2022年12月19日

北竜温泉ファミリースキー場(その2) (飯山市)

hokDSC00094.JPG hokDSC00097.JPG
(左)第1ゲレンデ・アクセス道への案内板。(右)ペアリフト下から見上げる。

野沢温泉にほど近い北竜温泉ファミリースキー場(北竜湖)は、2016年に第2ゲレンデが、2018年に第1ゲレンデがそれぞれ営業休止となった。飯山方面にでかけたついでに、いまはどうなっているのか再訪してみた。飯山付近もまだ雪は少なく、路面にも雪は見られない。

野沢温泉に向かう県道から第1ゲレンデに右折する箇所には、まだ案内看板が残ったままだった。狭い舗装車道をセンターハウスの脇まで進んでみる。白いセンターハウスも営業時と同様のたたずまいそのまま。そういえば、当初はセンターハウス脇にロープトウが設置され、練習用コースがあったはずだが、いまは野沢菜の畑になっているあたりだろうか。

予想に反して、正面に見えるペアリフトはまだ撤去されておらず、搬器も脇に重ねられていた。まだ、何らかの機会に動かすことを想定しているのだろうか。リフト乗場に掲げられている料金表や注意文言が郷愁を誘う。リフト脇のゲレンデはなかなかの斜度を見せている。

hokDSC00095.JPG hokDSC00099.JPG
(左)センターハウス。(右)リフト乗場の掲示。

細い山間の道を車で進み、少し離れた第2ゲレンデに向かう。いいやま北竜温泉・文化北竜館の脇にあるスロープが第2ゲレンデ跡。こちらはずっと前にリフトは撤去されている。気持ちよい斜面が山麓まで下っている。正面には関田山脈と戸狩温泉スキー場が見える。その山並にもまだ雪はさほど多くはなかった。

hokDSC00108.JPG hokDSC00109.JPG
(左)文化北竜館の脇から第2ゲレンデを見おろす。(右)第2ゲレンデ下から見上げる。

スキー場ガイドには以下のように紹介されていた。「(北竜湖スキー場)千曲川のゆるやかな流れを眼下に見おろす標高600~400mに15haが2つのゲレンデと、上級者向き1、中上級者向き1、中級者向き2、中初級者向き1、初級者向き1の6本のコースとなって展開する。」

「スリバチ状で底部も広く、初心者コース、講習ゲレンデが滑走コースと分離された安全性は、ファミリー、講習会に最適。標高が低いので気象の激変もなく、野沢温泉スキー場が近くにあるせいか混雑もなく、気楽に気安く滑れる穴場。スキー場開設は昭和37年。」(SKI GUIDE'86、山と溪谷社) (現地訪問:2022年12月)

こちらもご覧ください → 「北竜温泉ファミリースキー場(2018年5月16日)」

2021年12月24日

戸狩温泉スキー場オリオンゲレンデ(飯山市)

togarDSC00621a.JPG togarDSC00636.JPG
(左)アクセス道には「オリオン」の文字。(右)ゲレンデ下の休止の案内。

戸狩温泉スキー場のホームページで、今シーズンのオリオンゲレンデの休業が告げられている。「今シーズン、オリオン第1ペアリフト並びにオリオンクワッドリフトの運行は休止とさせていただきます。尚、オリオンゲレンデは雪上を自由に使える貸し切りエリア『スノーバカンス村』としてオープン致します。」

戸狩はペガサスとオリオンという2つのゲレンデが沢を挟んで両翼のように広がり、その奥にすり鉢状のとん平ゲレンデがあるという構成。オリオンゲレンデが休業ということは片翼がなくなったような感じではないだろうか。やはり戸狩のメインはペガサス側であり、現状では過剰になりすぎた広さを整理する意味もあるのだろうか(→休止の事情については、コメント欄に情報をいただきました)。戸狩スキー場としての開設は1956年。

togarDSC00627.JPG togarDSC00629.JPG
(左)オリオン第1ペア。(右)オリオンクワッド。

戸狩温泉スキー場は私が小学1年のときに、はじめて訪れたまともなスキー場(当時は戸狩スキー場)。従って、私にとっては思い出深いスキー場である。父親に連れられて飯山線に乗り、戸狩駅からは2kmの道のりを歩いたことを憶えている。マイカーでスキーに行くことなどは稀な時代であった。当時は現在のペガサスゲレンデにシングルリフトが1~2本かかっていた程度だったと思う。その頃は民宿が多く、「民宿の戸狩」などと呼ばれていた。屈曲リフトも名物であり、いろいろと話題もあった老舗スキー場といっていいと思う。

その後、バブル期を経てゲレンデの規模は拡張された。近年はスノーボーダーが多く年齢層も若いという印象が強く、オールドファンには足を運びにくい雰囲気に感じられた。最近は雪ちゃりスノーライドなど新たな取り組みも行っている。集客のためにはそうした方向性になるのだろうとは思う。

togarDSC00632.JPG togarDSC00651.JPG
(左)オリオンゲレンデ・スキーセンター周辺。(右)遠景から左・ペガサス、右・オリオン。

12月中旬、ゲレンデオープンの少し前に現地を訪れてみた。アクセス道にはオリオンゲレンデの文字は残るものの、オリオンゲレンデ入口には「オリオンゲレンデ及び食堂、レンタルショップは休止中」と案内が出ていて親切。

オリオンゲレンデの下部まで行ってみると、傍らには圧雪車もスタンバイしている。施設自体に変わりはなく、貸し切りの受け入れはできる準備がされているのだろうと思う。現在のゲレンデ面積は過剰な気もするし、このままオリオンゲレンデがどうなるのか、予断を許さないと思う。(現地訪問:2021年12月)

togarDSC00624.JPG スキャン_20211224.jpg
(左)営業を続けるペガサスゲレンデ。

<追記 2022年12月>
オリオンゲレンデは2023シーズンも、『スノーバカンス村』として運営されるもよう。一般ゲレンデとして復活する可能性はないと思われる。

oriDSC00115.JPG oriDSC00114.JPG
posted by 急行野沢 at 18:20| Comment(3) | 飯山線沿線 営業休止のスキー場 | 更新情報をチェックする

2018年08月10日

黎明期の飯山のスキー場(その1)(飯山市)

iiyama_aaDSC01627.JPG

長野県民が「雪の多い町」といって思い起こすのは、まずは飯山ではなかろうか。豪雪地なので古くからさまざまなスキー場が存在していた。それらについて詳しく記しているのが「飯山スキー100年史(飯山市、2012年)」である。スキーの歴史を記した本には、意外とスキー場についての記載が少ないのだが、この本では充実している。

すでに本ブログで取り上げたスキー場や、現在も営業を続けているスキー場ももちろん掲載されているのだが、興味深いのは黎明期のスキー場である。まだ、スキーが伝わって間もない頃は飯山市内にあるちょっとした丘陵の斜面がスキー滑走の場となっていたようだ。ただ、これらも昭和30年代にリフトが整備された近代的なスキー場が開発されると姿を消していったという。この本を参考にしながら、そのスロープが現在どうなっているのか、場所がある程度特定できる範囲で見ていきたいと思う。

■片山スキー場
iiyama_aDSC01590.JPG iiyama_aDSC01614.JPG
(左)片山稲荷。右は「飯山市文化交流館なちゅら」。(右)高台から片山丘陵の北西斜面を見おろす。

同誌によれば「明治45年1月24日、高田師団スキー行軍隊がスキーの実演を行い、飯山の人たちが初めてスキー滑走を目撃した記念すべき日となった」とある。また、初の全信州スキー大会が大正13年に当地で開かれたという。現在の飯山駅北側、『飯山市文化交流館なちゅら』の西側に片山稲荷神社のある小丘陵がある。その場所は、この小丘陵の北西斜面だったということだ。

丘陵の北西側にまわってみると『市立飯山図書館』『手すき和紙体験工房』などの建物が立ち並び、その向こうに斜面が見える。現在のスキー場の規模から考えると、距離はわずかななものに見えたが、スキーをするのには適度な斜度と思えた。

■城山スキー場
iiyama_bDSC01654.JPG iiyama_bDSC01644.JPG
(左)西側斜面の道脇に「長野県スキー発祥の地」の看板がある。(右)本丸跡から西側への斜面。

「明治45年1月23日に市川達譲(妙専寺住職、飯山中学校教諭嘱託、レルヒ少佐のスキー講習会に参加)が『城山に登り、飯山中学校側の斜面を下って学校に出勤した』と手記に書いていますので、飯山で最初のスキー場といえます」とある。大正2年にはスキー競技会が開催されている。

飯山市街地にあり、飯山城跡として公園風に整備されている丘陵である。西側斜面から上る車道脇には「長野県スキー発祥の地」という看板も設置されている。また、「本丸から帯郭へ降りる階段をスロープとして練習しており、城山全体が練習場として使われていたことがうかがい知れます」とある。案内板のある西側斜面をはじめ、飯山城本丸があった最上部から各方向に適度な斜度があり、山全体がゲレンデであったこともうなづける。

■英岩寺スキー場
iiyama_cDSC01701.JPG iiyama_cDSC01707.JPG
(左)南側から見た英岩寺とその裏山。(右)北西側から見た英岩寺の裏山。

「『市川達譲氏は英岩寺山に於いて生徒にスキーを教授しつつあり成績頗る良好といふ』と昭和45年2月3日付信濃毎日新聞に記されている」とある。場所は北飯山駅から北に向かい、国道292号に出る途中、右手にある英岩寺の裏山にあったようだ。まさに里山の斜面のスキー場という感じがした。この付近には寺院が集中している。それらの裏山は黎明期には格好のゲレンデとなったようだ。

■坊主山スキー場
旧飯山国際スキー場付近とされている。面積が広く、当時は県下一の規模を誇っていたという。本ブログの『飯山国際スキー場』も参照願いたい。

■神明ヶ丘スキー場
後の飯山スキー場の場所にあった。現在の市営ジャンプ場を含む位置であり、飯山市街地のすぐ西側にあたる。本ブログの『飯山スキー場』も参照願いたい。

iiyama_dDSC01606.JPG iiyama_eDSC01618.JPG
(左)坊主山の斜面。旧飯山国際スキー場。(右)市営ジャンプ場を見上げる。

iiyamaimg001.jpg飯山市内の黎明期のスキー場地図。

→ こちらもご覧ください 「黎明期の飯山のスキー場(その2)」
posted by 急行野沢 at 09:00| Comment(0) | 飯山線沿線 営業休止のスキー場 | 更新情報をチェックする

2018年06月28日

野沢温泉スキー場のリフト改廃(その4 山頂部)(野沢温泉村)

野沢温泉スキー場の廃止リフトについて、山麓部・中間部の稚拙なレポートを掲載したのは2月のこと。案の定、事情に詳しい方々からのご指摘をいろいろいただいた。山頂部については、さらに正確さを欠く話になりそうで躊躇していた。

雪解けを待って車で上ノ平まで上がってみたが、新たな発見はほとんどなかった。推測の域を出ないレポートだけれど、詳しい方々からのご指摘をいただく契機にでもなればと思う。
→ その後、コメント欄でご指摘いただきました通り、以下の記載には正しくない点があるようです。コメント欄をあわせてご覧ください。

■第20ペアリフト
日影ゴンドラ上ノ平駅駅付近から、上ノ平ゲレンデ上部に向けてに掛けられていたリフト。現在の上ノ平ゲレンデの最下部をカバーしていたと思われる。

ue20_a.JPG ue20_b.JPG
(左)日影ゴンドラ上ノ平駅前。このあたりから前方に架けられていたのではないだろうか。(右)上ノ平フォーリフトから上ノ平駅付近を見おろす。
--------------------------
■上ノ平第1リフト
チャレンジリフトから接続して、その上部に架けられていたリフト。当時のチャレンジリフトは現在のチャレンジペアよりも少し短かったのではなかろうか。現在の呼び方では、パラダイスゲレンデ下部左側ということになる。正確な位置はわからないが、左手にロッヂなどが立ち並ぶあたりを横切っていたのだろうか。

ue1_a.JPG ue1_b.JPG
(左)現在のチャレンジペア降場。この付近を通り上部に向かって架けられていたはず。(右)左手にはロッヂなどが立ち並ぶ。
--------------------------
■上ノ平ロマンスリフト
上記の上ノ平第1の中間点あたりから上部に向かっていたリフト。終点は現在の上ノ平フォー乗場あたりか。付近はパラダイス上部の快適な斜面である。

uer_a.JPG uer_b.JPG
(左)上ノ平フォーリフト乗場付近。(右)パラダイス上部の快適な斜面を上から見おろす。
--------------------------
■第21・22ペアリフト
現在の上ノ平フォーリフトでカバーされる位置にペアリフトが2基あったと思われるが、上ノ平フォーより東側に位置したのではないだろうか。第22は山頂部に向かってやや左の斜面に架かり、第21との接点は巣鷹湖への道が分岐するあたりだったのではないか。(→21と22は接続していなかったらしい。コメント欄参照ください)

ue21_a.JPG ue21_b.JPG
(左)第22が架かっていたと推測する斜面を見上げる。(右)第21は少し東側のこのあたりに架かっていたか。

■上ノ平第2リフトA・B線
現在のパラダイスフォーでカバーされる場所にあったと思われる。

nozawa_map02a.jpg
(現地訪問:2018年2月・6月)

こちらもご覧ください → 野沢温泉スキー場のリフト改廃(その1)  野沢温泉スキー場のリフト改廃(その2) 野沢温泉スキー場のリフト改廃(その3)
posted by 急行野沢 at 20:03| Comment(2) | 飯山線沿線 営業休止のスキー場 | 更新情報をチェックする

2018年05月16日

北竜温泉ファミリースキー場(飯山市)

hokur_CIMG1980a.JPG hokur_CIMG1982a_160211.JPG
(左)センターハウス前にあったゲレンデマップ。文化北竜館に隣接していた第2ゲレンデの表記はすでにない。(右)2年前に廃止された第2ゲレンデ(2016年2月撮影)。

2017年秋に同スキー場のHP上に以下のような告知がされた。「いいやま北竜温泉スキー場は2017-2018シーズンをもちまして営業を終了いたします。昭和37年から55年間にわたりご愛顧いただきありがとうございました。『シニアもキッズもみんなのプライベートゲレンデ』のラストシーズンをお楽しみください。」

本ブログでも取り上げた通り、2年前には少し離れた場所にあった第2ゲレンデが営業休止となっていて、スキー場の存続は厳しいなかなという気がしていた。位置的には野沢温泉の手前にあり、バブル期あたりにはエスケープゲレンデという位置づけもあったのだろうか。いまではまったく客層の違うゲレンデと考えた方がいいだろう。

hokur_CIMG1986.JPG hokur_CIMG1990.JPG
(左)駐車場付近から見たスキー場全体。リフトの左右に数本のコースがある。(右)ゲレンデ下にあるセンターハウス。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「北竜湖スキー場」として、以下のように紹介されている。「野沢温泉の麓、北竜湖畔に広がるゲレンデ。文化北竜湖山荘を中心にしたファミリースキー場。ビッグゲレンデをもつ野沢温泉スキー場とはまたひと味違う環境。最大40度の斜度をもつチャンピオンコースあり。」リフトは第1ゲレンデにペア1基、第2ゲレンデ(2年前に廃止済)にシングル1基。

第1ゲレンデには、四半世紀ほど前に一度滑りに来たことがあるだけ。ペアリフトの両側にさまざまなレベルに応じたコースがあって、規模から感じるよりは楽しめるスキー場だった記憶がある。宿泊施設である文化北竜館は少し離れた北竜湖畔にあり、そのあたりの不便さもあったと思う。しかし、大きなゲレンデでガンガン滑るのとは違った、静かな冬の休日を過ごすにはよいところではなかったかと思う。

hokur_CIMG1995.JPG hokur_CIMG1998.JPG
(左)ペアリフトとそれに沿ったAコース。(右)ペアリフト降場からAコースと山麓部のセンターハウス、駐車場をみおろす。

せっかくなので、営業終了まで1ヶ月を切った3月の平日に最後の滑りに出かけた。センターハウスで尋ねると、確かに今シーズン限りの営業ということだった。ポール練習をしている20人ほどのグループがいたが、それを除くと一般客は私ひとり。「ファミリースキー場」と称しているけれど、平日だったせいか、山麓部のキッズランドなどにもファミリーの姿はなかった。

ペアリフト両側のA・Bコースはポール練習の人たちが滑っていたのでそれなりのゲレンデ状態であったが、それ以外はゲレンデ整備も万全とは思えず寂しさも感じた。リフト上部からは関田山脈の山並を、意外な美しさで眺めることができた。

hokur_CIMG2002.JPG hokur_CIMG3335.JPG
(左)ペアリフト降場からBコースを見おろす。前方に関田山脈の山並を望む。(右)営業終了後の様子(2018年5月)。

営業終了から1か月ほど経過した5月初旬、再び同スキー場を訪ねた。まだ、リフト施設やセンターハウスなどそのままの状態。リフトは搬器を外してあるが、解体撤去などはこれから行われるのだろうか。(現地訪問:2018年3月・5月)

こちらもご覧ください → 「北竜温泉ファミリースキー場(その2)(2022年12月19日)」
posted by 急行野沢 at 20:00| Comment(2) | 飯山線沿線 営業休止のスキー場 | 更新情報をチェックする