2017年01月23日

志賀高原の休廃止リフト(その1)(山ノ内町)

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(左)高天ヶ原トップから西館山方面。遠く北信五岳。(右)タンネの森からダイヤモンド・山の神・焼額山方面を望む。

古い資料の中から出てきた1992シーズンの志賀高原のゲレンデマップを見て、その後リフト数が激減していることに驚いた。そのマップは当時おこなわれていたスキーチャレンジの案内を兼ねている。スキーチャレンジとは、宿泊者が志賀高原の74基(当時)のリフト・ゴンドラ・ロープウェイにすべて搭乗すると景品がもらえたもの。現在のリフト等は51基にまで減少していて、さらにその中にも運休中(多客時のみ稼働?)のものもあり実質的にはもっと少ないと思われる。

20基以上が休廃止となっていて、これは無視できない数である。特に『山の神』などは、その名前が付いたリフトが1基残るものの、ゲレンデとしては連絡コースの機能しかないように見える。志賀高原全体を見ても、各ゲレンデの連絡を最低限確保するリフトだけを残したような箇所も多い。日本を代表するスノーリゾートである志賀高原にして、このような状況であることは憂慮すべきことだと感じる。

実は以前、「志賀高原ではリフトやコースが次々に閉鎖に追い込まれていて、それらはどういう扱いになるのか」と聞かれたことがあった。そのときは簡単に考えて「ある程度の規模やまとまりでないと『追憶のゲレンデ』とはいえないのではないか」という答えをした。しかし、こう見てくるとそうもいっていられない。一度、本ブログで取り上げてみたいと考えた。

リフト新設・改廃は年とともに変化しているので、比較をするにしてもどこか基準を決めなければならない。ここではリフト数が最も多かった時代と思える上記の1992シーズンのゲレンデマップをベースとして、その後のリフト数の変化(架け替え・撤去・運休)を把握してみたい。もちろん、現地に行ってその状況を見て把握してこなければならない。現地レポートについては、次回以降に紹介する予定である。

現地訪問の前に、1992シーズンと現在のリフト改廃の比較をおこなっておきたい。以下は取り急ぎ作成した比較表である。(クリックで拡大)

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(左)志賀高原1992シーズンをベースとしたリフト等比較表。(52)奥志賀高原第5は1992年「休止」として掲載。(56)はこの時点では欠番。石の湯と思われる。  (右)蓮池上部から西館山・東館山をのぞむ。

こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その2)
こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その3)
こちらもご覧ください → 志賀高原の休廃止リフト(その4)

2016年12月26日

志賀高原ゴルフ場ゲレンデ(山ノ内町)

志賀高原のゴルフ場ゲレンデについては、寒水第2スキー場のことでお世話になったKさんから、何回か話を聞いていた。現在の志賀高原歴史博物館(旧・志賀高原ホテル)から志賀高原総合会館98あたりの場所にあったらしい。しかし、それ以上のことを調べられずそのままになっていた。

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長野鉄道管理局「スキースケート(1973年版)」より

その後、いろいろな資料を調べるうちにこのスキー場について明らかになってきた。国鉄・長野鉄道管理局作成の「スキースケート(1973年版)」には、志賀高原丸池スキー場・法坂スキー場の中に「ゴルフ場リフト」が掲載されていて、長さ266m、使用料1回60円となっている。同誌掲載の志賀高原概念図にも、「蓮池」「川原小屋」の脇にそのリフトがあって、だいたいの位置を知ることができた。

また、「志賀高原スキー史(1991年)」では「主なスキーリフト架設年表」の中にこのリフトが掲載されていて、「昭和35(1960)年4月架設、長さ244m、架設者名:志賀高原ホテル、昭和48(1973年)年4月廃止」となっている。10数年の寿命だったようだ。

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(左)各種資料から推測したゴルフ場リフトのあった場所。(右)志賀高原歴史博物館(旧・志賀高原ホテル)。冬季は休業。

もう少し正確な位置を知りたいと思っていたところ、たまたま目にした1977年版の空撮写真では、現在の総合会館の駐車場あたりは樹木のない草地の緩斜面になっていて、やはりその一帯がゲレンデだったと推測できた。さらに、「ブルーガイドブックス 志賀高原・草津・奥信濃(1983年、実業之日本社)」の巻末地図にはこのリフトが掲載されていた。

それらによれば、ゲレンデトップは現在の総合会館の北西にある丘のような小ピーク。また、ゲレンデ最下部は歴史博物館の右手裏(南東)あたりと推測される。リフトの長さもほぼ当てはまるようだ。

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(左)総合会館の駐車場から見上げる北側の丘。あのあたりがゲレンデトップではなかったか。(右)丘の上にはコンクリート製のベンチがあるが、リフトの痕跡はわからなかった。

そんな事前調査をしてから初冬の志賀高原を訪れる。積雪はまだ十分とはいえないけれど、丸池ゲレンデあたりは多くの人が滑っていた。まずは総合会館の駐車場へ。おそらくは総合会館の駐車場を造るときに斜面が整地されたため、北側の小ピークとの間にも西側の歴史博物館との間にも現在は大きな段差ができているが、当時は緩やかな斜面となっていたのではないだろうか。

総合会館98の右手からゲレンデトップの小ピークまで登ってみる。ピークにはコンクリート製のベンチが設置されていたが、リフトの痕跡などは見つけることができなかった。眼下には総合会館の駐車場が広がっていて、当時の雰囲気をうかがい知ることは難しい。緩やかな斜面が歴史博物館の裏手まで続いていたはずだと思うのだが。また、歴史博物館の周辺は雪に埋もれていて、リフトの痕跡などを見つけることはできなかった。「ゴルフ場リフト」ということなので、夏季にはゴルフ場になっていたのだろうが、そのあたりのこともよくわからなかった。

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(左)丘の上から木枝越しに総合会館の駐車場を見おろす。(右)歴史記念館の右手奥。このあたりにリフト乗場があったと思われる。

志賀高原の玄関口ともいえる場所にあった小さなゲレンデだったようだが、あまり魅力的ではなかったのだろうか。ゲレンデの雰囲気はいまとなっては想像しがたい。年末年始に向けて志賀高原全体は賑わいを見せるのだろうけれども、廃止となってしまったロープウェイ乗場周辺や総合会館周辺には人の姿は少なく、何となく寂しさを感じた。(現地訪問:2016年12月)

2012年09月02日

志賀高原ロープウェイ(山ノ内町)

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解体前の志賀高原ロープウェイ発哺温泉駅(8月中旬)。

2012シーズンより営業を休止した志賀高原ローブウェイ(蓮池~発哺温泉)。かつては志賀高原になくてはならない存在だった。特に道路事情があまりよくなかった時代には、重要な交通手段であった。1960年に運行開始。しかし、機械設備の老朽化や利用者数の激減により、2012シーズンから(厳密には2011年のサマーシーズンから)営業を休止した。

ほんの半月ほど前に発哺を訪れたときには、ワイヤーははずされていたもののロープウェイ駅はまだ残っていた。それが今回訪れてみると駅舎はすっかり解体されてしまったようすだった。

道路事情が格段に良くなって、いまや蓮池から高天ヶ原・一の瀬・東館山方面に向かうのにこのロープウェイに乗る必要はないのだろう。発哺温泉自体も、志賀高原の中ではすこし忘れられたような存在になりかけているのかもしれない。スキーシーズにも蓮池~ジャイアント~西館山クワッドなどと乗り継げばいいのだから。私自身もこのロープウェイには乗車したことはあるのだが、最後がいつだったか思い出せないほど。

ただ、蓮池を中心とする志賀高原の地図の中で、このロープウェイは象徴的な存在であったと思う。それがなくなることが、志賀高原の地盤沈下を示しているのではないことを祈りたい。日本を代表するスキー場なのだから。(現地訪問:2012年9月)

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解体が進んだロープウェイ発哺温泉駅。

【追記】
コメント欄にご指摘いただいたので、蓮池駅のようすも見に行ってみた。蓮池駅舎は改装されて「志賀高原ゲートウェイステーション」となっていた。地産地消のメニューを揃えた山の食堂や、お土産売店・そば店が入っている。建物の横から発哺方面を見ると、発哺側の斜面に鉄塔が残り発哺駅舎の跡地がむき出しになっているのが見えた。(現地訪問:2012年9月)

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(左)志賀高原ゲートウェイステーション。(右)発哺側の斜面を見る。右奥は東館山、左奥は西館山。中央奥に鉄塔とその上に発哺駅舎の跡地。

2011年07月10日

ごりん高原スキー場(その2)(山ノ内町)

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(左)ロープウェイ山頂駅とゴンドラ乗場があった平地。痕跡は何も残っていない。(右)ゴンドラ乗場から見上げたゲレンデ。まっすぐに切り開かれているのはゴンドラの跡。ゲレンデは右上へと続く。

本ブログで2年前に「ごりん高原スキー場」を取り上げたが、それはロープウェイ山麓駅付近を見たに過ぎず、いつかロープウェイで上がったゲレンデ周辺の様子を知りたいと思っていた。林道をたどればゲレンデまでたどり着くことが出来そうだが、ゲートが閉ざされているようで、クルマでは行くことができないようだった。

いつかはゲレンデの様子を知りたいと思いながら、ずいぶん時間がたってしまった。完全な登山装備をして、ゲレンデを目指すことにした。しかし、たどり着いた「ごりん高原」にはほとんどスキー場の痕跡は残されていなかった。ローブウェイやゴンドラの施設はもとより、その土台などもきれいに撤去されている。レストハウスの跡などもわからない。他の西武系の廃スキー場と同様、しっかりと自然に戻すための対応がとられたようだ。

しかし、ロープウェイやゴンドラが走っていた箇所の樹林は、切り開かれた跡がはっきりと残っている。さらに、ゲレンデの跡はまだ背の低い草に覆われているだけなので、その痕跡は読み取ることができた。想像をたくましくすれば、どこからかスキーヤーの歓声が聞こえてきそうな気がする。

1987年12月開業、2007年3月廃業。まだ、廃業後数年しかたっていないとは思えなかった。「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」によれば、「湯田中温泉をベースに、101人乗りロープウェイでゲレンデに入り、6人乗りゴンドラで林間コースを楽しめる。湯田中・渋温泉と宿泊は便利。コブ斜面 ブナコースの一部。期間 12月中旬~3月下旬。リフト ロープウェイ1基、ゴンドラ1基、ペア1基」と記載されている。

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(左)ロープウェイ山頂駅付近から、ロープウェイのルートが切り開かれた跡を見ることができる。(右)「火の用心」の看板に残されていた「ごりん高原スキー場」の文字。

ふと気配を感じて振り返れば、そこにはカモシカの姿があった。ゲレンデの跡には少しずつ樹木が茂り始めている。私たちの想像のつかない時間を経て、この場所は自然に戻って行くのだろうと思うと人間の存在の小ささを感じざるを得なかった。(2011年6月)

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こちらもご覧ください→ごりん高原スキー場(2009年4月5日)
ラベル:ごりん高原

2010年03月19日

前山スキー場(山ノ内町)

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(左)硯川バス停のすぐ前に広がっていた前山スキー場。(右)熊の湯にあった掲示板にはまだ前山と笠岳は描かれていた。

前回の笠岳に引続き、今回はすぐ近くにある前山スキー場。志賀高原南部最奥に位置する横手山に向かう国道沿いにいくつかのホテルが立ち並び、その前に硯川のバス停がある。そのバス停のすぐ東側にあった前山リフトが、今シーズンから営業を休止している。独立したスキー場という感覚はあまりなく、横手山で滑ったときに一緒に滑るのが常だった。

正面の一枚バーンに加え、右手を迂回するコースをもっていたけれど、ポール練習などを除けば、ここだけを滑ろうという人は少なかったのではないだろうか。昨シーズンの志賀高原のゲレンデマップによれば、前山ペアリフトは全長304m。まっすぐ滑るAコースは最大斜度30度、迂回するBコースは24度となっている。

冬にこの方面を訪れるのは数年ぶりになる。以前は駐車場に入りきらない車が、路側に多数駐車している印象があったのだけれど、天候が悪いせいもあるのだろうか、駐車場にも充分な空きスペースがある。日曜日にもかかわらず、熊の湯や横手山のゲレンデも閑散としている。志賀高原といえども厳しい状況にかわりがないことを思い知らされる。ゲレンデマッブに記載があっても、稼動していないリフトがずいぶん多くなったようだ。

硯川のバス停の前から見上げる前山のゲレンデにはロープが張られているが、夏山リフトの営業は続けるようなので、リフトの施設はそのままの状態だ。おりしもスノーシューを脱いだ30人ほどの中年のグループが横手山方面から降りてきて、硯川のバス停を通り過ぎていった。雪山の楽しみ方も多様化している。

前山リフトといえば、夏の間、渋池から四十八池・大沼池へと歩く池めぐりハイキングコースの入口にあるリフトという印象のほうが強い。リフトで上ると展望が開けるが、その先は深閑とした樹林帯の中の道となる。手軽に志賀高原を満喫できるコースだと思う。(現地訪問:2010年2月)
ラベル:前山スキー場