2020年04月20日

1日も営業できなかったスキー場

ここに来て意外と気温が低い日が続き、標高の高いところではまだ滑走可能な状況にあるのだけれど、新型コロナ・ウィルスの緊急事態宣言により営業を終了したスキー場が多い。私自身も自重しているので、廃スキー場のレポートも難しい状況である。そこで、今回は今冬に1日も営業できなかったスキー場をリストアップしてみたいと思う。

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 (左)わかぶな高原スキー場(2015年3月訪問時)。(右)胎内スキー場(2014年12月訪問時)。

コロナ以前のことを忘れてしまいそうだが、そもそも今冬は記録的な暖冬で積雪が極端に少なかった。そこへコロナの影響が重なり、1日も営業できなかったスキー場もあらわれ、一部は新聞・ニュース報道などでも話題になった。

関東信越・北陸岐阜というエリア限定だが、私が調べた範囲で「今シーズン1日も営業できなかったスキー場」を以下に掲げたいと思う。誤りがあればご指摘をお願いしたい。なお、積雪不足以外の要因で営業休止となったものは除外した。また、ここではキッズパークだけの営業は営業として考えていないので、ご了承いただきたい。

今シーズン1日も営業できなかったスキー場

[新潟県]
村上市ぶどうスキー場
わかぶな高原スキー場
胎内スキー場[来シーズン休止]
三川・温泉スキー場
長岡市営スキー場
国営越後丘陵公園
とちおファミリースキー場
高柳ガルルのスキー場
金谷山スキー場
糸魚川シーサイドバレースキー場

[富山県]
となみ夢の平スキー場

[石川県]
七尾コロサスキー場
大倉岳高原スキー場
医王山スキー場

[福井県]
九頭竜スキー場
雁が原スキー場[破産]
新保ファミリースキー場

[岐阜県]
白弓スキー場
荘川高原スキー場
飛騨かわいスキー場
アウトドアイン母袋スキー場
揖斐高原スキー場
国見岳スキー場

[栃木県]
那須温泉ファミリースキー場

エリアとしては日本海側の新潟・北陸のスキー場が目立つ。特に悲惨なのは新潟県下越地方ではないだろうか。あくまでも印象にすぎないが、標高のあまり高くないスキー場が多いような気がする。かつては日本海側は平地であっても豪雪地帯であり、町の裏山程度の場所でも十分すぎる積雪があったのだが。

営業日数が少なくなれば、スキー場としての存続も危ぶまれる。新型コロナ・ウィルスがいつ収束に向かうのか予断を許さないが、温暖化による雪不足によりスキー場というもの自体が今後どうなるのかも懸念される。

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(左)三川・温泉スキー場(2014年12月訪問時)。(右)糸魚川シーサイドバレースキー場(2005年3月訪問時)。
posted by 急行野沢 at 23:54| Comment(9) | 東京周辺 その他 | 更新情報をチェックする

2019年10月14日

狭山スキー場[2020シーズン休止](埼玉県所沢市)

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(左)ドーム右手奥には狭山スキー場の緑色の屋根が見える。前面は足場などに覆われている。(右)西武第2球場越しに見た狭山スキー場。

狭山スキー場のホームページで「2019-2020シーズン営業休止のお知らせ」が告げられている。「メットライフドームエリア大規模改修工事に伴い、2019-2020シーズンは営業を休止し、フロア内とゲレンデ一部をリニューアルすることになりました。リニューアルオープンは2020年秋を予定しております」

再開するのが確実なので、このブログで取り上げるのもどうかと思うけれど、所用で西武沿線を訪れる機会があったので現地まで足をのばしてみた。西武球団ができて間もないころ、特に西武ファンというわけでもなかったけれど、所沢の奥にできた球場にも興味があって試合を見に行った。東尾が先発で、田淵が4番だったのを憶えている。西武球場前駅に降りるのはそれ以来のことになる。ちなみに訪問時はクライマックスシリーズの開始前である。

現在は、メットライフドームと呼ばれる。エリア全体の大規模改修工事ということなので、駅改札を出るとあちこちで工事が進められているのが見える。ドームの右手奥にある狭山スキー場も前面に足場などが組まれて、工事が進められているようだ。その奥にはスキー場斜面に架けられた緑色の屋根の傾斜が見える。

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(左)駐車場入口にはsayamaの文字。(右)左・西武球場前駅。右・メットライフドーム。

「オールスキー場完全ガイド2000」(立風書房)には「リアルタイム造雪システムの室内人工スキー場。雪質はすごく細かいかき氷だが、天然の雪にかなり近い。全長320m、幅30m、標高差32mにリフト2本を備える」と紹介されている。最大斜度15度。ナイターやオールナイト営業もおこなわれている。

屋内ゲレンデとはいうものの、コースの麓や側面には壁がない半開放構造。側面はビニールカーテンで外部と仕切られていて、その外側にリフトがある。このため外気の影響を受けやすく、夏(5~10月頃)は営業をしていない。コース全長320m、コース幅30m。ザウスなどとと比べても規模は小さく、オンシーズンに向けての体慣らしや練習用途としても使われてきた。

最大15度というのは初級コース並みだけれど、屋内のせいか結構急斜面に感じるようだ。屋外スキー場が温暖化などにより営業期間が短くなる傾向なので、狭山がどんなリニューアルをされるのか注目に値すると思う。(現地訪問:2019年9月)
posted by 急行野沢 at 09:00| Comment(3) | 東京周辺 その他 | 更新情報をチェックする

2019年07月22日

<番外編>スキーと鉄道輸送

いまはスキー場へ向かう交通手段としては車が大きな割合を占めている。しかしまだ、誰もが自動車を所有しているというのではなかった時代、スキー場アクセスのメインは鉄道やバスだった。私も子どもの頃、父に連れられてスキーに出かけるときは、飯山線や信越線(妙高方面)に乗って行くことがほとんどだった。

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中央東線

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信越本線

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中央西線

長野鉄道管理局「1973年度 スキースケート」という案内書に掲載されていた時刻表(上記)を、保存していた資料の中から見つけた。あらためて当時のスキー鉄道輸送のボリュームを知ることとなった。

東京(新宿・上野)や大阪・名古屋を深夜に出発して、白馬・妙高高原・湯田中・戸狩といったスキー場最寄りの地に早朝に到着する夜行列車が多数運転されていたのがわかる。長野電鉄に乗り入れて湯田中まで直通していた急行「志賀」の存在は記憶にあるが、大阪から戸狩まで直通夜行のDC急行が運転されていたことは、いまとなっては驚きだろう。

その後、バブル期を迎え、スキーバスに対抗すべく登場したのが「シュプール号」だった(1986年~)。渋滞に巻き込まれずに時間通りに現地に到着できることが売りだったと思う。特急車両(座席の快適性を向上させたものもあった)などが使われ、現地でのバス接続や各種サービスも付加されたパック料金が魅力だっだ。

私は職場の仲間と白馬岩岳に出かけるときに一度だけ乗車したことがある(1991年)。下に掲げたのが、そのときのJR東日本の案内書。国鉄が分割民営化されてまだ数年後のことで、スキー人口も多かったので、このような企画を積極的に進めていたと思う。使用されていた車両は、特急「あずさ」と共用の183系か189系ではなかったかと思う。

そのシュプール号もJR西日本の2005年を最後に終焉を迎えた。安価なスキーバスツアーが台頭し、また、自動車の性能向上(雪道走行性能)・道路事情の改善などによりマイカーでスキーに向かう人が増えたこと、さらにはシュプール号のサービス(快適性・速達性)そのものが陳腐化して人気を相対的に下げて行ったと思う。その上、スキー人口自体が減少していく時代になっていた。

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posted by 急行野沢 at 14:00| Comment(4) | 東京周辺 その他 | 更新情報をチェックする

2019年01月27日

イムラスキー(追憶のスキーメーカー・飯山市)

先日、コメント欄に「追憶のスキー用品店」を取り上げてもらえないかという話を寄せていただいた。スキー用品店についてはあまり詳しくないので、どうしようかと思っていたが、ふと昔使っていたスキー板のことを思い出した。「追憶のスキーメーカー」として、このイムラスキーのことは取り上げられないかと考えた。

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(左)小学校低学年の時に使っていたイムラスキー。竹製のストックが時代を感じさせる。(右)小学校高学年の時に使っていたイムラスキー。

物置にしまってあった古いスキー道具を改めて見てみると、小学校低学年・小学校高学年の時に使っていたスキー板もイムラスキーだった。それらはどのようにして購入したのか記憶がない。しかし、中学1年の時(1970年頃)に買ってもらったスキー板についてははっきりした記憶がある。

小学生の時の道具が小さくなったので、新しいものを買ってもらえることになり、父親に連れられて飯山市街にあるイムラスキーまで直接、買いに出かけた。父親に何らかのつてがあったのかもしれない。長野駅から飯山線のディーゼルカーに揺られて行ったのを憶えている。

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中学1年の時に購入したイムラスキー。いま見るとimura skiのロゴが意外に格好いい。

記憶は曖昧だけれど、飯山市街にある事務所のようなところで「これからは、このグラスファイバーという素材がお勧めです」などと説明を受けて、寸法などを決めて注文したのだと思う。大人のスキーヤーの仲間入りができたような気がして嬉しかった。中学・高校時代を通じてそのスキー板を使っていた。

現在、国内のスキーメーカーはオガサカはじめ、ほんの数社になってしまった。かつては日本国内に40社以上が存在したようだ。このイムラスキー(伊村製作所)も既に会社としては存続していないらしい。近くに出かけたついでに飯山市街に立ち寄ってみる。

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(左)いまもあるTRANSONICの看板。下にimura skiの文字がある。(右)飯山市中心街。このあたりに事務所があったはず。

飯山図書館の向かい側に、TRANSONICというブランド名が大きく入った看板がある。下にはimura skiという懐かしいロゴが入っている。この付近に工場があったのではないだろうか。TRANSONICということは少し下った時代のものだと思う。私が行った事務所は雁木のある本町城下通あたりだったはずだが、その場所はよくわからなかった。(現地訪問:2019年1月)

posted by 急行野沢 at 09:00| Comment(2) | 東京周辺 その他 | 更新情報をチェックする

2018年09月21日

カムイ多摩(東京都多摩市)

東京出張の空き時間に、多摩センターの駅に降り立ってみる。以前何回か来たことがあるはずだが、こんな風景だったかなと思う。駅からまっすぐにのびる異様に幅の広い道。いかにも計画されてつくられたニュータウンなのだけれど、こういうスケール感はどうもからだに馴染まない。猛暑の太陽が日影の少ない歩道をこれでもかと照らしている。駅前を少しはずれるとベッドタウンというより、大手企業の建物が増えてくる。

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多摩ニュータウン駅前の風景。右写真の正面はサンリオピューロランド。

そんな多摩センターの一角にあったのが、室内スノーボード場「カムイ多摩」。スポーツショップを兼ねた建物にあり、規模はあまり大きくなかったようだ。ネット上の情報などから推測すると、2000年秋に開業し、2004年12月には閉鎖となったらしい。

スノーボード場閉鎖後もスポーツショップは営業していたようだが、それも数年前に閉鎖となった。現地を訪れて見ると、隣接する土地も含めて大規模な造成工事が進められていた。工事用フェンスで囲まれて、ダンプカーがさかんに出入りしている。どこかの研修施設の建物がつくられるようだ。敷地には傾斜があり、それも利用してスノーボード場がつくられていた。

標高差10m、最大斜度15度、最長滑走距離40m。キッカー・レール・ボックスなどは備えていた。当時の滑走記録などを見ると、かなり狭くて、あっという間に滑り終わってしまう状態だったらしい。ジャンプしても壁に激突するような感じだったとか。斜面上へは板を脱いでオートレーンで登った。

いまとなっては当時のようすはあまりわからず、推測するしかない。ニュータウンの一角につくられたのは、ある程度傾斜のある用地の確保や、車で来訪しやすい環境を考えてのことだろうか。そんなことを考えながら、多摩センターの駅に戻った。あまりに規模が大きい街路に、真夏の太陽が照り付けていた。(現地訪問:2018年8月)

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「カムイ多摩」の敷地跡。現在は大規模な造成工事が行われていて、跡形もない。
posted by 急行野沢 at 09:00| Comment(1) | 東京周辺 その他 | 更新情報をチェックする