2010年03月12日

笠岳スキー場(山ノ内町)

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(左)平床の分岐にはまだ標識があり、右手前方にゲレンデが見える。(右)ゲレンデ直下から見上げる。

周囲にスキー場が数多い長野に住んでいても「志賀高原」は別格という感じがする。滑りに出かけるときも、「志賀」となると気合の入り方が違う。雪質・積雪量・眺望や連続したゲレンデの規模などを考えても、日本を代表するスキー場といえるだろう。

2010シーズンの志賀高原のゲレンデマップから笠岳スキー場と前山スキー場が消えたという情報をネット上で見て、調べてみたらやはり今シーズンから営業を休止していたことがわかった。笠岳スキー場は熊の湯スキー場の北側に隣接していて、私も熊の湯に滑りに行ったときに、一番右手の第一リフトから滑り込んでついでに滑るという感覚だった。高速クワッド1本の北向き中斜面はさほど長い距離ではなかったが快適だったと記憶している。最後に滑ったのは2004シーズン。昨シーズンの志賀高原のゲレンデマッブには、笠岳第一クワッドは全長406m、滑走距離500m、最大斜度は21度と記載されている。

平床で熊の湯へと下っていく道に入り、さらに笠岳スキー場の標識に従って右折すればゲレンデ直下まで車道が除雪がされている。傍らの宿泊施設は雪に埋もれたまま。クワッドリフトは椅子がはずされて閉鎖されているが、見上げる斜面の向こうには熊の湯のゲレンデがつづいているはずだ。

志賀高原のすべてのリフト・ゴンドラ・ロープウェイに乗車すると景品がもらえるという、チャレンジカードも今シーズンで終了らしい。「笠岳」といえば、高山村(山田牧場)側では笠岳周辺のツアーコースを整備しようという動きがあることが、先日報じられていた。大規模な開発が歓迎される時代ではないと思うが、素人でも滑ることのできるツアーコースができて、志賀高原と山田牧場が結び付けられることになれば面白いと思う。(現地訪問:2010年2月)

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(左)熊の湯スキー場のマップには右端に笠岳への連絡コースの表示。(右)熊の湯から笠岳への進入路にはロープが張られていた。

【追加情報2011年4月25日】
報道によれば「笠越スキーリフト(株)は、4月21日、長野地方裁判所より破産手続開始決定を受けた。(中略)負債総額は申請時点で約1億5500万円。志賀高原の笠岳スキー場の運営とホテル経営を主体に事業展開し、ピークとなる平成4年11月期には約2億7000万円の売上を上げていた。しかし、その後はスキー客の減少に歯止めが掛からず、平成20年11月期売上は約2000万円にまで落ち込んでいた。(中略)平成21年6月に事業を停止し、平成23年3月9日に破産申請していた」
ラベル:笠岳スキー場

2009年05月30日

安南平スキー場(山ノ内町)

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壊されたままの建物と、今はカラマツ林となっているゲレンデ跡地。

以前、志賀草津道路が有料だった頃には上林に料金所があった。その料金所からわずかに上った場所を左折。角間川、さらには本沢の流れに沿って、渓流沿いの未舗装の林道を進むと、無残に壊されたままの2つの建物の跡に出る。ここに安南平スキー場のホテルやレストランがあったようだ。周辺には当然、他の建物もなく、最盛期にはこの建物にさまざまな施設が備えられていたようだ。壊された建物の一角にスキー板やブーツなども転がっているので、スキー場だったことがわかる。

坊寺山の西側山麓にあたる場所で、ここから東側に向かってシングルリフトが2本架けられていたようだ。その場所は今は若いカラマツの林となっていて、リフトの痕跡もなく、デレンデであった頃をしのぶことはできない。どちらかというとレース派向けのゲレンデだった模様。残念ながら営業当時、訪問することはできなかったが、1980年から1986年までという短い営業期間だったようだ。

「'86 SKI GUIDE(山と渓谷社)」には「志賀高原の坊主山(標高1,839m)の西斜面に、タイムレース用器具の設置されたタイムレース練習用ゲレンデ、一夜でアイスバーンをつくりだすパイピングがセットされたアイスバーン専用ゲレンデ、ビデオ装置を設置したコースなどがあり、科学的に技術分析したトレーニングができる。競技派向きスキー場で、スキー合宿に最適。昭和56年にはインターハイ、インカレ、岩岳学生大会出場のスキークラブ合宿に利用された」と紹介されている。第1リフト(491m)、第2リフト(550m)の2基が設置されていた。

アクセス道路が悪路ではあるが、整備すれば志賀高原の玄関口のスキー場として、ファミリーなどの集客が可能だったのではなかろうか。そんな幻想もいだかせる。(現地訪問:2009年4月)

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ラベル:志賀高原 スキー

2009年05月04日

石の湯スキー場(山ノ内町)

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(左)ゲレンデ直下より。 (右)「スキー場ガイド4 信越ビッグゲレンデ」をもとに作図。

志賀高原は四季を通じて頻繁に訪れるが、蓮池から硯川の間のこのあたりは、盲点になりがちなところ。あらためて、ほたる温泉を右に折れ、石の湯ホテル・石の湯ロッジを過ぎて、廃屋の石の湯山荘の前にある坊寺山登山口の駐車場まで車を入れる。石の湯ロッジと谷を挟んで反対側にゲレンデの跡が見える。角間川を越えてその麓まで歩いていけるが、この季節でも雪が残っている。坊寺山から左にのびる稜線と、幕岩渓谷に囲まれた斜面にひらかれていたのが、この石の湯スキー場。見上げるとかなりの斜度に思えるバーン。山頂に向かって左手にリフトがあったと思われる。中間降り場があって、そこから上は32度のコブコブの急斜面、下は緩斜面だったらしい。ゲレンデ上部からの志賀高原を一望する眺めは素晴らしかっただろう。

「'86 SKI GUIDE(山と渓谷社)」によれば、「木戸池スキー場の奥、山と山にはさまれた静かな渓谷沿いにある。リフトは1基だが、中間駅を境に中上級者、初級者用にゲレンデはわかれ、多彩な変化を見せる。講習会場があり、スキー学校と一体となった山荘もある」と紹介されている。滑走可能期間は、12月上旬~5月下旬と長かった。ゲレンデ面積は5ha。

志賀高原にはチャレンジ・マスターという全部のリフト・ゴンドラに乗車してスタンプをもらうと、賞品がもらえるという制度がある。そういえば、ずいぶん前にトライしたという友人は、この石の湯がネックだったといっていた。広大な志賀高原スキー場の中で、木戸池とともに離れ小島のようにあったゲレンデだが、石の湯に宿泊するスキー学校の講習生だけのゲレンデに近いものだったらしい。開設は1966年(昭和41)。正確な資料をまだ見つけていないが、90年代には営業をやめていたと思われる。

2009年04月29日

上林スキー場(かんばやしスノーボードパーク)(山ノ内町)

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上林スキー場は、長野オリンピックのハーフパイプ会場。最後の頃はスノーボード専用ゲレンデのようだったので、私のようなオールド・スキーヤーには訪れる機会はなかった。上林温泉のすぐ上にあるので、付近の温泉に泊まってスキー・スノーボードを楽しむのには手軽な場所だっただろうが、積雪には不安を残す場所だったと思う。ペアリフト2本が、「く」の字型に配置され、その中間部に、メインの駐車場とレストランがあったようだ。

2007シーズンで営業を休止し、リフトやレストランなどの施設は撤去されている。きれいに整備された形跡があり、ゲレンデ中間部にこのゲレンデの歴史を示す石碑が建てられている。それによれば、志賀高原で初めてスキーが行われたところであり、大正10年には上林スキー場が開設されたとあるから、その歴史の古さに驚く。役割を終えたゲレンデは廃物が散乱して目も当てられない場所もあるが、このように石碑が建てられ整備されていると、その歴史に敬意を払わずにはいられない。

「'86 SKI GUIDE(山と渓谷社)」によれば「志賀高原スキー発祥の地・大鹿山(標高1,300M)の北斜面に位置する。戦前は各種競技大会の開催でその名を馳せたが、昭和36(1961)年全日本ジャンプ大会を最後に閉鎖。昭和56(1981)年に初心者、家族連れ、学生の合宿、スキー教室に合うようにゲレンデを整備拡充して再開した。ゲレンデは4.3haとこじんまりしているが、3コースがあり、猿の見られるゲレンデと、家族的な雰囲気で好評を得ている」と記載されている。

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2009年04月05日

ごりん高原スキー場(山ノ内町)

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ごりん高原スキー場は、1987年12月に西武系のスキー場として開業。2007年3月をもって所有していたプリンスホテルが廃業を表明した。当時の記録を見ると、同時に全国にある西武系の11箇所のスキー場を廃業することが報じられている。現地のイメージダウンにならないように、植林をして山林を復活させるとしている。

湯田中の温泉街のはずれ、山ノ内町の社会体育館の隣に湯田中ロープウェイ乗場があり、これに乗って五輪山の山頂部にあがると、ゲレンデが広がっていた。ゴンドラ1基とペアリフト1基のシンプルな構成で、滑走距離はかなりあったけれど、初中級斜面が多く、上級者には少し物足りないかもしれないと思われた。

私は1990年の正月休みに一度だけ訪れたが、まだそこそこスキー人口があった時代の正月休みなのに、すいていて、ゴンドラやリフトを待つことはなかったと記憶している。ロープウェイで標高を稼いでいるので、雪質はそれなりに良かったと思う。湯田中や渋の温泉に泊まって、手軽にスキーを楽しみたいという場合には便利だっただろうが、しかし本格的にスキーをしたい人はここまで来たなら、志賀高原へ足をのばしてしまうだろう、と思っていた。

ゲレンデへのロープウェイは、鉄柱なども含めきれいに撤去されていた(写真・左)。かつてのロープウェイ乗場の下には、ゲレンデマップが掲出されたままになっていた(写真・右)。道路地図などを見ると林道を使ってゲレンデまで上れそうだが、そのあたりはまだ深い雪に覆われていた。その道をたどるのは、またの機会にしたい。 

こちらもご覧ください→「ごりん高原スキー場(その2)(2011年7月10日)」