2019年11月09日

和田峠スキー場(その2)(長和町)

ビーナスラインから古峠(旧和田峠)にかけての斜面に広がっていたのが和田峠スキー場。今年の2月と10月に和田峠から三峰山への登山道を歩く機会があり、あらためてゲレンデの脇から現地を見ることができた。前回レポートからもう10年が経過し、斜面の大かたは唐松の植林幼樹に覆われて痕跡は薄れている。知らなければゲレンデがあったとは気づかないだろう。

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(左)ゲレンデを下から見上げる。右手にスキー学校の看板を掲げた廃屋。(右)植林された唐松の幼樹が広がる。

ちなみに旧和田峠では旧中山道と、太平洋と日本海に流れ落ちる水を分ける「分水嶺トレイル」が交差する。分水嶺のすぐに北側(日本海側)に位置していて、本州のど真ん中にあるような感じである。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には以下のように紹介されている。「ビーナスライン入口。近くに車山高原などの大きなスキー場があるためすいており、ファミリーや日帰りスキーヤーに人気。最大斜度28度で上級者コースも揃う。ソリ専用ゲレンデ、スクール。レンタルあり」シングルリフト1基があった。2000年版に掲載されているが、1998年を最後に営業を休止したはずである。(コメント欄にお寄せいただいたように、2003年頃までシングルリフトは稼働していたらしい)

ゲレンデ下部に建つレストハウスやスキー学校の建物は、廃墟となりながらもまだ残っている。左側にあったリフト施設の痕跡は、樹木に覆われ遠目にはわからなくなっている。旧和田峠に登りつく直前に左方向に樹木のない斜面が見える。このゲレンデ上部は斜度が急なため、植林が行われなかったのだろうか。旧和田峠には中山道についての説明板がいくつも立てられていて賑やかである。峠の向こう側は諏訪湖まで望むことができた。(現地訪問:2019年10月)

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(左)ゲレンデ上部はけっこう急斜面。(右)古峠(旧和田峠)。

こちらもご覧ください→「和田峠スキー場(その1)」
          →「和田峠スキー場(その3)」

2019年04月24日

八ヶ岳グレステンサマースキー場(原村)

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(左)八ヶ岳自然文化園の正面入口。(右)園内地図。スキー場も示されている。

原村にある八ヶ岳自然文化園にあるグレステンサマースキー場が営業を終了した。同園のホームページ場にて以下のように告知された。「平素はいつも『八ヶ岳グレステンサマースキー場』をご利用いただき誠にありがとうございます。さて、突然ではございますが、2018年11月25日(日)をもちまして『グレステンスキー場』の営業を終了する事となりました。(中略)当園の営業は継続いたしますので、引き続きご利用いただきますようお願い申し上げます」

グレステンスキーとは「グランジャー」と呼ばれる特殊な車輪をつけた陸上スキー用具を付けて、雪上スキーと同じ運動で滑るもの。同園HPでは「全長190m、最大斜度8度、平均斜度4度のコースに、グリップ性・衝撃吸収に優れた専用マットを敷いており、初心者から上級者まで楽しんでいただけます。レジャーとして楽しむだけでなく、カービングターンもできるなど、スキープレーヤーの夏季の練習にもピッタリ」と記されている。

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(左)ゲレンデ最下部から上部を見上げる。(右)ゲレンデ下部には受付などをしていたと思われる建物。

雪上ではごまかせていた自分の欠点がダイレクトに感じ取れるとされていて、「雪上では感じ取れなかった何かが必ず感じ取れるはず」でレベルアップに有効とされている。営業時期は4月下旬~11月下旬(雪が降るまで)。私は体験したことがなかった。

昨年12月上旬、まだ雪のない原村を訪れた。同スキー場は八ヶ岳自然文化園の園内にある総合リゾート施設で、パターゴルフ場・マレットゴルフ場のほか、プラネタリウムのある自然観察科学館等を備えている。園内を散策するのは自由のようなので、正面入口から左に進んでみると緑色のマットを敷いたサマースキー場があった。降雪は少ない場所だろうから、冬期のスキー場というものは設置できなかったのだろう。

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(左)ゲレンデ中間部までのロープトウ(?)。(右)最上部から見おろす。

緩斜面ではあるが、見た目には思ったよりも距離の長い斜面に緑色のマットが敷かれている。最下部には、利用受付や用具の貸出をおこなっていたであろう建物がある。その入口にはHPと同様の営業終了の文章が掲示されていた。最下部から中間部まではロープトゥのようなものが右手に用意されているが、それより上はどうやって登っていたのだろうか。

営業休止の理由はわからない。スキー人口が減少している中で、夏にこれでトレーニングするという人も減少していたのだろうか。暖冬という予想がささやかれる中、それでも見上げる八ヶ岳連峰の稜線は雪で覆われはじめ、冬の訪れを告げようとしていた。(現地訪問:2018年12月)

2018年07月20日

池のくるみスキー場(諏訪市)

現在、霧ヶ峰といってイメージされるのは車山周辺や八島湿原であったり、強清水あたりだろうか。池のくるみ(踊場湿原)はやや忘れ去られた場所になっているような気がする。車山や八島湿原は多くのハイカーで賑わうけれど、過去数回、踊場湿原の周回路ではほとんど人の姿を見た記憶がない。湿原の雰囲気は悪くないと思うのだけれど。

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(左)西端(最下部)から踊場湿原を見上げる。(右)トロイカが設置されていたと思われる湿原南側の斜面。

霧ヶ峰インター交差点から南下すれば、数軒のロッヂが建つ踊場湿原の西端を車道はかすめる。駐車スペースの傍らに「霧ヶ峰湿原植物群落」の説明板がある。東の方角を眺めれば、左右の緩やかな丘陵地に囲まれて前方に細長く湿原が広がっている。前方に見えるはずの車山やガボッチョという、ユーモラスな名前のピークは霧に隠れている。

この場所にスキー場があったことを知ったのは「長野県スキー史」の記載による。『池のくるみスキー場』には昭和7年(1932)にシャンツェを完成。昭和31年(1956)にスキーリフトが建設されたが利用客が少なく、33年取り外し、霧ヶ峰強清水へ第2リフトとして移設。こうして、池のくるみから強清水へと霧ヶ峰のスキーの中心地は移行していったと書かれている。

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(左)湿原南側上部からロッヂなどかある最下部を見おろす。(右)湿原周回路の東端付近から南側の丘陵を見る。

池のくるみがスキー場として隆盛であったのは、昭和7年から33年の間ということだろうか。その間に休憩所や山小屋も整備されるようになったようだ。昭和12年(1937)上諏訪駅から途中までバスも運行されるようになったが、バスを降りてもなお1時間歩かなければならなかった。

また、「冬の信州'76」には「ロープトロイカ 150m 30円」という記載があり、その後もスキー場として存続していた様子がうかがえる。湿原上部に向かって右手の小ピークに小屋があり、トロイカの機器が納められていたようだ。つまり湿原南側の北斜面がトロイカのあるゲレンデだったということのようだ。その斜面はゲレンデとして草刈りが続けられてきたらしい。

今回の訪問は、このトロイカ小屋が残っているか確かめる目的が大きかったが、残念ながら取り壊されてしまったようだ。その跡形もわからなかった。湿原南側の斜面は、やや距離は短いものの滑走には適度な斜面に見えた。しかし、静かな湿原を見ていると、多くのスキーヤーでこの地が賑わったことがいまではとても信じられなかった。(現地訪問:2018年7月)

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(左)強清水の霧ヶ峰スキー場。現在も営業を続けている。

2014年09月19日

岡谷塩尻峠スキー場(岡谷市)

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(左)国道20号の塩尻峠脇に掲げられた案内図。高ボッチへ向かう途中にゲレンデがあったと思われる(車道は荷直峠で終点)。(右)ゲレンデ最下部はこのあたりではなかったか。

「冬の信州(昭和28年度版)」によって、岡谷にもスキー場があったことを知った。同誌には岡谷塩尻峠スキー場が次のように紹介されている。「中央線岡谷駅から諏訪湖を眺めながら中山道を上ること約30分。塩尻峠峰の茶屋に着く。ここから約45分徒歩で尾根を北に進むと塩尻峠スキー場がある。ここは最近開拓されたスキー場で雪質良好。変化に富んだスロープが四通八達しスキーの醍醐味を味わうことができる。また、ここよりの眺望は東に諏訪湖をへだてて八ヶ岳・富士の秀峰を望み、西顧して日本アルプスの諸嶽を指呼の間に収め得ることができる」。

また、4年ほど前に「岡谷の歴史映像」という映像集がつくられ、その中に「岡谷スキー場」「岡谷塩嶺スキー場」の動画が収められた。少し前に岡谷市立図書館まで出かけて、DVDを借りその動画を見る機会を得た。ひとつは昭和15年(1940年)の動画だったが、岡谷スキー場でのスキー大会のようすらしかった。滑っている人々の道具や服装、滑り方は歴史を感じさせるもので、当然リフトなどもない様子だった。

もうひとつの動画は昭和26年(1951年)の岡谷塩嶺スキー場となっていて、岡谷駅から途中(おそらく塩尻峠周辺)まで満員のスキー客を乗せたバスが走るようすから収録されている。そこからはスキー場まで歩いたようだ。窪地状の斜面を楽しそうに滑っているようすが映っているが、やはりリフトなどはないようだ。ゲレンデから眼下に諏訪湖、そして周囲の山々の素晴らしい眺望が映し出されている。帰路は林道を滑り下ったようだ。なお、岡谷スキー場と岡谷塩嶺スキー場は、動画から見ると同じ場所に思える。

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(左)ゲレンデ下部から見上げた斜面(?)。(右)国道20号の少し北では中山道が越えている。

塩尻峠から北に続く尾根上にあるという見当はつくものの、正確な場所はわからない。現地に行ってみればわかるだろうと考え、9月の休日に塩尻峠へと車を走らせた。国道20号の塩尻峠から北に曲がり、さらに旧中山道を横切って進めば、マレットゴルフ場やキャンプ場のある「塩嶺野外活動センター」の前に出る。その施設で数人に尋ねてみるが「さあ、近くに60年住んでいるが知らないねえ」との返事。昭和26年といえば63年も前の話だから、知らなくても無理はない。

このブログでは、ゲレンデの位置をできる限り特定してきたが、残念ながら今回は自信がない。ただ、動画で見た地形や徒歩45分という距離から考えて、地図上の「東山」南側斜面一帯ではないだろうか。林道の東側に送電鉄塔が立つ平坦地があり、そこがゲレンデ最下部と推測した。いまは斜面も木々に覆われ痕跡はまったくわからないし、諏訪湖側も樹林によって視界が遮られている。動画で見た諏訪湖や富士山を眺めながらのスキーが、ほんとうに贅沢なものに思えた。(現地訪問:2014年9月)

*ゲレンデの位置についての情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、お教えくださいますようお願いいたします。

2011年09月18日

入笠山スキー場(富士見町)

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(左)鹿よけのネットの中にお花畑。その斜面がスキー場だった。(右)入笠山登山道からゲレンデを見おろす。

入笠山は古くから多くのハイカーに愛されてきた山だ。その魅力は八ヶ岳や南アルプスを間近に見る展望と湿原を彩る花々、そしてそれらを包み込む森林。首都圏からも適度な距離にある。現在では混雑期にマイカー規制がされるようになったが、その時期をのぞけば山頂直下の御所平駐車場まで車で入ることができ、30分の登りで展望の素晴らしい山頂に立つことができる。ただ、それだからといってこの山の魅力が損なわれたわけではない。小雨のぱらつく今日も、家族連れなどのハイカーを多く見かけた。ますます身近な山として親しまれていると思う。MTBのコースもあるし、冬期にも富士見パノラマスキー場のゴンドラを使い、一帯のスノーハイクするようすも、さまざまなサイトで確認することができる。廃止となった入笠スキー場の跡地を滑る人もいるようだ。

マナスル山荘などがある御所平から入笠山への登山道をたどれば、左手にはお花畑が広がる。多くの人がその地形から想像するとおり、ここはスキー場だった。見上げる斜面は夏はお花畑となる。鹿よけのネットがいまは張り巡らされているが、所定の入口から入って散策すれば、旧盆を過ぎたこの時期にもクルマユリを初めとする花々が咲いていた。見上げるゲレンデは適度な斜面で楽しい滑走だ楽しめそうだ。かつてはTバーリフトが設置されていたようだが、施設の痕跡はわからない。

もう一箇所、入笠湿原近くにもゲレンデがあった。山彦荘の前に広がる樹林のない斜面がそのゲレンデの跡。こちらも適度な中斜面だ。左手上部には、富士見パノラマのゴンドラ山頂駅があるはずだが樹林に遮られて見ることはできない。山彦荘で聞くと、こちらもTバーリフトを設置していたという。富士見パノラマスキー場が近くまでゴンドラを伸ばした時期と前後して、営業をやめたという。このほかにも、入笠牧場の斜面などを使ってスキーが楽しまれていたのだろうと思われる。そのような形態なので、スキー場の開設年月を特定することは難しいのではないかと思う。小山泰弘「長野県における休廃止スキー場の実態とその後の植生変化」によれば、入笠山スキー場の最終営業年は1999年となっている。富士見パノラマの山頂ゴンドラ設置はその何年か前だったと記憶している。

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(左)ゲレンデに咲いていたクルマユリ。(右)山彦荘の前、入笠湿原に隣接していたゲレンデ。

せっかくなので小雨の中、入笠山山頂まで登ってみる。当然のことながら一面の雲に隠れて展望は得られない。過去、何回か家族でも訪れているが、その都度360度の展望に恵まれた。しかし、小雨に濡れた樹林帯や湿原もしっとりした緑を描き出し、なかなか捨てがたいと感じた。(現地訪問:2011年8月)
ラベル:入笠山