2016年10月12日

信濃平スキー場(その2)(飯山市)

本ブログをはじめて間もない頃に取り上げた信濃平。飯山方面に出かけたので、久しぶりに立ち寄ってみた。7年前の記録でもリフトの痕跡は撤去されていたが、レストハウスなどの建物はいまも残されていた。

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(左)山麓からゲレンデ全体を見上げる。草木が生い茂りわかりにくくなっている。(右)民宿街にはいまも宿泊施設を示す地図が掲げられている。

現在は「かまくらの里」をウリにしているようで、飯山線信濃平駅から小丘陵を越えた西側の主要道沿いには冬場の祭典のための施設が並んでいる。山側に上って行く道には、民宿の案内表示やスイス・グレーヘンスキー場との提携マークがいまも見られる。その一角に登行リフト的な第1リフトの乗場があったはずだが、その痕跡はわからない。ただ、前方に樹林の切開きの跡があり、およその位置関係を推測することができる。

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(左)第1リフトの乗場はこのあたりか。前方に樹林の切開きの跡。(右)第1リフトで上ったゲレンデ中心部には、レストハウスなどの建物が残る。

舗装車道がゲレンデを縫うように上っている。それを車で進むと、レストハウスやレンタルスキーなどの建物が廃墟となって残るゲレンデ中心部に到達する。建物の壁にゲレンデマップがいまも掲げられていて、それを見ると最盛期にはかなり多くのコースがあったことがわかる。畑地になったり草木に覆われて、ゲレンデはその痕跡を失いはじめていた。さらに車道を進むと上部からゲレンデを見おろすことができる。あいにくの雨模様だが、それでも斜面の雰囲気とその先に田園風景を望むことができた。

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(左)レストハウスの壁にあったゲレンデマップ。(右)ゲレンデ上部から見おろす。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には以下のように紹介されている。「標高939mの黒岩山の東斜面にSAJ公認大回転バーンや山頂からの全長4kmの林間コースをはじめ、バラエティーに富んだコースが展開しているスキー場。信越の豪雪地帯にあり積雪は豊富で、レベルに応じて十分満足のいくコースを揃えている。(中略)スキースクールではシーズン中、滞在のヨーロッパアルペンスキーインストラクターの指導が受けられる。宿泊は民宿がおすすめ」

1963年開業、2001シーズンにて営業休止。最後のころはペア2基・シングル2基のリフト施設があった。古い資料の中に見つけた1969年の黒岩スキー場(信濃平スキー場の旧名)のパンフレットには、シングルリフト4本が記載さているが、その後リフトの架け替えがなされたらしい。

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1969年の黒岩スキー場の案内パンフレット。

パンフレットなどでも、民宿をさかんにPRしている。その後のバブル期の中で、スキーにもっとオシャレなものを求めるようになったためか、信濃平にもそれに対応した宿泊施設も見られた。それらも半ば廃墟と化している。(現地訪問:2016年10月)

こちらもご覧ください→「信濃平スキー場(その1)」

2016年08月04日

七巻スキー場(その2)(野沢温泉村)

七巻スキー場については7年前に本ブログで取り上げた。このスキー場の特徴は大きく2つあって、「野沢温泉スキー場からのツアーコースの終点」であり、「千曲川の渡し船に乗って向かうスキー場」というもの。当時はもっぱら「七巻(ななまき)スキー場」と呼ばれていたらしい。現在は集落名として「七ヶ巻(なながまき)」が使われているようだ。

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古い写真から(左)千曲川の渡し舟。(右)七巻スキー場へ向かう。

30年以上前に比較的若くして亡くなった伯父の遺品を、最近あらためて整理する機会があった。国鉄に勤務し飯山線で仕事をしていた時期もあった。その関係からか、スキー場に関する資料や写真がたくさん見つかった。中でも、七巻スキー場に関するものが多かった。

「'68~'69野沢温泉スキー場案内(野沢温泉村観光事業課)」にも七巻スキー場のことが紹介されている。「七巻スキー場は野沢温泉スキー場の北約5kmの所にあり一昨年開設されて以来豊富な雪と絶好のゲレンデに恵まれたスキー場として人気を集めています」。

「ここの特長はなんといっても民宿の待遇のいいことで素朴な人間味と1泊2食付700円ということが魅力です。また、飯山線桑名川駅で下車して七巻スキー場へ行くには舟による連絡があり、この渡し舟が詩情豊かな千曲川とともにスキーヤーの心をたのしませてくれます」

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古い写真(左)開業の式典か?(右)ゲレンデ全体を見渡す。

式典が行われている写真を見ると、シーズン当初なのだろうか、積雪は多いとはいえない。渡し舟やスキー場周辺の風景は情緒を感じるものではあるが、いまとなっては営業的に成り立つはずもないのだろうと思う。

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(左)七巻スキー場のパンフレット。(右)七巻スキー場のチラシ。

また、同スキー場のチラシには年末年始の臨時急行が上野から飯山線に乗り入れることが記されている。気動車急行が上野駅から直通していたというのは、時代を感じざるを得ない。また、リフト1本のスキー場にしては立派なパンフレットやペナントまでつくられていたようだ。国鉄や地元でスキー客誘致に力を注いでいた様子がうかがえる。

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(左)ペナントもつくられていた。(右)現在の七巻スキー場跡。最下部からゲレンデを見上げる。左手にリフト乗場があった。

7年ぶりに七巻スキー場の跡地を訪れてみる。真夏の太陽のもと、草木が大きく生長した斜面はスキー場だった面影を徐々に消し去っていくように思えた。最下部にはリフトのコンクリート部分がいまも残っており、かつてスキー場だったことを主張しているように思えた。(現地訪問:2016年8月)

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(左)ゲレンデを少し上ったところから最下部を見おろす。(右)リフトのコンクリート部分が残っている。

こちらもご覧ください→「七巻スキー場(その1)」 

2013年03月29日

飯山スキー場(飯山市)

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(左)現在はシャンツェとなっている斜面。(右)最下部にはジャンプ競技の電光掲示板もある。

桜の便りが聞かれる季節となった。東京ではもう散り始めているというが、信州では花の季節はもう少し先になりそうだ。そんな信州の中でも雪の多い町というと、真っ先に名前があがるのが飯山だろう。飯山という町には雪のイメージがつきまとう。そんな飯山市街のすぐ西側に隣接していたのが、この飯山スキー場だった。

昨年1月に「飯山スキー100年誌」が刊行された。飯山のスキーの歴史をまとめたもので非常に参考になる。この本を見ると、黎明期の飯山には、城山をはじめ片山・英岩寺山・塔ノ原・大聖寺山・堰下・大平・四宮などのスキー場があったことが記されている。しかし、いずれもリフトの施設はなかったようだ。飯山市で最初にリフトが架けられたのが、この飯山スキー場。市営のリフトで、1955年に完成し、1月に運行を開始した。このスキー場は1925年開設の神明ヶ丘スキー場北端にあったジャンプ台の、さらに北側を開発し設備したものだという。

市街地に近く数々の大会も開催されたが、雪不足もあり経営的には苦しかった。1969年には、施設の老朽化が厳しいため陸運局の許可がおりずリフトが廃止となった。以降、シャンツェパークとして整備されて現在に至っている。

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(左)斜面下にはクラブハウスが設置されている。後方には高社山などの山並。(右)直下の住宅地から見上げたシャンツェ。

豊田飯山インターをおりて飯山市街に下っていく道。その途中に斑尾高原を示す標識があり、そこを左折。その先、斑尾高原入口の交差点を過ぎれば、正面に小高い丘陵が見え、道はその下を走るようになる。左手の一段上にジャンプ台が見えるが、その一帯が飯山スキー場の跡地だ。このブログでも過去に取り上げた「飯山国際スキー場」のひとつ手前の丘にあたる。飯山駅から1kmもない距離である。飯山の町をはさんで東には高社山をはじめとする山々の展望が開けている。

市街地の西端にあたり周囲には住宅などが建て込んでいる。かつての斜面には立派なジャンプ台が設けられ、電光掲示板やスキーハウスといった施設も用意されている。市民が楽しんだゲレンデは、いまやジャンパーを育てる場へと変わっていた。(現地訪問:2012年4月、2013年3月)

2012年01月16日

サンパティック斑尾スキー場(飯山市)

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(左)ホテル・サンパティックとその横にある第1リフトの終点。(右)第1リフト終点から。

これほどネット上の書込みで酷評を受けたスキー場も珍しいのではないだろうか。ただ、酷評の的は、多くはゲレンデではなくホテル・サンパティックに向けられたもの。客室や浴室・トイレなどの施設や寝具、食事、係員の応対などが非難をあびていたが、格安ツアーなのでこんなものじゃないのか、という意見もあった。何年か前には、キャンセルを見込んで収容数よりも多くの宿泊客を受付けてしまい、宿泊できなくなった人たちが出て大きなニュースになった。そんな状況を見るにつけ、いつ営業休止になるかわからないと思っていたので2009年3月に滑りに訪れた。

若いスノーボーダーばかりとわかっていたのであまり気が進まなかったが、「いまのうちに滑っておかねばどうなるかわからない」と思い切って出かけた。ゲレンデは多くのスノーボーダーで賑わっていた。しかも初心者が多いようすだ。見回してもスキーをはいているのは私ひとりだけで、まったく場違いな感じ。ただし、リフト乗場の係員の対応は丁寧で、いやな感じはしなかった。ペアリフト2本にコース2本程度の規模だが、谷に落ち込んで行く感じの中斜面は、それなりに楽しむことができた。

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(左)第1リフト乗場から見上げる。(右)第1リフト乗場付近のゲレンデ最下部を見おろす。

2011年6月の新聞各紙では、サンパティック斑尾を経営するプレイランド斑尾が自己破産を申請したことが報じられた。スキー人口の減少に加え、2011年は震災発生以降、利用客がほとんどなくなり事業を停止していた。「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「斑尾高原スキー場の手前、ホテルサンパティック斑尾がベースのスキー場。ホテルはスキー場の最頂部。ナイターもあり昼夜を通しスキーを満喫できる。スクール、レンタルあり」と案内されている。1984年の開設。最大斜度は36度と書かれている。

しばらく寒気が続き飯山方面でもまとまった積雪があった12月中旬、斑尾を訪れた。斑尾高原スキー場はかなりの積雪がある様子で、数基のリフト稼動でオープン。そこから少し飯山側にくだったサンパティックは準備の様子もなく、ひっそりとしている。ホテルにはいくつか灯りがともり、人がいる気配があるが、その裏のゲレンデにはただ雪が積もるままとなっていて準備の様子はない。道沿いに建つホテルがゲレンデトップの位置にあり、そこから道路とは反対の南側に下る斜面がゲレンデだった。

ホテル裏の第1リフトの降り場付近には雑多なものが置かれてはいるが、リフト施設はそのまま。そこから見おろす斜面は雪に覆われているが人の手が入っている様子はない。積雪前の時期に、一段くだった分道集落から林道に入りゲレンデ最下部に出てみたが、第1・第3リフト乗場やレストハウスの建物もすっかりそのまま残っていた。このまま圧雪をしてリフトの用意をすれば、すぐに滑走が楽しめそうだ。車に戻るとラジオから「中野飯山地域には大雪注意報」という天気予報が聞こえてきた。(現地訪問:2011年12月)

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(左)第3リフト乗場。

【追記】
コメントでお寄せいただきあわてて確認したら、2013シーズン(2012年12月~)営業を再開していた。現地へ行ってみると確かに第1ペアリフトは稼働して営業していた。第3ペアはとまったまま。滑っているのは数人程度で閑散としていたが、再開されたのはいずれにしても朗報。(2012年12月29日)
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【追記】
確認のため訪問したところ、リフトは動いておらず(チェアもはずされたまま)、ゲレンデも圧雪されず新雪が積もるままになっていた。宿泊客は斑尾高原スキー場を利用するかたちになっている模様。(2015年2月)
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2010年01月23日

北信州牧の入スノーパーク(中野市)[再開]

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(左)クワッドリフトの下からゲレンデを見上げる。(右)ヤマビココース・やまぴこ駐車場より左側は木島平スキー場。

北信州の盆地から見あげる高社山は、端正な独立峰をもたげて裾野を延ばしている。その高社山を囲んで、東側には北志賀エリアのゲレンデが広がり、北斜面には双子のように木島平スキー場とこの牧の入スノーパークがあった。牧の入のゲレンデは中野市と木島平村にまたがっていて、斑尾高原豊田スキー場が営業休止の間は中野市域唯一のスキー場でもあった。

1970年(昭和45)の開設。私は1987年3月に一度だけ、木島平との共通リフト券で滑ったことがある。あまり強い印象が残っていないが、上部に行くほど斜度がきつくなる比較的単純なレイアウト。最大斜度30度、最長滑走距離1,500m。最盛期にはクワッド1基・トリプル1基・ペア5基という規模を誇っていた。

ただ、最近はスノーボード専用ゲレンデのようで、スキーヤーとしては選択肢の中には入れづらかった。木島平・牧の入・高井富士3ゲレンデ共通券が発売されていた時期もあり、結びつきを強めてビックゲレンデとして売り出す方法もあったのではなかろうか。スキー場に囲まれて満身創痍との形容もされる高社山ではあるけれど。

メインのアクセスは飯山市街から千曲川を東岸に渡り、木島平村経由ということになるのだが、飯山まで行ったらどうしても斑尾・野沢温泉・戸狩といった方面に目が向きがちだった。同じエリア内でも、木島平がメインで牧の入はサブという印象はぬぐえなかったと思う。

昨年9月に運営会社(大和観光興産)から、今シーズンの営業休止が発表された。そのときの報道によれば「利用者減少に伴い、単独の経営は困難と判断した」との説明であった。バブル期に5億円台だった売上高はここ数年、4千万~4500万円で推移。累積赤字がふくらむ一方でスキー客が増える見通しは立たず、5年ほど前から営業休止を検討してきたという。「これから1年半をかけ、組織・体制の見直し及び立て直しを模索する」「一緒に経営してくれる相手を探したい」とのことで、今後の可能性を探っているようである。

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(左)第1リフト下からクワッド乗場の方向。(右)ゲレンデ下のロッジ・レストランなどは雪に埋もれ、人影はない。

日曜日の午後3時過ぎ。国道403号から木島平スキー場へのアーチをくぐる。木島平からの帰り車とすれ違いながら、途中で右折して牧の入に向かう。除雪されている駐車場に車を乗り入れ、圧雪車で固められているゲレンデ下部まで歩くことができた。ゲレンデの中心であったクワッドとトリプルの前に立つと、新雪に覆われたゲレンデが見渡せる。圧雪車もかたわらにあり、スタンバイしているかのようだ。

クワッドリフトの椅子も綺麗に並べられ雪を被っている。たまたま今年の冬が特別な出来事で、来シーズンからはまた何事もなかったかのように働くのだといいそうな表情である。ゲレンデ下に並ぶ何軒ものレストラン・ロッジ・土産物屋に人影はなく、扉を閉ざしてひっそりとしている。となりの木島平からリフト終了時刻を告げるアナウンスが、かすかに聞こえてきた。(現地訪問:2010年1月)

【追加報告】
Mt.KOSHAの一部として再開した牧の入スノーパークに滑りに出かけた。ゲレンデ下の駐車場まで「Mt.KOSHA」「牧の入」の案内表示は再整備されていた。正月休みなのでとなりの木島平は結構賑わっていたが、牧の入は閑散としていた。稼動リフトは第3ペア・第5ペア・第6クワッドとアナウンスされていたが、現地に行ってみると第5ペアは動かしていなかった。動かすほどの客もいなかったが。

よませ・高井富士・やまびこの丘・木島平・牧の入をあわせて共通リフト券を発売し、Mt.KOSHAとしたもの。ただ、よませ・木島平はスキーヤーが多く、高井富士・牧の入はスノーボーダーが多いゲレンデという印象が強く、そのあたりがこの「統合」でどうなるのか、気がかりなところ。

ゲレンデは圧雪などの整備はほとんどされておらず、新雪フリークには楽しいだろうが、一般客はなかなか楽しめないのではないだろうか。クワッド下にレストラン1軒、無料休憩所1軒が開いていたが、他は休業状態。周辺の宿泊施設もごく一部が再開したに過ぎないようだ。

隣接する木島平とは客層もかなり違うようだし、正月休みにこれだけの集客ならば、再開する意味があったのか、と思われても仕方ないだろう。(2012年1月)

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(左)第3ペア下から。(右)第6クワッド下から。

2013シーズンは「営業見送り」。現地を訪れても、リフトはとまっていた。(2013年2月)

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2014シーズンも牧の入のリフトは動いていなかった。(2014年1月)

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コメント欄にある通り、今シーズンより再開されるとのこと。近くに出かけたついでに覗いてみると、遅い時間だったためかリフトはとまっていたが、細々と営業している気配があった。第3ペアの乗場にはリフト1日券1,000円という案内もあり、駐車場やゲレンデも整備されていた。稼働リフトは2本のようす。(2017年1月)

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木島平に出かけた際に寄ってみるとリフト1本が稼働していた。人の姿はほとんど見られない。駐車場の一角に「リフト券売場」と書かれた真新しい建物が建てられていた。再び力を入れようということなのか。なお、木島平とはリフト券は別になっているもよう。(2017年12月)
ラベル:牧の入