2018年03月16日

やまびこの丘スキー場(木島平村)

木島平スキー場に隣接する「やまびこの丘スキー場」が2018シーズンの営業を休止している。少し前までは「池の平ゲレンデ」という名前で、木島平と高井富士の連絡コース的な位置づけでもあったが、ここだけでもクワッド1基(862m)・ペア1基(443m)がV字状に配置され、それなりの規模をもっていた。

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(左)遠景から見た第1クワッド沿いの斜面。(右)ゲレンデ下部への進入路。前方に第1クワッド・第2ペアの乗場、左手にホテルの建物がある。

どちらかというと木島平スキー場の一部という感じが強く、リフト券も木島平と共通の時期が長かったと思う。12月に木島平に滑りに来た時に、「やまびこの丘 営業休止」の掲示を第2ペアあたりで見かけた気がする。北側にはグリーンシーズンに花々や各種体験ができる「やまびこの丘公園」やクロスカントリー競技場が隣接している。

比較的スキーヤーの多い木島平と、スノボ中心の高井富士の中間に位置していたが、過去に滑った感じでは、スノーボーダーが多かった印象がある。クワッド沿いは適度な緩斜面で、初中級の練習に適していたように思う。客層からすると、スノボが多い高井富士と一体化するのがいいと思っていたのだが。

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(左)雪に埋もれた第1クワッド乗場。(右)第2ペアも搬器を外され雪の埋もれている。

あらためて2月下旬、やまびこの丘を訪れてみる。クワッド・ペア両リフト乗場直下にあるホテルは、近隣のゲレンデへの送迎によって営業を続けているようす。ちょうど夕刻の時間帯だったので、木島平や高井富士からの送迎バスが到着していた。ホテル入口に並んでいるのは、スノーボードばかりであった。

ゲレンデは圧雪されず新雪の状態のまま。2本のリフトは搬器をはずされた状態。乗場の小屋も雪に埋もれている。施設面からは当然ながら、来シーズン以降の復活も可能だと思われる。木島平・高井富士両ゲレンデの間で、どうやって魅力を出すのか難しい立ち位置のゲレンデだとは思うけれど。(現地訪問:2018年2月)

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(左)営業していた頃の様子(2014年1月)。第1クワッド上部から見おろす。
posted by 急行野沢 at 21:44| Comment(0) | 飯山線沿線 営業休止のスキー場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月13日

北飯山スキー場(その2)(飯山市)

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資料を整理していたところ「北飯山スキー場」のパンフレットが出てきた。各種料金も時代を感じさせるもの。宿泊申込みをハガキ(料金7円)で行う仕組みだったり、貸靴のサイズ記入が〇文だったりするのも面白い。年代は記されていないのではっきりしない。ただ、このスキー場が営業していたのは1964年12月〜1976年春までのことで、その間ハガキ料金が7円だったのは1966年7月〜1972年1月まで。したがってその間の1970年前後のものと思われる。

「遠くに三国の山なみを望み近くに関田の山脈を眺め眼下に詩情豊かな千曲川の雪景色は、格別目にしみる豪雪地として知られる豊かな積雪に恵まれ、特に当北飯山スキー場は、スキー場としての絶対条件である北向スロープで1日中粉雪で積雪の変化がなく、スキーヤーには最高のスキー場であります」と案内されている。

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(左)斜面からは関田山脈の山並が望める。

さらに「広大なゲレンデは初心者、中級者には最適であり、又、宿はスキー場の麓に位置し詩情豊かな寒村での民宿で、冬の夜長コタツを囲んで想い出を語る旅情は雪国の素朴な人柄と共にスキーヤーの心の故郷でもあり、奥信濃北飯山の宿ならでは味わえないものでしょう」とある。

リフトは第1リフト(300m)・第2リフト(400m)のシングル2基があった。リフト2基で「広大なゲレンデ」とは少々無理があるかもしれない。ただ、第2リフト終点のすぐ南側はいまはなき飯山国際スキー場に隣接していて、両者を結ぶロープトロイカも整備されたという。両者を合わせると確かに広大な規模にはなるのだが。

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(左)第1リフト乗場。コンクリート部分だけとなった。(右)第2リフト乗場。ヤブに覆われていたが、ほぼ前回訪問時と変わらない。

前回、本ブログで取り上げたのは8年近く前のこと。そのときはリフトの残骸などがよく残っていた。その後、飯山方面に出かけた際に足をのばしてみたところでは、痕跡は少しずつ消滅しているような気がしていた。

あらためて北飯山スキー場跡を探索してみる。第1リフトの乗場は機械類が取り外され、コンクリート部分だけが残されていた。周囲は以前よりもヤブが生い茂っていて、リフトの痕跡を追うのに少々苦労する。少し上にある第2リフト乗場は、以前とあまり変わらない様子で残っていた。

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(左)第1リフト中間部の鉄塔。(右)第1リフト終点部分。

第1リフトの中間鉄柱はほぼそのまま残っていて、それを追っていくと前回はレポートできなかった第1リフトの終点部分を見つけた。草木に覆われているものの、そのままの様子でよく残っている。以前は一段高い台地上に第2リフト中間部の鉄塔が残されていたがそれは取り壊されてしまったようだ。第2リフトのそこから上部の痕跡は探ることができなかった。かすかに第2リフト沿いのコースの跡らしいものが見つかったが、あまり確かなことはいえない。

見渡すと周囲の山々は白くなりかけていて、周囲のスキー場は準備真っ盛りといったところか。北飯山スキー場跡地も日影には雪が残っていたが、やはりいまスキー場として存続していたら、積雪に難があるゲレンデになっていただろう。(現地訪問:2016年12月)

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(左)以前は第2リフト中間部の鉄塔が残っていたが、綺麗になくなっていた。(右)第2リフト沿いのコースの痕跡と思われる場所。

こちらもご覧ください→「北飯山スキー場(その1)」

2016年10月12日

信濃平スキー場(その2)(飯山市)

本ブログをはじめて間もない頃に取り上げた信濃平。飯山方面に出かけたので、久しぶりに立ち寄ってみた。7年前の記録でもリフトの痕跡は撤去されていたが、レストハウスなどの建物はいまも残されていた。

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(左)山麓からゲレンデ全体を見上げる。草木が生い茂りわかりにくくなっている。(右)民宿街にはいまも宿泊施設を示す地図が掲げられている。

現在は「かまくらの里」をウリにしているようで、飯山線信濃平駅から小丘陵を越えた西側の主要道沿いには冬場の祭典のための施設が並んでいる。山側に上って行く道には、民宿の案内表示やスイス・グレーヘンスキー場との提携マークがいまも見られる。その一角に登行リフト的な第1リフトの乗場があったはずだが、その痕跡はわからない。ただ、前方に樹林の切開きの跡があり、およその位置関係を推測することができる。

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(左)第1リフトの乗場はこのあたりか。前方に樹林の切開きの跡。(右)第1リフトで上ったゲレンデ中心部には、レストハウスなどの建物が残る。

舗装車道がゲレンデを縫うように上っている。それを車で進むと、レストハウスやレンタルスキーなどの建物が廃墟となって残るゲレンデ中心部に到達する。建物の壁にゲレンデマップがいまも掲げられていて、それを見ると最盛期にはかなり多くのコースがあったことがわかる。畑地になったり草木に覆われて、ゲレンデはその痕跡を失いはじめていた。さらに車道を進むと上部からゲレンデを見おろすことができる。あいにくの雨模様だが、それでも斜面の雰囲気とその先に田園風景を望むことができた。

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(左)レストハウスの壁にあったゲレンデマップ。(右)ゲレンデ上部から見おろす。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には以下のように紹介されている。「標高939mの黒岩山の東斜面にSAJ公認大回転バーンや山頂からの全長4kmの林間コースをはじめ、バラエティーに富んだコースが展開しているスキー場。信越の豪雪地帯にあり積雪は豊富で、レベルに応じて十分満足のいくコースを揃えている。(中略)スキースクールではシーズン中、滞在のヨーロッパアルペンスキーインストラクターの指導が受けられる。宿泊は民宿がおすすめ」

1963年開業、2001シーズンにて営業休止。最後のころはペア2基・シングル2基のリフト施設があった。古い資料の中に見つけた1969年の黒岩スキー場(信濃平スキー場の旧名)のパンフレットには、シングルリフト4本が記載さているが、その後リフトの架け替えがなされたらしい。

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1969年の黒岩スキー場の案内パンフレット。

パンフレットなどでも、民宿をさかんにPRしている。その後のバブル期の中で、スキーにもっとオシャレなものを求めるようになったためか、信濃平にもそれに対応した宿泊施設も見られた。それらも半ば廃墟と化している。(現地訪問:2016年10月)

こちらもご覧ください→「信濃平スキー場(その1)」

2016年08月04日

七巻スキー場(その2)(野沢温泉村)

七巻スキー場については7年前に本ブログで取り上げた。このスキー場の特徴は大きく2つあって、「野沢温泉スキー場からのツアーコースの終点」であり、「千曲川の渡し船に乗って向かうスキー場」というもの。当時はもっぱら「七巻(ななまき)スキー場」と呼ばれていたらしい。現在は集落名として「七ヶ巻(なながまき)」が使われているようだ。

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古い写真から(左)千曲川の渡し舟。(右)七巻スキー場へ向かう。

30年以上前に比較的若くして亡くなった伯父の遺品を、最近あらためて整理する機会があった。国鉄に勤務し飯山線で仕事をしていた時期もあった。その関係からか、スキー場に関する資料や写真がたくさん見つかった。中でも、七巻スキー場に関するものが多かった。

「'68〜'69野沢温泉スキー場案内(野沢温泉村観光事業課)」にも七巻スキー場のことが紹介されている。「七巻スキー場は野沢温泉スキー場の北約5kmの所にあり一昨年開設されて以来豊富な雪と絶好のゲレンデに恵まれたスキー場として人気を集めています」。

「ここの特長はなんといっても民宿の待遇のいいことで素朴な人間味と1泊2食付700円ということが魅力です。また、飯山線桑名川駅で下車して七巻スキー場へ行くには舟による連絡があり、この渡し舟が詩情豊かな千曲川とともにスキーヤーの心をたのしませてくれます」

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古い写真(左)開業の式典か?(右)ゲレンデ全体を見渡す。

式典が行われている写真を見ると、シーズン当初なのだろうか、積雪は多いとはいえない。渡し舟やスキー場周辺の風景は情緒を感じるものではあるが、いまとなっては営業的に成り立つはずもないのだろうと思う。

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(左)七巻スキー場のパンフレット。(右)七巻スキー場のチラシ。

また、同スキー場のチラシには年末年始の臨時急行が上野から飯山線に乗り入れることが記されている。気動車急行が上野駅から直通していたというのは、時代を感じざるを得ない。また、リフト1本のスキー場にしては立派なパンフレットやペナントまでつくられていたようだ。国鉄や地元でスキー客誘致に力を注いでいた様子がうかがえる。

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(左)ペナントもつくられていた。(右)現在の七巻スキー場跡。最下部からゲレンデを見上げる。左手にリフト乗場があった。

7年ぶりに七巻スキー場の跡地を訪れてみる。真夏の太陽のもと、草木が大きく生長した斜面はスキー場だった面影を徐々に消し去っていくように思えた。最下部にはリフトのコンクリート部分がいまも残っており、かつてスキー場だったことを主張しているように思えた。(現地訪問:2016年8月)

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(左)ゲレンデを少し上ったところから最下部を見おろす。(右)リフトのコンクリート部分が残っている。

こちらもご覧ください→「七巻スキー場(その1)」 

2013年03月29日

飯山スキー場(飯山市)

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(左)現在はシャンツェとなっている斜面。(右)最下部にはジャンプ競技の電光掲示板もある。

桜の便りが聞かれる季節となった。東京ではもう散り始めているというが、信州では花の季節はもう少し先になりそうだ。そんな信州の中でも雪の多い町というと、真っ先に名前があがるのが飯山だろう。飯山という町には雪のイメージがつきまとう。そんな飯山市街のすぐ西側に隣接していたのが、この飯山スキー場だった。

昨年1月に「飯山スキー100年誌」が刊行された。飯山のスキーの歴史をまとめたもので非常に参考になる。この本を見ると、黎明期の飯山には、城山をはじめ片山・英岩寺山・塔ノ原・大聖寺山・堰下・大平・四宮などのスキー場があったことが記されている。しかし、いずれもリフトの施設はなかったようだ。飯山市で最初にリフトが架けられたのが、この飯山スキー場。市営のリフトで、1955年に完成し、1月に運行を開始した。このスキー場は1925年開設の神明ヶ丘スキー場北端にあったジャンプ台の、さらに北側を開発し設備したものだという。

市街地に近く数々の大会も開催されたが、雪不足もあり経営的には苦しかった。1969年には、施設の老朽化が厳しいため陸運局の許可がおりずリフトが廃止となった。以降、シャンツェパークとして整備されて現在に至っている。

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(左)斜面下にはクラブハウスが設置されている。後方には高社山などの山並。(右)直下の住宅地から見上げたシャンツェ。

豊田飯山インターをおりて飯山市街に下っていく道。その途中に斑尾高原を示す標識があり、そこを左折。その先、斑尾高原入口の交差点を過ぎれば、正面に小高い丘陵が見え、道はその下を走るようになる。左手の一段上にジャンプ台が見えるが、その一帯が飯山スキー場の跡地だ。このブログでも過去に取り上げた「飯山国際スキー場」のひとつ手前の丘にあたる。飯山駅から1kmもない距離である。飯山の町をはさんで東には高社山をはじめとする山々の展望が開けている。

市街地の西端にあたり周囲には住宅などが建て込んでいる。かつての斜面には立派なジャンプ台が設けられ、電光掲示板やスキーハウスといった施設も用意されている。市民が楽しんだゲレンデは、いまやジャンパーを育てる場へと変わっていた。(現地訪問:2012年4月、2013年3月)