2009年11月29日

ファースト石打スキー場(新潟県南魚沼市)

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(左)第1リフトの下から熊ころびゲレンデ(後のエメラルドゲレンデ)を見上げる。

「石打」と聞くといまでも気持ちが昂ぶるのを感じる。スキー場の林立するこの一帯でも、石打丸山には以前の勤務先の提携宿泊施設があり東京在住時には何回も訪れていたが、ファースト石打に足を運んだのは1991年2月の一度だけだった。

ファースト石打スキー場は、1964年開設。「南魚沼郡誌 続編 上巻(1971年3月)」によれば、第2次大戦後、開拓地として引揚者が入植したが、悪条件のもとで存続が危ぶまれた。しかし、スキー人口の増加にともない、石打丸山スキー場の第2ゲレンデ的な位置づけでTBSにより開発され、開拓地が変身を遂げた。その後、「小田急石打」となり、1991シーズンに「ファースト石打」と改名した。2006シーズンより営業休止。

最後の頃は客もまばらで、施設・サービスも十分とはいいがたい状況だったとの書き込みがネット上に見られる。「ファースト石打」と改名後すぐの時期に訪れたせいか、私はかなり好印象を受けた。コンパクトなわりに、トリプルリフト沿いの「鬼落しゲレンデ(後のトパーズコース、最大斜度35度)」をはじめ各レベルに応じた滑り応えのある斜面を備え、展望も素晴らしく、なかなか穴場のスキー場だと思われた。大学などのスキーサークル系のグループがいくつも滑っているようだった。当然ながらナイター施設も備えていた。

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(左)第2リフト乗場付近からゲレンデを見上げる。左に第3トリプル乗場。(右)右に第2リフト乗場、左奥には第一リフトの降場。向こう側には、石打花岡とMt.グランビュー(スポーツ振興石打)が見える。

国道17号線沿いには、いまも「ファースト石打」の案内看板が残っている。営業休止からまだ3年なので、現地にはリフトやレストランの建物などがほぼそのまま残っている。山麓部には周辺のスキー場への送迎で成り立っていると思われる宿泊施設が、いくつか存続しているようだ。ゲレンデ中間部の上の平まで車で上ってみると、ダブルで架かっていた第2リフトの施設が、打ち捨てられて立ちはだっているのが象徴的だ。

周辺にはレストランやロッジなどの建物が残っているが、ほとんどは廃墟となっているようだ。ぐっと斜度をあげている第3トリプル沿いの斜面は、いま見ても魅力的だ。振り返れば魚野川の谷をはさんで、今シーズンの営業に向けて最終準備段階の石打丸山をはじめとするゲレンデの姿が見えた。(現地訪問:2009年11月)

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石打花岡スキー場から見たかつてのゲレンデ全体(2013年1月)。
ラベル:石打

2009年11月22日

六日町坂戸スキー場(新潟県南魚沼市)

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(左)ゲレンデを見上げる。右手奥の杉林の中に坂戸城址の碑がある。ゲレンデ下に「天地人」の旗が立てられている。(右)坂戸城址にある「上杉景勝、直江兼続生誕之地」の碑。

迂闊だった。六日町坂戸はスキーヤーではなく、観光客が訪れる場所になっていた。
坂戸は合併で誕生した南魚沼市の中心である六日町市街から、魚野川を渡った東岸にある温泉街。古くは魚野川の水運などで栄えた。その背後にある坂戸山の北西山麓にあったのが坂戸城であり、六日町坂戸スキー場だった。

坂戸城は今年の大河ドラマ「天地人」の主人公・直江兼続と主君・上杉景勝の生誕の地だという。少し離れた場所には「直江兼続公伝世館」なるものがつくられ、ゆかりの地を巡るシャトルバスも運行されている。「上杉景勝、直江兼続生誕之地」という碑が立ち、石垣が残る坂戸城址には観光バスで訪れたらしい人々。その北側には最大斜度18度のなだらかな斜面に六日町坂戸スキー場があったが、2002シーズンを最後に営業を休止(廃業)した。リフトなどの施設の跡は残っていないが、草地の広がりがゲレンデの跡であることを示していた。ただそこに関心を向ける人はいない。

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(左)ゲレンデから六日町の市街を見おろす。

「南魚沼郡誌 続編 上巻(1971年3月)」によれば、坂戸スキー場は温泉街に隣接するゲレンデとして開発され、古くから町民のスキー場として親しまれていたが経営不振が続いていた。1967年(昭和42)にそれを引き継ぐ形で坂戸城址スキー場として開設されたようだ。以前からあった一本杉ゲレンデからその下段を切り開いた初心者スロープ。一本杉にロープトウ1基、一本杉スロープまで郡内最初のスライダーリフトを架設し家族向きスキー場としてデビューした。

廃業直前には460mのシングルリフト1本の施設だったらしい。また「スキー天国にいがた(新潟日報事業社・1975年12月)」によれば、坂戸温泉街のすぐそばにあるスキー場で、ゲレンデ全面に牧草が植えてあるので安全かつ快適なスキーを楽しむことができ、北側に面しているので雪質もよいと案内されている。スキー場真下には公認温泉プールがあった。六日町駅からは徒歩でも15分ほどの距離で、地元には根強いファンが多かったようだ。市街地と標高はほとんどかわらず、豪雪地であることがわかる。(現地訪問:2009年11月)
ラベル:坂戸城址

2009年09月22日

スポーツコム浦佐国際スキー場(新潟県南魚沼市)

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(左)レストラン・サンシャトレ1の下からゲレンデを見上げる。

1997年3月に一度だけ滑りに来ている。当時のスキー場ガイドには「良いスキー場なのだけれど知名度が低くて残念」と書かれている。どうもイメージのはっきりしないスキー場という印象があり、周辺の「スキー道場」を自認する『浦佐』、ダウンヒル・ロングコースを誇る『六日町八海山』など、個性的なスキー場の影に隠れていた感がある。

そのときは、関越道沿いのスキー場で行ってないところを探して出かけたのだが、豪雪地であるものの標高の高いゲレンデではなく、3月に入ってあまり雪質がよくなかったせいで印象がはっきりしないのかもしれない。

4本のペアリフトが設置されていたが、それほど奥行きは感じられず、営業をやめる直前にはリフト2本だけになったようだ。右側を大きく迂回する「トライアングルコース」、トップからまっすぐ滑り降りるいくつかの上級コース、さらに下部の緩斜面で構成されていた。

ひとつ面白いと思ったのは、「スペース・カプセル」というカプセル型の屋外の小部屋がレンタルされていて、小グループの利用には楽しそうだったこと。バブル崩壊後とはいえ、滑っている人は少なくどちらかというと閑散としていたと記憶している。開設は1975年。最大斜度32度。2006シーズンを最後に営業を休止した。

上越線八色駅(新幹線停車駅・浦佐駅のひとつ新潟寄り)から五箇の集落の中を通って、西側の山ぎわに上るとゲレンデ下に出る。遠目にはゲレンデの跡がはっきり分かったが、近づいてみるとススキをはじめ背の高い草に覆われている。リフトも早々と撤去されたようで、レストラン・サンシャトレ2の横に第1リフトのコンクリートの痕跡を見つけたが、それ以外はわからなかった。

サンシャトレ1・2という2つのレストランは廃屋になって残っている。ゲレンデを見上げると中腹にあったレストラン・サンシャトレ5の建物も残っているようで、これほどの数のレストランを設けるほど、かつては集客があったということだろう。ゲレンデの一部は墓地に転用されているようで、真新しい墓石が並んでいた。米どころ魚沼の田園風景を見おろしながら眠るのも、悪くないかもしれない。(現地訪問:2009年9月)

2009年09月20日

越後アクシオムスキー場(新潟県魚沼市)

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(左)第2ペアリフト下からゲレンデを見上げる。

1999年2月に一度だけ滑りに来たことがあるが、そのときの印象は決して悪いものではなかった。スノーボーダーが多かったものの、正面のメインバーンは適度な斜度と広さがあり、いろいろなコース取りができて楽しかった。それより上のブリザードコースとか、エキサイティングコースはいまひとつだったのだけれど。

まだ東京に住んでいて、湯沢・石打のちょっと先にある行ったことのないゲレンデで滑ってみようか、という感じで出かけた。実際は湯沢・石打あたりからもかなり距離があり、東京から出かけていくのはなかなか厳しいと思われた。しかし、ここからさらに奥に須原や関越国際大原(魚沼市営大原)などもあり、現在も営業している。上越新幹線・浦佐駅からシャトルバスもあり、スノーボーダーを集客の中心として、ちょっとお洒落でメジャーなスキー場に脱皮しようとしている様子もうかがえた。

ペアリフト4基と、それなりの規模でもあった。緑・白・赤の塗り分けをイメージカラーにしていて、レストランの屋根がその色に塗られているのが印象的だった。1972年(昭和47)に地元を中心とした「権現堂観光開発(株)」によって、第1リフト(551m)・ロッジ・駐車場(300台)が完成して営業を始めたが、経営が行き詰まり2001シーズンを最後に営業を中止している。

合併して魚沼市の中心となった小出の町から只見方面に向かうと、いっそうローカル色が豊かになるのを感じる。国道に併走する只見線は日に数本の列車しかないローカル線で、周辺の印象は10年前とあまりかわらない。この季節、こんな呑気なことをしているのは私のような余所者で、地元の人々は農作業に忙しいらしく軽トラをしきりと走らせている。右手前方にひときわ目をひく下権現堂山の山容があらわれる。アクシオムはこの山麓の北西斜面に開かれていて、むかしは権現堂スキー場と名のっていた。

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(左)ゲレンデ東側にはリフトの残骸。(右)ひときわ目につくレストランの3色屋根。

今回訪れてみると、リフトの施設はほぼそのまま残されているし、ゲレンデ西側の一段下にあり、ちょっと不便な立地だと思ったレストランの建物も3色屋根のまま存在していた。東側に少し離れた場所にはファミリー用のリフトの跡だろうか、コンクリートの基礎部分が残されていた。ゲレンデは背の高い草に覆われていたが、営業をやめてから8年を経ているものの、今冬も営業するゲレンデだといっても信ずる人はいるだろう。すぐ隣接する神湯温泉には、10年前に滑りに来たときに入浴したが、こちらは営業を続けていてそれなりの賑わいを見せているようだった。

こちらもご覧ください → 2013年11月5日 越後アクシオムスキー場(その2)
ラベル:アクシオム 新潟