2013年03月09日

苗場スキー場白樺平ゲレンデ(新潟県湯沢町)

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(左)白樺平ゲレンデを遠望する。(右)以前はシングルリフトが架けられていたヴィラの建物に挟まれたゲレンデ。上部にペアリフトが見える。

苗場は日本を代表するスノーリゾートといっていいだろう。ひとつのスキー場でこれだけの集客があるのは、他には志賀高原くらいではないだろうか(志賀高原は複数のスキー場の集合体だが)。コンサートなどさまざまなイベントも開催され、いまでも多くの話題を提供している。そんな苗場も、最近は休止したリフトが寂しげな姿であるという指摘もされている。そうはいいながらも、リフト待ちが生ずるほどの人気を維持しているスキー場でもある。

これだけの規模のスキー場なので、周囲には、三国・浅貝・白樺平などのエスケープゲレンデが存在していた。その中の白樺平ゲレンデが今シーズンから営業を休止している。苗場のメインゲレンデとは国道17号と浅貝川を挟んだ東側に位置する西向き斜面。私はこのプログを書くような天邪鬼な性格なので、苗場に滑りに行ったのは東京在住時代に1回だけ。そのとき白樺平では滑らなかった。

ちなみに、南へ1kmほどの浅貝ゲレンデはクワッドリフト1基で今シーズンも営業を続けている。さらにその南側にかつてファミリーゲレンデがあったが、その跡はいまや別荘分譲地になってしまっている。

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(左)国道17号沿いの第2ロマンスリフト乗場。(右)第2ロマンスリフト沿いの斜面。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には、苗場スキー場の項の中で、「白樺平ゲレンデ:初中級。ホテルの逆側、国道17号線をはさんだ斜面にリフト2基で中級コース2本、ビギナーコース2本をもつ」と紹介されている。リフトの構成はシングルからペアへと変わったが、最後はペア2基(508m、1087m)であった。

久しぶりに苗場を訪れてみると、少し離れた駐車場には空きがあるものの、リフト待ちの列やゲレンデを滑る人の数も他のスキー場の比ではないように見える。国道17号の反対側、すぐ道沿いには白樺平の第2ロマンスリフトの乗場がそのまま残っている。上部の第1ロマンスリフトも含め、チェアが外されただけの状態のようだ。

かつてシングルリフトが架けられていた緩やかなゲレンデの両側には、バブル期を象徴するかのような苗場ヴィラの建物が何棟もそびえている。シングルリフトの痕跡は見あたらない。それにかわって設置されたペアリフトは、左手のヴィラの裏側から、その上部に向かって架けられている。下部はなだらかな初級ゲレンデだが、上部はそれなりの斜度をもっているように見える。ヴィラの駐車場に車は少なく、時代の流れを感じさせた。(現地訪問:2013年1月)

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(左)白樺平から見た苗場スキー場。

2013年02月23日

八箇高原スキー場(新潟県南魚沼市)

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(左)上ノ原温泉付近から遠望したゲレンデ全体。(右)アネックスの看板は残るが建物はなくなっている。

米どころ南魚沼の中央市街地でもある六日町。その中心街から西方に位置する六日町スキーリゾート。「六日町ミナミ」といった方がわかりやすいかもしれない。国道253号を挟んで、そのミナミスキー場のサブゲレンデのような位置にあった八箇高原スキー場が営業を休止している。さまざまなデータから推測すると2006シーズンが最後だったようだ。経営主体がかわるなど、ミナミスキー場自体の存続も危ぶまれた昨今、こちらまで手がまわる状況ではなかったのだろう。

「SKI GUIDE '86(山と渓谷社)」には六日町ミナミとは独立した「八箇高原スキー場」として掲載されている。当時は経営主体も別だったようだ。「八箇峠の稜線北斜面に10haが、正面ゲレンデ、中央ゲレンデ、北側ゲレンデ、高原ゲレンデにわかれ、6コース(上級者向き1、上中級者向き2、中級者向き1、初級者向き2)となり、三角形の広がりとなって展開する。高原ゲレンデに大会・ポール専用バーンが新設され、スキークラブの合宿には最適な条件となっており、日曜日でも大会の開催が可能となった。プラスチックポールの貸し出しもしている」と紹介されている。

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(左)国道253号よりゲレンデを見上げる。(右)国道の分岐から六日町スキーリゾートへのアクセス道。こちらからメインゲレンデへの連絡は少々距離があった。

スキー場開設はミナミスキー場より早い1958年(昭和33)。直近ではペアリフト1基(712m)が設置され、ミナミスキー場と一体の運営となっていた。スター高原ホテルのアネックスがゲレンデ下部にあり、やはりグループレッスンや合宿・大会用のゲレンデというイメージが強い。ミナミスキー場のメインゲレンデを「西ウィング」、こちらを「北ウィング」と称していた時期もあった。双方を移動するには少し距離があり、「連絡コースがあればいいのに」という声も聞かれたが、国道を挟んでいたので難しかったのだろう。私は1996年に一度だけミナミスキー場にすべりに来たことがあるが、そのときも八箇高原側には足をのばさなかった。

1月の休日、現地を訪ねてみた。六日町スキーリゾートは駐車場にも多くの車が並び、それなりの賑わいを見せている。国道253号沿いの八箇高原側はリフトが撤去され、「アネックス」の看板は残っているものの、その建物もなくなっていて、周囲はただ深い雪に覆われている。それと知らなければ、ここにゲレンデがあったことに気づかないかもしれない。少し離れた上ノ原温泉街から遠望すると、リフト跡の左右にいくつかのコース跡が認められ、思っていたよりもコースバリエーションに富んだゲレンデだったことがわかった。(現地訪問:2013年1月)

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(左)国道沿いには食堂の建物なども残っている。

2013年02月09日

岩原ゴンドラ(新潟県湯沢町)

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(左)ゴンドラ山麓駅。(右)ゴンドラ山頂駅付近とペアリフトが架かる斜面。

飯士山の南斜面に広がっている岩原スキー場は、湯沢町のスキー場の中でもほぼ中央に位置し、開設1932年(昭和7)という長い歴史を持つ老舗スキー場である。私は90年代初めには何回か滑りに来たが、ゲレンデ中腹にあるピザ屋がおいしかったことと、飯士山ジャイアントコースの滑り応えが印象に残っている。そのメインゲレンデの東側に西武がゴンドラ(2,813m)を架けたのは1980年代の後半だったと記憶している。

当時はゴンドラだけ独立したスキー場のようなかたちで、料金体系も別だった。そのため、岩原に出かけてもゴンドラを使ったことはほとんどなかった。その後、山頂部東側にペアリフト(665m、991m)が2基架けられ、コースも拡大、レストランなどの施設もつくられた。ゴンドラ沿いは初中級向きのスカイラインコース、ペアリフト沿いには一部上級コースもあったが、大部分は初中級コースだった。

2007シーズンから、この岩原ゴンドラが営業を休止している。地形やゲレンデ構成の点からもやや無理があるゴンドラ設置だったのではないだろうか。多くの人は岩原に行っても、昔からのメインゲレンデや山頂部の飯士ジャインアントコースを滑るのを主眼としていて、ゴンドラ側への関心は低かったと思う。

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(左)岩原スキー場全景。右側を最下部から山頂右手までつないでいたのが岩原ゴンドラ。

岩原スキー場が多くの客を集めている1月の休日、現地を訪れた。ゲレンデ近くの駐車場は満車のようで、後から来た車には係員がゴンドラ山麓駅近くの駐車場にまわるよう案内していた。ゴンドラ山麓駅はそのままの姿で残っていて、ゴンドラの鉄塔やワイヤーもそのままの状態。搬器だけが取り外されている。

少し離れた位置から遠望すると、ゴンドラ東側の2本のペアリフトもチェアを外されて休止状態だ。飯士山の山容を見上げると、その左側だけが活気づき、右側は動かないゴンドラをかかえて深閑としているようすが、奇妙なものに思えた。(現地訪問:2013年1月)

【追記】2015年2月10日
コメント欄のmmさんのご指摘の通り、今シーズンは第1ロマンスリストが稼働しているようです。

2012年01月01日

加山キャプテンコースト湯沢スキー場(新潟県湯沢町)

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(左)スキー場入口の看板も撤去されて「休業」という貼り紙だけがあった。(右)ゲレンデ下から見上げる。

湯沢の市街地から東に大源太川を遡る方向には、岩原や湯沢パークといったゲレンデが点在する。その一番奥にあったのが加山キャプテンコースト。いわずと知れた若大将・加山雄三氏が経営するスキー場で、ゲレンデにはヨットが置かれ湘南のイメージを醸し出していた。

2011年7月には「俳優で歌手の加山雄三さんが経営する新潟県湯沢町土樽の加山キャプテンコーストスキー場が閉鎖することになった。加山さんは『開場以来、赤字続きだった。東日本大震災の影響で運営資金の調達が困難になり、閉鎖することにした』と話している」と報じられた。加山キャプテンコーストスキー場は、バブル末期の1991年12月にリフト4基でオープン。

昨シーズンは「リニューアルに向けた準備をする」として休業したが、大方の見方は復活は難しいのではないかというものだった。利用客数は2008シーズンに2万人を超えたが、2010シーズンは約15,000人と減少傾向にあったという。若者のインドア志向によりスキー人口が激減し、大震災の影響も大きく、スキー場維持が難しくなったようだ。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」によれば「北西斜面に放射状に伸びる4基のリフトと、緩斜面中心の6つのコースで構成される。『ファミリーのためのスキー場』というコンセプトと東京駅から2時間足らずというアクセスのよさ、規模のわりに充実したパーキングエリアが好評。スキー場名の『加山』はいうまでもなく加山雄三氏のこと。ゲレンデにシンボルのヨットが置かれている」と紹介されている。

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(左)駐車場脇には加山氏の写真。(右)ゲレンデ下に残されている建物やリフト施設。

クワッド2基とペア2基。ゲレンデ構成は緩斜面か上級斜面のいずれかで、その中間にあたる斜面は少なかった。私にとっては湯沢周辺でついに足を運ぶことのなかった数少ないスキー場。その理由は、ゲレンデ構成に魅力がなかったことと、湯沢の街からは手前に岩原や湯沢パークがあったこと。それに加えて、雪山に湘南の雰囲気は不釣り合いではないかいう思い込みもあった。

12月下旬、湯沢の街から湯沢パークスキー場の横を通って、加山キャプテンコーストの跡地まで行ってみた。途中の案内標識などはすべて撤去されていて、キャプテンコーストを示すものはまったく見あたらない。スキー場駐車場まではアクセス道路は除雪されていたが、ゲレンデ下にあるレストハウス付近やリフトの下まで近づくには、新雪の中をツボ足で進むしかなかった。

駐車場脇には加山氏の写真がまだ掲げられていたが、シンボルだったヨットは撤去されたようで見あたらない。リフト施設やゲレンデ下のレストハウスなどの建物はそのまま残されている。ゲレンデ下の建物はプレハブのような簡易な建物が多いように感じられた。ゲレンデには深く雪が降り積もり、圧雪さえすればすぐにでも営業を再開できるように見受けられた。(現地訪問:2011年12月)

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(左)レストハウス前から見たゲレンデ全景。

2011年12月27日

浦佐スキー場(新潟県南魚沼市)

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(左)国道17号から見たゲレンデ。(右)バス停名や案内板にも浦佐スキー場の名が残る。

今シーズンから営業休止となったスキー場の中で、最も衝撃的だったのは浦佐スキー場ではないだろうか。「スキー道場」といえば、すなわち浦佐のことを指していた。「上手くなりたかったら、浦佐へ行け」といわれ、スクールの講習には定評があった。その浦佐が営業をやめるとは、ひとつの時代が終わったとさえ感じられる。

2011年6月の新聞報道によれば「浦佐スキー場、来季の営業休止。南魚沼市浦佐の浦佐スキー場が来季の営業を休止することが13日、分かった。利用客が減少し設備投資や運転資金の確保が難しいと判断した。同スキー場は、地元の住民らが出資し合い1958年にオープン。60年にスキー学校を開校し、優れた指導者による普及活動や技術指導に定評があった」と報じられた。昨夏の土砂崩れでスキーセンターが崩壊し、その影響もあるのだろう。半世紀以上におよぶ歴史にピリオドが打たれることとなった。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「ゲレンデはコンパクトだが、上越屈指の有名スキー場。というのも昔からSAJ系スクールの最高レベルとして知られてきたからだ。ゲレンデもスクールの講習用に手をくわえてあり、わざとリフトを架けない斜面を持ち、うまくなりに行くには最適。ゲレンデのすぐ下が旅館街で、そのはずれは駅というロケーションの便利さもある」と記載されている。

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(左)パラで架かるリフト乗場。(右)リフト乗場とリフトセンター、レストハウス。

ゲレンデ中央にペア2基・シングル1基がパラに架かり、まっすぐ下る上級・中級の各コースやS字を描くような初級コースが配置されていた。国道17号がゲレンデ間近を走り新幹線浦佐駅も至近距離と交通アクセスは悪くなかったが、東京方面からは手前に湯沢・石打・六日町周辺に多くのスキー場があるから、ここまで来る必要性を感じる人は少なかったのかも知れない。

湯沢・石打周辺のスキー場も営業を開始したクリスマスの3連休、浦佐スキー場を訪問してみる。国道17号沿いには「浦佐スキー場前」というバス停名もそのまま残っているし、案内看板もそのまま残っている。スキー場下の旅館・民宿は温泉地でもあるのでほとんどが営業を続けている様子だが、外部から見た限りではスキー客の姿はなく閑散としてはいる。

パラで架かるリフト乗場は雪に埋もれ、ワイヤーはそのまま上部に通じている。見上げるゲレンデはただ雪が積もり、迂回コースの跡は認められるものの、圧雪もされていないのがむなしさを感じさせる。魚沼の平地をはさんで、越後三山が白銀に輝いていた。(現地訪問:2011年12月)

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(左)ゲレンデ全体を見上げる。
ラベル:浦佐スキー場