2011年03月20日

美ヶ原スキー場(長和町/旧 和田村)

utukushiDSC_0021.JPG utukushiDSC_0025.JPG
(左)山本小屋から見る。右手奥の美ヶ原高原ホテルから左にくだる斜面がゲレンデだった。(右)美ヶ原高原ホテルの裏から斜面を見下ろす。向こう側の木立の手前あたりにロープトウがあったらしい。

「登りついて不意にひらけた眼前の風景にしばらくは世界の天井が抜けたかと思う。」

有名な尾崎喜八のこの文章は、美ヶ原高原の魅力を見事に表現しているけれど、それを実感するにはやはり、百曲や焼山沢から歩いて登るのでなければと思う。しかし、私も百曲や焼山沢を登ったことは数えるほどで、いつも山本小屋の前の駐車場に車をつけることになってしまう。ビーナスラインと美ヶ原林道が東西から延びているけれど、この山頂台地だけは車道の通過を辛うじて免れている。そんな美ヶ原高原の山頂台地の一角にスキー場があったと知ったのは「長野県スキー史」や「冬の信州1976」の記載によるもの。

「長野県スキー史(1978年)」によれば、「近年、和田村よりの路線が開通して以来、スキーシーズンは公認スキー学校を12月から4月までの長期にわたって山本小屋新館の美ヶ原高原ホテル内に常設し、公認スキー指導員が常時指導に当たっている。一般スキーヤーも山岳スキーの醍醐味が十分に楽しめるとあって、年々その数を増している。従来は山岳スキーツアーに重点をおいて指導してきたが、現在ではスキー技術面に重点を置き、初心者から上級者に至るまでユニークな指導をしている。雪質は標高2,000mの高度のために、乾燥粉雪で常に最高のコンディションで12月から4月末までシーズンが長く山頂一帯の銀世界にシュプールをつけられるよろこびは大きい」と記されている。

utukushiP1050502.JPG utukushiDSC_0111.JPG 
(左)夏に牛伏山からのぞむ美ヶ原山頂一帯。右手奥に見える美ヶ原高原ホテルの左手窪地がゲレンデ。(右)美ヶ原高原ホテルの駐車場。その向こう側下の斜面がゲレンデだった。

「冬の信州1976」には「360度に展開するアルプスの展望台として、その眺望はすばらしい。初心者向き女性向きのスキー場である。200mのロープトウあり」と案内されている。同誌には「美ヶ原スキー場」の広告ページも掲載されている。その広告には「白銀のアルプス展望台。雲表の山岳ホテル。北欧風民芸調山岳ホテル『美ヶ原高原ホテル』収容160名」となっている。このページには、現在の美ヶ原高原ホテルから東にくだるスリバチ状の斜面の写真が掲載されていて、ロープトウもそこに設置されていたようだ。それほど広い斜面ではなく「初心者向き、女性向き」という案内があてはまる。スキーの魅力だけでなく、美ヶ原の展望台としての楽しみがそれを上回っていたかもしれない。

スキー場としての開設・廃止の年代ははっきりしない。あくまで推測だが、1980年代後半には営業をしていなかったのではないだろうか。

 utukushiDSC_0093.JPG utukushiDSC_0009.JPG
(左)アンテナが林立する王ヶ塔とその右に北アルプスが連なる展望。

美ヶ原に上る車道はほとんどが冬期通行止めとなるが、旧和田村から上る道が一本だけ、冬期も山本小屋まで通じている。標高をあげていくと路面の積雪も増えていく。たどり着いた山本小屋の駐車場には20台ほどの車があり、スノーシューを使った冬のトレッキングを楽しんでいる人が多いようだった。美ヶ原高原ホテルまでは除雪がされており、その先、美しの塔あたりまで歩いてみたが、強い風で雪面が固められているのか、長靴でも歩くことができた。このあたり全体がスキーエリアといってもよかったのだろうが、ロープトウは美ヶ原高原ホテル脇の斜面にあったのだろう。確信がなかったので美ヶ原高原ホテルで聞いてみると、その通りのようで「向こうの木の手前あたりにロープトウがあったんですよ」。その頃は多くのスキーヤーで賑わったのではないかと思って聞いてみたが、「こんなところまでスキーに来る人は、なかなか多くはいなかったねえ」とのことだった。

まず目を奪われるのは、王ヶ塔の右に広がる北アルプスのほぼ全容にわたる展望。振り返れば蓼科と八ヶ岳、その右側にかすかに富士山も見える。晴天の冬の休日、至福の展望を楽しむことができた。(現地訪問:2010年8月、2011年2月・3月)

2010年04月29日

蓼科アソシエイツスキー場(佐久市)

tateshinaDSC_0100.JPG tateshinaDSC_0107.JPG
(左)ゲレンデ全体 (右)リフト乗場。椅子ははずされて並べられていた。

信濃には八十の高山ありといへど女の神山の蓼科われは  伊藤左千夫

蓼科山はどこから見てもそれとわかる円頂をもたげ、長い裾野を延ばしている。名山だと思う。その東側の高原に位置していたのが蓼科アソシエイツ。

他のサイトでもいろいろ取り上げられていて、今更という感じもするので気がすすまない。長野県内にありながら結局、営業中に滑りに行く機会も逸している。白樺高原方面からのアクセスを考えがちだが、この季節は大河原峠方面からはまだ冬期閉鎖中。正しい(?)アプローチは佐久市内の国道141号沿いから。「蓼科仙境都市」「大河原峠」を指し示す標識が西側の山間に向かう方向を示しているが、以前はその脇に「蓼科アソシエイツスキー場」の名も見られた。蓼科東麓の山深いところに会員制のリゾート地をつくり、スキー場もつくってしまったが、現在のような経済情勢になりスキー場は廃止、リゾート地としてもほとんど稼動していないのではないだろうか。

国道141号からの「蓼科スカイライン」は思っていたよりも良い道。やがて稜線上を走るようになるので展望も良く、この眺望や道沿いの美しい樹林を見れば、この地にリゾート開発をしようとした気持ちも何となくわかる。間もなく仙境都市の中心に着くという直前にゲレンデ下を車道はかすめる。わずかな距離を歩いてゲレンデ下部まで行って見ると、1基だけあったペアリフトの乗場があった。ワイヤーは付いたままで、椅子ははずされて綺麗に並べられている。屋根が破損したプレハブが2棟。事務所と休憩所だったようだ。ワックスマシンと圧雪車の格納庫。見上げるゲレンデは、最大斜度35度と結構そそられる傾斜だが、潅木が斜面を覆い始めている。

tateshinaDSC_0086.JPG tateshinaDSC_0120.JPG
(左)ゲレンデを見おろすと、正面に浅間山が見える。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」によれば「佐久平や浅間山が広がりコンパクトながら景観バツグン。初中級向きの第1コースと、35度のカベをもつ上級者向きの第2コースの一枚バーン。ゲレンデ内にあるバーデンホテルは食事等の利用も可。ナイター・スクール・レンタルあり。2000年シーズンは営業未定」とある。小山泰弘「長野県における休廃止スキー場の実態とその後の植生変化」によると、最終営業年は1997年となっている。2005年には廃止となったようだ。90年代にも人は少なかったが、スクールはそれなりの定評があったらしい。

車道をさらに上って行くと、仙境都市の中核と思われるセンターフロントやホテルのある場所に着く。人影は無く閑散としているが、その広場の脇から奥にすすむとゲレンデの最上部に出ることができた。ナイター照明の施設もゲレンデに沿って設けられている。リフトの降り場から斜面を見下ろすと、噴煙をなびかせる浅間山の姿が正面に見えた。景観は素晴らしいところだと思う。(現地訪問:2010年4月)

2010年02月06日

姫木平スキー場(長和町/旧長門町)

100206P1030073姫木平.jpg 100206DSC_0022.JPG
(左)植樹祭の柱がある下部からゲレンデを見上げる(2009年6月)。

ゲレンデが密集する白樺湖周辺は、首都圏からは出かけやすいロケーションだと思う。しかし、もともとそれほど積雪の多い場所ではないから、北信濃に住むものにしてみれば、わざわざ南の方向に出かけるのには躊躇しがちだ。今日も長野市周辺では雪が降り続いたが、途中の丸子や武石あたりまで来ると日差しがのぞいた。

国道152号を北から進めば、大門峠の少し手前で西に分岐するのはエコーバレースキー場へのアクセスルート。その道に沿って地元長和町出身の冬季五輪選手に対する「ガンバレ スノーボードクロス競技 藤森由香選手」という応援の旗が立てられている。このエコーバレーへの途中にある姫木平別荘地にとり囲まれるようにして、姫木平スキー場はあった。

別荘地の計画の中に最初から組み込まれていたのだろうか。スリバチ型のゲレンデ脇に並ぶペンションからは、簡単にゲレンデに滑り込むことができた。エコーバレーへも至近距離なので現在も営業をしているペンションは多いけれど、中にはひっそりと雪に埋もれている建物も見受けられる。その先に少し進めば、エコーバレーはさすがにトップシーズンの週末とあって賑わっている様子だった。

100206DSC_0008.JPG 100206DSC_0015.JPG
(左)ゲレンデ下部から見上げる。(右)ゲレンデ上部から見下ろす。

私は1993年2月にエコーバレーで滑った帰りに、「仕上げに数本」という感じでこの姫木平で滑った。最大32度の壁もあるコースで、規模の割には楽しい斜面のゲレンデだったと記憶している。その頃は子ども連れも多く結構賑わっていたと記憶しているが、1998年を最後に営業を中止した。スキー人口が多かった時代には、エコーバレーのようなビッグゲレンデとの棲み分けがなされていたということになるのだろうか。1976年の開設。最大斜度40度。第1リフト325m、第2リフト464m。

私の訪問時にはリフトはシングル2本あり、トップに向かって右手の長い第2リフトをもっぱら使ったと記憶している。手元の古いガイドブック(オールスキー場完全ガイド/立風書房)では左手に1本だけ描かれているので、最後には1本になったのかもしれない。いずれもいまは痕跡を見出せない。ゲレンデ最下部に「平成21年植樹祭 長和町」と書かれた柱が立てられている。別荘地の中のエアポケットのようになってしまった空間。植樹して景観を損なわないようにする取組みが行われている模様だ。

2009年10月06日

美ヶ原白樺平スキー場(上田市/旧武石村)

sdP1030199.jpg sdP1030197.jpg
(左)ゲレンデ跡の斜面を下部から見上げる。(右)リフト乗場の注意書き看板。

1973年が最終営業年というから、もう営業を休止してから35年以上の年月が流れている。私は滑ったことがないけれど、美ヶ原・霧ケ峰周辺に行こうかと地図を広げた時に、比較的最近の地形図でもまだ牛伏山の北東斜面にリフト記号が描かれていた。それがずっと気になっていた。

白樺平とは、旧武石村(現在は上田市に合併)から美ヶ原に上っていく途中、急坂が一瞬緩み、白樺の美しい樹林帯があらわれるところ。季節には白樺の樹林の中にレンゲツツジが咲き、ことのほか美しい。その道が大きく左にカーブを切る場所に、やや広い駐車スペースが谷側にあらわれる。そこから山側に進む道をたどれば、リフト乗場と思われる残骸が散乱している場所に出る。コンクリートの基礎部分が出ているので、リフト乗場であろうと、打ち捨ててある看板をひっくり返せば、「リフトに乗るときは……」という表記があるので確証を得ることができた。しかし、リフトがあった場所にも、山頂に向かってその左にあったと思われるゲレンデにも草木が茂り、往時のゲレンデの雰囲気を感じることは難しい。リフト1本(660m)とロープトウ(150m)があったとの記録もあるが、ロープトウは美ヶ原美術館に近い山頂部にあったようだ。

ゲレンデ上部の様子も知りたくて、美ヶ原まで車で上り山本小屋から牛伏山に登り北東斜面を少し下ってみる。右は美ヶ原美術館の敷地、左は放牧地であるので、両側に柵がある中をゆるゆるとくだっていくと、リフトの痕跡は見つけられなかったが、ゲレンデらしい斜面が草地となってくだっている。その先には遠く白樺平の建物の屋根も見いだすことができた。リフト最上部は今は美術館の敷地の中になってしまったらしい。ゲレンデ下部に向かって右手には美ヶ原美術館のオブジェが見えるけれど、自然の美しさの前では人間の創り出すものなど到底及ばないことを、はからずも示しているような気がする。(現地訪問:2009年6月、8月)

sdP1030200.JPG sdDSC_0002.JPG
(左)ゲレンデ上部から見おろす。右側に見られるのは美ヶ原美術館のオブジェ。
ラベル:白樺平

2009年07月31日

美しの国スキー場(上田市/旧武石村)

P1030251uk.jpg P1030259uk.jpg
(左)草生した駐車場の奥にセンターハウス。(右)センターハウスの脇にあったリフト最上部。

美ヶ原の近くという感じはわかるが、長野県内にいながら地理感がいまひとつはっきりしない。旧武石村の奥のほう、という感じなのだけれど、番所ヶ原などからはもうひとつ南側の谷にあたる。岳の湯温泉を過ぎてどんどん上っていくと、美しの国リゾートという別荘地にはいる。その一角に美しの国スキー場はあったのだが、1998年を最後に営業を休止した。

別荘地のメインルートから右折するアクセス道路のゲートが閉まっていたので、歩いていくと右下に赤い屋根のセンターハウスが見えた。道をくだると、背の高い草に覆われた駐車場の向こうにセンターハウスの建物が残っている。脇を通り過ぎると、その先に木々に覆われて、1本だけあったシングル・リフトの残骸。このゲレンデはセンターハウスがあるこの場所が最上部で、そこから下に向かって3コースのゲレンデが広がっていた。だから、ここはリフト降り場になる。リフトの横にゲレンデの雰囲気は感じられるが、草木が茂りゲレンデの跡形は消え去ろうとしている。

「'86 SKI GUIDE(山と渓谷社)」には「美ヶ原高原東山麓の唐松の樹氷帯に今シーズン(1986シーズン)オープンしたスキー場で、コースはリフト西側に上中級者用、初中級者用の2コースがある。ゲレンデは美ヶ原高原特有のパウダースノーに加え、スノーマシンが設置されているので、常にベストの状態で滑ることができる」と紹介されている。最大斜度36度。リフト455m。

営業当時に訪れたことはないのだが、センターハウスなどは山腹のやや窮屈な所に位置している。近隣市町村や別荘地の人々が利用する程度だったのだろうか。同じくらいのアクセスを要すならば、もっと規模の大きいスキー場もあるのだが、それだけでははかれない魅力がこうしたゲレンデにはあったのだろうと思う。(現地訪問:2009年7月)

P1030257uk.jpg P1030276uk.jpg
(左)草木が生い茂るかつてのゲレンデ。