2013年03月29日

飯山スキー場(飯山市)

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(左)現在はシャンツェとなっている斜面。(右)最下部にはジャンプ競技の電光掲示板もある。

桜の便りが聞かれる季節となった。東京ではもう散り始めているというが、信州では花の季節はもう少し先になりそうだ。そんな信州の中でも雪の多い町というと、真っ先に名前があがるのが飯山だろう。飯山という町には雪のイメージがつきまとう。そんな飯山市街のすぐ西側に隣接していたのが、この飯山スキー場だった。

昨年1月に「飯山スキー100年誌」が刊行された。飯山のスキーの歴史をまとめたもので非常に参考になる。この本を見ると、黎明期の飯山には、城山をはじめ片山・英岩寺山・塔ノ原・大聖寺山・堰下・大平・四宮などのスキー場があったことが記されている。しかし、いずれもリフトの施設はなかったようだ。飯山市で最初にリフトが架けられたのが、この飯山スキー場。市営のリフトで、1955年に完成し、1月に運行を開始した。このスキー場は1925年開設の神明ヶ丘スキー場北端にあったジャンプ台の、さらに北側を開発し設備したものだという。

市街地に近く数々の大会も開催されたが、雪不足もあり経営的には苦しかった。1969年には、施設の老朽化が厳しいため陸運局の許可がおりずリフトが廃止となった。以降、シャンツェパークとして整備されて現在に至っている。

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(左)斜面下にはクラブハウスが設置されている。後方には高社山などの山並。(右)直下の住宅地から見上げたシャンツェ。

豊田飯山インターをおりて飯山市街に下っていく道。その途中に斑尾高原を示す標識があり、そこを左折。その先、斑尾高原入口の交差点を過ぎれば、正面に小高い丘陵が見え、道はその下を走るようになる。左手の一段上にジャンプ台が見えるが、その一帯が飯山スキー場の跡地だ。このブログでも過去に取り上げた「飯山国際スキー場」のひとつ手前の丘にあたる。飯山駅から1kmもない距離である。飯山の町をはさんで東には高社山をはじめとする山々の展望が開けている。

市街地の西端にあたり周囲には住宅などが建て込んでいる。かつての斜面には立派なジャンプ台が設けられ、電光掲示板やスキーハウスといった施設も用意されている。市民が楽しんだゲレンデは、いまやジャンパーを育てる場へと変わっていた。(現地訪問:2012年4月、2013年3月)

2012年01月16日

サンパティック斑尾スキー場(飯山市)

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(左)ホテル・サンパティックとその横にある第1リフトの終点。(右)第1リフト終点から。

これほどネット上の書込みで酷評を受けたスキー場も珍しいのではないだろうか。ただ、酷評の的は、多くはゲレンデではなくホテル・サンパティックに向けられたもの。客室や浴室・トイレなどの施設や寝具、食事、係員の応対などが非難をあびていたが、格安ツアーなのでこんなものじゃないのか、という意見もあった。何年か前には、キャンセルを見込んで収容数よりも多くの宿泊客を受付けてしまい、宿泊できなくなった人たちが出て大きなニュースになった。そんな状況を見るにつけ、いつ営業休止になるかわからないと思っていたので2009年3月に滑りに訪れた。

若いスノーボーダーばかりとわかっていたのであまり気が進まなかったが、「いまのうちに滑っておかねばどうなるかわからない」と思い切って出かけた。ゲレンデは多くのスノーボーダーで賑わっていた。しかも初心者が多いようすだ。見回してもスキーをはいているのは私ひとりだけで、まったく場違いな感じ。ただし、リフト乗場の係員の対応は丁寧で、いやな感じはしなかった。ペアリフト2本にコース2本程度の規模だが、谷に落ち込んで行く感じの中斜面は、それなりに楽しむことができた。

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(左)第1リフト乗場から見上げる。(右)第1リフト乗場付近のゲレンデ最下部を見おろす。

2011年6月の新聞各紙では、サンパティック斑尾を経営するプレイランド斑尾が自己破産を申請したことが報じられた。スキー人口の減少に加え、2011年は震災発生以降、利用客がほとんどなくなり事業を停止していた。「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「斑尾高原スキー場の手前、ホテルサンパティック斑尾がベースのスキー場。ホテルはスキー場の最頂部。ナイターもあり昼夜を通しスキーを満喫できる。スクール、レンタルあり」と案内されている。1984年の開設。最大斜度は36度と書かれている。

しばらく寒気が続き飯山方面でもまとまった積雪があった12月中旬、斑尾を訪れた。斑尾高原スキー場はかなりの積雪がある様子で、数基のリフト稼動でオープン。そこから少し飯山側にくだったサンパティックは準備の様子もなく、ひっそりとしている。ホテルにはいくつか灯りがともり、人がいる気配があるが、その裏のゲレンデにはただ雪が積もるままとなっていて準備の様子はない。道沿いに建つホテルがゲレンデトップの位置にあり、そこから道路とは反対の南側に下る斜面がゲレンデだった。

ホテル裏の第1リフトの降り場付近には雑多なものが置かれてはいるが、リフト施設はそのまま。そこから見おろす斜面は雪に覆われているが人の手が入っている様子はない。積雪前の時期に、一段くだった分道集落から林道に入りゲレンデ最下部に出てみたが、第1・第3リフト乗場やレストハウスの建物もすっかりそのまま残っていた。このまま圧雪をしてリフトの用意をすれば、すぐに滑走が楽しめそうだ。車に戻るとラジオから「中野飯山地域には大雪注意報」という天気予報が聞こえてきた。(現地訪問:2011年12月)

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(左)第3リフト乗場。

【追記】
コメントでお寄せいただきあわてて確認したら、2013シーズン(2012年12月~)営業を再開していた。現地へ行ってみると確かに第1ペアリフトは稼働して営業していた。第3ペアはとまったまま。滑っているのは数人程度で閑散としていたが、再開されたのはいずれにしても朗報。(2012年12月29日)
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【追記】
確認のため訪問したところ、リフトは動いておらず(チェアもはずされたまま)、ゲレンデも圧雪されず新雪が積もるままになっていた。宿泊客は斑尾高原スキー場を利用するかたちになっている模様。(2015年2月)
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2010年01月23日

北信州牧の入スノーパーク(中野市)[再開]

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(左)クワッドリフトの下からゲレンデを見上げる。(右)ヤマビココース・やまぴこ駐車場より左側は木島平スキー場。

北信州の盆地から見あげる高社山は、端正な独立峰をもたげて裾野を延ばしている。その高社山を囲んで、東側には北志賀エリアのゲレンデが広がり、北斜面には双子のように木島平スキー場とこの牧の入スノーパークがあった。牧の入のゲレンデは中野市と木島平村にまたがっていて、斑尾高原豊田スキー場が営業休止の間は中野市域唯一のスキー場でもあった。

1970年(昭和45)の開設。私は1987年3月に一度だけ、木島平との共通リフト券で滑ったことがある。あまり強い印象が残っていないが、上部に行くほど斜度がきつくなる比較的単純なレイアウト。最大斜度30度、最長滑走距離1,500m。最盛期にはクワッド1基・トリプル1基・ペア5基という規模を誇っていた。

ただ、最近はスノーボード専用ゲレンデのようで、スキーヤーとしては選択肢の中には入れづらかった。木島平・牧の入・高井富士3ゲレンデ共通券が発売されていた時期もあり、結びつきを強めてビックゲレンデとして売り出す方法もあったのではなかろうか。スキー場に囲まれて満身創痍との形容もされる高社山ではあるけれど。

メインのアクセスは飯山市街から千曲川を東岸に渡り、木島平村経由ということになるのだが、飯山まで行ったらどうしても斑尾・野沢温泉・戸狩といった方面に目が向きがちだった。同じエリア内でも、木島平がメインで牧の入はサブという印象はぬぐえなかったと思う。

昨年9月に運営会社(大和観光興産)から、今シーズンの営業休止が発表された。そのときの報道によれば「利用者減少に伴い、単独の経営は困難と判断した」との説明であった。バブル期に5億円台だった売上高はここ数年、4千万~4500万円で推移。累積赤字がふくらむ一方でスキー客が増える見通しは立たず、5年ほど前から営業休止を検討してきたという。「これから1年半をかけ、組織・体制の見直し及び立て直しを模索する」「一緒に経営してくれる相手を探したい」とのことで、今後の可能性を探っているようである。

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(左)第1リフト下からクワッド乗場の方向。(右)ゲレンデ下のロッジ・レストランなどは雪に埋もれ、人影はない。

日曜日の午後3時過ぎ。国道403号から木島平スキー場へのアーチをくぐる。木島平からの帰り車とすれ違いながら、途中で右折して牧の入に向かう。除雪されている駐車場に車を乗り入れ、圧雪車で固められているゲレンデ下部まで歩くことができた。ゲレンデの中心であったクワッドとトリプルの前に立つと、新雪に覆われたゲレンデが見渡せる。圧雪車もかたわらにあり、スタンバイしているかのようだ。

クワッドリフトの椅子も綺麗に並べられ雪を被っている。たまたま今年の冬が特別な出来事で、来シーズンからはまた何事もなかったかのように働くのだといいそうな表情である。ゲレンデ下に並ぶ何軒ものレストラン・ロッジ・土産物屋に人影はなく、扉を閉ざしてひっそりとしている。となりの木島平からリフト終了時刻を告げるアナウンスが、かすかに聞こえてきた。(現地訪問:2010年1月)

【追加報告】
Mt.KOSHAの一部として再開した牧の入スノーパークに滑りに出かけた。ゲレンデ下の駐車場まで「Mt.KOSHA」「牧の入」の案内表示は再整備されていた。正月休みなのでとなりの木島平は結構賑わっていたが、牧の入は閑散としていた。稼動リフトは第3ペア・第5ペア・第6クワッドとアナウンスされていたが、現地に行ってみると第5ペアは動かしていなかった。動かすほどの客もいなかったが。

よませ・高井富士・やまびこの丘・木島平・牧の入をあわせて共通リフト券を発売し、Mt.KOSHAとしたもの。ただ、よませ・木島平はスキーヤーが多く、高井富士・牧の入はスノーボーダーが多いゲレンデという印象が強く、そのあたりがこの「統合」でどうなるのか、気がかりなところ。

ゲレンデは圧雪などの整備はほとんどされておらず、新雪フリークには楽しいだろうが、一般客はなかなか楽しめないのではないだろうか。クワッド下にレストラン1軒、無料休憩所1軒が開いていたが、他は休業状態。周辺の宿泊施設もごく一部が再開したに過ぎないようだ。

隣接する木島平とは客層もかなり違うようだし、正月休みにこれだけの集客ならば、再開する意味があったのか、と思われても仕方ないだろう。(2012年1月)

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(左)第3ペア下から。(右)第6クワッド下から。

2013シーズンは「営業見送り」。現地を訪れても、リフトはとまっていた。(2013年2月)

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2014シーズンも牧の入のリフトは動いていなかった。(2014年1月)

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コメント欄にある通り、今シーズンより再開されるとのこと。近くに出かけたついでに覗いてみると、遅い時間だったためかリフトはとまっていたが、細々と営業している気配があった。第3ペアの乗場にはリフト1日券1,000円という案内もあり、駐車場やゲレンデも整備されていた。稼働リフトは2本のようす。(2017年1月)

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木島平に出かけた際に寄ってみるとリフト1本が稼働していた。人の姿はほとんど見られない。駐車場の一角に「リフト券売場」と書かれた真新しい建物が建てられていた。再び力を入れようということなのか。なお、木島平とはリフト券は別になっているもよう。(2017年12月)
ラベル:牧の入

2009年06月07日

大平スキー場(その1)(中野市/旧豊田村)

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(左)リフト乗場からゲレンデを見上げる。(右)リフト乗場にある看板にはかすかに「大平スキーリフト」の文字が。

今は中野市の一部となってしまった旧豊田村。長野市から見ると飯山や斑尾の手前にある感覚なので、近年、斑尾高原豊田スキー場が開設されるまでは、豊田村にスキー場があったとは思わなかった。「豊田村史」「長野県スキー史」によれば、昭和40年代には「涌井スキー場」「大平スキー場」がこの村にあったという。それらのスキー場の位置がわからなかったのだけれど、昔の国土地理院の地図(1/5万:中野)を見ると、北永江の集落の北東に索道の記号が掲載されている。大平スキー場はこの場所にあったようだ。

「豊田村史」によれば「1967年に地元有志により斑尾観光開発株式会社が設立され、翌1968年に大平山に初級者から上級者まで3コース・リフト1基(350m)・食堂・売店等が建設された」とある。長野方面からの交通機関の便もよく、雪質が良いことで脚光をあびたらしい。確かに飯山線替佐駅からバスなどを使えば、長野方面からもそう遠くはない。最寄の北永江の集落に民宿も開設され、近場のスキー場として親しまれたようだが、雪不足やスキー客の減少などで1975年に閉鎖に追い込まれた。

上信越道の豊田飯山ICの近くから、農道のような道を少し車で上ると道の脇にリフトの残骸があらわれた。リフト乗場の看板にはかすかに「大平スキーリフト」の文字も読み取ることができる。斜面を北に向かってリフトは上っていくが、ゲレンデだったと思われる場所には草木が生い茂っており、ヤブを掻き分けてようやく最初(2/7)のリフト鉄柱にたどり着くくらいが精一杯だった。リフト乗場に戻れば、眼下に上信越道の豊田飯山ICや国道117号の道の駅を見ることができる。

現在の積雪では、とてもこのあたりではスキー場は開設できないと思う。ここにスキー場があった時代を回想するしかないだろう。

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(左)リフト途中の鉄柱も残っている。

こちらもご覧ください→「大平スキー場(その2)」
ラベル:スキー 豊田村

2009年05月23日

戸狩小境スキー場(飯山市)

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(左)ゲレンデ最上部付近から見下ろす。 (右)ゲレンデ中腹に建つホワイトハウス(第3リフト乗場付近)。

戸狩スキー場は小学1年のとき、竹スキーなどではないまともなスキーを初めてしたところで、私にとっては思い出深い。その戸狩に隣接して、信濃平との間にあったのが、戸狩小境スキー場。その名前は、戸狩などに出かけたときによく耳にしていたが、ついに訪れる機会はなかった。1973年から1983年まで、10年あまりの営業期間だったようだ。

小境の民宿街から少し登ったゲレンデ中央だったと思われる場所に、ホワイトハウスと呼ばれていた建物が無残な姿をさらしながら残っているのが印象的だ。パトロールやスキー学校も入っていた建物らしい。ゲレンデ周囲には家屋が入り組んで、その境界が不明確なところは、古いゲレンデらしい。民宿が主体のスキー場で、「冬の信州(1977版)」には「なんといっても民宿や駐車場からスキーをつけてそのままゲレンデに行ける便利なファミリースキー場」との記載がある。

「'86 SKI GUIDE(山と渓谷社)」には「豪雪で知られる飯山市の北方に位置し、昼はのんびりスキーで楽しみ、夜は名産のえのき茸を使った郷土料理と地酒でゆっくりくつろげる静かで人情味豊かな豊田の里に開かれている。(中略)近くに戸狩スキー場があるためか、平日は比較的すいているので、スキー合宿には最高の条件」と記載されている。

信濃平と戸狩を結ぶ県道のすぐ西側からシングルリフトが1本(540m)。それに沿って初級コース。その右手上のホワイトハウス近くから、もう1本シングルリフト(600m)があり、それに沿って上級コース。そして大きく迂回するように中級コースがあったようだ。いまは一面畑地になり、スキー場の痕跡を残すものはあまり残っていない。

「長野県スキー史」によればリフト3基とロープトウがあると記載されているが、「飯山市スキー史」には、「リフト増設について何回か検討されたが計画は進展を見ないまま小規模なスキー場としての運営を余儀なくされた……」とあるから、リフトは結局2基のままだったのだろう。後発スキー場でありながら、戸狩などにくらべると立地条件にも恵まれず、1983年に閉鎖後は、戸狩スキー場へのスキー客送迎により民宿経営を続けたようだ。

夕刻の畑地の斜面に立つと、正面には野沢の毛無山や志賀高原の山々を望むことができた。(現地写真:2009年5月)

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(左)第一リフト乗場付近からゲレンデを見上げる。(右)「冬の信州'81」を参考に作図。