2017年06月24日

武尊牧場スキー場(その1)(群馬県片品村)

武尊牧場には、まだ東京に住んでいた1990年前後に数回訪れている。スノボが流行する前の頃で、素朴なこのスキー場の雰囲気が好きだった。近年は、ほとんどスノボ専用ゲレンデのようになっていたようである。

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(左)スキー場への道には案内は残っている。(右)広い駐車場から屋根のある階段を上がってゲレンデへ。

昨年10月に武尊牧場スキー場を運営する指定管理者から2017シーズンを最後にクローズすることが発表された。「10月4日付け一部の新聞に掲載されましたが、ほたか牧場スキー場は、今冬2016-2017シーズンの営業を最後に、スキー場をクローズさせていただくことになりました」。

かわりにオグナほたかにアイテムを充実させた大規模なスノーパークを開設すること、また、同社のオグナほたか・宝台樹・ほたか牧場キャンプ場の営業は継続されることも発表された。客足は最盛期の半分以下に落ち込む一方、リフトなど老朽化した施設への設備投資は難しいとの判断がされものと思われる。

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(左)スキー場内にあるゲレンデマップ。(右)少し上ったところからゲレンデ下部を見おろす。

群馬方面に出かけたついでに武尊牧場まで足をのばしてみる。スキー場に至る道沿いには「武尊牧場スキー場」の案内板が随所にあり、まだ撤去されてはいない。スキー場下には2段の駐車場が広がっていて、ゲレンデへは覆いのある階段を上っていく。

ゲレンデ下部にはレストハウス・券売所・レンタル・スクール・パトロールなどの建物が集まっている。それらの一部はガラスが割れるなどしていたが、クローズ後、まだ時間がたっていないので各種施設も営業時ほぼそのままの状態である。ただ、営業休止を案内する明確な掲示は見られない。

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(左)第1ロマンスリフト。(右)ゲレンデ最下部から第5ロマンス沿いの斜面を見上げる。

リフトはチェアを外されたままの状態。右手には第1ロマンスの乗場から終点まで全体が見渡せる。メインの第5ロマンスや第2リフトの下に立って見上げると、ゲレンデ中腹あたりまでしか視線は届かない。記憶にあるよりも大規模なスキー場であったことをあらためて知ることとなった。(以下、次回へ続く)(現地訪問:2017年5月)

こちらもご覧ください → 武尊牧場スキー場(その2)

2014年04月29日

猿ヶ京スキー場(群馬県みなかみ町)

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(左)ダムによってできた赤谷湖の向こうに猿ヶ京温泉。(右)赤谷川の対岸から遠景したゲレンデ跡地。

三国峠を越えて苗場や田代・みつまた方面へと続く国道17号。関越トンネルが対面通行でいつも渋滞していた時代には、何回か月夜野ICで降りてこのルートをたどったことがあり、またその途中にある猿ヶ京温泉を拠点にしたこともあった。その頃はこの温泉地の奥にスキー場があったことに気がつかなかったし、関心も抱かなかった。かつては三国街道の関所があった場所であり、また、1958年の相俣ダム建設により湖底に沈むことになり現在の地に移転した温泉地でもある。

国道17号は赤谷湖の東岸から北岸へとぐるっと回って、猿ヶ京温泉入口の交差点にたどりつく。右折して進めばこの温泉地を代表する旅館・ホテルが建ち並んでいる。そのまま進んでいけば道はいつしか森林の中へと分け入り、その先には駐車スペースがあらわれる。スキー場の駐車スペースであったのかはわからない。左手に斜面を見て進めば、その先で車道は終わる。数年前にこの地を訪れた時には斜面の下に壊れかけたプレハブなどが見られたが、いまは「太田和花の山」として整備されている。

植樹がなされ遊歩道や四阿もつくられているが人の姿はない。初級者には適度だったと思われる幅広でなだらかな斜面には、満開の桜が点在し、足元には黄色い水仙が咲き乱れている。視線を上げると谷川岳が残雪をまとって輝いていた。

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(左)ゲレンデ下の駐車スペースから斜面横を見る。遠く谷川岳が見える。(右)ゲレンデ下から斜面を見上げる。

実はこのスキー場は比較的最近の山岳地図や道路地図などにも痕跡が残っているので、ずいぶん前から取り上げようと思っていた。しかし、過去のスキー場案内などの文献資料がまったく見つからなかったため躊躇していたもの。

ようやく最近になって、このスキー場を紹介している資料を見つけた。「完全独占スキー(昭和34年12月30日、池田書店)」には「猿ヶ京スキー場(群馬県利根郡新治村猿ヶ京大田原)」の紹介として以下のように記されている。「上越線後閑駅よりバス連絡(東武バス)50分(50円)猿ヶ京温泉下車。可能期間=12月下旬~3月上旬(中級向、やや粉雪)旅館4件 500~1,000円(法師への途中にあり、初心者向のゲレンデ)」。また。「県別シリーズ8 郷土資料事典 群馬県・観光と旅(昭和43年1月10日初版、昭和49年10月1日改訂版、人文社)」には、「猿ヶ京温泉」の説明として「冬は湯街北側の山麓斜面に、スキー場も開設される」とある。

これらの資料から推測すると、1960~1970年頃がこのスキー場の最も賑わって時期ではなかったかと推測される。程よい斜面に見えたけれど、近年は積雪に難があっただろうし、何より周辺にスキー場が林立していて存続は難しかったのだろうと推測する。(現地訪問:2014年4月)

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(左)ゲレンデ跡地は「太田和花の山」として整備が進んでいる様子。(右)斜面中腹の遊歩道から見おろす。

2014年02月01日

サエラスキーリゾート尾瀬(その2)(群馬県片品村)

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(左)途中の案内板には「スキーリゾート」の文字も残ったまま。(右)ホテルの営業は続けられている。右手がスキー場センターハウス、左奥にホテル。

本ブログでサエラ尾瀬のノースウィングの営業休止についてレポートしたのが、昨年6月。そして昨年11月には同スキー場のホームページでスキー場営業の全面中止が発表された。ホームページには「2013-2014ウィンターシーズンは、スキー場の営業を諸事情により中止とさせていただくことになりました。日頃からご愛顧いただきましたお客様には大変申し訳ございませんが、予め、ご了承下さいますようお願い申し上げます。また、サエラリゾートホテル及びログコテージの営業は行います。近隣のスキー場及び観光等でお越しの際は、是非、ご利用ください」と記されている。

サエラ尾瀬は、尾瀬・片品エリアでは最も遅く開設したスキー場。ホテルのあるサウスウィングと反対側のノースウィングと、山頂を挟んで両側にゲレンデがあり、当初はクワッド2基、ペア2基で運営されていた。昨シーズンはサウスウィングのメインゲレンデ、クワッド1本だけの営業となっていた。

初心者の練習用にはちょうどよいコースで、ファミリー向けには適したゲレンデだったとは思うのだが。滑走距離は1,000m。最大斜度15度・平均斜度10度では、ちょっと滑れる人にはもの足りなかっただろう。ホテルなどの営業は続けるとのことだが、近隣にはスキー場が多いのでそれらへの送迎で冬季の宿泊客が確保できるという計算もあるのだろうか。

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(左)ゲレンデ下のクワッドリフト乗場、センターハウスやスキー学校の建物。(右)ゲレンデ下から見上げる。降雪機も雪に埋もれていた。

「ニッポンのゲレンデ2013(実業之日本社)」には「広い緩斜面はゲレンデデビューに最適。コンパクトなゲレンデだが、上質の空間を提供するスキーセンターとホテルを備え、リーズナブルに楽しめると評判。……パークは誰もが楽しめるよう設計。スキーセンターの隣には『サエラリゾートホテル尾瀬』が建つ」と紹介されている。駐車場台数は1,500台となっているが、いまとなっては過剰に思える。

椎坂峠にトンネルができて尾瀬方面へのアプローチはずいぶん便利になった。あらためて現地に向かうと、途中の案内板には「スキーリゾート」の文字も残っていた。センターハウス入口には昨シーズンの「第1クワッドのみの営業」の掲示が貼られたままになっている。

リフトなどの施設は当然そのままの状態でただ雪に埋もれているだけ。ホテルの駐車場は除雪作業が行われ、ホテルの営業は続けられているようだ。最近のスキー人気の復調の兆しをみると、復活のタイミングを狙っているようにも見受けられるのだが。(現地訪問:2013年12月)

こちらもご覧ください → 2013年6月26日 サエラスキーリゾート尾瀬・ノースウィング

2013年07月23日

水上宝台樹スキー場・青木沢ゲレンデ(群馬県みなかみ町)

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(左)青木沢ゲレンデ下部はキャンプ場として整備されている。(右)コテージ裏の自然花苑。そのあたりがゲレンデ最下部だったようだ。左手奥に中級(カラマツ)コースの跡、右端に上級コースの跡が見える。

宝台樹スキー場は1979年の開設。私は1980年代後半から1990年代にかけて、宝台樹に頻繁に滑りに出かけていた時期があった(当時は東京在住)。東京から日帰り圏内の割には、ローカルな雰囲気が漂っていてお洒落になりきれないところがかえって好きだった。一方、なかなか滑り応えのあるコースも揃えているのが魅力で、フラットなメインゲレンデの右手には稜線から滑り降りる上級コースが並んでいた。当時はバブル期でもあり、とにかくリフトが混んでいたことも記憶に残っている。

混雑するリフトを避けるエスケープゲレンデのようなかたちで、青木沢ゲレンデが稜線をはさんで反対側の南斜面にあった。すいていたし滑り応えもなくはなかったはずなのだが、滑った跡に「なんだかあっけないなぁ」と感じたのを憶えている。1990年代の前半頃にはコースは閉鎖されたのではないかと思われる。

「日本のスキー場・東日本編skier'91」では、宝台樹スキー場のゲレンデ紹介の一部として「エリアのメイン部と尾根をはさんで反対側に位置する青木沢ゲレンデは、とっておきの上級者専用バーンである。最大30度・平均18度。パノラマに向かって飛び込む楽しさを味わえるオマケつき。中斜面1000mのからまつコースも、気分良好ルートだ」と紹介している。

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(左)からまつコースの跡。(右)1988シーズン宝台樹スキー場のゲレンデマッブ。

久しぶりに水上温泉街から宝台樹への道をたどる。一度、メインゲレンデ前まで行った後に、山腹を西から南へと回りこむ道をとだって青木沢ゲレンデの跡地を目指す。そのゲレンデ跡地の下部は、キャンプ場として整備され、コテージなどが立ち並んでいる。その上部は自然花苑としてさまざまな植物が植えられているが、そのあたりがゲレンデ最下部だったようだ。前方の宝台樹山の稜線を見上げると樹木が少し低くなった箇所があり、そこがからまつコースの跡と思われた。

緑の鮮やかな季節に見上げるとずいぶん急な斜面に感じられて、あんなところを滑っていたのかと思う。当然ながらリフトの痕跡などは見出すことはできなかった。ゲレンデは半ば森林の中に飲み込まれつつあり、スキーの痕跡も思い出とともにその中に消え去って行くように思えた。(現地訪問:2013年6月)

2013年07月09日

スノーパーク尾瀬戸倉・並木ゲレンデほか(群馬県片品村)

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(左)左端は第5高速ペア(ダイナミックコース)に沿った斜面。そこから右に下っている斜面がこまくさゲレンデ跡。(右)こまくさゲレンデ上部から見おろす。右手に数件のレストラン、ロッヂ。

尾瀬戸倉は古くから熱心なファンをもつスキー場。1962年の開設で、このエリアでは老舗的な存在といえるだろう。最近はスノーボーダーの比率が高いゲレンデになったようだ。

そんな尾瀬戸倉の古いゲレンデマッブを見ていて、「並木ゲレンデ」「こまくさゲレンデ」といういまはないゲレンデが記載されているのに気がついた。1990年代の途中までは存続していたようだ。私は1回だけ尾瀬戸倉に滑りに行ったことがあるが、それは1990年のことだったから、その時はこの両ゲレンデは存在したはず。しかし、はっきりとした記憶はない。記憶にあるのは、上部のダイヤモンドゲレンデが雪質も良く楽しく滑れたことなのだが。

6月の休日、尾瀬戸倉スキー場を訪れた。スキー場の駐車場は尾瀬への登山者の車が多数とまっていた。尾瀬の入口である鳩待峠へはマイカーで入ることができないので、多くの人はここでシャトルバスなどに乗り換えるからだ。2つの廃ゲレンデはここから少し国道401号方面に戻った道沿いからアプローチできる。

まず、メインゲレンデ前からアクセス道を少し下ったところから山側にはいると、数件のロッヂが立ち並んでいる。このあたりが「こまくさゲレンデ」の跡地。一部はサッカーグランドとして整地されている。斜面上部は第5リフトの乗場までつながっている。村営こまくさリフト(シングル、270m)は斜面トップに向かって右側にあったようだが、その痕跡は見あたらない。いまや廃墟と化したレストランもゲレンデ沿いに建っている。

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(左)並木ゲレンデ跡。下部から見上げる。(右)並木ゲレンデ跡。中腹から見おろす。一部はテニスコートなどとして造成されている。

さらにアクセス道を国道401号との分岐点近くまでくだると、ちょうどその分岐点付近から見上げる斜面が「並木ゲレンデ」の跡地だ。現在はテニスコートや野球場として整備されている。かつてはファミリーゲレンデの位置づけだったようだが、造成されたためかかなりの斜度があるように見える。他のゲレンデとは独立していて、並木リフト(シングル、640m)が架けられていたのだが、すっかりその跡は消されてしまったようだ。

並木ゲレンデ最上部に造成された野球場では少年野球の試合が行われていた。その声がかつてのゲレンデにこだましているのも、考えてみれば奇妙な感じがした。(現地訪問:2013年6月)

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(左)メインゲレンデの第2ペアリフト。(こちら側は当然ながら営業存続中)