2009年05月05日

あらい船岡山スキー場(新潟県妙高市)

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新井(現在の妙高市)の市街地に隣接していた都市型のゲレンデ。新井の町の南側にある小丘陵の北斜面が、ゲレンデとなっていた。新井駅からも車であれば5分程度というアクセスのよさ。驚くのは市街と標高がほとんど変わらないことで、この地がかつていかに豪雪地帯であったかがわかる。最近はやはり積雪は減っているようだが。

私は残念ながら滑りに来たことはないが、ナイターも行われていたようだから、市内からの仕事帰りにも充分楽しめたのではないか。周辺には民家が隣接し、いまはゲレンデ内に畑地も見られる。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」によれば、「新井市内からクルマで数分、週末にもナイターがありシティゲレンデとして親しまれる。リフト料金も安く足慣らしに格好のゲレンデ。ペアリフト1基の全体に初級者向きコースとコンパクトながら、最大30度の中級バーンが揃い本格的なスキーが可能」と紹介されている。

道に面して立つ緑色の掲示に「あらい船岡山スキー場」と書かれていた文字がかすかに読み取れる。駐車場に隣接して無料休憩所・リフト券売場の建物が残っており、ゲレンデ中央には1本だけあったペアリフトもそのまま残されている。そのリフトの左右に最大30度のバーンが3つ開かれているシンプルな構成。2004シーズンを最後に廃業となったようだが、地元の人しか来ないスキー場だろうから、このスキー人口減少の中では、最寄の都市の規模がスキー場を成立させるには小さかったということだろうか。

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ラベル:スキー 妙高 新潟

2009年05月03日

妙高坪岳スキー場(新潟県妙高市)

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(左)現在ハイキングコースになっている道が、ゲレンデ斜面を登っている。 (右)尾根を辿ると坪岳山頂。その向こうに妙高山の展望。

関山駅付近から妙高山の山麓にある関・燕の温泉に向かってまっすぐ上っていく道がある。その道沿いには、国民休暇村スキー場や妙高スノーパークなどといった緩斜面のゲレンデがあるが、そのあたりから少し北に入った坪岳という小丘陵の南斜面に、坪岳スキー場は開かれていた。
「坪岳ハイキングコース」という標識をたよりに車を進ませる。未舗装の道になり、少々不安になりながら進むと、広場のような場所に出る。

目の前には、いかにもスキー場に適した斜面が広がっているが、ここが坪岳スキー場の跡地だった。ただ、リフトの跡など痕跡は何も残っていない。かなり急な斜面だが、ジグザグに林道がつけられて、ハイキングコースはそこを進むようになっている。おそらくはまっすぐ滑り降りれば最大40度という上級コースであり、ジグザグに滑れば初中級ということだろう。目の前の斜面にリフト1本(270m)がかけられていたと思われるが、リフト終点から左に、気持ちの良いカヤトの尾根を辿れば、わずかで坪岳の山頂に至る。山頂からは正面に妙高山、そのほか360度の展望が開ける。かつてのスキー場ガイドにも、「山頂から2kmのコースどりができる」という記載がある。

「'86 SKI GUIDE(山と渓谷社)」には「坪岳(標高750m)の南東斜面に位置し、1.5haと小規模ではあるが、なだらかな初級者コース、やや急な中級者コースとあり、スキー技術をマスターするのに適している。標高747〜670m。スキー場開設は1961年(昭和46)。坪岳第一リフト266m。1回券70円、6回券350円」と紹介されている。

「スキー天国にいがた(1975年・新潟日報事業社)」によれば「東京学芸大学附属高の特別教育活動の施設として利用されていて、初中級向けに最適」とある。関山駅からバス15分、かつては妙高村主催によるスキー選手権大会やスキー講習会会場にとして利用され人気があったようだ。営業休止は現在まで入手している資料でははっきりしないが、90年代の中盤頃と思われる。私は残念ながら営業中に訪れたことはないが、良く晴れた日に山頂に登れば、頚城山塊をはじめとする周囲の雪山の眺めは、さぞかし素晴らしかっただろうと思われる。

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ラベル:スキー 妙高 新潟

2009年05月02日

燕温泉スキー場(新潟県妙高市)

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(左)第1リフト乗場 (右)薬師ゲレンデ。5月にはいってもまだ、雪が残っていた。

燕温泉は妙高山麓の名湯として知られ、山岳スキーでも古くから知られている。私はずいぶん前に妙高山に登ったときに、ここに下山して温泉で疲れをとって帰宅したが、しばらくは身体から硫黄の匂いが消えなかった記憶がある。急坂の温泉街に7〜8軒の温泉旅館・ホテルが軒を連ねている。白濁した硫黄臭の強い、いかにも温泉!という泉質の温泉である。

この燕温泉の裏山のような場所にペアリフト2基のゲレンデが開かれていた。どちらかというと中上級向きのゲレンデといえるだろう。山岳スキーの延長といった雰囲気が強かったと思う。2006年で営業休止(廃業)となっているが、現地に行ってみたところリフト施設はほぼそのまま残っているようだった。

「'86 SKI GUIDE(山と渓谷社)」によれば「弘法大師が発見した妙高山麓48湯のひとつ燕温泉の地にあり、神奈山と前山の狭間北斜面に位置する。ゲレンデは良質な雪質に恵まれ、積雪も豊富でシーズンも長く、例年5月の連休にはリフトを運転しており、春スキーを楽しむスキーヤーでにぎわう。明治の末、日本にスキーを紹介したレルヒ少佐がこの地ですべりスキー技術を伝えたことは有名。」と紹介されている。標高1,100〜1,350m。リフト架設は1956年(昭和31)。

さすがに雪深い土地であって、5月にはいってもまだゲレンデには雪が残り、そり遊びをしている子どももいた。

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こちらもご覧ください→「燕温泉スキー場(その2)(2011年11月30日)」
ラベル:新潟 妙高 スキー

2009年03月15日

ARAI MOUNTAIN & SPA(新潟県妙高市)

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ゴンドラ乗場付近から山頂部を見上げる。

ARAI(アライ・マウンテン・アンド・スパ)の登場は衝撃的だった。バブル終焉期の1994シーズンに営業開始。アミューズメントパークを思わせる豪華なホテルやレストラン・ショップなどもさることながら、大毛無山の山腹に開かれた大規模なゲレンデはなんとも魅力的に思えた。ゴンドラ1基にクワッド2基・ペア1基という施設以上に、ゲレンデの広さが目立っていた。首都圏からは少々遠くて、東京在住時には出かけていくのは躊躇された。一度だけ日帰りで訪れたのは長野へUターンした後、2003年のことだった。

そのときは4月に入っていたのでゲレンデの状態は良いとはいえず、正しい印象といえるものかはわからない。滑って一番楽しかった場所は最上部の「大毛無メインステージ・アンコール」で、ここで繰返し滑った。ただ、その他では「山麓第2ペアリフト沿い」を除けば林道や連絡コースか、急斜面のいずれかで、広い割にはじっくり滑って楽しめる場所は限られている印象だった。もちろん、この雄大なゲレンデの魅力は、何にもかえられないものだと感じたが。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」によれば「標高1429mの大毛無山山麓北東斜面に展開するスキーリゾート。ゴンドラとクワッドリフトを乗り継いで山頂近くまで上がれる。豊富な雪量によるシーズンの長さと5000mのロングコースが目玉。また標高差もあり、中上級者向きコースが上部に集まっている。長期滞在に応えるヴィレッジエリアも圧巻」と紹介されている。

経営が行き詰まり2006シーズンを最後に営業を休止している。この規模のプロジェクトとしては、世の中に登場する時期が少々遅かったといえるかもしれない。ホテルやショップの建物、ゴンドラ・リフトもそのままの状態のようで、何も知らなければ、明日からでも営業を再開できるように見受けられる。これだけの施設がこれから朽ちていくとしたら、それは悲しいことだと思う。

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営業していた頃の「大毛無メインステージ」(2003年4月)

こちらもご覧ください→「ARAI MOUNTAIN & SPA(その2)(2011年7月30日)」「ARAI MOUNTAIN & SPA(その3)(2011年8月10日)」「ARAI MOUNTAIN & SPA(その4)(2015年10月13日)」

2009年03月07日

妙高パノラマパーク(新潟県妙高市)

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(左)南側からサンセットゲレンデの方向を見上げたところ。

子どもの頃、父親に連れられてよく行ったのが、この妙高パノラマだった。妙高高原(当時はまだ「田口」という駅名だった)の駅から、赤倉や池ノ平・杉ノ原などに向かう「大人」のスキーヤーたちを眺めながら、反対の方向にわずかに歩いたところ。その頃は車でスキーに行くなどという人はほとんどいなくて、みんな列車やバスを使ってゲレンデに向かった時代。駅からわずかな距離にあるこのゲレンデは、子どもを連れて行くには便利だったのだろう。

第1・第2・第3リフト沿いはナイター営業もあり、一時は「赤倉に行った帰りの列車を待つ間のひと滑り」などという使い方をする人もいたと聞く。駅前(駅裏?)ゲレンデのわりには道をはさんで5本のリフトがあり、そこそこの規模でそれなりのすべり応えがあった。私は小学校低学年の頃だったので、もっぱら第5リフト沿いで滑っていたと思う。その頃、どうだったか記憶が定かでないが、当初は道の南側が「妙高東山スキー場」、道の北側が「妙高大和スキー場」と別のスキー場であったようだ。

「'86 SKI GUIDE(山と渓谷社)」には「袴岳(1,135m)の南西斜面に23haの広がりをもつスキー場で、越後富士と称される妙高山を中心とした赤倉・新赤倉・池の平の各スキー場をパノラマで望めるすばらしい景観の地にある。ゲレンデには最大42度のベテラン向きのバーンから、初級者向きの林間とそろい、ホテル直営で設備も完備し、あまり混雑もせず、ポール練習も充分にできると大学などのクラブ合宿に定評がある」と紹介されている。標高600〜800m。スキー場開設は1972年(昭和47)となっているが、私は前記のとおり小学校の頃滑ったことがあるからこの開設時期は「妙高パノラマ」という名前になった時期と思われる。

「スキー場ガイド4 信越ビッグゲレンデ(1977年・スキージャーナル社)」によれば、「妙高高原駅の裏側にあたり、対面の赤倉一帯が一望でき、文字通りのパノラマ台。……斜面は最大42度の急斜面をもつ第2リフト、初心者用の第5リフトなどコースは短いが、初・中・上級とまんべんなく楽しめる。メインゲレンデは第3リフト沿いの中斜面で、女性スキーヤーがたむろしている」とある。7〜8年ほど前までは営業していたはずだが(おそらく2003シーズンを最後に営業休止)、今はリフトの跡、ジャンプ台の跡が当時を振り返るよすがとなっているだけだった。

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(左)第5リフト下あたりから見上げたところ。(右)第6リフトとジャンプ台。

こちらもご覧ください → 2013年09月06日妙高パノラマパーク(その2)
こちらもご覧ください → 2013年09月20日妙高パノラマパーク(その3)