを見せるようになったという(「長野県スキー史」)。

松代側から県道を上っていくと、地蔵峠(車道が越えているのは正しくは「新地蔵峠」)に上りつく前の最後の右カーブから左に入る林道がある。ここから上っていく古くからの地蔵峠を越える山道を進む。ひとしきり上ると右手にスキー場があった広い緩斜面が広がる。スキー場の位置に確信がもてなかったが、長野市役所に問合わせたところ、このスキー場で滑った経験のある方がいらしたとのことで、ここであることは間違いないようだった。大部分は草木が生い茂っていて、リフトもなかったということなので、スキー場であったことを示すものは残っていないようだ。近くに廃屋が見られるが、これが各種資料に載っていた「地蔵峠山の家」なるものかもしれない。天気がよければ、善光寺平の広がりが眺められる。

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ラベル:地蔵峠 松代

2009年06月12日

涌井スキー場(中野市/旧豊田村)

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親川バス停に掲げられた案内図には「涌井スキー場」の文字が。
 
旧豊田村に既出の「大平スキー場」とともにあった「涌井スキー場」。涌井は旧豊田村の西北端にある集落で、信越線古間駅から東に向かい荒瀬原の集落を過ぎて山間部に指しかかったところにあり、旧三水村(現飯綱町)や信濃町と境界を接する場所。「豊田村史」によれば1963年開設当初、ロープトウが1基設置されていたが、やがてトロイカにかわったようだ。

トロイカとは、今でも爺ヶ岳や山田温泉などファミリー向けのゲレンデに見られる、スキーを履いたまま大きな橇の上に乗るようなもの。古間駅からが一般的なアクセスだったようだが、長野方面からの交通アクセスが悪いこともあってしだいに客足は遠のき、わずか数年の営業後、1968年を最後に営業を休止した。

豊田飯山IC方面から上っていくと、まず、親川のバス停に掲げられている「斑尾高原観光案内図」に涌井スキー場が記されていることに心を強くする。何10年も前からかえられていない案内図なのだろう。さらに上ると涌井の集落。涌井は蕎麦がおいしいことでも知られていて、数軒のおいしい蕎麦屋がある。その一番上の一軒の前から、狭い道を少し上ったあたりからゲレンデが広がっていたらしい。

蕎麦屋のお爺さんが「そこにスキー場があった」と教えてくれた。リフトは設置されなかったようでもあるし、痕跡を見出すことはできなかったが。また、ゲレンデ付近と北永江・親川に学生村もあったとされている。風光明媚なゲレンデであったことは間違いないようで、ゲレンデの上には斑尾山が見えるし、振り返れば遠く志賀高原の山々を一望することができる。

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(左)涌井スキー場があったと思われる一帯。(右)「冬の信州'80」を参考に作図。