2015年02月14日

白馬みねかたスキー場(その2)(白馬村)

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(左)ゲレンデ入口には「白馬みねかた」の掲示が残ったまま。(右)深い雪に覆われたゲレンデ。

今シーズンから営業を休止している白馬みねかたスキー場。前回レポートは、シーズンイン前のものだったので、実際、冬になってからはどんな様子なのか知りたいと思っていた。

日曜日の午後3時過ぎ。通称オリンピック道路には、そろそろ白馬方面からの帰り車が増えてきたようだ。サンサンパーク白馬脇の信号を曲がり、国道406号線に出て白馬駅方面へ。ゲレンデ入口には「白馬みねかた」の掲示は出されたままだったし、駐車場は除雪されていたが、当然ながらゲレンデ下部も深い雪に覆われて、ひっそりとしている。

ゲレンデ下のいくつかの建物は撤去されてはおらず、そのままの状態。リフトはチェアを撤去されただけの状態だ。人の姿も見えず、物音もせず、嶺方の集落は雪の中でひっそりと息をひそめているかのようだ。昨秋の地震ではこのあたりもかなりの被害があったはずだが、その様子もよくはわからない。

ゲレンデ近くには何軒かのペンションなどもあったはず。そう思って見渡しても、近隣の建物はひっそりとして客の姿は感じられなかった。ここに宿泊して、白馬の別のスキー場に送迎するという方法もあるのではないかと考えていたが、除雪もされていない建物を見ると、そのような選択をする客は多くはないようだ。(現地訪問:2015年2月)

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(左)ゲレンデ下部の建物やリフトはそのまま雪に埋もれている。(右)リフトはチェアを取り除かれただけの状態。

こちらもご覧ください → 白馬みねかたスキー場(その1) 白馬みねかたスキー場(その3)

2014年10月31日

白馬みねかたスキー場(その1)(白馬村)

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(左)リフト乗場に掲示されているゲレンデマップ。第2リフト終点から頂上までの第3リフトは、最近は運行されておらず表記が消されている。(右)営業していた時のようす(2013年12月31日)。

「みねかた」には昨年の12月31日に滑りに行ったばかりだった。そのときの様子を記録したのが、→こちら。「『みねかたは大丈夫なのか?』という声も聞こえてくる」と書きながら、しかし、年末だったせいか、そこそこ賑わっていることに安堵していた。家族連れや地元のポール派が楽しんでいた。それが、今年9月になってホームページ上でクローズが発表された。

ホームページには以下のように掲示された。「前運営会社からの譲渡を受け、株式会社みねかたにて9シーズン運営を行ってまいりましたが、当社での来シーズンの運営継続が難しい状況となっておりました。運営を引き継いで頂ける企業を探す等、スキー場営業を継続する道を色々と模索しておりましたが交渉もうまく進まず、来シーズンに向けての動きも本格化する時期となり、非常に残念ではございますが、白馬みねかたスキー場はクローズさせて頂くことといたしました。(後略)」

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(左)ゲレンデ入口には鳥居。左手にセントラル・ロマンスの両ゲレンデ。(右)ゲレンデ最下部には数軒のレストハウスなど。圧雪車がスタンバイしているが、今シーズン稼働することはないのだろう。

やはり経営上は予断を許さない状況だったのだと、あらためて思い知らされた。オールドスキーヤーがのんびり滑るには適度なスキー場だったので、ひとりで数回出かけたことがある。のんびりできたということは、やはり客が少なかったということだろう。

「SKI GUIDE'86(山と渓谷社)」には、「日本の屋根北アルプス連峰を一望できる白馬山麓の北東斜面にリフト3基が効率的に配置され、3つのゲレンデ、3本の林間コースをうまく結びつけている。山頂からの景観はすばらしく、北アルプス連峰の景色を心ゆくまで楽しめる7kmの歩くスキーコースは、北アルプスの展望台として親しまれており、コース整備も万全で初めてスキーをはく人でも、安心して楽しむことができる。ナイター設備、ポール練習コースもある」と紹介されている。スキー場開設は昭和38年(1963年)であるから、50年もの歴史を持っていたことになる。

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(左)セントラルゲレンデ中間部左には、イタリアンレストランやロッジの建物が残っている。(右)しょうぶ平コース中間部を上から見下ろす。右手の白い建物はケーキハウス。

雨模様の10月の休日、峰方を訪れる。白馬の中心街から、国道406号を5kmほど鬼無里方面に入ったところ。ゲレンデ手前1km弱に駐車場があり、かつては臨時駐車場を必要とするほどだったと再認識する。ゲレンデ入口に雨降宮峰方諏訪神社の鳥居が立っている。社殿は右手奥にあるのだが、神社と共存している雰囲気はいにもローカルゲレンデにふさわしい。リフトはチェアをはずしたままだし、ゲレンデ下のさまざまな施設もそのままの状態。リフトの横に置かれた圧雪車は、雪を待ってスタンバイしているように見える。周辺の何軒かのプチホテル風の建物はなんとなく寂しげに見える。

ゲレンデ左につけられた林道を登っていくと、最近は営業していなかったイタリアンレストランやロッジの建物が、バブル期の遺構であるかのように徐々に廃墟化している。「イタリア料理カーサビアンコ 閉店致します。ありがとうございました」の貼り紙が悲しい。その先、しょうぶ平ゲレンデ脇にケーキハウス「ルフレ」の白い建物。こんなゲレンデ脇でどのくらいの来客があるのかと思っていた店だ。さらに行くと、第2リフトの終点。最近は稼働していなかった第3リフトの乗場もある。背の高いススキに視界は閉ざされがちだが、パノラマゲレンデから山頂部を見渡すことができる。歩くコースは北アルプス展望台だったが、メインゲレンデからは頸城山地方面の展望しか得られない。小雨の中、それも霞んで見えるだけだった。(現地訪問:2014年10月)

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(左)最後の頃は休止していた第3リフト乗場から、ゲレンデトップを見上げる。(右)第2リフト終点から見下ろす。

こちらもご覧ください → 白馬みねかたスキー場(その2) 白馬みねかたスキー場(その3)

2014年10月10日

東部スキー場(畑沢スキー場) (白馬村)

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(左)「サンサンパーク白馬」から見た堀之内地籍の田頭の集落。その背後の山中にスキー場があった。(右)林業用作業道を進む。正面右手一段上の平らな場所に休憩小屋があったという。ゲレンデはその向こう側らしい。

白馬方面にスキーや登山に出かける道すがら、いつも気になっていたのが、この「東部スキー場」。長野から白馬に向かう通称「オリンピック道路」が美麻トンネルを過ぎて、白馬村の平地に下っていくと、左手に「サンサンパーク白馬」という駐車スペースがある。その北側は堀之内という地籍のなのだが、そのあたりにスキー場があったはずだ。

「白馬の歩み(4)」には、以下のように記載されている。「神城の東部地区の堀之内や三日市場は昭和37年から民宿を始めた。(中略)昭和38年には12軒で民宿組合をつくり、堀之内地籍に畑沢スキー場をつくった。雑木林を一町五反歩ほど伐採、ロープ塔を架け、休憩小屋も建てた。昭和43年、八方尾根で国体スキー競技会が開かれるころになると、スキー客はバスに乗車して八方尾根や五竜とおみスキー場へ行くようになり、畑沢スキー場も休止してしまった」とある。また、「観光と旅19 郷土資料事典・長野県」(人文社:昭和42年3月15日初版、昭和49年6月1日改訂版)には、「東部スキー場」として「神城駅の東約1.5km、バス10分。堀之内部落周辺に開設されるスキー場。ロープトウ1基、宿は東部民宿」と紹介されている。畑沢スキー場と東部スキー場は同一のものと思われる。

秋の気配が色濃くなってきた9月下旬、堀之内を訪れ、集落のはずれで農作業をしているオジさんにスキー場の場所を尋ねてみる。「わかた館・大わで荘という民宿の看板に従って、テニスコートや民宿の横を通り過ぎ、田頭集落の背後の山に入って行ったあたり」とのこと。とりあえず、その言葉に従って進む。「いまは車は入れないかもしれない」といわれたので、邪魔にならない場所に駐車して、あとは歩いて未舗装の道を進む。周囲は杉の植林帯だが、ひとしきり登ると山腹を水平に進む林業用作業道に合流。なんとなく右から左へと下る杉林の斜面は、ゲレンデに適した斜度のように感じられる。

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(左)ゲレンデ下部。重機を使って間伐作業中。(右)ゲレンデだったと思われる斜面を最上部から見おろす。

向こうから伐採作業の音が聞こえてくる。重機とチェーンソーを扱う人、3人ほどで間伐の作業をしている。伐採した木が倒れてこないのを見はからって近づき、尋ねると「その向こうに、スキー場の休憩小屋だった建物が少し前まで残っていた」という答え。作業道から一段上がった平地の上らしい。さらにヤブをかき分け少し登ると、一段上にある作業道まで樹木の少ない斜面があり、そこがメインのゲレンデのようだった。西向きの斜度は、ほどよい中斜面のように思える。

周囲は杉の植林や雑木が取り囲んでいて、ゲレンデの跡もあまりはっきりしない。樹間からかすかに後立山の山並みが見える。スキー場だった頃には、前方に五竜・唐松などの山並みを眺めながら滑ることができたのだと思う。今回も、地元のオジさん、山仕事のオジさんに感謝。(現地訪問:2014年9月)

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(左)ゲレンデ最上部と思われる場所。左下に斜面が下っている。(右)作業道沿いには「白馬きこりの道」というハイキングコースの地図が掲示されていた。赤印でゲレンデがあったと思われる場所を記入してみた。

2013年12月17日

ヤナバスノーパーク(その1)(大町市)

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(左)駅のホームの背後にR148が走り、その向こうにセンターハウスの建物とゲレンデが見える。(右)センターハウスの前の圧雪車やリフトのチェアは雪に埋もれている。

今シーズンも直前になって、いくつかのスキー場の営業休止のニュースが飛び込んできた。その中で長野在住者として一番身近であったのが、ヤナバ休止のニュースだった。12月はじめ、ヤナバスノーパークの公式サイトに「諸般の事情により、今シーズンの冬季営業を休止させていただきます」との案内が掲示された。新聞報道によれば、「大町市平のスキー場『ヤナバスノーパーク』は11月30日までに今季の営業を休止することを決めた。経営する同市平の「ヤナバ」の斎藤徳之代表取締役は景気低迷などによる経営不振を理由に挙げ、『来季以降のスキー場の運営を継続する方法を模索していく』としている」とのことであった。

1972年に開業。昨季の利用者数は24,000人あまり。最盛期の1993~94シーズンには約13万人を集客したが、2000年以降は2~5万人台で推移していたという。昨シーズンはクロスプロジェクトグループ(白馬村)が運営業務を受託したが、今季は契約を更新していなかったとのこと。私は一度だけ1997年1月に滑りに訪れた。そのときはそれなりに賑わっていたと思う。インパクトのある斜面ではなかったけれど、鉄道やR148のアクセスもよくファミリーやグループで訪れるにはいいのではないかと思っていた。最近はスノーボーダーを集客の中心にしていたようだが。

「シュプール・大町市のスキー史(大町市スキークラブ、1988年)」には「ヤナバスキー場の大きな特徴は昭和61(1986)年にJRヤナバスキー場前という、いわばスキー場専用の駅が新設され、駅を出るとそこがゲレンデとなっている。そのためナイタースキーなど利用者にとっても交通の便が非常に良いスキー場となった。ナイターの開設は昭和57(1982)年である」と記載されている。また、神田正輝が一時スキースクールの指導員であったという。

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(左)ゲレンデ最下部から見上げる。(右)ヴィレッジ第1ゲレンデの下から見上げると、リフトとゲレンデの跡がはっきり残っていた。

「SKI GUIDE'86(山と渓谷社)」によれば、「権現山(標高1,222m)の北斜面30haにリフト5基が設置され…(中略)…青木湖を眼下にのぞみ、正面に鹿島槍・五竜岳をのぞむ景観が素晴らしい」と紹介されている。私が訪れた1997年前後にはクワッド1基・ペア3基のリフトがあったが、メインゲレンデ右手にあったビレッジリフト2基は数年前にひと足早く営業休止となっていた。

12月中旬にヤナバを訪れる。大糸線「ヤナバスキー場前駅」はロープを張って入れないようになっていて、列車は通過していった。国道に面した案内板もそのまま残っているものの、駐車場は雪に埋もれ圧雪もされていない。センターハウスなどの施設はすべてそのままだが、ひと気はなく閑散としている。リフトのチェアや圧雪車もゲレンデ下でスタンバイしていたようだが、ここ数日の雪に埋もれている。青木湖対岸に見える「サンアルピナ青木湖スキー場」も数年前に営業を休止したままである。大町市内では、爺ヶ岳・鹿島槍がそれぞれ独自のカラーで存在感を保っているが、ずいぶん寂しくなったと感じる。(現地訪問:2013年12月)

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(左)ゲレンデを少し上がった所から見下ろす。眼下に青木湖、左奥には休止中のサンアルピナ青木湖スキー場。(他の写真とは別の日)

【続報】(2015年1月31日)
2015シーズンから再開したヤナバの姿を確認したくて、現地を訪れた。日中の営業が終わり、ナイター営業開始までのゲレンデ整備までの時間だったが、レストハウスでナイター営業を待つグループの姿がいく組も見られてまずはひと安心。隣接するJR大糸線「ヤナバスキー場前駅」も今シーズンは営業を再開していた。

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(左)ナイター開始を待つ下部のレストハウス。(右)ヤナバスキー場前駅。

【続報】(2016年11月10日)
本日の信濃毎日新聞の記事によれば、2017シーズンの営業を断念するという。
こちらをご覧ください→「ヤナバスノーパーク(その2)」 「ヤナバスキー場前駅」

2012年10月30日

清水山スキー場(小谷村)

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(左)ゲレンデ下の道沿いには小屋があり、その脇からゲレンデが広がっていた。(右)ススキに覆われた斜面を見上げる。

このスキー場のことを知ったのは、「'95オールスキー場ガイド(立風書房)」によるもの。この本には「JR大糸線南小谷駅より送迎車で。車は長野道豊科ICから70km。ポールトレーニング専用のスクール・清水山レーシングキャンプの専用ゲレンデ。Tバーリフト1基」と記載があった。また、2005年の中土小学校閉校記念行事として、この清水山スキー場でスキー大会が開かれたとの記事もみつけた。

小谷村の清水山というのはどのあたりかと地図で調べてみると、姫川に注ぐ中谷川の北側に位置する地名だとわかった。あのあたりにゲレンデがあったというのは初耳である。これは調べてみなければ、としばらく前から考えていた。残暑もやや落ち着き、秋の気配が深くなった1日、白馬を経て小谷へと向かった。

国道148号を小谷温泉口の交差点で右折、小谷温泉方面に向かう。途中、左折して中谷川を渡り山腹を清水山集落へと上って行く。その辺りで農家の庭先にいた小父さんに聞いても「清水山にスキー場はない」という。しかし、よく聞くと「小さなスキー場だったら、ここへ上がってくるS字カーブの下あたりにあったよ」とのこと。S字カーブのあたりから下を見ても良くわからなかったが、中谷川の北側に沿う道まで下ってみると、道の北側にはっきりとわかる南斜面のゲレンデの跡があった。

ゲレンデの跡は背の高いススキに覆われていたが、レーシング練習用のゲレンデだったからか、かなりの斜度があるように見えた。ゲレンデ下の道沿いにはいくつかの小屋があり、トイレやさまざなな器具の格納に使われていたようだ。

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(左)ゲレンデ下の道に沿ってスキーの道具を格納していたと思われる小屋がある。(右)ゲレンデ上部のS字カーブのあたりから見おろす。

ゲレンデから少し西側に立派な民家風の建物があった。往時には民宿でもやっていたのかと、縁先にいたご主人に声をかけてみる。なんと、この方がレーシング・キャンプの先生であった。各地から参加した子どもたちを、宿泊させながら清水山スキー場で指導にあたっていたという。降雪期にだけTバーリフトを斜面に設置していた。前記の中土小学校閉校行事あたりが、スキー場として機能していた最後の時期のようであった。がっしりした体格と優しそうな表情が印象的だった。(現地訪問:2012年9月)