2009年07月24日

浅間温泉スキー場(松本市)

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(左)リフト降り場。林道のすぐ下にある。(右)椅子もそのままの状態で、カラマツ林の中をリフトが走っている。

美ヶ原高原まで車で乗りつけることを可能にしたのは、ビーナスラインと美ヶ原林道。その美ヶ原林道は、松本の奥座敷である浅間温泉から急坂と急カーブを繰り返しながら上っていく。その途中に、浅間温泉スキー場があった。袴越山の北斜面にあり、リフト1基(450m)とロープトウ1基があったとの記録があるから、それなりの規模ではあったのだろう。当時のスキー場ガイドを見るとリフトに沿って、初級ファミリーゲレンデ・富士見台ゲレンデ・ダイレクトコース・中央ゲレンデ・林間コースなどが平行してあることが記されている。

浅間温泉から美鈴湖を経て、武石峠がもうすぐかと思われる地点。袴越山の北側あたりに、左手の視界が開ける場所がある。北側に向かって、かつてのゲレンデ跡がくだっている。林道に接している場所がゲレンデの一番上部のようだ。北斜面のため、それなりの積雪もあったのではないか。林道すぐ下にリフト降場の跡が残っている。シングルリフトの椅子までもがそのまま残っている。リフト下に続く踏み跡をたどって、リフト乗場までくだってみると、ヤブの中から鹿が3匹飛び出していった。リフト乗場には、つぶれた小屋と支柱があり、リフトを動かしていた機器がむき出しになっていた。リフトの経路はおもにカラマツの林の中にあるが、そこから、東西に何本かのコースがあった様子がうかがえる。そのあたりは白樺の木が点在し草に覆われているが、そこかしこにウツボグサが咲き、草地に彩を添えていた。

1972年を最後に営業を休止したとのことなので、私は営業中に訪れたことはなかった。やはり松本あたりの人が多く訪れたゲレンデだったのだろうか。「長野県スキー史」によれば、「松本から美ヶ原頂上行バス道路の途中にあり、袴越山の斜面、標高1,800m、乾燥粉雪2mの積雪があり、初級から上級者に親しまれ、北アルプスの展望の良さは魅力的である」と記されている。また、「冬の信州(1977版)」には「初心者向き、女性向きのスキー場」との記述も見られる。雲が多い今日は北アルプスは望めず、正面には戸谷峰をはじめとする筑摩山地の山々の重なりが見えるだけである。(参考資料:小山泰弘「長野県における休廃止スキー場の実態とその後の植生変化」)(現地訪問:2009年7月)

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(左)リフト乗場と機器類。(右)ゲレンデ最上部から下部を見おろす。正面の山は戸谷峰。

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(左)「冬の信州」を参考に作図。

2009年07月11日

和田峠スキー場(その1)(長和町)

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(左)レストハウス (右)残っていたリフトの基礎コンクリート部分

国道142号は和田峠のはるか下の深いところを、長い新和田トンネルで貫いてしまっている。旧道の和田トンネル北側から分岐してビーナスラインに上りつき、合流した目の前にこの和田峠スキー場のゲレンデが広がる。このゲレンデの上部を旧中山道は越えていて、中山道の道中では最大の難所だったようだ。以前、八島湿原から鷲ヶ峰を越えてこの和田峠に至り、三峰山、そして美ヶ原までを歩きとおす山行をしたことがあったが、スキー場は1998年の営業を最後に営業を休止していて、営業期間に訪れたことはなかった。

ゲレンデ上部に向かって、右下にレストハウスやスキー学校が入っていた建物が残っている。左側にシングルリフトが一本あり、そのリフト乗場のコンクリートの残骸が見られるが、途中の鉄塔などは撤去されている。このリフト沿いは見上げるような斜面で、ここに最大28度の上級コース(Aコース)があったのだろう。そこから右にB・C・Dの各コースがあり、少しずつ斜度はゆるやかになっているようだ。ちなみに、古くはゲレンデ右側にもリフトがあったようだ。

「'86 SKI GUIDE(山と渓谷社)」には「和田峠(標高1,531m)に連なる丘陵の北東斜面に5.3haと小規模ながら、初級者から上級者までの4コースが設定されている。家族ぐるみで楽しめるスキー場をモットーに、コースは独立分離した安全設計となっており、ゲレンデ下部にミニリフトを架設し、ファミリー向きに2コースがレイアウトされている。交通の便は良いのだが、周囲に大きなスキー場があるせいか、休日でもすいており、リフト待ち10分の穴場でもある」と紹介されている。現在ではリフト待ちのあるスキー場など、ほとんどなくなっているが。開設は1977年。最大斜度27度。第1リフト392m。

訪れたのは6月下旬で、ちょうどレンゲツツジが満開の季節。往時、中山道を行く旅人も、花に彩られた風景を見ながら歩を進めたのだろうか。(現地訪問:2009年6月)

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こちらもご覧ください → 「和田峠スキー場(その2)」
           → 「和田峠スキー場(その3)」
ラベル:和田峠 スキー

2009年06月21日

霧ケ峰沢渡スキー場(諏訪市)

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ゲレンデ下部から斜面を見上げる。リフト乗場には、発券所の建物も残っている。

霧ケ峰沢渡スキー場は車山肩の西側、「ヴィーナスの丘」と称される丘陵から北側にくだる斜面に開かれていたスキー場。霧ケ峰高原の素晴らしい景観に恵まれたゲレンデだったが、残念ながら営業中に訪れる機会はなかった。今日、訪れてみると、ちょうど霧ケ峰はレンゲツツジの最盛期。このゲレンデ跡周辺にもレンゲツツジが咲き乱れていた。

ビーナスラインを霧ケ峰スキー場に近い霧ケ峰インターで北に折れる。そのまま進めばやがて八島湿原だが、そこまでの途中の大きな左カーブに右手に入る道があり、ヒュッテジャヴェルの入口に通じている。そこから右に、歩いて少し上ったところに1本だけあったシングルリフトの乗場がそのまま残されていた。

リフトの鉄柱や発券所などもそのまま残っている。すぐ脇にはユートピア山荘という看板を掲げたレストハウスが廃墟となって残されている。見上げるゲレンデはさわやかな草原。さまざまな植物が群生して、雪のない今の季節には足を置くのもためらわれる。

「'86 SKI GUIDE(山と渓谷社)」によれば、「八ヶ岳中信高原国定公園に属する霧ケ峰高原の西斜面に、霧ケ峰高原の草原地帯をそっくり利用した見わたす限り白い色のゲレンデが広がる。ゲレンデは高原特有のアスピリンスノーに恵まれ、草原のゆるやかなスロープとなって伸び、雪質の良い安心して楽しめるスキー場として、チビッコ連れのファミリーには人気がある。頂上からは南アルプス・北アルプス・中央アルプス・富士山を一望にでき、景観も素晴らしい」と案内されている。開設は1980年。リフト474m。

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レンゲツツジ咲く稜線の先に、シングルリフトの降り場があった。

一方、ゲレンデ上部はどうなっているのか知りたくて、車山の肩から、西の方向に少し歩く。花々に向けてカメラを構えている人々とすれ違いながら。その先のレンゲツツジ満開の稜線上にリフトの降り場がある。今日はあいにく雲が多くて、ゼブラ山や八島湿原までしか見えないが、晴れた日の四周の展望は素晴らしい。

霧ケ峰沢渡スキー場は、私の持っている2000シーズンのスキー場ガイドには「2000シーズン営業未定」として掲載されているが、実際には1997年を最後に営業を休止したと思われる。素晴らしい景観の中、たおやかな霧ケ峰の自然の中に溶け込み、戻っていこうとしている。

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(左)ヒュッテジャヴェルの入口付近に掲示されている地図。

こちらもご覧ください → 「霧ヶ峰沢渡スキー場(その2)(2022年8月8日)」
ラベル:スキー 霧ケ峰

2009年04月18日

野辺山スキー場(レーシングキャンプ野辺山)(南牧村)

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まだ、「野辺山スキー場」という名前だった1992年2月に東京から友人と2人で出かけた。その時の印象は、人工雪のハードバーンの多いスキー場で、レース派や本格志向の滑り屋が集まっている感じだった。やはり、その後2004年に経営主体が変わり、レース派に的を絞った運営にしたようだ。もともと積雪の多い地域ではない。首都圏からの近さがメリットだったが、間近に大泉清里・ザイラーバレー(シャトレーゼ)などといったゲレンデも林立していた。私の感覚では「新しいスキー場」という感じがしていたが、1984年開業というからもう20年以上営業していたことになる。

日本で最も標高の高い小海線野辺山駅から、宇宙電波観測所を過ぎた先にあり、飯盛山の北面に3列のリフトが平行にかかっている。駐車場に一番近い西側がいきなり上級コース(レッドコース)で、そこを通らないと東側の初・中級コースに行きづらいので、初中級者や家族連れにはなかなか足を運びにくいゲレンデだったのではないか。それを逆手にとって、レース派に絞ったのだろうが。

「'86 SKI GUIDE(山と渓谷社)」によれば「野辺山高原飯盛山(標高1,650m)の北斜面11haに、2基(当時)のリフトが架設され、4コースとなって展開する。トレーニング専用バーンもあり、常時整備されているのでポール練習もできる。標高が高く冬期はつねにマイナスの気温で、人工降雪には最高の条件にあり、スノーマシン3基・スノーガン24基を各ゲレンデに配置し、降雪によってゲレンデはベストコンディションに整備されている。東京から2時間30分と交通の便もよい」と記載されている。最大斜度30度。

昨年秋に2009シーズン(2008年12月~)の営業を行わないとのニュースが飛び込んできた。南牧村は新たな経営主体を探している模様だが、いろいろなニュースを聞くにつけ、存続の可能性は楽観できないようだ。山梨方面に行く用があって、その帰りに寄ってみた。当然ながら、現地にはリフトやレストランなどの施設もそのまま残され、再びスキーヤーが訪れる日を待っているように見えた。振り返れば、残雪をまとった八ヶ岳が午後の陽に輝いていた。

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