2019年01月27日

イムラスキー(追憶のスキーメーカー・飯山市)

先日、コメント欄に「追憶のスキー用品店」を取り上げてもらえないかという話を寄せていただいた。スキー用品店についてはあまり詳しくないので、どうしようかと思っていたが、ふと昔使っていたスキー板のことを思い出した。「追憶のスキーメーカー」として、このイムラスキーのことは取り上げられないかと考えた。

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(左)小学校低学年の時に使っていたイムラスキー。竹製のストックが時代を感じさせる。(右)小学校高学年の時に使っていたイムラスキー。

物置にしまってあった古いスキー道具を改めて見てみると、小学校低学年・小学校高学年の時に使っていたスキー板もイムラスキーだった。それらはどのようにして購入したのか記憶がない。しかし、中学1年の時(1970年頃)に買ってもらったスキー板についてははっきりした記憶がある。

小学生の時の道具が小さくなったので、新しいものを買ってもらえることになり、父親に連れられて飯山市街にあるイムラスキーまで直接、買いに出かけた。父親に何らかのつてがあったのかもしれない。長野駅から飯山線のディーゼルカーに揺られて行ったのを憶えている。

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中学1年の時に購入したイムラスキー。いま見るとimura skiのロゴが意外に格好いい。

記憶は曖昧だけれど、飯山市街にある事務所のようなところで「これからは、このグラスファイバーという素材がお勧めです」などと説明を受けて、寸法などを決めて注文したのだと思う。大人のスキーヤーの仲間入りができたような気がして嬉しかった。中学・高校時代を通じてそのスキー板を使っていた。

現在、国内のスキーメーカーはオガサカはじめ、ほんの数社になってしまった。かつては日本国内に40社以上が存在したようだ。このイムラスキー(伊村製作所)も既に会社としては存続していないらしい。近くに出かけたついでに飯山市街に立ち寄ってみる。

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(左)いまもあるTRANSONICの看板。下にimura skiの文字がある。(右)飯山市中心街。このあたりに事務所があったはず。

飯山図書館の向かい側に、TRANSONICというブランド名が大きく入った看板がある。下にはimura skiという懐かしいロゴが入っている。この付近に工場があったのではないだろうか。TRANSONICということは少し下った時代のものだと思う。私が行った事務所は雁木のある本町城下通あたりだったはずだが、その場所はよくわからなかった。(現地訪問:2019年1月)

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2018年09月21日

カムイ多摩(東京都多摩市)

東京出張の空き時間に、多摩センターの駅に降り立ってみる。以前何回か来たことがあるはずだが、こんな風景だったかなと思う。駅からまっすぐにのびる異様に幅の広い道。いかにも計画されてつくられたニュータウンなのだけれど、こういうスケール感はどうもからだに馴染まない。猛暑の太陽が日影の少ない歩道をこれでもかと照らしている。駅前を少しはずれるとベッドタウンというより、大手企業の建物が増えてくる。

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多摩ニュータウン駅前の風景。右写真の正面はサンリオピューロランド。

そんな多摩センターの一角にあったのが、室内スノーボード場「カムイ多摩」。スポーツショップを兼ねた建物にあり、規模はあまり大きくなかったようだ。ネット上の情報などから推測すると、2000年秋に開業し、2004年12月には閉鎖となったらしい。

スノーボード場閉鎖後もスポーツショップは営業していたようだが、それも数年前に閉鎖となった。現地を訪れて見ると、隣接する土地も含めて大規模な造成工事が進められていた。工事用フェンスで囲まれて、ダンプカーがさかんに出入りしている。どこかの研修施設の建物がつくられるようだ。敷地には傾斜があり、それも利用してスノーボード場がつくられていた。

標高差10m、最大斜度15度、最長滑走距離40m。キッカー・レール・ボックスなどは備えていた。当時の滑走記録などを見ると、かなり狭くて、あっという間に滑り終わってしまう状態だったらしい。ジャンプしても壁に激突するような感じだったとか。斜面上へは板を脱いでオートレーンで登った。

いまとなっては当時のようすはあまりわからず、推測するしかない。ニュータウンの一角につくられたのは、ある程度傾斜のある用地の確保や、車で来訪しやすい環境を考えてのことだろうか。そんなことを考えながら、多摩センターの駅に戻った。あまりに規模が大きい街路に、真夏の太陽が照り付けていた。(現地訪問:2018年8月)

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「カムイ多摩」の敷地跡。現在は大規模な造成工事が行われていて、跡形もない。
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2017年03月24日

クールヴァル東京(東京都板橋区)

埼京線浮間舟渡駅から徒歩5分。町工場に、マンション・集合住宅や大型スーパーが混在する町並み。地名の示すとおり、古くは渡し場があったのだろう。向こうには荒川が流れている。都内唯一の屋内スノボ場だったクールヴァル東京の跡地を探して歩く。古いガイドブックに住所が記されているので、探すのは比較的簡単である。

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(左)埼京線浮間舟渡駅のホームから。前方右手が跡地。(右)近辺は町工場が建ち並ぶ。

町工場の前でおじさんに声をかけて場所を尋ねてみる。屋内スノボ場は、すぐ目の前の大きなカーショップの広い駐車場あたりの場所にあったらしい。当然ながら、そこに屋内ゲレンデがあった痕跡を示すものは見あたらない。大きく回り込むと、新河岸川に架かる橋の上から敷地を見渡すことができた。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には屋内スノーボード場のページに、このクールヴァル東京が紹介されている。「東京都内唯一のスノーボード場。65mの滑走距離は屋内コースとしては長いほうだ。今シーズンからファンスキーも滑れるようになった。フリーマーケットなどのイベントやポイントカードによる特典あり」

通年の営業で、営業時間は10~23時。ゲレンデ材質は吸水性ポリマーを使用し、サラサラタイプの人工雪だったようだ。ムービングベルトが設置されていて、ハーフパイプも備えられていた。スノボだけでなく、イベント的に「そりあそびデー」もおこなわれていた。1998年11月にオープンし、経営主体も替わりながら2001年12月に閉鎖となったようだ。なお、東京近辺ではスノーヴァ溝の口・スノーヴァ新横浜が現在も営業を続けている。

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(左)跡地と思われるカーショップの駐車場。(右)新河岸川に架かる橋の上から跡地を見る。

スノボをしないので営業中に現地を訪れることはなかったし、どんな様子だったかをなかなか想像しにくい。現在でもネット上で滑走の記録を断片的にせよ見ることができるのだが。立地は良かったと思うし、スキー・スノボ人口もいまほど減少していなかったのではないかと思う。なぜ、こんな短期間で閉鎖に至ったのだろうか。(現地訪問:2017年3月)
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2016年06月25日

スキーイングイン津田沼(千葉県習志野市)

室内スキー場というと有名なのは、あのザウス。だが、それに先立って日本初のオールシーズン室内ゲレンデとしてオープンしたのが、今回取り上げる「スキーイングイン津田沼」。まさにバブルの産物として1991年にオープン。当時、相当話題を呼んだものの、近くにあのザウスがオープンしたこともあって来場者数が減少。1997年に閉鎖となった。

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(左)新津田沼駅に隣接した現在のイオンモール。(右)イオンモール店内。

現在はイオンモールが跡地に建っている。ザウスのオープンを見越していて、当初からそれにあわせて閉鎖する予定であったとも、あるいはイオンが出店するまで期間を区切っての土地利用だったとも、いろいろな話を聞いたことがある。新京成電鉄・新津田沼駅前に立地し、スキー場になる前は、京成電鉄第二工場の跡地であった。

ポリアクリル酸系ポリマーによる人工雪を使用。滑走面下の冷却パイプで雪の表面をマイナス2度に維持していた。滑走コースは全長120m×幅30m、室温は10~15度。敷地面積18,565㎡、建築面積4,460㎡、延床面積8,264㎡。オーストラリアから輸入された屋内スキー場システムのソフト面の研究とデモを兼ねていたという。

東京に所用で出かけた日の夕刻、少し足をのばして久しぶりにJR津田沼駅に降り立った。新京成・新津田沼駅との連絡は相変わらず悪いまま。駅前の歩道に降りて、信号を渡り踏切を渡らなければならない。踏切のすぐ向こうにイオンモールの巨大な建物が建ち、それとつながって右手に新津田沼駅がある。当然ながら、室内スキー場がここにあった痕跡を示すものは何も残っていない。

フジTV「ねるとん紅鯨団」でも会場に使用されたことがあったという。スキー人口がこれだけ減少している現代では、とても考えられない施設であったことは確か。そんな記憶とは関係なく、夕方の退勤時刻になってイオンモールは多くの人々で賑わいを見せていた。(現地訪問:2016年4月)

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2015年07月18日

[番外編]神田スポーツ店街(東京都千代田区)

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(左)駿河台下交差点西側から小川町方向。(右)小川町から駿河台下方面。

かつて東京で過ごしていた頃の職場が小川町交差点の近くにあったため、淡路町から小川町、駿河台下、神保町あたりにかけては懐かしい場所である。

もともとスポーツ用品店が多かったからだと聞いたことがあるが、スキーブームはなやかなりし頃、この近辺にはスキー用品店が林立していた。いや、いまでも林立しているのだが、その数や華やかさはやはり少し衰えているように感じる。20年以上着続けたスキーウェアもこの界隈の店で購入したと記憶している。

スキー用品だけでなく、登山用品を調達するのにも便利だったし、書店も多くてスキーや登山関係の本や地図を入手することもできた。遠い山を夢想しながらこの界隈を歩くのには楽しいことだった。大学も界隈には多いので、学生相手の割と安い食堂も多かった。

その頃の漫画で見たと記憶しているが、こんな笑い話があった。スキー用品店が多いので「この近くにスキー場でもあるのか?」と尋ねた外国人がいたが「一番近いスキー場でも、ここから200km離れている」と聞いて驚いたという話だ。

東京に出張した日の夕刻、久しぶりに神田駿河台下から小川町のあたりを歩いた。こんな真夏でも店頭にスキー・スノボが並んでいるのを見ると、やはり嬉しくなってしまう。(現地訪問:2015年7月)

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真夏でもスキーやスノボが店頭に並ぶ。
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