2014年09月19日

岡谷塩尻峠スキー場(岡谷市)

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(左)国道20号の塩尻峠脇に掲げられた案内図。高ボッチへ向かう途中にゲレンデがあったと思われる(車道は荷直峠で終点)。(右)ゲレンデ最下部はこのあたりではなかったか。

「冬の信州(昭和28年度版)」によって、岡谷にもスキー場があったことを知った。同誌には岡谷塩尻峠スキー場が次のように紹介されている。「中央線岡谷駅から諏訪湖を眺めながら中山道を上ること約30分。塩尻峠峰の茶屋に着く。ここから約45分徒歩で尾根を北に進むと塩尻峠スキー場がある。ここは最近開拓されたスキー場で雪質良好。変化に富んだスロープが四通八達しスキーの醍醐味を味わうことができる。また、ここよりの眺望は東に諏訪湖をへだてて八ヶ岳・富士の秀峰を望み、西顧して日本アルプスの諸嶽を指呼の間に収め得ることができる」。

また、4年ほど前に「岡谷の歴史映像」という映像集がつくられ、その中に「岡谷スキー場」「岡谷塩嶺スキー場」の動画が収められた。少し前に岡谷市立図書館まで出かけて、DVDを借りその動画を見る機会を得た。ひとつは昭和15年(1940年)の動画だったが、岡谷スキー場でのスキー大会のようすらしかった。滑っている人々の道具や服装、滑り方は歴史を感じさせるもので、当然リフトなどもない様子だった。

もうひとつの動画は昭和26年(1951年)の岡谷塩嶺スキー場となっていて、岡谷駅から途中(おそらく塩尻峠周辺)まで満員のスキー客を乗せたバスが走るようすから収録されている。そこからはスキー場まで歩いたようだ。窪地状の斜面を楽しそうに滑っているようすが映っているが、やはりリフトなどはないようだ。ゲレンデから眼下に諏訪湖、そして周囲の山々の素晴らしい眺望が映し出されている。帰路は林道を滑り下ったようだ。なお、岡谷スキー場と岡谷塩嶺スキー場は、動画から見ると同じ場所に思える。

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(左)ゲレンデ下部から見上げた斜面(?)。(右)国道20号の少し北では中山道が越えている。

塩尻峠から北に続く尾根上にあるという見当はつくものの、正確な場所はわからない。現地に行ってみればわかるだろうと考え、9月の休日に塩尻峠へと車を走らせた。国道20号の塩尻峠から北に曲がり、さらに旧中山道を横切って進めば、マレットゴルフ場やキャンプ場のある「塩嶺野外活動センター」の前に出る。その施設で数人に尋ねてみるが「さあ、近くに60年住んでいるが知らないねえ」との返事。昭和26年といえば63年も前の話だから、知らなくても無理はない。

このブログでは、ゲレンデの位置をできる限り特定してきたが、残念ながら今回は自信がない。ただ、動画で見た地形や徒歩45分という距離から考えて、地図上の「東山」南側斜面一帯ではないだろうか。林道の東側に送電鉄塔が立つ平坦地があり、そこがゲレンデ最下部と推測した。いまは斜面も木々に覆われ痕跡はまったくわからないし、諏訪湖側も樹林によって視界が遮られている。動画で見た諏訪湖や富士山を眺めながらのスキーが、ほんとうに贅沢なものに思えた。(現地訪問:2014年9月)

*ゲレンデの位置についての情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、お教えくださいますようお願いいたします。

2011年09月18日

入笠山スキー場(富士見町)

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(左)鹿よけのネットの中にお花畑。その斜面がスキー場だった。(右)入笠山登山道からゲレンデを見おろす。

入笠山は古くから多くのハイカーに愛されてきた山だ。その魅力は八ヶ岳や南アルプスを間近に見る展望と湿原を彩る花々、そしてそれらを包み込む森林。首都圏からも適度な距離にある。現在では混雑期にマイカー規制がされるようになったが、その時期をのぞけば山頂直下の御所平駐車場まで車で入ることができ、30分の登りで展望の素晴らしい山頂に立つことができる。ただ、それだからといってこの山の魅力が損なわれたわけではない。小雨のぱらつく今日も、家族連れなどのハイカーを多く見かけた。ますます身近な山として親しまれていると思う。MTBのコースもあるし、冬期にも富士見パノラマスキー場のゴンドラを使い、一帯のスノーハイクするようすも、さまざまなサイトで確認することができる。廃止となった入笠スキー場の跡地を滑る人もいるようだ。

マナスル山荘などがある御所平から入笠山への登山道をたどれば、左手にはお花畑が広がる。多くの人がその地形から想像するとおり、ここはスキー場だった。見上げる斜面は夏はお花畑となる。鹿よけのネットがいまは張り巡らされているが、所定の入口から入って散策すれば、旧盆を過ぎたこの時期にもクルマユリを初めとする花々が咲いていた。見上げるゲレンデは適度な斜面で楽しい滑走だ楽しめそうだ。かつてはTバーリフトが設置されていたようだが、施設の痕跡はわからない。

もう一箇所、入笠湿原近くにもゲレンデがあった。山彦荘の前に広がる樹林のない斜面がそのゲレンデの跡。こちらも適度な中斜面だ。左手上部には、富士見パノラマのゴンドラ山頂駅があるはずだが樹林に遮られて見ることはできない。山彦荘で聞くと、こちらもTバーリフトを設置していたという。富士見パノラマスキー場が近くまでゴンドラを伸ばした時期と前後して、営業をやめたという。このほかにも、入笠牧場の斜面などを使ってスキーが楽しまれていたのだろうと思われる。そのような形態なので、スキー場の開設年月を特定することは難しいのではないかと思う。小山泰弘「長野県における休廃止スキー場の実態とその後の植生変化」によれば、入笠山スキー場の最終営業年は1999年となっている。富士見パノラマの山頂ゴンドラ設置はその何年か前だったと記憶している。

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(左)ゲレンデに咲いていたクルマユリ。(右)山彦荘の前、入笠湿原に隣接していたゲレンデ。

せっかくなので小雨の中、入笠山山頂まで登ってみる。当然のことながら一面の雲に隠れて展望は得られない。過去、何回か家族でも訪れているが、その都度360度の展望に恵まれた。しかし、小雨に濡れた樹林帯や湿原もしっとりした緑を描き出し、なかなか捨てがたいと感じた。(現地訪問:2011年8月)
ラベル:入笠山

2011年03月20日

美ヶ原スキー場(長和町/旧 和田村)

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(左)山本小屋から見る。右手奥の美ヶ原高原ホテルから左にくだる斜面がゲレンデだった。(右)美ヶ原高原ホテルの裏から斜面を見下ろす。向こう側の木立の手前あたりにロープトウがあったらしい。

「登りついて不意にひらけた眼前の風景にしばらくは世界の天井が抜けたかと思う。」

有名な尾崎喜八のこの文章は、美ヶ原高原の魅力を見事に表現しているけれど、それを実感するにはやはり、百曲や焼山沢から歩いて登るのでなければと思う。しかし、私も百曲や焼山沢を登ったことは数えるほどで、いつも山本小屋の前の駐車場に車をつけることになってしまう。ビーナスラインと美ヶ原林道が東西から延びているけれど、この山頂台地だけは車道の通過を辛うじて免れている。そんな美ヶ原高原の山頂台地の一角にスキー場があったと知ったのは「長野県スキー史」や「冬の信州1976」の記載によるもの。

「長野県スキー史(1978年)」によれば、「近年、和田村よりの路線が開通して以来、スキーシーズンは公認スキー学校を12月から4月までの長期にわたって山本小屋新館の美ヶ原高原ホテル内に常設し、公認スキー指導員が常時指導に当たっている。一般スキーヤーも山岳スキーの醍醐味が十分に楽しめるとあって、年々その数を増している。従来は山岳スキーツアーに重点をおいて指導してきたが、現在ではスキー技術面に重点を置き、初心者から上級者に至るまでユニークな指導をしている。雪質は標高2,000mの高度のために、乾燥粉雪で常に最高のコンディションで12月から4月末までシーズンが長く山頂一帯の銀世界にシュプールをつけられるよろこびは大きい」と記されている。

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(左)夏に牛伏山からのぞむ美ヶ原山頂一帯。右手奥に見える美ヶ原高原ホテルの左手窪地がゲレンデ。(右)美ヶ原高原ホテルの駐車場。その向こう側下の斜面がゲレンデだった。

「冬の信州1976」には「360度に展開するアルプスの展望台として、その眺望はすばらしい。初心者向き女性向きのスキー場である。200mのロープトウあり」と案内されている。同誌には「美ヶ原スキー場」の広告ページも掲載されている。その広告には「白銀のアルプス展望台。雲表の山岳ホテル。北欧風民芸調山岳ホテル『美ヶ原高原ホテル』収容160名」となっている。このページには、現在の美ヶ原高原ホテルから東にくだるスリバチ状の斜面の写真が掲載されていて、ロープトウもそこに設置されていたようだ。それほど広い斜面ではなく「初心者向き、女性向き」という案内があてはまる。スキーの魅力だけでなく、美ヶ原の展望台としての楽しみがそれを上回っていたかもしれない。

スキー場としての開設・廃止の年代ははっきりしない。あくまで推測だが、1980年代後半には営業をしていなかったのではないだろうか。

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(左)アンテナが林立する王ヶ塔とその右に北アルプスが連なる展望。

美ヶ原に上る車道はほとんどが冬期通行止めとなるが、旧和田村から上る道が一本だけ、冬期も山本小屋まで通じている。標高をあげていくと路面の積雪も増えていく。たどり着いた山本小屋の駐車場には20台ほどの車があり、スノーシューを使った冬のトレッキングを楽しんでいる人が多いようだった。美ヶ原高原ホテルまでは除雪がされており、その先、美しの塔あたりまで歩いてみたが、強い風で雪面が固められているのか、長靴でも歩くことができた。このあたり全体がスキーエリアといってもよかったのだろうが、ロープトウは美ヶ原高原ホテル脇の斜面にあったのだろう。確信がなかったので美ヶ原高原ホテルで聞いてみると、その通りのようで「向こうの木の手前あたりにロープトウがあったんですよ」。その頃は多くのスキーヤーで賑わったのではないかと思って聞いてみたが、「こんなところまでスキーに来る人は、なかなか多くはいなかったねえ」とのことだった。

まず目を奪われるのは、王ヶ塔の右に広がる北アルプスのほぼ全容にわたる展望。振り返れば蓼科と八ヶ岳、その右側にかすかに富士山も見える。晴天の冬の休日、至福の展望を楽しむことができた。(現地訪問:2010年8月、2011年2月・3月)

2010年04月29日

蓼科アソシエイツスキー場(佐久市)

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(左)ゲレンデ全体 (右)リフト乗場。椅子ははずされて並べられていた。

信濃には八十の高山ありといへど女の神山の蓼科われは  伊藤左千夫

蓼科山はどこから見てもそれとわかる円頂をもたげ、長い裾野を延ばしている。名山だと思う。その東側の高原に位置していたのが蓼科アソシエイツ。

他のサイトでもいろいろ取り上げられていて、今更という感じもするので気がすすまない。長野県内にありながら結局、営業中に滑りに行く機会も逸している。白樺高原方面からのアクセスを考えがちだが、この季節は大河原峠方面からはまだ冬期閉鎖中。正しい(?)アプローチは佐久市内の国道141号沿いから。「蓼科仙境都市」「大河原峠」を指し示す標識が西側の山間に向かう方向を示しているが、以前はその脇に「蓼科アソシエイツスキー場」の名も見られた。蓼科東麓の山深いところに会員制のリゾート地をつくり、スキー場もつくってしまったが、現在のような経済情勢になりスキー場は廃止、リゾート地としてもほとんど稼動していないのではないだろうか。

国道141号からの「蓼科スカイライン」は思っていたよりも良い道。やがて稜線上を走るようになるので展望も良く、この眺望や道沿いの美しい樹林を見れば、この地にリゾート開発をしようとした気持ちも何となくわかる。間もなく仙境都市の中心に着くという直前にゲレンデ下を車道はかすめる。わずかな距離を歩いてゲレンデ下部まで行って見ると、1基だけあったペアリフトの乗場があった。ワイヤーは付いたままで、椅子ははずされて綺麗に並べられている。屋根が破損したプレハブが2棟。事務所と休憩所だったようだ。ワックスマシンと圧雪車の格納庫。見上げるゲレンデは、最大斜度35度と結構そそられる傾斜だが、潅木が斜面を覆い始めている。

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(左)ゲレンデを見おろすと、正面に浅間山が見える。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」によれば「佐久平や浅間山が広がりコンパクトながら景観バツグン。初中級向きの第1コースと、35度のカベをもつ上級者向きの第2コースの一枚バーン。ゲレンデ内にあるバーデンホテルは食事等の利用も可。ナイター・スクール・レンタルあり。2000年シーズンは営業未定」とある。小山泰弘「長野県における休廃止スキー場の実態とその後の植生変化」によると、最終営業年は1997年となっている。2005年には廃止となったようだ。90年代にも人は少なかったが、スクールはそれなりの定評があったらしい。

車道をさらに上って行くと、仙境都市の中核と思われるセンターフロントやホテルのある場所に着く。人影は無く閑散としているが、その広場の脇から奥にすすむとゲレンデの最上部に出ることができた。ナイター照明の施設もゲレンデに沿って設けられている。リフトの降り場から斜面を見下ろすと、噴煙をなびかせる浅間山の姿が正面に見えた。景観は素晴らしいところだと思う。(現地訪問:2010年4月)

2010年02月06日

姫木平スキー場(長和町/旧長門町)

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(左)植樹祭の柱がある下部からゲレンデを見上げる(2009年6月)。

ゲレンデが密集する白樺湖周辺は、首都圏からは出かけやすいロケーションだと思う。しかし、もともとそれほど積雪の多い場所ではないから、北信濃に住むものにしてみれば、わざわざ南の方向に出かけるのには躊躇しがちだ。今日も長野市周辺では雪が降り続いたが、途中の丸子や武石あたりまで来ると日差しがのぞいた。

国道152号を北から進めば、大門峠の少し手前で西に分岐するのはエコーバレースキー場へのアクセスルート。その道に沿って地元長和町出身の冬季五輪選手に対する「ガンバレ スノーボードクロス競技 藤森由香選手」という応援の旗が立てられている。このエコーバレーへの途中にある姫木平別荘地にとり囲まれるようにして、姫木平スキー場はあった。別荘地の計画の中に最初から組み込まれていたのだろうか。スリバチ型のゲレンデ脇に並ぶペンションからは、簡単にゲレンデに滑り込むことができた。エコーバレーへも至近距離なので現在も営業をしているペンションは多いけれど、中にはひっそりと雪に埋もれている建物も見受けられる。その先に少し進めば、エコーバレーはさすがにトップシーズンの週末とあって賑わっている様子だった。

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(左)ゲレンデ下部から見上げる。(右)ゲレンデ上部から見下ろす。

私は1993年2月にエコーバレーで滑った帰りに、「仕上げに数本」という感じでこの姫木平で滑った。最大32度の壁もあるコースで、規模の割には楽しい斜面のゲレンデだったと記憶している。その頃は子ども連れも多く結構賑わっていたと記憶しているが、1998年を最後に営業を中止した。スキー人口が多かった時代には、エコーバレーのようなビッグゲレンデとの棲み分けがなされていたということになるのだろうか。1976年の開設。最大斜度40度。第1リフト325m、第2リフト464m。

私の訪問時にはリフトはシングル2本あり、トップに向かって右手の長い第2リフトをもっぱら使ったと記憶している。手元の古いガイドブック(オールスキー場完全ガイド/立風書房)では左手に1本だけ描かれているので、最後には1本になったのかもしれない。いずれもいまは痕跡を見出せない。ゲレンデ最下部に「平成21年植樹祭 長和町」と書かれた柱が立てられている。別荘地の中のエアポケットのようになってしまった空間。植樹して景観を損なわないようにする取組みが行われている模様だ。