2010年02月12日

川口スキー場(新潟県川口町)

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(左)下部からゲレンデがあった地点を見上げる。以前のゲレンデ脇のスペースは除雪車の駐車スペースとなっている。(右)「スキー天国にいがた」を参考に作図。

越後川口。私の住む長野から飯山線終点のその駅まで3時間をかけて直通する列車はいまも日に4本を数え、乗換案内などでその地名を耳にする機会は少なくない。信濃川と魚野川が大きく蛇行しながら合流する地点であるのが「川口」という名の由来だが、近く長岡市に合併する予定だと聞いた。「スキー天国にいがた(1975年12月)」には、「日本最古の伝統を持つといわれるヤナ場『男山漁場』をもち、春のヤマメ・カジカ・ハヤ、夏のアユ・マス・コイ、秋のサケ・ウナギと四季を通して川魚の味覚を求める客があとをたたない」との案内がある。

この川口の街の南東にある小丘陵に開かれていたのが、川口スキー場。1971年(昭和46)の開設。営業をやめた年月については正確な資料を見つけていないが、1990年代後半と思われる。川口町は2004年の中越地震で震度7という最大のゆれを記録し、甚大な被害を受けているが、その前に営業をやめていたと思われる。越後川口駅から徒歩15分。「スキー天国にいがた」には「東京からは上越沿線のスキー場の中では新潟に少しっこんだ感じで、ゲレンデ銀座を避けるには穴場かもしれない。眼下に魚野川の清流を望む新設のスキー場である」と紹介されている。シングルリフト(360m)が1本あり、最大斜度30度、最長滑走距離500mであった。

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(左)国道17号からゲレンデ方向を見上げる。(右)中間部からゲレンデ最下部(左側)を見おろす。

国道17号を川口から魚沼(堀之内方面)に向かう。すぐに高架の関越道が国道をまたぐ地点があるが、その直前の「川口町運動公園」という看板に従って左折してすぐのところがゲレンデの最下部にあたる。道の東側にある家では「そのころはスキーのレンタルをしていた」と教えてくれた。丘陵を上って行く道の右側斜面にゲレンデが開かれていたようだ。最大斜度30度とのことだが、それなりの斜面もあったことを感じさせ、リフト沿いにまっすぐ下りる中級コースと左に迂回する初級コースくらいの判別はなんとなくできる。斜面左手の白い建物がレストハウスの役割を果たしていたらしい。

周辺は震災のあと整地されたそうで、リフトの痕跡も見あたらなかったが、手近な場所にありながら魚野川を眼下に望む滑走は快適だっただろうと思われる。ゲレンデ下部には住宅が建て込んでおり、また、丘陵の上部には温泉施設がつくられている。地元の人々により跡地を利用してコスモス畑がつくられていることを、以前ネット上で読んだ記憶がある。(現地訪問:2009年12月、2010年2月)
ラベル:川口スキー場

2009年12月20日

二居スキー場(新潟県湯沢町)

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(左)二居民宿街への入口には看板が。(右)ゲレンデ跡地から二居民宿街と田代ゴンドラ(右奥)を見おろす。

国道17号線で湯沢から三国峠に向かう途中、二居トンネルを抜けた先にあるのが二居集落。かつては三国街道の宿場で、いまもその雰囲気がわずかに感じられる。国道の西側には田代ゴンドラの乗場があって、以前は田代スキー場の最寄の宿泊地といえばこの二居くらいしかなかった。その後、苗場・田代を結ぶゴンドラができて、田代で滑るなら苗場に泊まれといわんばかり。

現在も民宿やロッジが点在するこの二居集落の背後にあったのが、二居スキー場。私は東京在住時にはこの界隈によく出かけたのだが、もっぱら三俣に宿泊していたこともあり二居で滑ったことはなかった。ただ、友人から「田代に出かけたが、最終日は午前中、二居でのんびり滑って昼頃にはあがったよ」という話を聞いたこともあり、そのような使われ方もされていたようだ。またナイター営業がおこなわれた時期もあり、かぐら・田代にはナイター施設がないため「昼はかぐら・田代、夜は二居」という使われ方もあったようだ。ちなみに「みつまた」のメインゲレンデではかつてナイター営業していた時期があって、楽しく滑った経験があるのだが。

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(左)田代ゴンドラ駐車場から見た二居民宿街と二居ゲレンデ。

古くは国道に近い比較的緩斜面のゲレンデに第1リフト(300m)があったが、そちらは少し早く廃止されていたようだ。開設は1970年。民宿街を少し上がったところの小学校跡地の背後に第2リフト(350m)があったが、1999シーズンを最後に営業休止となり、その後廃止となった。小学校跡地から見上げる斜面は最大斜度30度とのことだが、ねじれのあるなかなかの急斜面に見える。こちら側正面にくだるのが上級コースで、裏を回るのが中級コース。ポールトレーニングのメッカで、地元のレーサー仕様に近いゲレンデだったようだ。現在はリフトの施設などは撤去されている。田代スキー場の入口でもあるので、二居地区の宿泊施設は営業を続けているところも多いようだ。

「スキー天国にいがた(1975年)」には、「上信越国立公園の中にあり、谷川連峰南端にあたる平標山を背に、苗場山赤湯温泉に囲まれ、四季を通して家族ぐるみのハイキング、登山、春はワラビとり、夏は涼み、秋はキノコ採りと賑わう」と案内されている。私自身は平標山・仙ノ倉山への登山を前々から考えているが、未だに果たせないでいる。(現地訪問:2009年11月)
ラベル:二居スキー場

2009年12月06日

土樽スキー場(新潟県湯沢町)

上越線の清水トンネルを抜けたところにある土樽駅。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」と川端康成が「雪国」で書いた、その信号所とは土樽駅にあたるのだろう。その土樽駅の駅前(駅裏?)にあったのが土樽スキー場。

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(左)土樽駅前。上部後方に土樽山荘の建物が見える。(右)土樽駅下りホームからのゲレンデへの入口。以前は案内板があったらしい。中線2本を含め4本あった線路が2本になったため側線だった部分に新しいホームが設けられている。右手の斜面には以前、ロープトウがあったらしい。

「南魚沼郡誌 続編 上巻(1971年3月)」によれば、谷川岳の名ガイドでヒゲの大将と呼ばれた冒険家・高波吾策が、1941年(昭和16)に冬はスキー夏は谷川岳登山の基地として土樽山荘を建設したのがはじまり。上越線開通(1931年)直後からわずかながら日帰りスキー客があったが、山荘の建設により宿泊スキー客も加わって、昭和16年から18年頃までは連日500〜800人の賑わいがあった。その後、中里スキー場の開発により日帰り客のほとんどはそちらに吸収されていったということだ。最後には西武グループの傘下となったが、一連の西武系のスキー場廃止の中で2005シーズンを最後に営業を中止した。

以前からスキー場ガイドには「ゲレンデに車の乗り入れは不可」とわざわざ記載があった。いくらでも駐車する方法などあるだろうにと思っていたのだが。すでにリフト施設などが撤去されたゲレンデ下に立つのが土樽山荘であり、その前に若干の駐車場があるが宿泊者向けなのだろう。その他に駐車できる場所は土樽駅前だが、駅の裏側にあるゲレンデまで一般道を歩くとかなり大回りしなければならない。

その場合、土樽駅の改札口を通り駅構内の誇線橋を渡り下りホームに出てからゲレンデにたどり着くというルートをとっていたようだ。以前はそのルートを示す掲示が駅構内にもあったらしいが、いまは撤去されている。昔のスキー場ガイドには「上越線土樽駅前にあり、鉄道利用者に便利」と書かれているが、しばらく前からこの区間を走る列車は日に5本となり、スキーに使うのには厳しいダイヤとなっていた。列車を使った方が下りホームからすぐにゲレンデに入れるのだが。

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(左)土樽山荘の前から見上げたメインゲレンデ。

駅ホームからゲレンデに入った場所に、古くはロープトウ(100m)が設置されていたらしい。その上にシングルリフト1本(400m)があった。2000シーズンのスキー場ガイド(立風書房)には「初級・中級者向けコース2本。ファミリー向け、ナイターなし。スキースクールが充実していて、バラエティのあるカリキュラムでみっちり練習を」と書かれている。

土樽駅のすぐ下には関越道が走っている。関越トンネル開通当初、まだ対面通行だった頃、帰路に関越トンネル入口の大渋滞に苛立ちながら、いつ東京にたどり着くかもわからない車を運転していたのはこのあたりだったのだろう。(現地訪問:2009年11月)
ラベル:土樽

2009年11月29日

ファースト石打スキー場(新潟県南魚沼市)

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(左)第1リフトの下から熊ころびゲレンデ(後のエメラルドゲレンデ)を見上げる。

「石打」と聞くといまでも気持ちが昂ぶるのを感じる。スキー場の林立するこの一帯でも、石打丸山には以前の勤務先の提携宿泊施設があり東京在住時には何回も訪れていたが、ファースト石打に足を運んだのは1991年2月の一度だけだった。

ファースト石打スキー場は、1964年開設。「南魚沼郡誌 続編 上巻(1971年3月)」によれば、第2次大戦後、開拓地として引揚者が入植したが、悪条件のもとで存続が危ぶまれた。しかし、スキー人口の増加にともない、石打丸山スキー場の第2ゲレンデ的な位置づけでTBSにより開発され、開拓地が変身を遂げた。その後、「小田急石打」となり、1991シーズンに「ファースト石打」と改名した。2006シーズンより営業休止。

最後の頃は客もまばらで、施設・サービスも十分とはいいがたい状況だったとの書き込みがネット上に見られる。「ファースト石打」と改名後すぐの時期に訪れたせいか、私はかなり好印象を受けた。コンパクトなわりに、トリプルリフト沿いの「鬼落しゲレンデ(後のトパーズコース、最大斜度35度)」をはじめ各レベルに応じた滑り応えのある斜面を備え、展望も素晴らしく、なかなか穴場のスキー場だと思われた。大学などのスキーサークル系のグループがいくつも滑っているようだった。当然ながらナイター施設も備えていた。

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(左)第2リフト乗場付近からゲレンデを見上げる。左に第3トリプル乗場。(右)右に第2リフト乗場、左奥には第一リフトの降場。向こう側には、石打花岡とMt.グランビュー(スポーツ振興石打)が見える。

国道17号線沿いには、いまも「ファースト石打」の案内看板が残っている。営業休止からまだ3年なので、現地にはリフトやレストランの建物などがほぼそのまま残っている。山麓部には周辺のスキー場への送迎で成り立っていると思われる宿泊施設が、いくつか存続しているようだ。ゲレンデ中間部の上の平まで車で上ってみると、ダブルで架かっていた第2リフトの施設が、打ち捨てられて立ちはだっているのが象徴的だ。

周辺にはレストランやロッジなどの建物が残っているが、ほとんどは廃墟となっているようだ。ぐっと斜度をあげている第3トリプル沿いの斜面は、いま見ても魅力的だ。振り返れば魚野川の谷をはさんで、今シーズンの営業に向けて最終準備段階の石打丸山をはじめとするゲレンデの姿が見えた。(現地訪問:2009年11月)

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石打花岡スキー場から見たかつてのゲレンデ全体(2013年1月)。
ラベル:石打

2009年11月22日

六日町坂戸スキー場(新潟県南魚沼市)

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(左)ゲレンデを見上げる。右手奥の杉林の中に坂戸城址の碑がある。ゲレンデ下に「天地人」の旗が立てられている。(右)坂戸城址にある「上杉景勝、直江兼続生誕之地」の碑。

迂闊だった。六日町坂戸はスキーヤーではなく、観光客が訪れる場所になっていた。
坂戸は合併で誕生した南魚沼市の中心である六日町市街から、魚野川を渡った東岸にある温泉街。古くは魚野川の水運などで栄えた。その背後にある坂戸山の北西山麓にあったのが坂戸城であり、六日町坂戸スキー場だった。

坂戸城は今年の大河ドラマ「天地人」の主人公・直江兼続と主君・上杉景勝の生誕の地だという。少し離れた場所には「直江兼続公伝世館」なるものがつくられ、ゆかりの地を巡るシャトルバスも運行されている。「上杉景勝、直江兼続生誕之地」という碑が立ち、石垣が残る坂戸城址には観光バスで訪れたらしい人々。その北側には最大斜度18度のなだらかな斜面に六日町坂戸スキー場があったが、2002シーズンを最後に営業を休止(廃業)した。リフトなどの施設の跡は残っていないが、草地の広がりがゲレンデの跡であることを示していた。ただそこに関心を向ける人はいない。

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(左)ゲレンデから六日町の市街を見おろす。

「南魚沼郡誌 続編 上巻(1971年3月)」によれば、坂戸スキー場は温泉街に隣接するゲレンデとして開発され、古くから町民のスキー場として親しまれていたが経営不振が続いていた。1967年(昭和42)にそれを引き継ぐ形で坂戸城址スキー場として開設されたようだ。以前からあった一本杉ゲレンデからその下段を切り開いた初心者スロープ。一本杉にロープトウ1基、一本杉スロープまで郡内最初のスライダーリフトを架設し家族向きスキー場としてデビューした。

廃業直前には460mのシングルリフト1本の施設だったらしい。また「スキー天国にいがた(新潟日報事業社・1975年12月)」によれば、坂戸温泉街のすぐそばにあるスキー場で、ゲレンデ全面に牧草が植えてあるので安全かつ快適なスキーを楽しむことができ、北側に面しているので雪質もよいと案内されている。スキー場真下には公認温泉プールがあった。六日町駅からは徒歩でも15分ほどの距離で、地元には根強いファンが多かったようだ。市街地と標高はほとんどかわらず、豪雪地であることがわかる。(現地訪問:2009年11月)
ラベル:坂戸城址