2015年10月13日

ARAI MOUNTAIN & SPA(その4)(新潟県妙高市)

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(左)膳棚第一クワッドの降り場。遠目には営業時とあまりかわらない様子に見えるが。(右)新井ゴンドラ終点・膳棚第一クワッド乗場があった膳棚付近のようす。

ふと思い立って、このARAI MOUNTAIN & SPAの背景をなす大毛無山への登山に向かった。このスキー場がなければ、この山に登ることもなかったと思う。地図を見ると、登山道は最上部の大毛無メインステージのゲレンデの上部につけられていて、登山道からゲレンデのようすを見おろせるのではないかという期待もあった。掘割登山口から1時間強で山頂。その途中の登山道の脇に、膳棚第一クワッドの最上部があるはずだ。

結論からいえば残念ながら、この登山でゲレンデのようすをあまり知ることはできなかった。登山道は終始樹林帯の中を行くので、斜面下のようすはわからない。膳棚第一クワッドの降り場は確認できたものの、リフトに沿うコースは草木の中に埋もれつつあることぐらいしかわからなかった。

この大毛無山の掘割登山口まては、このスキー場内を上っていく大毛無林道を延々と車でたどる必要がある。そこでゲレンデ内の各ポイントについて、再度、下山途中に林道から写真を撮ってみた。遠目にはそれぞれの施設はまだしっかりしているように見えるが、近寄るとガラスや壁などが崩れている様子が見てとれる。

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(左)小毛無第一クワッド終点。(右)山麓第二ペア終点。

今年に入ってから、このARAIをめぐってはさまざまな動きが出てきた。3月には期間限定で「大毛無山の魅力再発見ツアー」がおこなわれた。日本初のクラブフィールド化によって、このARAIをよみがえらせようという動きの始まりであった。しかし、不動産公売により18億円にて落札者が決定。クラブフィールド化は困難になったとされている。落札者がどのようにスキー場を復活させようとしているのかは、いまのところ聞こえてこない。完全復活の日は来るのか、あるいはもう少し別のかたちで姿をあらわすのか、この広大な斜面を見ていると、いずれにしても必ず復活の日が来ることを信じたくなってしまう。(現地訪問:2015年10月)

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(左)ゲレンデ上部の全体。右下に新井ゴンドラ中間駅と小毛無第一クワッド乗場。中央上部に新井ゴンドラ終点と膳棚第一クワッド乗場。こう見るとあらためて規模の大きいスキー場だったことがわかる。(右)下部から見た新井ゴンドラ中間駅。

こちらもご覧ください→「ARAI MOUNTAIN & SPA(その1)(2009年3月15日)」「ARAI MOUNTAIN & SPA(その2)(2011年7月30日)」「ARAI MOUNTAIN & SPA(その3)(2011年8月10日)」

2013年09月20日

妙高パノラマパーク(新潟県妙高市)(その3)


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(左)第3リフトのさらに東側にはジャンプ台が残っている。(右)ゲレンデ最上部レストハウス前から、南側にリフトの痕跡などが見える。

前回に引き続き、妙高パノラマパークのレポートをお届けする。

前々から気になっていたのは、小高い山頂でもあるゲレンデトップに建っている建物。遠めに見ると立派なレストハウスがいまでもそのまま建っているように見える。地図を見ると東側から山頂部まで林道が通じているようだ。車を乗り入れることは難しそうだが、歩けば山頂のこの建物までたどり着くことができそうだ。

第3リフトの東側にはジャンプ台と競技用の小屋が残されている。その下を通り過ぎ、山麓の東側を北に向かう林道を歩き始める。杉林に囲まれた道は、今となっては軽トラでも乗り入れるのは難しそうだ。やがて道は左に折り返して斜面の南側から西側へと山頂部を目指す。だが、いたるところ草木に覆われ真夏のヤブ漕ぎを強いられることとなった。

ようやく草木に覆われた山頂部に到着すると、レストハウスの建物が、予想していたよりも激しく崩壊したようすで建っていた。ガラス窓なども粉々になり屋根の金属も錆びついている。2階は食堂・喫茶、1階にはトイレのほか、宿泊ができる部屋もあったようだ。

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(左)ゲレンデ最上部には廃墟と化したレストハウス。(右)ゲレンデ最上部から西側には妙高高原駅や杉の原・赤倉などのスキースキー場が見える。

周囲は背の高い草木に覆われていてゲレンデ下部まで見おろすことはできなかったが、建物の南側にはリフトの痕跡も残っていた。西側眼下には妙高高原駅が見え、まさに駅前ゲレンデ。さらにその向こうには、杉の原・赤倉などの斜面が広がっているのが見えた。(現地訪問:2013年8月)

こちらもご覧ください → 2009年03月07日 妙高パノラマパーク
こちらもご覧ください → 2013年09月06日 妙高パノラマパーク(その2)

2013年09月06日

妙高パノラマパーク(新潟県妙高市)(その2)

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(左)遠景から見たゲレンデ全景。左に「オリンピック妙高高原」の建物。その上に第1〜3リフトのあったゲレンデ。右手には黄色い第6リフト乗場が残っている。(右)「オリンピック妙高高原」の脇にあった第1リフト乗場付近から。上部にリフトの支柱が見える。

本ブログをはじめて間もない頃に、この妙高パノラマを取り上げた。私にとっては小学校時代に何回も滑った思い出のゲレンデであり、機会を見てもう少し詳細なレポートをしたいと考えていた。前回4年前にレポートした時と状況が変わっているのかも興味があった。

「オールスキー場ガイド2000(立風書房)」には「妙高高原駅の目の前にゲレンデが広がる交通至便なスキー場。道を挟んで右側はビギナー向けのオコジャン、左側に中・上級コースが揃う。やどはゲレンデに面した500名収容のオリンピック妙高高原や妙高東山ホテルなどが便利。ポール練習バーンあり、ナイターなし。シングルリフト5本」と紹介されている。駅の目の前というよりは、駅の裏側といった方が正しいだろう。

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(左)第3リフト沿いの斜面。第3リフト乗場の基礎部分が左端に見える。(右)今も残る第6リフトの乗場。

猛暑が続く8月の休日、妙高へ出かける。まずは妙高温泉の東側から関川を挟んだゲレンデ全体を見渡してみる。以前は気が付かなかったが、左手の第1・第2・第3リフトは支柱が何本か残り、ナイター照明の痕跡も残っているようだ。上記ガイドには「ナイターなし」と書かれていたが、ナイター営業があった時期もあるのだろう。

ゲレンデ入口にあるメインの宿泊施設「オリンピック妙高高原」は廃墟となっていて、立入禁止などの貼紙も。その一番奥にあるスポーツジムの脇には、第1リフトの乗場があったはずである。乗場の痕跡は分からなかったが、上部を見ると樹林の中に切り開かれた痕跡があり、茶色い支柱が2本ほど残っているのが見えた。メインゲレンデでもあった第3リフト沿いの下部にまわると、リフト乗場のコンクリート基礎部分が残っていた。見上げると綺麗な中斜面が広がっている。

4年前にもレポートした第6リフトと第5リフトの支柱などもそのまま残っていた。しかし、第6リフト上部にあったジャンプ台は見当たらなかった。営業休止後約10年が経過し少しずつ状況は変わっているものの、スキー場の痕跡はまだ多くが残されていた。(現地訪問:2013年8月)

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(左)第5リフトに沿った斜面。左手にリフトの支柱が見える。

こちらもご覧ください →  2009年03月07日 妙高パノラマパーク
こちらもご覧ください → 2013年09月20日 妙高パノラマパーク(その3)

2011年11月30日

燕温泉スキー場(その2)(新潟県妙高市)

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(左)温泉入口にあった案内板から。(右)道路左の一段高いところに第1リフトの乗場があったのだが。

このブログをはじめてごく初期に燕温泉スキー場を取り上げた。営業していた最後の頃は、赤倉をはじめとする周辺の大きなスキー場の影に隠れるような存在だったため、あまり反響があるとは思わなかった。しかしその後、このスキー場に寄せられたコメントの数に少々驚いている。バブル期よりもはるか前、私と同年代の方々の少年時代・青春時代には、このスキー場のポジションが大きかったことを改めて思い知らされている。以前、訪れたときには残雪期であり、ゲレンデ上部の様子を知ることができなかった。いつかゲレンデ上部を見てみなければと思っていたが、紅葉の10月に訪れてみた。

燕温泉街の下にある駐車場に車をとめて歩きはじめる。タオルをもって露天風呂に向かう人の姿も多い。妙高から下山してきた登山者の姿も見られる。何より驚いたのは、リフトがすっかり撤去されていたこと。駐車場から温泉街に向かう道の左手すぐ上に、第1リフトの乗場があったのだが、すっかり撤去されている。施設があった平地と、林の中に一直線に切り開かれた跡が、過去にそこにリフトがあったことを示しているだけだった。

温泉街をぬけ、左手の露天風呂「黄金の湯」の方へ登っていく。黄金の湯の前あたりが、初級向け薬師ゲレンデがあったところ。さらに舗装された林道を登り、第1リフトの終点、第2リフトの乗場があったところを過ぎ、第2リフト終点付近まで登ってみる。第2リフトの痕跡もまったくわからなくなっている。ところどころに重機が置かれ、土嚢が積まれている。土砂崩れや雪崩を防止する工事が行われている様子だ。

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(左)黄金の湯の周辺の薬師ゲレンデ下部。(右)紅葉の木々に囲まれた坊主落としゲレンデ。

第1リフト終点あたりから見上げると、色づいた木々に囲まれた坊主落としゲレンデの様子ははっきりと読み取れたが、その他は深い草木に覆われて、コースの様子ははっきりとはわからなくなっている。あまり整地などせず、自然の地形のままのゲレンデであったことがしのばれた。周囲の山々は赤や黄に染まり、冬が間近に迫っていることを告げているようだった。(現地訪問:2011年10月)

→こちらもご覧ください「燕温泉スキー場(2009年5月2日)」
ラベル:燕温泉

2011年11月18日

吉川六角山スキー場(新潟県上越市)

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(左)吉川中学校の校門付近から、校庭の向こうにゲレンデが見える。(右)ゲレンデ下部から見上げる。右手にロープトウ乗場。

上越市の一部となった旧吉川町。米山に近く、頸城の平野も東に尽きる直前あたりの穀倉地帯で、地区の東にある尾神岳はパラグライダーのメッカだという。いくつかのサイトで「吉川六角山スキー場」についての記載をみつけ、出かけてみることにした。吉川区総合事務所や診療所などがある地区中心地の一角にある吉川中学校。その校門の前からは、校庭をはさんだ向こう側の山腹にゲレンデが開かれているのが見て取れる。別の道から校内を通らずにゲレンデ直下にアクセスすることもできる。

それにしても六角山とは珍しい名前だが、幹線道路からの入口には立札があり「南北朝期古戦場 六角峰城址登り口」の文字があり、この地が歴史の舞台に立ったことを知ることができた。さらに「文和4年3月 南朝上杉憲将この地に拠り、北朝軍と大いに戦う」と記されている。「観応の擾乱」で足利尊氏と直義の兄弟抗争が起きた時に上杉憲顕は直義側に味方した。その子、上杉憲将は宇佐美一族と顕法寺城で挙兵。しかし風間長頼に攻められ、顕法寺城を捨てて六角峰(六角城)、さらに柿崎城へと逃れたという。

校庭のすぐ脇からはじまるようなゲレンデ。トイレだった思われる建物の入口には板が打ちつけられている。その向こうにはリフト乗場の建物。といっても、リフトではなくツタが絡みついたロープトウの機器が小屋の下にあった。隣接する蜘蛛の巣に覆われたリフト券売場の小屋には「リフト使用料金表」という色あせた貼り紙が残っていた。それによれば、「大人(高校生以上)半日500円一日700円、子供(小・中学生)半日300円一日500円」となっている。見上げるゲレンデは、草に覆われた緩やかな斜面。滑走距離はごく短く、300mくらいだろうか。最上部にも小屋に覆われたロープトウの機器が残っている。雲が多い天候で、ゲレンデ最上部からの展望ははかばかしいものではなかったが、晴れていれば日本海や米山の展望が素晴らしいのだろう。

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(左)ゲレンデ最上部から見おろす。(右)ゲレンデ上部にも小屋の中にロープトウの機器がある。

近くの商店で聞いてみると「スキー場はいまはもうやってないんですよ」という言葉が返ってきた。上越市の資料によると平成17年度(=2006シーズン)には、361人の入場者があったが、「2007年には降雪がなかったため開設できなかった」となっている。リフト券売場の小屋の中には、2006年3月のカレンダーが放置されていたので、それが最終の営業時期だったと思われる。カレンダーの3月12日(日)の箇所には「終」の文字が記入され、最終営業日を物語っていた。(現地訪問:2011年10月)