2014年01月01日

スノーバレー利賀(富山県南砺市)

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(左)残っている案内板。(右)百瀬川の対岸から見たスキー場全体。

一昨年7月に南砺市が廃止方針を打ち出したスノーバレー利賀。その後の動向が注目されていた。昨シーズンの営業最終日(2013年3月24日)について新聞各紙は「市は今季限りで閉鎖する方針で、事実上最後となる滑りを楽しんだ利用客や周辺施設からは、惜しむ声や今後の地域振興を心配する意見が聞かれた」と報じていた。スキー場側は正式に閉鎖が決まったわけではないため、例年通りの営業終了という認識で特別な式典なども行われなかったという。

しかし、同スキー場の公式ホームページ上に11月になって「【ご案内】この度、南砺市の方針により閉鎖することとなりました。長きに渡りスノーバレー利賀にご愛好いただき、誠にありがとうございます。」とtwitterによる書き込みがあり、最終的に営業を断念したことが判明した。

バブル崩壊後の1997年の開業で、北陸随一の1,330mとなる標高や雪質の良さが売りであった。オープン当初は年間5万人ほどの利用があったというが、その後来場者は低迷し直近では年間約12,000人ほどにとどまっていた。南砺市は現在、代わりの地域活性化策を検討している。「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」によれば、「フード付クワッド、リゾート感覚のレストハウス、3kmのロングコース、モーグルコース常設、コブ斜面とそろう。最大斜度39度、コース11本。ナイター有。クワッド1基、ペア2基。アクセスは砺波ICからR156湯谷温泉経由35km」と案内されている。

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(左)センターハウスのゲレンデ側には広いデッキ。レストラン内のテーブル・椅子などは整然と並べられていた。(右)センターハウス前から見上げたゲレンデ。

晩秋の休日、あらためて旧利賀村を訪ねてみる。利賀へは南砺側からも八尾側からも急カーブの連続する国道471号をたどらなければならない。しかし、登りついた百瀬川に沿う小盆地はほのぼのとした雰囲気を感じるところである。現地までの間、「スノーバレー利賀」の掲示は残ったままで、スキー場前にも営業休止などの掲示はない。センターハウスもリフトも今シーズンの営業を待っているかのようである。センターハウスのゲレンデ側には広いウッドテラスがあり、そこから内部をのぞくと、レストランのテーブル・イスは綺麗に並べられたまま。ゲレンデを見上げると、意外と奥行きの深いゲレンデの上部はうっすらと雪を被っていた。

リフトの支柱に地滑りによるずれが生じていることが分かったため2010シーズンの営業を休止したことが記憶に新しいが、そんなことも暗い影を落としていたのだろうか。リフト券をセットにした近くの天竺温泉の宿泊プランなどもあり、落ち着いた冬の休日を過ごすのにはいいところだったと思う。問題はやはりアクセスだろうか。急カーブが連続する道は、山道に慣れない人にはちょっと厳しいと思った。(現地訪問:2013年11月)

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(左)下部ゲレンデの中腹から見下ろす。

【追記】
2017年1月16日~の地滑りで被害を受けたのは、スノーバレー利賀ではなく、旧「利賀スキー場」です。「利賀スキー場」については→こちらをご覧ください。
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2011年12月19日

千鳥スキー場(富山県滑川市)

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(左)ゲレンデ最上部から見おろす。左手かなたには日本海が見える。(右)ゲレンデ上部には休憩所や用具小屋と思われる建物。

北陸道滑川ICの東側、滑川市の南東郊外一帯は、東に向かって緩やかに標高を上げて、田園がのどかに広がっている。千鳥スキー場のことを調べようと最初に地図を見たときは、こんな緩やかな地形のどこにスキー場があったのかと訝しく思った。しかし、現地に行ってみると、南北方向におそらく早月川がつくった何段かの河岸段丘が標高差をつけていて、その段差を利用したスキー場だとわかった。

滑川ICから東へ進み、中野集落から北東に農道を進むと、斜面の上部に出る。傍らには休憩所や用具小屋と思われる建物もある。建物は整備されているようなので、スキー以外の用途にも使われているのかもしれない。ゲレンデは北に向かって緩やかに下っている。見おろす斜面の左端には、ロープトウのための滑車がついた支柱が点々と残っていた。富山県スポーツ施設一覧には「最長滑走距離150m」と記されている。

脇の道を通ってゲレンデ下までおりてみる。全体が見渡せるゲレンデで、子どもたちの練習やソリ遊びにはぴったりだろう。ゲレンデ下の道に軽トラをとめていた小母さんに聞いてみると「いまでもいろいろな行事には使われているらしい」との返事だった。しかし、実際にはスキー場として使われてはおらず、たまにソリ遊びをする子ども連れがいる程度のようだ。

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(左)ロープトウ用の滑車のついた支柱が残っている。(右)最下部からゲレンデを見上げる。緩やかな気持ち良さそうな斜面。

2006年頃までは毎年2月に滑川市の「スキーフェスティバル」として、スキー競技・雪合戦・ソリ競争・雪中宝さがしなどがおこなわれていた。また、2008年からはゲレンデに牛を放牧して「カウベルトの郷づくり事業」がおこなわれた。これは、クマがこの付近に出没するので、野生生物とのすみ分けと景観保全をはかるためのものであった。

晩秋のゲレンデにはススキが生い茂り、もの悲しさを感じるだけだった。田園地帯の向こうには市街地が、そしてその向こうには日本海の広がりを望むことができた。(現地訪問:2011年11月)

こちらもご覧ください → 「千鳥スキー場[その2] 2021年9月11日」
ラベル:千鳥スキー場
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2011年12月09日

三峰スキー場(富山県朝日町)

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(左)管理棟の前から見たゲレンデ全景。(右)中腹から見おろす。

親不知・子不知など日本海にのぞむ断崖絶壁の難所。現代の高速道路はトンネルを連続させ、あるいは海にせり出すような橋脚を設けて、簡単にこの地を通過する。最後のトンネルを抜けると朝日町。富山平野が広々と目の前に広がる。その最後のトンネルの上につながる山稜の一角に古くからのスキー場があった。

朝日インターから国道8号を少し戻り、右折して新笹川トンネルをくぐれば、笹川に沿う細い谷に出る。富山平野から山稜ひとつ隔てた谷間の集落を進めば、やがて道は右手の山腹を上り、三峰グリーンランドという整備された園地にたどりつく。園地入口の地図には、この一帯に整備されている「ふるさと歩道」の経路が記されており、手軽にハイキングを楽しめる場所にもなっているようだ。

朝日町によって整備された、この敷地の一角にスキー場があった。園地の右手に遊具や平坦なグランドをみて進み、左手に上っていく道をたどれば管理棟やキャンプ場のある小丘陵に登る。そこから北側に相対する山腹斜面がスキー場だった。往時にはどのあたりまでがゲレンデだったかよくわからないが、稜線までがゲレンデだったとすると上部はかなりの急斜面に見える。下部は適度な緩斜面だ。リフトがあったようには思えないが、ロープトウぐらいはあったのではないだろうか。

ゲレンデ最下部まで下っていくと、スキー場があった斜面の前には看板が立てられていて、昭和9年開設という三峰スキー場の歴史が記されている。「現在は町民の冬期レクリェーションに活用されている」と記されているが、スキーに関する施設の痕跡も見られないし、園内の案内板には「ソリ場」と書かれているくらいだから、冬期でもたまにイベントなどが行われるのかもしれないが、継続的に営業するスキー場としての役割は終えているのだろう。

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(左)管理棟に張ってあった地図には「スキー場」の文字が。(右)ゲレンデ最下部に立てられていた案内板。

晩秋の冷たい雨が降る中、ゲレンデ中腹まで登ってみる。夏場にはキャンプなど、子どもたちに利用される施設なのだろうが、いまはひっそりとして誰ひとりいない園内は寂しかった。(現地訪問:2011年11月)
ラベル:三峰スキー場
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2011年10月08日

牛岳温泉スキー場ユートピアゲレンデ(富山県富山市)


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(左)セントラルゲレンデ上部から見たユートピアゲレンデ跡の全景。

牛岳温泉スキー場は富山市街から最も近いゲレンデのひとつだろう。「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には、「富山県の中央に位置し、広大なゲレンデは市民スキー場的役割を充分に果たしている。立山連峰、日本海が一望でき、景観もバツグン。牛岳北斜面70ヘクタールに下部のセントラルと上部のユートピアに分かれてのゲレンデが展開している。全体にセントラルゲレンデは初級者向き、ユートピアゲレンデは中・上級者向き」と記載されている。

最初にこのスキー場のゲレンデマッブを見たときには「変なスキー場だな」と思ったのを憶えている。なぜ2つのゲレンデの間にロープウェイがあるのか、よく理解できなかった。2つのゲレンデが深い谷に隔てられていて、ロープウェイの必要があることを知ったのはだいぶ後のことだった。

1971年開設のスキー場だが、2007シーズンから上部のユートピアゲレンデの営業を休止した。リフト・ロープウェーともに設置後25年が経過していて老朽化が著しく、安全運行の確保には多額の経費がかかること、そしてユートピアゲレンデの利用者が非常に少なかったのが休止の理由。

セントラルゲレンデの最上部から31人乗りのローブウェイでアクセスした先にユートピアゲレンデはあり、シングルリフト2基の施設を備えていた。最大斜度はダウンヒルコース中にあった35度。以前、このブログのコメント欄にもユートピアゲレンデ休止についての書き込みがあったので、秋晴れの休日に出かけてみた。

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(左)ユートピアゲレンデから谷を隔てたセントラルゲレンデ最上部が見える。(右)セントラルゲレンデ上部のロープウェイ乗場の廃墟。

長野に住んでいれば富山のゲレンデまで足をのばす機会はまずない。ただ、すぐ手前の山田温泉には家族旅行で宿泊したことがある。その山田温泉を過ぎて右手に上っていけば、現在も営業をしているセントラルゲレンデ。その最上部まで車道が通じている。最上部はこの季節、パラグライダーの基地のようになっているらしい。

そこには、ユートピアゲレンデまで結んでいたロープウェイの乗場施設は残されていたが、ワイヤーははずされ廃墟のように見えた。その正面に見える山腹にはユートピアゲレンデの跡がはっきり認められた。リフト沿いに真っ直ぐ滑り降りるダイナミックコース、右にチャレンジコース、左にダウンヒルコースと意外に規模が大きかったことがわかった。

セントラルゲレンデからユートピアゲレンデまで、車でのアクセスは大きく迂回する細い道をたどるため結構時間がかかる。深い谷から一段上がったところに、駐車場のようなスペースがあり、その上にユートピアゲレンデの跡地が広がっていた。ゲレンデ下部にはシングルリフトのコンクリート部分が残されていたが、その他のロープウェイ乗場などの痕跡は見あたらない。

食堂や管理事務所などの建物もあったようだが、何も見あたらない。中上級向けだけあって、見上げるゲレンデはなかなかの斜度に見える。この季節には背の高いススキが斜面の大半を覆っている。振り返れば深い谷を挟んで、晴天の秋空の向こうにセントラルゲレンデ最上部のロープウェイ乗場の廃墟が見えた。(現地訪問:2011年9月)


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(左)ユートピアゲレンデ最下部。第7リフトの痕跡が残る。(右)最下部からゲレンデ(ダイナミックコース)を見上げる。
ラベル:牛岳温泉
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2010年12月03日

大谷温泉スキー場(富山県魚津市)

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(左)大谷温泉の建物の背後にある斜面にスキー場は開かれていた。(右)ロープトウがあった斜面。

大谷温泉スキー場は富山県内で最も海に近く、富山平野と日本海の眺望が楽しめるスキー場だった。北陸自動車道魚津ICからクルマ5分。魚津市街地に近かったため、ナイター施設もあるシティゲレンデであり、多くの家族連れでにぎわった時期もあるようだ。温泉をあわせたプラニングも可能だっただろう。平成に入り利用客が減少し閉鎖となった。「スキー場開き1月10日(予定)」とある資料を見たことがあるから、滑走期間はさすがにあまり長くはなかったようだ。

「'92全国スキー場ガイド(山と渓谷社)」によれば、「立山連峰のひとつ、僧ヶ岳をバックに遠く能登半島を望む雄大な自然に囲まれたスキー場。コースは平均斜度17度の初中級向きが2本と、最大斜度35度の上級向きの急斜面がある」と紹介されている。施設はロープトゥ2基、最長滑走距離620m。

蜃気楼で有名な魚津市街から山側に上っていく。その道沿いには大谷温泉の案内標識がまったくなかったのだが、1本北側の魚津ICからの道には大谷温泉を示す案内があり、北陸道からのアクセスが便利であることを感じさせた。市街地の背後に迫る丘陵の入口のような場所に大谷温泉はあったが、あまり人の姿も見えず静かな雰囲気だった。

そのあたりをうろうろしていたら、大谷温泉のご主人と思われる方に「何かここに用か」と不審げな顔で声をかけられた。ご主人の話によれば、阪神大震災の前の年(1994年)にご自身がスキー場の整備をしているときに脚を怪我されて、それでスキー場の営業をやめたとのこと。魚津市街から近かったためで最盛期にはたいへんな賑わいだったようだが、高速道路ができてよくなると思ったが、みんな大きなスキー場に行ってしまうようになり、マイナスだったと語ってくれた。大谷温泉の建物の裏の斜面にJバーリフトがあり、それに沿った急斜面と右に迂回するコースがあったという。

斜面にはわずかに切り開きの跡がわかるものの、草木に覆われて痕跡は消え去ろうとしている。ゲレンデ上部に回りこむようにつけられている車道をたどれば、迂回コースの跡を見おろすこともできた。その向こうは富山湾までの展望を得るができた。山国に生活する者にとっては、スキー場から海が見えるという感覚はちょっと異質なものに思えた。(現地訪問:2010年10月)

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(左)上部からゲレンデを見おろす。かなたに富山湾が見える。
ラベル:大谷温泉
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