

(左)ゲレンデ中間部から、リフト乗場付近、センターハウスを見おろす。
鉛色の雲に覆われた日本海はもの悲しい。国道8号を海岸線に沿って走ると、早川の河口付近に開けた梶屋敷の集落があらわれる。ここから早川に沿う谷を遡れば、頸城三山のひとつ「焼山」の北麓にある焼山温泉にたどり着く。山間の鄙びた温泉を想像していたが民家や田畑も点在し、思っていたよりも周囲は開けている。その焼山温泉・清風館の南側、早川の左岸にペアリフト1本だけの焼山温泉スキー場が、バブル末期の1989年にオープンして営業していた。温泉と経営主体は同一だったが、2003シーズンを最後に営業を休止、その2年後に廃止となった。


(左)ゲレンデ最下部から見上げる。(右)リフト終点付近。
ゲレンデ跡に立ってみると、最下部にはリフト券売場・レンタルスキー・休憩所が入っていた2階建のセンターハウスが残っている。その横のリフト乗場は撤去されているが、リフトの鉄柱は最上部まで残されたまま。ただ、ワイヤーは取り除かれている。地形図を見ると河川敷にでもあるように思えたが、実際には一段高い段丘上に所在している。標高差20mしかない緩斜面で、地形図から読み取るとトップが標高420m、ボトムが400m。全長314mのリフトにはソリを持って乗車できるので、スキー客よりもソリ客の方が目だつことがさまざまな過去の資料にも記載されている。スキー(雪遊び)と温泉の両方が楽しめるので、地元ファミリー層を主体に賑わった時期もあったが、スキー人口の減少などにより集客が低迷したようだ。
私の住む長野市からは直線距離なら50kmくらいだが、頸城山塊を貫く交通路があるはずもなく、妙高高原・上越市を迂回するので片道120kmの行程。そのためこの地域のスキー場には縁がなかったけれど、子どもが小さい頃なら温泉と雪遊びで楽しめた場所だっただろう。温泉そのものは、今日もかなりの数の宴会客を集めている様子だった。周辺の山域は、春先には絶好のツアーコースとなるが、ヘリスキーもおこなわれているようだ。