2012年08月24日

コルチナ国際スキー場雨中ゲレンデ(その2)(小谷村)

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(左)雨中ゲレンデの斜面。中央ピークの少し右に第3リフト乗場の残骸。(右)雨中ゲレンデ上部に見られた第3リフトの乗場。その先に鉄柱が1基残されている。

(前回に引き続き、雨中ゲレンデ上部のようすをレポートします。)
小谷村役場に隣接する場所から、連絡リフト的な第1リフト(768m)が上部にのびていた。その第1リフトを降りたところから雨中ゲレンデ(しょうぶ平ゲレンデ)が開かれていた。土倉集落上部から北に伸びる林道をたどれば、雨中ゲレンデと思われる斜面の下に出る。右下に第1リフト終点と第2リフト(431m)の乗場があったはずだが、痕跡は見出せなかった。

左手に広がる斜面はややきつめの傾斜に見えるが、気持ちの良さそうなバーンである。第2リフト左が15~25度の中上級向き、右側斜面最低部とリフト乗場付近が8~13度の初級者向き。見上げるゲレンデの右手上部には第3リフト(446m)の乗場が崩れながらも残っているのが遠目に確認できた。その先にリフトの鉄柱も何基か残っている。第2リフトの鉄柱は見られない。

この雨中ゲレンデには大鹿コース・山の神コースがあったことが「SKI GUIDE '86(山と渓谷社)」に記されている。大鹿コース「第3リフト終点から第2リフト乗場まで全長800m。上級者向け最大30度、平均18度。日照時間が少ないため最高の粉雪が楽しめる」。山の神コース「第3リフト終点から第2リフト乗場までの初中級者向け林間コース。滑走距離840m、最大20度、平均15度」となっている。

さて、第3リフトを降りればそこは小ピークで、眼下にアヤメゲレンデかせ見おろせたはずである。アヤメゲレンデには中間乗場のある第7リフト(400m)が架けられていた。中間乗場がアヤメ池の窪地にあたり、両端がピークとなったV字型のリフトだった。残念ながら林道もゲートが閉ざされ、この日はアヤメゲレンデに近づくことはできなかった。

第3リフトの終点から第7リフト中間乗場までのコースは滑走距離250m、最大26度、平均11度。なお、池の田ゲレンデベース部からこのアヤメゲレンデの一端まで第6リフトが架けられていたが、その頃の第6リフトの場所は、現在の第3クワッドより右側にあったようだ。

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(左)雨中ゲレンデからの下山コースはこのあたりか。(右)現在の第3クワッドとスネークコース。上部の平坦地がアヤメ平。

アヤメ平から雨中方面に下るコースは雨中ゲレンデの広い斜面を除いて、滑走コースがはっきりとわからない箇所も多かった。雨模様の7月、水田や草木の中からはたえず蛙の鳴き声が聞こえていた。

一方、土倉民宿街からの第9リフト(以前は第8リフト)は、数年前に休止したばかりなのでいまもしっかりと残っている。グリーンプラザの建物の北側にいまもリフト終点降り場が残っているし、土倉集落内のリフト乗場も大きなつくりの民家の裏庭のような場所にすっかり残っているが、周囲は背の高い草に覆われている。チェアを設置しさえすれば再び稼動させることは簡単に思えた。かつて土倉民宿はこのスキー場の主要な拠点であったが、現在はほとんどその機能は失われているように見えた。(現地訪問:2012年7月)

こちらもご覧ください→コルチナ国際スキー場雨中ゲレンデ(その1)

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(左)土倉集落に残っている第9リフト乗場。(右)土倉下りコースから見た第9リフト終点。

2012年08月11日

コルチナ国際スキー場雨中ゲレンデ(その1)(小谷村)

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(左)第1リフト乗場があったと思われるあたりから見上げると、杉林に切り開きの跡が見られる。(右)第1リフトは左下から右上にのびていた。左下は小谷村役場。

北安曇郡小谷村。南に隣接する白馬村はウィンターリゾート、北アルプスの登山口、別荘地として華やかな雰囲気があるが、この小谷村は山深い谷あいの地味な雰囲気がある。「緑と雪と温泉のふるさと」とうたっているが。秘湯的な雰囲気のあるいくつかのいで湯は魅力的である。

村内に栂池・白馬乗鞍・コルチナの3スキー場があるが、最も北にあるコルチナをはじめて訪れたのは比較的最近の2003年3月のことだった。白馬グリーンプラザ前のまったくフラットな池の田ゲレンデ。両側の尾根からくだる急斜面。その中間にあたる中斜面はあまり見あたらず、ずいぶん極端なスキー場だとそのときは思った。

「SKI GUIDE '86(山と渓谷社)」によれば、コルチナ国際スキー場の紹介として「白馬山麓稗田山(1,443m)の北東斜面66haに、リフト8基が谷をとりまくように放射状にかかり、池の田・アヤメ・雨中の3ゲレンデ5コースを機能的に結び、目的や好みに合わせたコース選択が簡単にできるようになっている。(中略)スキー場開設は昭和26年」と記載されている。アヤメゲレンデは現在の第3クワッド上部付近であるが、雨中ゲレンデは現在はまったく滑走エリア外となっている。

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(左)第1リフト途中に残されていた鉄柱。(右)第1リフト途中の鉄塔を見おろす。

このガイドブック当時には、ヨーロピアンリゾート風の白馬グリーンプラザの建物もまだなく、雨中ゲレンデ下部の第1リフトは南小谷駅に近い小谷村中心部からのスキー場の入口として機能していたようだ。またこれとは別だが、土倉の民宿もスキー場ベースとしての役割はかつては大きく、第8リフトがアクセスの役割を担っていた。第8リフト(その後、第9リフト)とそれに沿う土倉下りコースが廃止されたのはほんの数年前と記憶しているが、雨中ゲレンデは1990年前後には休止となっていたのではなかろうか。

7月初旬の梅雨の最中に小谷村を訪れた。まずは雨中ゲレンデ入口にあたる第1リフト乗場を探してみる。小谷村役場の駐車場に隣接する広場の一角にリフト乗場があったようだが、その痕跡は残されていない。見上げると前方にリフトのための切り開きの跡がわかる。傾斜地の水田の中を登っていくと、リフトの鉄柱が5基ほど残されているのが目に入る。チェアもワイヤーもはずされている。

この鉄柱はやがて杉林の中に入ってしまい、リフト沿いにはコースはない。下山コースは左右の離れた場所にあったようだ。右側をまわる雨中下りコースには40度の斜面や熊ころがしと呼ばれる難所、大きなコブや段差もあり、「上級者以外おことわり」の看板がスタート地点にあったという。滑走距離は830m。このように下山コースは一般的でなく、第1リフトは連絡リフトとしての性格が強かったため、下りも乗車可能となっていた。(現地訪問:2012年7月)

こちらもご覧ください→コルチナ国際スキー場雨中ゲレンデ(その2)

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2011年05月06日

山之坊スキー場(新潟県糸魚川市)

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(左)写真中央あたりが窪地になっていて、各方向の斜面から滑り込めたと思われる。(右)山之坊集落上部から下部の小学校までロングランができたという。送電線に沿った傾斜がほぼその跡ではないだろうか。

「山之坊」という名前にはどんな歴史があるのだろうか。山中で高僧が修行を重ねた場所でもあるのかと、想像をはたらかせてしまう。春の一日、白馬方面から国道148号を北上する。平岩駅とその対岸にある姫川温泉の前後は、暴れ川として知られる姫川が険しい渓谷を刻む。「大糸線が災害で長期不通」というニュースを耳にするのもこのあたりだ。平岩駅から北西の山中に上っていったところに山之坊集落は所在する。その山之坊にスキー場があったと知ったのは「スキー天国にいがた」の記載による。

「スキー天国にいがた(新潟日報事業社・1975年12月)」には、「大糸線で新潟県では一番はずれのスキー場。乗鞍・小蓮華・雪倉・朝日とつづく北アルプスの連峰が一望できる雄大なスロープ。すりばち型の地形でゆるやかなスロープ、急なスロープと変化に富み、初心者から中級者まで楽しむことができる。スキーヤーが比較的少ないので静かなスキーを楽しみたい人は足をのばしてみるとよい。平岩駅徒歩60分」と紹介されている。

また、「全国スキー場案内(スキー場とツアーコース・廣嶋英雄著・創元社・昭和1960年12月)」には、「大糸線が全通して初めてクローズアップされた処女地でスキー場としてすぐれています。(中略)部落のすぐ近くがスキー場で、大小緩急さまざまのスロープが展開しており、赤禿山(1,158m)へのツアーは小一日で山スキーの豪快味を味わうことができます。山の坊部落民宿(季節旅館)20軒、200名収容」と案内されている。

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(左)山之坊集落の向こうには残雪の雨飾山。(右)「スキー天国にいがた」を参考に作図。

春四月とはいえ、山之坊集落の田畑はまだ厚い雪に覆われている。1軒の農家の前で軽トラから降り立った老人に声を掛けてみる。老人がいうには、集落の下から南西に向かって分岐する林道をたどれば、スキー場跡に出られるらしい。地元では「原スキー場」と呼んでいたという。スリバチ状の地形に開かれたスロープにロープトウも備えられていた。また、集落上部から下部にあった小学校までのロングランも出来て、その斜面を使って上越地区の大会も開催されたという。開設・廃止の年月はこれまでの調査ではわからないが、1960~70年代がこのスキー場の最盛期だったと思われる。

まだ深い雪に覆われている林道、しかし雪が解けても鎖が掛けられ一般車は入れないというその林道を歩いて進む。しばらく進めば送電線の下に樹林が切り開かれた場所に出る。その向こう側に窪地があり、杉林が育ってゲレンデだった雰囲気はわかりにくいが、各方向からその窪地に向かってスロープがあった様子を感じることができた。送電線に沿う方向で長いコースも取れたようで、ここで大会も開かれたのだろう。話を聞いた老人は「その頃は山之坊も50戸もあって賑やかだったが、いまはほとんどが空き家になり、住んでいるのは5~6軒。ほんとうに寂しくなった」と語ってくれた。いたるところにフキノトウが顔をのぞかせている山之坊集落の向こうには、残雪をまとった雨飾山が端正な姿で輝いていた。(現地訪問:2011年4月)
ラベル:山之坊

2010年01月30日

サンアルピナ青木湖スキー場(大町市)

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(左)青木湖の対岸から見たスキー場全体。(右)ゲレンデ下の掲示板から。

青木湖の湖面を望みながらの快適な滑走が売り物だった。ムーディな雰囲気は女性を中心に人気があり、鹿島槍・佐野坂に両サイドを囲まれ、リフトもトリプル1基・ペア4基の規模をもったゲレンデ。まさか営業をやめる冬が来るとは思いもしなかった。サンアルピナとして3つのゲレンデがつながってひとつとして捉えられていた面もあり、両側のスキー場への影響も懸念されている。最大斜度35度だがそれは鹿島槍側に近い連絡コース的な斜面にあり、やはり全体としては中斜面・緩斜面のイメージが強い。最長滑走距離は1,500m。

青木湖スキー場は1972年(昭和47)に開業。「京急青木湖」という名称が印象に残っているが、2005年から経営を引き継いだ管理会社が今シーズンの営業中止を昨秋に表明した。数年来、赤字が続いており営業を断念せざるを得なかったようだ。大町市長も「大町にとってスキー場の振興は大きなテーマだが、なかなか有効な誘客宣伝策が出てこないのも実情」というコメントを出したことがある。

私は最近では2002年3月に滑りに行ったが、そのときは「サンアルピナ共通リフト券」で鹿島槍から入り、青木湖を通って佐野坂まで足をのばした。青木湖は本格派には、やや物足りないゲレンデと見られがちだったのかも知れない。サンアルピナ3スキー場の真ん中にあり、特に鹿島槍に比べると少々インパクトが弱かったことは否めない。

国道148号から青木湖を周回する道路にはいる。青木湖畔の雪の風景を撮影しようとしている何人かの写真愛好家をのぞいては、周回道路を走る車はほとんど見られない。ゲレンデ下まで近づけば、当然ながらセンターハウスやリフト施設はそのまま残っていて、整備次第ですぐに営業できるように見受けられる。ゲレンデ下にあるホテルは、近隣のスキー場への送迎により営業を続けているようだ。ゲレンデ直下というロケーションと湖畔の雰囲気から、私も宿泊してみたいと候補に上げたこともあった宿ではあったが。

ツボ足でセンターハウスの前を進み、トリプルリフトのあるゲレンデ下に立ってみる。両側の鹿島槍・佐野坂の気配はあまり感じられず、それよりも対岸のヤナバスキー場の流す音楽が風に乗ってかすかに聞こえてくる。1月末の土曜日、ヤナバはそれなりの客を集めている様子だった。それにくらべ、こちら側は静かな湖畔の冬。そんな味わいも捨てがたいものではあるけれど、来期以降の復活を祈りたい。

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(左)第1トリプルリフト乗場から見上げる。(右)雪に埋もれているセンターハウス。

【追記】
2010年11月17日の新聞各紙の報道によると、2011シーズンの営業は断念するものの、伊那スキーリゾートなども引き受けたクロスプロジェクトグループ(白馬村)が営業権やリフトなどの施設の譲渡を受け、2012シーズンに向け再開の準備をするとのこと。サンアルピナ3スキー場がつながったかたちを、ぜひ再現してほしい。
【追記】
2012シーズンから再開との話だったが、競売にかけられているという情報もあり、再開はされていないもよう。(2011年12月)
ラベル:青木湖

2010年01月09日

白馬ハイランドスキー場(その1)(白馬村)

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(左)ゲレンデ下部から見て右手に第1リフト、左奥に第2リフト。

長野市でほとんど雪がなくても、オリンピック道路を走り美麻トンネルを抜けて白馬村に入ると途端に大雪で驚くことがしばしばある。大規模なスキー場が林立するこの白馬にあって、プライベート感覚のプチリゾートという雰囲気で売っていたのが、この白馬ハイランド。1972年(昭和47)オープンし、ペアとトリプルのリフト2基を備えていた。最大斜度24度、最長滑走距離1,500m。

「来シーズンから営業休止」との情報が伝えられていたので、2009年1月にあわてて滑りに行った。白馬駅からもわずかな距離にあり、コンパクトなスキー場だろうと思っていたが、第1リフトは1,000mを越える長さがあり、緩急の変化に富んだコースはなかなか楽しいと思った。正面に、白馬の町をはさんで、後立山連峰の白銀の峰々と八方・岩岳のゲレンデが望める。その景観だけでも存在価値のあるゲレンデだと思えた。ただ、滑っている人は週末にもかかわらずわずかで、これでは営業休止もやむをえないのだろうと感じた。地元ではまだ継続の可能性を探っているようではあるが。

1年たって現地を訪れてみるとセンターハウスやリフトの施設はそのまま残っていて、経営の引き受け手があらわれて施設の再整備がなされれば、営業再開も可能と思えた。ゲレンデ下部の雪の中で犬を遊ばせている人が数人。ゲレンデ直下の白馬ハイランドホテルは営業を継続しているが、「従来から宿泊客の多くはほかのスキー場に出掛けている。(スキー場が廃止されても)大きな影響はないと思う」と少々さめたコメントを出しているのを見たことがある。ゲレンデはホテル直営かと思っていたが、2007年からは別の経営主体となっていたようだ。2シーズン続けて1千万円を越える赤字が発生したため、撤退を決めたという。白馬村観光農政課によると、ピーク時に同スキー場は3万人を超える利用者があったが、昨シーズンは約8900人にとどまったという。

雪に埋もれたゲレンデを眺めている間にも、近隣のスキー場からの送迎バスが発着してホテル宿泊客を降ろしていく。ホテルの案内にはハングルの文字も見られた。(現地訪問:2009年12月)

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(左)第1リフト乗場と白馬ハイランドホテル。(右)営業していた昨シーズンの様子(2009年1月)。第2リフト上部から見おろす。正面に白馬の中心地と、その向こうに八方尾根。

こちらもご覧ください→「白馬ハイランドスキー場(その2)(2016年02月26日)」