2018年02月02日

野沢温泉スキー場のリフト改廃(その2 山麓部)(野沢温泉村)

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昨年末の告知に従って野沢温泉スキー場に出かけ、なくなってしまったリフトについてレポートを試みた。積雪期なので昔のリフトの痕跡があったとしても雪の下でわかるはずもないのだが、地形や周囲のコースなどからそこにリフトがあったときの雰囲気ぐらいでも感じられれば、と考えた。なお、類似の位置に架け替えられたリフトなどは対象外とした。

野沢温泉スキー場を訪れるのは6年ぶり。驚いたのは外国人が多いこと。聞こえてくるのは英語と中国語ばかり。また、平日はユートピア・チャレンジ・湯の峰・水無のリフト休止ということだった。いずれも好きなコースなので残念。

今回は山麓部の廃止リフトについて見ていきたい。(→コメント欄にお寄せいただいたDOKAさんのご指摘により、リフト位置について一部修正いたしました。ご指摘ありがとうございます)
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■柄沢第2リフト
現在の長坂駐車場ができる前、車の日帰り客にはもっぱら柄沢の駐車場が使われていて、柄沢ゲレンデの重要性も高かった。一時期は、柄沢から上ノ平を結ぶ計画もあったのではないかと思う。
柄沢第2リフトは現在の第1リフトの上部にあった。雪の上からはその痕跡はわからない。第1・第2リフトを乗り継げば3kmの長さをもつ柄沢ゲレンデの緩斜面を思う存分滑ることができた。
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(左)柄沢ゲレンデを最下部から見上げる。(右)柄沢第1ペア終点。この付近に第2リフトの乗場があったはず。
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■柄沢第3リフト
柄沢ゲレンデ上部からスカイラインの尾根上を結んでいたリフト。リフトが存在していた頃の様子を知らないので、だいたいの位置を推測するしかなかった。ゲレンデマップからはスカイライン下部を滑ることができたと想像していたが、スカイラインには達しておらず、柄沢ゲレンデの第2リフトのさらに上に合ったもよう。

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(左)柄沢第2リフト中間部。第2リフト上部に乗場があったらしい。(右)スカイラインの尾根上に降場があったと想像していたが、柄沢第3リフトはスカイラインには達していなかったようだ。
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■第17リフト
柄沢から長坂方面に向かって柄沢連絡ペアに乗車してスカイライン末端に上る。その反対側斜面にあったのが第17リフト。長坂方面から柄沢に戻るときにも使えた。斜面には下から見て左側にジャンプ台が設けられているが、かなりの急斜面に見える。現在、柄沢から長坂に向かうには、ジャンプ台の上から脇を通って進む。
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(左)長坂駐車場から見た第17リフトがあった斜面。(右)斜面の横から見る。
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■向林ロマンスリフト
長年、野沢温泉スキー場の問題はゴンドラ乗場直下に大きな駐車場がないことだった。温泉街に宿泊すればいいが、車の日帰り客には訪れにくい面があった。それを解決したのが長坂駐車場の設置であり、そのため向林ゲレンデが犠牲になった。
現在の長坂駐車場の位置に緩斜面の向林ゲレンデがあり、向林ロマンスリフトが架けられていた。かつて柄沢から長坂への連絡は向林ゲレンデを横切ればよかったが、現在のコースは長坂駐車場の上部を回り込むようにつけられている。
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(左)柄沢連絡ペア降場から見おろす。長坂駐車場の位置に向林ゲレンデがあった。(右)長坂駐車場の上部から下部を見る。
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■向林展望リフト
向林ゲレンデ上部からスカイラインの尾根に上る位置にあったリフト。尾根に上るリフトだったので展望はさぞかしよかったと思われる。スカイライン最下部のみを滑るには便利だっただろう。また、長坂方面からスカイライン下部を経由して柄沢に戻るときにも使えたと思う。
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(左)向林ゲレンデ上部からスカイラインの尾根を見上げる。前方の切開きがリフトの痕跡か?(右)リフト終点付近のスカイラインの尾根から向林ゲレンデを見おろす。

次回以降、野沢温泉スキー場中間部・山頂部のリフトについて取り上げたい。

こちらもご覧ください → 野沢温泉スキー場のリフト改廃(その1) 野沢温泉スキー場のリフト改廃(その3) 野沢温泉スキー場のリフト改廃(その4)
posted by 急行野沢 at 20:37| Comment(3) | 飯山線沿線 営業休止のスキー場 | 更新情報をチェックする

2017年12月26日

野沢温泉スキー場のリフト改廃(その1)(野沢温泉村)

nozawa_map02a.jpg 野沢温泉リフト一覧a.jpg

昨冬は志賀高原のリフト改廃について調べた。もう動かないだろうと思ったリフトが多客期には「稼働していた」という指摘も受け、難しさも感じた。しかし一方、スキー場の歴史の流れの一部を記録できたのではないかと思う。

そこで、今回は長野から近いところで野沢温泉について取り上げてみたいと考えた。私の手元にある最も古い資料は、1987シーズンのゲレンデマップ。このマップにあるリフトと今シーズンのリフトの比較表をつくってみたのが上の表である。

もちろん輸送力増強のため、クワッド(同スキー場では「フォー」と呼ぶ)やペアなどに架け替えられているものが多い。しかし一方、現在はまったくリフトのない位置に存在したものも見受けられる。上のマップ上に○印をし、別表上に色を塗った11のリフトがそれに該当する。

その中には「ここにリフトがあると便利なのだが」と思えるものも中には見られる。シーズンインした現在は、これらのリフトの痕跡を探すことは難しいだろうけれど、野沢温泉に行って可能な範囲で調べたいと思う。近々、現地に赴いてみたいと思う。

こちらもご覧ください → 野沢温泉スキー場のリフト改廃(その2 山麓部) 野沢温泉スキー場のリフト改廃(その3 中間部)  野沢温泉スキー場のリフト改廃(その4 山頂部)
posted by 急行野沢 at 09:30| Comment(3) | 飯山線沿線 営業休止のスキー場 | 更新情報をチェックする

2016年12月13日

北飯山スキー場(その2)(飯山市)

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資料を整理していたところ「北飯山スキー場」のパンフレットが出てきた。各種料金も時代を感じさせるもの。宿泊申込みをハガキ(料金7円)で行う仕組みだったり、貸靴のサイズ記入が〇文だったりするのも面白い。年代は記されていないのではっきりしない。ただ、このスキー場が営業していたのは1964年12月~1976年春までのことで、その間ハガキ料金が7円だったのは1966年7月~1972年1月まで。したがってその間の1970年前後のものと思われる。

「遠くに三国の山なみを望み近くに関田の山脈を眺め眼下に詩情豊かな千曲川の雪景色は、格別目にしみる豪雪地として知られる豊かな積雪に恵まれ、特に当北飯山スキー場は、スキー場としての絶対条件である北向スロープで1日中粉雪で積雪の変化がなく、スキーヤーには最高のスキー場であります」と案内されている。

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(左)斜面からは関田山脈の山並が望める。

さらに「広大なゲレンデは初心者、中級者には最適であり、又、宿はスキー場の麓に位置し詩情豊かな寒村での民宿で、冬の夜長コタツを囲んで想い出を語る旅情は雪国の素朴な人柄と共にスキーヤーの心の故郷でもあり、奥信濃北飯山の宿ならでは味わえないものでしょう」とある。

リフトは第1リフト(300m)・第2リフト(400m)のシングル2基があった。リフト2基で「広大なゲレンデ」とは少々無理があるかもしれない。ただ、第2リフト終点のすぐ南側はいまはなき飯山国際スキー場に隣接していて、両者を結ぶロープトロイカも整備されたという。両者を合わせると確かに広大な規模にはなるのだが。

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(左)第1リフト乗場。コンクリート部分だけとなった。(右)第2リフト乗場。ヤブに覆われていたが、ほぼ前回訪問時と変わらない。

前回、本ブログで取り上げたのは8年近く前のこと。そのときはリフトの残骸などがよく残っていた。その後、飯山方面に出かけた際に足をのばしてみたところでは、痕跡は少しずつ消滅しているような気がしていた。

あらためて北飯山スキー場跡を探索してみる。第1リフトの乗場は機械類が取り外され、コンクリート部分だけが残されていた。周囲は以前よりもヤブが生い茂っていて、リフトの痕跡を追うのに少々苦労する。少し上にある第2リフト乗場は、以前とあまり変わらない様子で残っていた。

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(左)第1リフト中間部の鉄塔。(右)第1リフト終点部分。

第1リフトの中間鉄柱はほぼそのまま残っていて、それを追っていくと前回はレポートできなかった第1リフトの終点部分を見つけた。草木に覆われているものの、そのままの様子でよく残っている。以前は一段高い台地上に第2リフト中間部の鉄塔が残されていたがそれは取り壊されてしまったようだ。第2リフトのそこから上部の痕跡は探ることができなかった。かすかに第2リフト沿いのコースの跡らしいものが見つかったが、あまり確かなことはいえない。

見渡すと周囲の山々は白くなりかけていて、周囲のスキー場は準備真っ盛りといったところか。北飯山スキー場跡地も日影には雪が残っていたが、やはりいまスキー場として存続していたら、積雪に難があるゲレンデになっていただろう。(現地訪問:2016年12月)

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(左)以前は第2リフト中間部の鉄塔が残っていたが、綺麗になくなっていた。(右)第2リフト沿いのコースの痕跡と思われる場所。

こちらもご覧ください→「北飯山スキー場(その1)」

2016年10月12日

信濃平スキー場(その2)(飯山市)

本ブログをはじめて間もない頃に取り上げた信濃平。飯山方面に出かけたので、久しぶりに立ち寄ってみた。7年前の記録でもリフトの痕跡は撤去されていたが、レストハウスなどの建物はいまも残されていた。

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(左)山麓からゲレンデ全体を見上げる。草木が生い茂りわかりにくくなっている。(右)民宿街にはいまも宿泊施設を示す地図が掲げられている。

現在は「かまくらの里」をウリにしているようで、飯山線信濃平駅から小丘陵を越えた西側の主要道沿いには冬場の祭典のための施設が並んでいる。山側に上って行く道には、民宿の案内表示やスイス・グレーヘンスキー場との提携マークがいまも見られる。その一角に登行リフト的な第1リフトの乗場があったはずだが、その痕跡はわからない。ただ、前方に樹林の切開きの跡があり、およその位置関係を推測することができる。

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(左)第1リフトの乗場はこのあたりか。前方に樹林の切開きの跡。(右)第1リフトで上ったゲレンデ中心部には、レストハウスなどの建物が残る。

舗装車道がゲレンデを縫うように上っている。それを車で進むと、レストハウスやレンタルスキーなどの建物が廃墟となって残るゲレンデ中心部に到達する。建物の壁にゲレンデマップがいまも掲げられていて、それを見ると最盛期にはかなり多くのコースがあったことがわかる。畑地になったり草木に覆われて、ゲレンデはその痕跡を失いはじめていた。さらに車道を進むと上部からゲレンデを見おろすことができる。あいにくの雨模様だが、それでも斜面の雰囲気とその先に田園風景を望むことができた。

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(左)レストハウスの壁にあったゲレンデマップ。(右)ゲレンデ上部から見おろす。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には以下のように紹介されている。「標高939mの黒岩山の東斜面にSAJ公認大回転バーンや山頂からの全長4kmの林間コースをはじめ、バラエティーに富んだコースが展開しているスキー場。信越の豪雪地帯にあり積雪は豊富で、レベルに応じて十分満足のいくコースを揃えている。(中略)スキースクールではシーズン中、滞在のヨーロッパアルペンスキーインストラクターの指導が受けられる。宿泊は民宿がおすすめ」

1963年開業、2001シーズンにて営業休止。最後のころはペア2基・シングル2基のリフト施設があった。古い資料の中に見つけた1969年の黒岩スキー場(信濃平スキー場の旧名)のパンフレットには、シングルリフト4本が記載さているが、その後リフトの架け替えがなされたらしい。

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1969年の黒岩スキー場の案内パンフレット。

パンフレットなどでも、民宿をさかんにPRしている。その後のバブル期の中で、スキーにもっとオシャレなものを求めるようになったためか、信濃平にもそれに対応した宿泊施設も見られた。それらも半ば廃墟と化している。(現地訪問:2016年10月)

こちらもご覧ください→「信濃平スキー場(その1)」

2016年08月04日

七巻スキー場(その2)(野沢温泉村)

七巻スキー場については7年前に本ブログで取り上げた。このスキー場の特徴は大きく2つあって、「野沢温泉スキー場からのツアーコースの終点」であり、「千曲川の渡し船に乗って向かうスキー場」というもの。当時はもっぱら「七巻(ななまき)スキー場」と呼ばれていたらしい。現在は集落名として「七ヶ巻(なながまき)」が使われているようだ。

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古い写真から(左)千曲川の渡し舟。(右)七巻スキー場へ向かう。

30年以上前に比較的若くして亡くなった伯父の遺品を、最近あらためて整理する機会があった。国鉄に勤務し飯山線で仕事をしていた時期もあった。その関係からか、スキー場に関する資料や写真がたくさん見つかった。中でも、七巻スキー場に関するものが多かった。

「'68~'69野沢温泉スキー場案内(野沢温泉村観光事業課)」にも七巻スキー場のことが紹介されている。「七巻スキー場は野沢温泉スキー場の北約5kmの所にあり一昨年開設されて以来豊富な雪と絶好のゲレンデに恵まれたスキー場として人気を集めています」。

「ここの特長はなんといっても民宿の待遇のいいことで素朴な人間味と1泊2食付700円ということが魅力です。また、飯山線桑名川駅で下車して七巻スキー場へ行くには舟による連絡があり、この渡し舟が詩情豊かな千曲川とともにスキーヤーの心をたのしませてくれます」

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古い写真(左)開業の式典か?(右)ゲレンデ全体を見渡す。

式典が行われている写真を見ると、シーズン当初なのだろうか、積雪は多いとはいえない。渡し舟やスキー場周辺の風景は情緒を感じるものではあるが、いまとなっては営業的に成り立つはずもないのだろうと思う。

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(左)七巻スキー場のパンフレット。(右)七巻スキー場のチラシ。

また、同スキー場のチラシには年末年始の臨時急行が上野から飯山線に乗り入れることが記されている。気動車急行が上野駅から直通していたというのは、時代を感じざるを得ない。また、リフト1本のスキー場にしては立派なパンフレットやペナントまでつくられていたようだ。国鉄や地元でスキー客誘致に力を注いでいた様子がうかがえる。

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(左)ペナントもつくられていた。(右)現在の七巻スキー場跡。最下部からゲレンデを見上げる。左手にリフト乗場があった。

7年ぶりに七巻スキー場の跡地を訪れてみる。真夏の太陽のもと、草木が大きく生長した斜面はスキー場だった面影を徐々に消し去っていくように思えた。最下部にはリフトのコンクリート部分がいまも残っており、かつてスキー場だったことを主張しているように思えた。(現地訪問:2016年8月)

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(左)ゲレンデを少し上ったところから最下部を見おろす。(右)リフトのコンクリート部分が残っている。

こちらもご覧ください→「七巻スキー場(その1)」