2014年05月17日

いがやスキー場(その1)(旧安曇村/松本市)

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(左)ペアリフト下からゲレンデを見上げる。(右)ゲレンデ中腹からセンターハウス・レストハウス付近を見おろす。

「いがや」の名は、日本スキー界の第一人者だった猪谷千春さんが少年時代の練習コースとして使用していたことによるもの。「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」によれば「乗鞍高原温泉手前。初級者向け緩斜面が80%でチビッコも安心。エリア唯一のナイター、スクール、レンタルあり」と記載されている。ペアリフト1基の施設があった。いつ廃止されてもおかしくないと思っていたので、2009年1月に滑りに行った。そのときはどこかの団体が来ていて、思ったよりも多くの人が滑っていた。リフト1本ながら意外と滑走距離があったが、平板な斜面が多い印象だった。ゲレンデ最上部から見る乗鞍岳の姿が素晴らしかったことが記憶に残っている。

2011年1月の新聞各紙では「松本市は、指定管理者方式で運営している乗鞍高原いがやスキー場を今季限りで廃止する。(後略)」と報じられていた。1988年に旧安曇村が初心者や子ども向けのゲレンデとして開設。松本市観光温泉課によると、92年ごろの約3万人をピークに利用者が落ち込み始め、土日祝日のみの営業に切り替えた2009年度のシーズンは7148人だった。スキー人口の減少や近隣にマウント乗鞍(旧乗鞍高原温泉スキー場)もあり、数千万円が見込まれるリフト設備の更新・改修の費用捻出が難しいと判断された。跡地は夏場にも活用できるマウンテンバイクコースなどを整備する方針とも報じられていた。

しかしすぐには廃止にならず「マウント乗鞍スノーリゾート(乗鞍高原)」の一部という形で営業を続けていたが、昨シーズンの同スキー場のホームページで「いがや」の休業が告げられた。「旧いがやスキー場は今期より休止とさせて頂いております。長年に渡りご愛顧いただきましたこと心より感謝申し上げます。ファミリー向けゲレンデとして多くのちびっ子スキーヤー、スノーボーダーたちに愛され親しまれてきましたが、施設の老朽化等により営業維持が厳しくなりました。皆様には大変ご迷惑をお掛けしますが、何卒ご理解をお願いしたいと存じます。」

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(左)ゲレンデ最上部から見おろす。(右)ペアリフト最上部には椅子がはずされて置かれていた。

あらためて乗鞍山麓へと出かけてみる。スキー場はまだほとんど営業時のままのように感じられる。リフトもチェアをはずされたままの状態。リフト乗場やその前の小さなセンターハウスの周りは、この1年間で少し雑然としてきてはいるが。リフト乗場にある小屋の中には2013年3月のカレンダーが掛けられたままになっていて、最後のリフト稼働がその月であったことを示していた。ゲレンデ下部のレストハウスも蕎麦店として営業を続けているようだ。どこからか耕運機の音が聞こえてきた。

右手の道を車で上っていくと、ゲレンデ最上部に出ることができる。そこには広い駐車場が2段に備えられ、ログハウス風の小洒落たレストランやバーベキューハウス、さらにマレットゴルフ・フィッシングパーク・スライダーなどのレクリェーション施設が整備されている。しかし、5月の休日というのに人影はまばらだった。そんな中を歩いていくとリフトの最上部に出る。そこにはペアリフトのチェアが並べられていた。見下ろすゲレンデはなかなかの広さに見える。振り返るとまだ真っ白な乗鞍岳が雄大な姿を見せていた。スキーの第一人者の名前を冠した、こんなに眺望にすぐれたゲレンデが姿を消すことに寂しさを感じた。(現地訪問:2014年5月)

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(左)ペアリフト終点からは乗鞍岳の眺望がすばらしい。一帯はレストランや各種レクリェーション施設が整備されている。(右)営業していた頃の様子(2009年1月)。

こちらもご覧ください→「いがやスキー場(その2)(2016年01月23日)」

2013年08月22日

おんたけスキー場 高原・白樺ゲレンデ(王滝村)

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(左)道沿いの広い駐車場から見上げる高原ゲレンデ。(右)高原リフトの終点と思われる地点から斜面を見おろす。

前回に引き続き「おんたけ2240」。今回は高原ゲレンデ・白樺ゲレンデについてのレポート。こちらは、2009シーズンから営業を休止したと思われる。現在も営業しているゲレンデから左下に展開していたゲレンデである。

王滝村の中心部から「おんたけ2240」や御岳の田の原登山口に向かう道(御岳スカイライン)をたどると、やがて左手に広い駐車スペースがあり、その奥に「ようこそおんたけスキー場 高原コース」と書かれたパーキングハウスが建っている。ここが高原ゲレンデの最下部であり、かつてはスキー場全体のメインの入口だった時期もあるのではなかろうか。ここから高原ペアリフト(448m)・白樺高速ペアリフト(1184m)を乗り継ぐと現在の第4ペアD線下部の駐車場横まで上ることができた。それに沿って、高原ゲレンデ・白樺ゲレンデが開かれていた。高原ゲレンデは最大斜度30度のAコース、25度のBコース、25度のCコースの3本が並列していた。また、白樺ゲレンデは最大斜度32度の白樺コースと、その途中から入る最大斜度15度の白樺迂回コースがあった。

高原コースのパーキングハウスからゲレンデを見上げる。樹林帯をはさんで3つのけっこう急な斜面が立ち上がっている。残念ながら、高原リフトは撤去され、跡形もない。そこから車で御岳スカイラインを上って行き、途中で左折してダートの林道に入れば、白樺ゲレンデの中間部に出ることができる。その林道からは白樺ゲレンデ中間部の結構急な斜面が見える。白樺リフトの施設もすっかり撤去されていた。そこから白樺ゲレンデは幅を狭め、緩斜面となって、白樺リフト乗場と高原リフト終点のあったやや広い場所までくだっていく。

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(左)白樺ゲレンデ中間部の斜面。(右)白樺ゲレンデ下部。このあたりは緩斜面で幅が狭い。

そのあたりの東側のやや小高い場所が、高原リフトの終点があったと思われる。その場所から下をのぞくと、先ほどのパーキングハウスを眼下に見ることができた。また西よりの白樺リフトの乗場があったと思われる場所から上の方を見ると、はっきりと樹林の切り開きの跡が残っていて、白樺リフトのルートを示していた。

最後に白樺ゲレンデの最上部に行ってみる。現在の第4ペアD線直下の駐車場から中斜面のゲレンデが下っている。目を凝らすと前方の斜面中間点に案内標識が残っていて「白樺コース 中級 迂回路」と書かれていた。高原・白樺ゲレンデはリフトも撤去されているので復活は現実的ではないと思うが、最上部から高原ゲレンデ下部までのロングコースをあらためて滑ってみたいと感じた。(現地訪問:2013年7月)

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(左)白樺リフトの跡。樹林の切り開きが続いている。(右)最上部の第4ペアD線したの駐車場から白樺ゲレンデ上部を見おろす。

2013年08月07日

おんたけスキー場 チャンピオンゲレンデ(王滝村)

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(左)チャンピオンゲレンデ下の駐車場とパーキングハウス、その向こうにクワッドリフトとゲレンデ。(右)下部から見上げたチャンピオンゲレンデ。

7月の新聞報道(朝日新聞・長野版)では「昨シーズンの県内スキー場利用者は709万人で、2季連続で増加したことが県観光企画課の調べで分かった。(中略)増加率が最も大きかったのは、休止していたゴンドラリフトを再稼働させた王滝村の『おんたけ2240スキー場』で、前季の59%増の7万人だった」という記事が見られた。数年前には存続も危ぶまれていた「おんたけ2240」であるが、経営主体も変わり驚くほどの集客を見せているようだ。おんたけスキー場の名で開設したのは1961年である。

そうなると気になるのは、営業を休止してしまったゲレンデの復活。かつて、このスキー場には、現在の営業ゲレンデの下部に「チャンピオンゲレンデ」「高原ゲレンデ」「白樺ゲレンデ」が存在していた。今回はそのうち、チャンピオンゲレンデについてレポートしたい。「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には、チャンピオンゲレンデについて「エキスパートに人気のあるハードな斜面」と記載されている。1,500mの距離があり、最大斜度35度、平均20度。現在営業中のゲレンデに対して、ゲレンデトップに向かい右下にあたる位置にあった。2012シーズンから休止になったと思われる。私は残念ながらこのチャンピオンゲレンデは滑ったことがない。

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(左)チャンピオンゲレンデ下部。レストハウスなど施設も充実。(右)クワッドリフト乗場。

7月の休日、「おんたけ2240」を目指す。御岳への登山者やキャンプ場ほか周辺の様々な施設への観光客など、アクセス道を進む車の数は意外と多い。現在、チャンピオンゲレンデ下部へはおんたけ休暇村の敷地を通らないと行けないようなので、施設の一部を利用した上で敷地内の散策路を歩いてゲレンデ最下部へと向かった。広い駐車場が3段に設けられ、一角にはパーキングハウスという建物がある。

その奥にはチケット売場や「チャンピオンハウス」という看板を掲げたレストハウス、独立したトイレの建物、そしてチェアを外されただけのクワッドリフトの乗場など充実した施設が残っている。クワッドリフトには一部、草木が絡みついたりしているが、整備すれば来シーズンからでも稼働できそうだ。見上げるゲレンデは上級向きのハードな斜面であるが、やはりそそられる斜面である。雪がきちんと付くかが問題であろうが。

チャンピオンクワッドの最上部は、現在も営業している第4リフトB線からも見ることができるので、ご存知の方も多いと思う。こちらも施設がしっかり維持されている。全体にリフト施設も建物施設もきれいに保持されていて、やはり状況が整えばチャンピオンゲレンデの復活も可能性があるのではないか、そんな期待を抱かせる。(現地訪問:2013年7月)

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(左)チャンピオンクワッド最上部。右の支柱は第4リフトB線のもの。(右)チャンピオンゲレンデにあったゲレンデマップ。チャンピオン・高原・白樺の表記が残っている。

2011年05月20日

清水高原スキー場(山形村)

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(左)スカイランドきよみず。(右)下部からゲレンデだった者面を見上げる。

松本平の西側の山麓に広がる山形村。村内の丘陵に広がる清水高原は、残念ながら長野県内に住む者にもそれほど知名度が高いとはいえない。私にしても読み方が「しみず」ではなく「きよみず」だと知ったのは数年前。その高原にスキー場があったという記録を資料(*)で見つけてから、かなりの時間が経過してしまった。この資料によれば、リフト1基を備えた清水高原スキー場の最終営業年は1988年となっている。スキー場ガイドなどをいろいろ調べたが、他にこのスキー場の記録をとどめたものを見たことはない。

人間界で何が起ころうと、春は訪れ、花は咲く。4月中旬、山麓の山形村中心街では桜の花が八分咲きとなっていた。村の中心部から蕎麦店が立ち並ぶ唐沢集落を過ぎ、西の方向に10キロ程度、車で清水高原へと上っていく。その清水高原の中心部には「スカイランドきよみず」という施設が建てられいる。宴会・宿泊・入浴・室内運動場など、良くいえば山形村の奥座敷のような施設。松本平を見おろす絶景が魅力ということになるだろう。

建物の前で清掃をしていた従業員の方に話を聞いてみると、この施設の西側にある、現在はゴルフ練習場になっている斜面がかつてはスキー場だったと教えてくれた。この1995年開業の「スカイランドきよみず」の前身にあたる「きよみず荘」は1973年にできているで、その頃からスキー場として利用されたのではないか、とのこと。上記資料のとおり1988年最終営業とすれば、営業期間は最大でも15年程度だったようだ。この方がいまから15年前にこの施設で働き始めたときには、当然ながら、もうスキー場はなかったという。

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(左)斜面上部から見おろす。(右)斜面下にあるゴルフ練習場の打席。

ゴルフ練習場としても、それほど使われているのでもなさそうな斜面。両側にはネットが張られ、最下部には3階建になった打席が用意されている。見上げるとかなり上部に250(単位はヤードか?)と書かれた掲示がある。とすれば滑走距離はせいぜい200~300m程度。話を聞いた人もロープトウ程度のものがあっただけではないかといっていたし、リフトがあったとは思えない。いずれにしてもスキーに関連した施設の痕跡はまったく見あたらない。

斜面の上部に立って見おろしてみると、距離は短いが楽しめそうな斜面に見える。一番急なところは30度近い斜度があるのではないだろうか。ふと見上げると春の霞の中、北アルプスへと連なる山並は果てしなく続いているように見えた。(現地訪問:2011年4月)

(*)小山泰弘「長野県における休廃止スキー場の実態とその後の植生変化」
ラベル:清水高原

2011年01月01日

御岳ロープウェイスキー場(その1)(木曽町)

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(左)「営業休止」の文字が貼られた案内板。(右)広い駐車場と立派なセンターハウス。

今シーズンから営業休止となるスキー場の中で、もっとも大きな話題になったのは、この御岳ロープウェイスキー場ではないだろうか。

松本あたりでは晴天だったが、木曽谷に入ると小雪が舞ってきた。国道19号から旧三岳村へ向かう道沿いにある「御岳ローブウェイ」の看板には「営業休止」の掲示がされている。12月中旬のこの時期、とっくに営業を開始している「おんたけ2240」からの帰り車と時々すれ違う。立地条件としては「おんたけ2240」とあまりかわらなかったと思うのだが。ゲレンデまでは2車線道路が続きアクセスには問題なかったと思うのだが、凍結路の運転は厳しかったのかもしれない。

広い駐車場と立派なセンターハウス、ゴンドラとペアリフト3基を備え、まさにバブル末期に登場したスキー場のスタイル。夏期の営業は続けるので、当然ながらセンターハウスやゴンドラはそのまま。リフトは椅子をはずしたままの状態だ。見上げるゲレンデはうっすら雪を被り例年ならシーズンインに向け準備真っ最中のはずだが、いまはひっそりとしている。正面に見えるはずの御岳山は雪雲に隠れていた。

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(左)第1ペアの下からゲレンデを見上げる。

2010年4月の新聞報道によれば「木曽町がスキー客の落ち込みが激しい御岳ロープウェイスキー場の冬場の営業を、来季は見合わせることを明らかにした」とのこと。冬場は閉鎖するものの、御岳山信仰や夏山登山の利用がある4月~11月のグリーンシーズンにはロープウエーを運行するとしている。2012シーズンについては未定とのことだが、「スキー客の需要が伸びる見込みはなく、冬のスキー場営業からは撤退することになりそうだ」とも書かれていた。 4町村が合併して成立した木曽町には「きそふくしま」「開田高原マイア」も所在するが、町内のスキー場の経営統合なども検討されているようだ。

1989年開設というから、まだ20年ほどの歴史しかなかったスキー場。思い出すのは2003年10月に発生した事故。ワイヤをつかみきれず滑走したゴンドラが急停止し、反動で老夫婦が振り落とされて転落死した。この事故も暗い影を落としていたのかもしれない。2003シーズンの資料によれば「昨シーズン入込み数約10万人。スキーヤー30%、スノーボーダー70%」とあるが、その後来場者は減少したのだろう。

残念ながら木曽方面に出かける機会にはなかなか恵まれず、私は滑ったことがなかったけれど、スキー場としてはさまざまな魅力があったようだ。素晴らしい雪質とロングシーズンが売り物だった。御岳を望む景観も素晴らしく、周辺には鹿の瀬温泉や木曽温泉など帰りの立ち寄り湯も豊富。「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」によれば、「観光名所、木曽の御岳山に展開するスキー場。全長2400mの6人乗りゴンドラでスキーヤーを8分で頂上に送り届ける。ロープウェイに平行して3基のペアリフトが上下につながり、7コースを揃えるタテ長のゲレンデ配置。シーズンインが早いことやゴールデンウィークまで春スキーが楽しめるなど、期間が長いことがウリ」と紹介されている。(現地訪問:2010年12月)

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(左)ゲレンデ最下部。第1ペア下から左にセンターハウス、正面奥はゴンドラ乗場。(右)御岳山登山の案内板は健在。

こちらもご覧ください → 御岳ロープウェイスキー場(その2)