2011年05月20日

清水高原スキー場(山形村)

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(左)スカイランドきよみず。(右)下部からゲレンデだった者面を見上げる。

松本平の西側の山麓に広がる山形村。村内の丘陵に広がる清水高原は、残念ながら長野県内に住む者にもそれほど知名度が高いとはいえない。私にしても読み方が「しみず」ではなく「きよみず」だと知ったのは数年前。その高原にスキー場があったという記録を資料(*)で見つけてから、かなりの時間が経過してしまった。この資料によれば、リフト1基を備えた清水高原スキー場の最終営業年は1988年となっている。スキー場ガイドなどをいろいろ調べたが、他にこのスキー場の記録をとどめたものを見たことはない。

人間界で何が起ころうと、春は訪れ、花は咲く。4月中旬、山麓の山形村中心街では桜の花が八分咲きとなっていた。村の中心部から蕎麦店が立ち並ぶ唐沢集落を過ぎ、西の方向に10キロ程度、車で清水高原へと上っていく。その清水高原の中心部には「スカイランドきよみず」という施設が建てられいる。宴会・宿泊・入浴・室内運動場など、良くいえば山形村の奥座敷のような施設。松本平を見おろす絶景が魅力ということになるだろう。

建物の前で清掃をしていた従業員の方に話を聞いてみると、この施設の西側にある、現在はゴルフ練習場になっている斜面がかつてはスキー場だったと教えてくれた。この1995年開業の「スカイランドきよみず」の前身にあたる「きよみず荘」は1973年にできているで、その頃からスキー場として利用されたのではないか、とのこと。上記資料のとおり1988年最終営業とすれば、営業期間は最大でも15年程度だったようだ。この方がいまから15年前にこの施設で働き始めたときには、当然ながら、もうスキー場はなかったという。

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(左)斜面上部から見おろす。(右)斜面下にあるゴルフ練習場の打席。

ゴルフ練習場としても、それほど使われているのでもなさそうな斜面。両側にはネットが張られ、最下部には3階建になった打席が用意されている。見上げるとかなり上部に250(単位はヤードか?)と書かれた掲示がある。とすれば滑走距離はせいぜい200~300m程度。話を聞いた人もロープトウ程度のものがあっただけではないかといっていたし、リフトがあったとは思えない。いずれにしてもスキーに関連した施設の痕跡はまったく見あたらない。

斜面の上部に立って見おろしてみると、距離は短いが楽しめそうな斜面に見える。一番急なところは30度近い斜度があるのではないだろうか。ふと見上げると春の霞の中、北アルプスへと連なる山並は果てしなく続いているように見えた。(現地訪問:2011年4月)

(*)小山泰弘「長野県における休廃止スキー場の実態とその後の植生変化」
ラベル:清水高原

2011年01月01日

御岳ロープウェイスキー場(その1)(木曽町)

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(左)「営業休止」の文字が貼られた案内板。(右)広い駐車場と立派なセンターハウス。

今シーズンから営業休止となるスキー場の中で、もっとも大きな話題になったのは、この御岳ロープウェイスキー場ではないだろうか。

松本あたりでは晴天だったが、木曽谷に入ると小雪が舞ってきた。国道19号から旧三岳村へ向かう道沿いにある「御岳ローブウェイ」の看板には「営業休止」の掲示がされている。12月中旬のこの時期、とっくに営業を開始している「おんたけ2240」からの帰り車と時々すれ違う。立地条件としては「おんたけ2240」とあまりかわらなかったと思うのだが。ゲレンデまでは2車線道路が続きアクセスには問題なかったと思うのだが、凍結路の運転は厳しかったのかもしれない。

広い駐車場と立派なセンターハウス、ゴンドラとペアリフト3基を備え、まさにバブル末期に登場したスキー場のスタイル。夏期の営業は続けるので、当然ながらセンターハウスやゴンドラはそのまま。リフトは椅子をはずしたままの状態だ。見上げるゲレンデはうっすら雪を被り例年ならシーズンインに向け準備真っ最中のはずだが、いまはひっそりとしている。正面に見えるはずの御岳山は雪雲に隠れていた。

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(左)第1ペアの下からゲレンデを見上げる。

2010年4月の新聞報道によれば「木曽町がスキー客の落ち込みが激しい御岳ロープウェイスキー場の冬場の営業を、来季は見合わせることを明らかにした」とのこと。冬場は閉鎖するものの、御岳山信仰や夏山登山の利用がある4月~11月のグリーンシーズンにはロープウエーを運行するとしている。2012シーズンについては未定とのことだが、「スキー客の需要が伸びる見込みはなく、冬のスキー場営業からは撤退することになりそうだ」とも書かれていた。 4町村が合併して成立した木曽町には「きそふくしま」「開田高原マイア」も所在するが、町内のスキー場の経営統合なども検討されているようだ。

1989年開設というから、まだ20年ほどの歴史しかなかったスキー場。思い出すのは2003年10月に発生した事故。ワイヤをつかみきれず滑走したゴンドラが急停止し、反動で老夫婦が振り落とされて転落死した。この事故も暗い影を落としていたのかもしれない。2003シーズンの資料によれば「昨シーズン入込み数約10万人。スキーヤー30%、スノーボーダー70%」とあるが、その後来場者は減少したのだろう。

残念ながら木曽方面に出かける機会にはなかなか恵まれず、私は滑ったことがなかったけれど、スキー場としてはさまざまな魅力があったようだ。素晴らしい雪質とロングシーズンが売り物だった。御岳を望む景観も素晴らしく、周辺には鹿の瀬温泉や木曽温泉など帰りの立ち寄り湯も豊富。「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」によれば、「観光名所、木曽の御岳山に展開するスキー場。全長2400mの6人乗りゴンドラでスキーヤーを8分で頂上に送り届ける。ロープウェイに平行して3基のペアリフトが上下につながり、7コースを揃えるタテ長のゲレンデ配置。シーズンインが早いことやゴールデンウィークまで春スキーが楽しめるなど、期間が長いことがウリ」と紹介されている。(現地訪問:2010年12月)

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(左)ゲレンデ最下部。第1ペア下から左にセンターハウス、正面奥はゴンドラ乗場。(右)御岳山登山の案内板は健在。

こちらもご覧ください → 御岳ロープウェイスキー場(その2)

2010年12月10日

奈川温泉スキー場(松本市/旧奈川村)

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(左)奈川温泉・岩花荘。その裏に奈川温泉スキー場があった。ロープトウで正面奥の尾根上まで上り、その上がゲレンデだったらしい。(右)樹木が育ちゲレンデの跡はよくわからない。菱形にかすかに樹木の薄い部分がゲレンデの跡と思われる。

旧奈川村は乗鞍の麓にある山間の地という印象が強く、その谷に分け入るときは何かしらの緊張感をともなう。国道158号を松本から上高地方面に走り、奈川渡ダム手前のトンネル内で左へ分岐。上高地・乗鞍方面に向かうルートとわかれると、とたんに車の数が減る。梓湖と奈川に沿う谷に入り、中心部の黒川渡で西に折れて奈川温泉に向かう。

奈川温泉「富貴の湯」の近くで、地元の老人に奈川温泉スキー場のあった場所を聞くと「岩花荘の裏にあったんだ」とのこと。「下の方は平らだったけれど、上のほうは急斜面。リフトはなかったけれど、ロープトウがあったね」という話だ。しかし、岩花荘の前まで行って裏の斜面を見上げてもそれらしい気配はない。「あの尾根の所までロープがあって、それで登った上がゲレンデだった。今はもう木が茂って、跡はわからないね」といわれた。谷あいの道沿いから一段登ったあたりにゲレンデがあったらしい。

この谷をさらに進み、反転してゲレンデがあった山腹に上がっていく林道をたどってみる。ゲレンデの上部に出られるはずだが、奈川温泉の真上と思われる場所まで行っても、なんとなく樹林が薄いところはあるのだが、はっきりとしたゲレンデの跡はわからなかった。次に、反対側、つまり谷の北西側にある乗鞍スーパー林道を少し登ったあたりから、対岸を見ると菱形に樹林帯の色がかわっている部分がなんとなく見つけられた。地形図を見ると、黒川南岸の岩花荘から標高差50mほど上にやや平坦な場所があり、荒地の地図記号が表示されている。そこがゲレンデの跡のようだ。

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(左)ゲレンデ最上部と思われるあたり。(右)奈川温泉「富貴の湯」「野麦荘」

「奈川(奈川村誌歴史編)」を読んでみると、この奈川温泉スキー場の歴史は温泉の開発と切り離しては考えられないようだ。奈川村の温泉は古くから、おかゆを炊くとおいしい冷泉として知られていたが、昭和26年に奈川村観光協会が発足するとスキー場の設置と温泉開発が最優先の課題となった。観光協会と村は高温の源泉を求めて昭和30年代に数回にわたってボーリングをおこない、ついに46.5℃毎分200ℓの湯の噴出に成功した。スキー場は昭和初期から天然のスキー場が木曽路原(現在の野麦峠スキー場付近)と大原にあり各種のスキー大会も催されていたが、奈川温泉近くに昭和33年に温泉客も当て込んだスキー場が開設された。このスキー場は、昭和55年頃まで営業し本格的なスキー産業が根付く契機となったという。

今はもう松本市の一部となって奈川村という行政単位もなくなり、施設の整った野麦峠スキー場すら経営の厳しさを伝えられている。秘湯的な雰囲気をもつ奈川温泉を訪れる人は多いようで、この日も富貴の湯付近に首都圏・中京圏ナンバーの車が何台もとまっていた。(現地訪問:2010年11月)
ラベル:奈川温泉

2010年06月16日

大平スキー場(飯田市)

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(左)大平宿。山間の宿場の風情を残す。(右)「大平峠県民の森」は湿地には木道が設置され、夏焼山などに登山道がのびている。その斜面がゲレンデだった。

このスキー場を語るには、まず大平宿から話を始めければならないだろう。飯田と木曽方面を結ぶ交通路といえば、現在では清内路を経由する国道256号ということになるが、かつては大平宿を経由し大平峠(木曽峠)を越える大平街道が主流だった。飯田市街から車で急カーブの連続する県道8号をたどって30分以上。ようやく、飯田峠を越えて大平峠の手前にある大平宿に到着できる。

街道に面して2階を張り出した「せがい造り」と呼ばれる建物が軒を連ね、山間の宿場の風情を残している。いまは廃村となっているが「大平宿をのこす会」がボランティア活動で、維持・管理にあたっている。この宿場から南木曽方面に向かって数キロ車で進み、大平峠の手前を右に入れば「大平峠県民の森」が整備されている。湿原には木道も設置され、さまざまな遊歩道がつくられ、夏焼山や兀岳の登山口にもなっている。

この北向き斜面が「大平スキー場」の跡地にあたる。管理棟の当番でやってきた小父さんに話を聞けば、リフトの残骸らしきものがあるという。管理棟の裏に案内されたが、舟形の底面に手摺が付いているからリフトやロープトウではなくトロイカではないかと思われた。斜面を見上げると滑走に適した中斜面のように見える。一部には潅木が茂り、スキー場としての面影は消え去ろうとしているようだ。

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(左)ゲレンデ脇にあったリフト(?)の残骸。トロイカのように見えた。(右)「大平峠県民の森」にある地図には「旧スキー場」の文字があった。地図上方は南をさしている。

「長野県スキー史」には「伊那谷南部の中心地飯田から西方に約20km登ったところが大平高原。冬は北西の季節風があたり、雪は10月末頃から降り、最大積雪量は2mにもなるという。冬期3ヶ月ぐらいは車の交通の途絶したこともある」と記載がある。信州南端のこの地域でもこれほどの積雪があるということは、想像していなかった。

さらに「昭和6年、南信スキークラブ(飯田スキークラブの前身)と大平自動車(株)で、東川の水道取水地北側の斜面に画期的なスキー場を開発。しかし、戦雲をつげるとともに閉場となった。昭和27年初冬、兀岳1636mの麓に大平スキー場を開設。昭和31年2月にはスキー講習会が開催されるほどになった。ここも手ぜまになり、新しい場所をさがした。33年、木曽峠1358mの北側で奥石沢の広大な斜面を伊賀良財産区から借り受けた。ここにクラブ員の奉仕と行政側の努力により、大平奥石スキー場が生まれた」と記録されている。

最後の昭和33年開設の場所がこの県民の森と思われる。しかし最寄の峠の宿場・大平集落は過疎化が進み、1970年(昭和45)1月、27戸91人が集団離村。バス路線も廃止され、1972年(昭和47)冬より道路の除雪が中止されたため、スキー場も閉鎖となった。時代の変化の中で消えていった宿場と、運命をともにしたスキー場のようだ。(現地訪問:2010年6月)
ラベル:大平スキー場

2009年10月25日

白骨温泉スキー場(松本市/旧安曇村)

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(左)リフト乗場の残骸。

何年か前に湯に入浴剤を混入していたことが発覚し、話題になった白骨温泉。浴室を改装したら、湯が白濁しなくなったからというのが入浴剤を入れた理由とか。そんな騒動があった直後に家族で出かけたが、やはり信州を代表する名湯だと思った。白骨は古くは「白船」と呼ばれていたようで、湧き出した湯は透明だが、湯船に注がれると白濁し、湯船が白くなることからそう呼ばれていたようだ。この白骨温泉に昭和45年頃までスキー場があった。

「長野県スキー史」によれば、白骨温泉スキー場は1955年(昭和30)1月の開設。白骨温泉から10分ほどのところにあり、標高1,550m、針葉樹や白樺林に囲まれたゲレンデは主に北向斜面で雪質も良好アスピリンの粉雪、初中級者には最適と記されている。白骨温泉は冬は雪に閉ざされるために、古くは4月から11月までの温泉場だったようだが、スキー場の開設とともに冬期もスキーの基地として訪れる人が増えていったようだ。「安曇村誌」によれば、1960年(昭和35)にロープ塔、1963年(昭和38)にスキーリフト1基(300m)が建設されたが、リフトは1970年(昭和45)に撤去されたようだ。また、このゲレンデ開設当初には夜間照明があり、ゆるい斜面で初中級者の練習に向いているとの案内も見られる(「全国スキーゲレンデガイド」プルーガイドブックス26・1962年(昭和37))。

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(左)ゲレンデ上部と思われる斜面。(右)紅葉の白骨温泉の谷から、雪を纏った乗鞍岳山頂を望む。

白骨温泉でも、混浴の大露天風呂が有名な「泡の湯」は中心からやや離れている。「泡の湯」から少し上って東に入ったところに「小梨の湯 笹屋」という宿がある。そのすぐ下にリフト乗場のコンクリートの痕跡が残されていた。すぐ脇には食堂の廃屋が傾いていて、ここからほぼ南に向かって上っている白樺の疎林の傾斜地に、ゲレンデが開かれていたと思われる。一帯にはクマザサやススキが生い茂っていて、その他にスキー場の痕跡を示すものはなかった。ただ、側らの木に「こどもらんど そり・スキー場」と書かれた板切れが括り付けられていて、リフト撤去後も子どもの雪遊び場のようになっていた様子がうかがえる。

周囲の山並は紅葉の盛りで、白骨の谷はさまざまな色で埋め尽くされていたが、曇り空のもとではいまひとつ色合いはくすんで見えた。湯の温かさが恋しい季節。遠く山頂部に雪を纏った乗鞍が望まれた。山はもう冬を迎え、ゲレンデに雪が積もる日も近くなった。