2015年08月09日

尾上平スキー場(岐阜県高山市)

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(左)蛭ヶ野林道の途中から見たゲレンデ全景。かすかに樹林の少ないゲレンデ跡がわかる。(右)ゲレンデには赤錆びたリフトの鉄柱やナイター設備が残っている。

はじめてこのスキー場のことを知ったとき、地図上でその場所を確認して驚いた。こんな山奥にほんとうにスキー場があったのだろうか。郡上市ひるがの高原から山をひとつ越えた北側。ゲレンデの所在地は高山市(旧荘川村)にあたる。ネット上で調べると、MTBなどのツーリストによってロッジやリフトの写真がアップされている。いつかは足を運ばなければと思っていた。

「熱中症に注意」といわれる真夏の休日、ひるがの高原を目指す。ひるがの高原スキー場の少し南を、国道156号から西に入る。別荘地の中を北西に向かって登っていくと、やがて道はダートな林道となる。峠状の場所にたどり着くと、左へ進む蛭ヶ野林道も右の大黒谷林道もゲートが閉まっている。冬期にはゲートが開いていることもあるようだが、この季節、ゲートが閉まっていることは計算済み。準備してきた登山の支度を整えて、蛭ヶ野林道を歩いて進むことにする。

林道は概ね山腹を左に見て巻いていく。40分ほど歩くと前方が開け、谷の向こうにリフトの鉄塔やナイター照明の立つ斜面が望める。うっすらと樹木の少ない東向きのゲレンデの形跡も見て取れる。そこから林道を7〜8分も下れば赤い金属屋根のロッジの前に出る。ここで林道は二分していて、右はゲレンデ下に、左に進めばゲレンデ中腹に出る。

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(左)廃屋と化したロッジは意外と大きな建物でしっかりした造り。(右)リフト券もこんな値段の時代。

右にたどればすぐにロッジへの踏み跡が左にある。ロッジはガラスが割れ廃墟と化しているが、思ったよりも大きな建物で構造はしっかりしていた。1階は宿泊用、2階は広い食堂だったようだ。食堂にはシングルリフトのチェアが置かれていた。このロッジから考えると、思っていたよりも規模の大きなスキー場だったようだ。

リフト乗場はゲレンデトップに向かって右手にあって、左手にあるロッジとは少し離れている。そのリフト乗場までは夏草を掻き分けて進まなければならなかった。乗場まで行ってみると、リフトは並列に2基あったことがわかった。草木に覆われ、リフトの遺構である錆びた鉄柱とワイヤーが斜面を駆け上っていた。

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(左)リフト乗場。2基が並列だったようだ。(右)2基のリフト乗場と傍らには機械の操作室。

ロッジの前までもどり、ゲレンデ中腹まで登っている林道をたどる。ほんの10分ほど歩けば、この林道をリフトのワイヤーが横切っている場所に出た。乗場でリフトは並列2基であることがわかったが、1本(左側)はここが終点、もう1本はさらに上部まで通じている。しかし、上部はまったく樹林の中に飲み込まれていた。傍らにはナイター照明が立っていたが、その姿は何となく所在なさげに見えた。

このスキー場についてはいろいろと資料を探したけれど、あまり情報が得られなかった。大垣市の企業が経営していたが、1987年頃に閉鎖したという。この立地条件になぜスキー場をつくったのか、そしてアクセスはどうだったのか、大いに気になるところ。みんな車でこの山道をアクセスしたのか、白鳥あたりからバスでもあったのか……。さすがに周囲は自然が豊かで、ゲレンデ周辺の渓流には清冽な水が流れていた。(現地訪問:2015年8月)

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(左)ゲレンデ中腹。左側のリフトはさらに上部までワイヤーがのびている。右手のリフトはここが終点。(右)現地のようすから想像してつくったゲレンデマップ。

2013年10月04日

新穂高ロープウェイスキー場(その2)(岐阜県高山市)

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(左)第2ロープウェイから見たしらかば平駅と左にくだる鍋平ゲレンデの跡地。(右)千石平ゲレンデの跡地。

以前、本ブログで「新穂高ロープウェイスキー場」についてレポートしたが、それは山麓部分だけを歩き回ったに過ぎなかった。9月の晴天の休日、新穂高ロープウェイに乗車する機会を得たので、上部の現在の様子を少しレポートしたいと思う。

新穂高ロープウェイは下部の第1ロープウェイと上部の第2ロープウェイを乗り継ぐかたちになっている。今回は上部の第2ロープウェイから乗ることにして、鍋平高原に車を進める。白樺レストハウスの前で駐車料金を支払い、かつての鍋平ゲレンデの中を進んでその上部に設置された駐車場に車をとめる。第2ロープウェイのしらかば平駅までは、ビジターセンターや日帰り温泉施設の脇を少し歩くことになる。

ロープウェイは混雑していたが、幸いにも山麓側の窓際に立つことができた。正面には笠ヶ岳の姿が美しい。まず、しらかば平駅から左に鍋平ゲレンデの跡地の駐車場が見おろせる。さらに高度を上げると、左手眼下に千石平ゲレンデの跡が広がる。小さな建物が残されているようだが、ヒュッテの跡かはわからない。ゲレンデには草木が繁りはじめているようだ。

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(左)鉄塔から右へパノラマコース。(右)西穂高口駅から見た笠ヶ岳。

その上部の第3鉄塔からは右へパノラマコースが続いていることが見て取れた。さらに西穂高口駅まではロープウェイに沿ってコースの跡が続いている。しかし、全体にコースの跡はわかるものの、西穂高口駅周辺にもスキーに関する施設や掲示などの痕跡は残されていなかった。

西穂高口駅からは笠ヶ岳、焼岳、西穂高岳の展望が素晴らしい。北アルプスの稜線(西穂山荘)までは、登山道を1時間ほどたどらなければならない。とはいうものの、ここはもう標高2,156m。上級者向けとはいえ、この標高に一般スキー場が開かれていたことは、いまとなっては驚きというべきだろう。

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(左)西穂高口駅からの滑り出し地点。

こちらもご覧ください → 2013年01月01日 新穂高ロープウェイスキー場

2013年01月01日

新穂高ロープウェイスキー場(岐阜県高山市)

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(左)冬期、鍋平高原への入口ゲートはクローズされている。前方は鍋平ゲレンデ最下部にあった白樺レストハウス。

新穂高ロープウェイスキー場は、他の一般的なスキー場とは一線を画す存在だったと思う。山岳スキーの色彩の強いスキー場はいろいろあるが、北アルプスの稜線といってもよい地点がゲレンデトップという迫力。正面に笠ヶ岳、右手に槍穂高の素晴らしい景観。スキー場廃業後もロープウェイはフルシーズン稼動していて、この景観を見るために観光客が冬場にも訪れる。スキーコースはロープウェイ山頂駅(西穂高口駅)から狭い尾根をくだる、逃げ場のない上級コース(パノラマコース)に最大の特色があった。一方、中間部から下にはリフトも設けられ、特に最下部の鍋平ゲレンデは平均12度の緩斜面だった。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」の記載では「標高2,156mの西穂高山頂(注:厳密には山頂ではない)から標高1,308mの鍋平までに広がる山岳色豊かなスキー場。西穂高の尾根に展開する全6kmのコースは、幅15mほどの蟻の渡り、ウサギの逃げ道、腰までつかる深雪、アイスバーンと迫力満点の山岳滑走が楽しめる。ベースの新穂高温泉は川岸の露天風呂がいくつもある人気観光地」と紹介されている。

このスキー場をレポートするには、西穂登山とあわせてがよいと考えて数年が経過してしまった。くずぐずしていても仕方ないので、平地にも雪がちらつきはじめた12月初旬に現地を訪ねた。夏期には第2ロープウェイ白樺平駅下の駐車場まで車を入れることができるが、積雪期に入り鍋平高原入口のゲートは閉ざされている。近くに車を置いて鍋平ゲレンデから歩いていく。すぐにあらわれる白樺レストハウス左手に第3リフトの乗場があったはずだが、痕跡は残っていない。そのほか各リフト施設の跡はすっかり撤去されているようだ。レストハウス前からは尾根に向かって第5リフトの切り開きの跡がはっきりわかった。

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(左)白樺レストハウスの前から認められた第5リフトの跡。(右)鍋平ゲレンデの跡は整地されて駐車場になっている。

駐車場として整備されてしまった鍋平ゲレンデを歩いていくと、ビジターセンターや温泉施設があらわれ、第2ロープウェイの白樺平駅に至る。この日も多くの観光客がロープウェイに乗り込んでいた。ロープウェイの右側には第1リフトの切り開きの跡が残っている。そのリフト乗場があったと思われる場所に立って振り返ると、白樺平駅の向こうに新雪の笠ヶ岳が輝いていた。

このスキー場は1973年に営業開始、多くのファンに惜しまれながら2003年3月に廃業となった。2002年10月の新聞報道によれば、「名鉄グループの奥飛観光開発(本社高山市、東匡弘社長)は24日までに、吉城郡上宝村新穂高で経営する新穂高ロープウェイスキー場を、今シーズンを最後に閉鎖することを決めた。リゾート型の大型スキー場とは一線を画し、野趣あふれるコース、ゲレンデが愛好者の人気を集めてきたが、減り続ける入場者で赤字が膨らみ、幕を閉じることとなった。(中略)入場者数は92年の6万人をピークに減り続けた。昨シーズンからはスノーボードの全面滑走可能やクロスカントリーの冬山ガイドツアーを始めたが、入場者は10,817人と微増にとどまった。維持管理費で経費がかさみ、92年から10年間の累積赤字は1億円を超えた。(後略)」ということであった。

いまも廃業にあたっての支配人からのあいさつ文をWEB上で見ることができる(http://www.okuhi.jp/Rops/FRTOPNEW.html)。
野趣あふれるコースは時代の流れにあわなくなっていたのかもしれない。そう思うとなんだか寂しい気がする。(現地訪問:2012年12月)

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(左)第2ロープウェイの右側には、第1リフトの跡。(右)第1リフト乗場付近から白樺平駅の背後に新雪の笠ヶ岳。

こちらもご覧ください → 2013年10月04日 新穂高ロープウェイスキー場(その2)

2011年10月29日

歩み山スキー場(岐阜県高山市)

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(左)県道沿いにある「みのわゴルフクラブ」の案内板。(右)ゴルフ場の下部から緩斜面を見上げる。

いまは高山市の一部になってしまった国府町。その名の由来は、律令時代以前の飛騨地域の国府が置かれた可能性があるからだという。ただ、いまだ国府の所在を決定付ける遺跡は確認されていないということだが。その国府町中心部に向かって東からせり出している丘陵地、その山中にスキー場があった。

私の持っている中部地方の道路地図には「歩み山スキー場」として記されている。ただ、その名称が正しいのかはあまり自信がない。いろいろな地図を見て、北側の蓑輪の集落あたりからはいって行くのが良さそうだと見当をつけ、高山方面に向かった秋の日に立ち寄ってみた。

国府町の中心から、旧上宝村に向かう県道76号を東に向かう。ほのぼのとした山間の田園風景が広がる。やがて道沿いに「みのわゴルフクラブ」という案内板があり、それに従って右折し、蓑輪の集落の中を南に向かって上って行く。ほどなく、その「みのわゴルフクラブ」があらわれ舗装はそこで終わる。その先、未舗装の道はゴルフコースの左側に沿って上って行く。

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(左)ゴルフ場中腹から見おろす。

ゴルフコースとはいうものの、谷状の緩斜面に設けられたショートコースの11ホール。私はゴルフについてほとんど無知なのだけれど、それでもゴルフ場としてはかなり無理があることはわかる。しかしスキー場としてみれば、初心者向けにもやさしい北向きの緩斜面と見て取れる。一度、箕輪の集落までおりて、採ってきたばかりの山菜を束ねている小父さんに聞いてみると、やはり以前はスキー場だったらしい。ただ、リフトやロープトゥなどの施設もなく、近くの小学生が滑る程度のものだったとのことだ。10年以上も前にスキー場としての役割は終えていると話してくれた。(現地訪問:2011年9月)
ラベル:歩み山

2011年10月20日

古川スキー場(岐阜県飛騨市)

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(左)残されていたリフトのコンクリート部分。その脇からゲレンデ全体を見上げる。(右)ゲレンデ最下部。

飛騨地方の北部を占める大きな自治体として、2004年の大合併で「飛騨市」が誕生した。その飛騨市の中心は、かねて高山などと並びこの地方の中心であった古川町。古くからの伝統行事・伝統芸能は多くの観光客を集めているし、白壁土蔵や出格子の情緒ある町並は魅力的である。残暑も一段落した9月の休日、古川の町並を歩く観光客もかなりの数に見えた。

その古川の市街地近くにあったのが古川スキー場。古川市街地の南部、国道41号バイパスの新蛤橋の西詰から、高野の集落を過ぎて西側の山間部に入っていったところにある。実はこのスキー場についてはほとんど資料らしい資料を見たことがないのだが、ある道路地図に記載が残されていた(作成担当者の削除ミスか?)ので訪れてみる気になったものだ。なお、これまでの調査では営業開始・営業終了の年月はわからない。現地を見た限りでは、営業休止は10年以上前ではないかと推測している。

以前見たWEB上でのこのスキー場の案内には、以下のように記されていた。「古川スキー場は、12月下旬から3月上旬まで開設されます。ゲレンデ数1、コ−ス数2です。交通はJR飛騨古川駅から車で10分で着くことができます」 規模からしても、周辺のスキーヤーのためのゲレンデだったようだ。

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(左)ゲレンデ中腹から、下部を見おろす。

緩やかに上って行く舗装された車道を走れば、やがて右手に2段ほど駐車場の跡地が見て取れる。その先で舗装は途切れ、一面に背の高いススキに覆われたスキー場跡地に出た。傍らには重機が置かれ、U字溝の埋設などをしている様子がうかがえる。あまりスキー場の痕跡があるとは期待せずに訪れたのだが、驚いたのはリフトのコンクリート部分が残されていたこと。左上に上る北斜面にこのリフト1本が架けられていたのだろうか。斜面には一部、サクラの植樹がされているが、その他はこの季節、ススキに覆われている。適度な中斜面ではないだろうか。少し上ったところから見おろそうとしたが、背の高いススキに邪魔されて古川の市街地は一部分しか見おろせなかった。秋のやわらかな日差しの中で、ただ乗鞍方面へとつながる山並を見渡すだけだった。(現地訪問:2011年9月)
ラベル:古川スキー場