2019年01月06日

チャオ御岳マウントリゾート(岐阜県高山市)

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(左)ゲレンデ下から正面に御嶽山が見える。右はゴンドラ、左は第1リフト。

12月10日になって、「チャオ御岳マウントリゾート冬季営業延期のお知らせ」が同スキー場のホームページに掲示された。「チャオ御岳マウントリゾート(岐阜県高山市)は、運営体制の再構築および施設の復旧が完了するまで、2018-19冬季シーズンのスキー場営業を延期いたします」とのこと。

延期の理由としては「昨シーズンまでの収益の減少に加えて冬季営業を平日休業したことによりお客様の入込数が大幅に減少し、さらに収益の悪化が進む中、新たな経営体制として運営してまいりましたが、本年7月から10月に発生した集中豪雨や大型台風災害でスキー場施設に損傷が生じ、復旧工事に時間と費用を要しております」と述べられている。

「今後は運営体制の見直しを行い、3月以降の春季営業と夏季の高地トレーニング事業を軸として経営体制を再構築し営業再開に向けて努めてまいります」という。2018年5月、経営不振から旅館のプロデュース業などを行う会社に筆頭株主が変わり、新たな経営体制を敷こうとしていた。同社はスキー場経営を行うのは初めてであった。

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(左)駐車場とセンターハウスへの通路。(右)センターハウス。

収益の悪化はわかっていたはずだから、なぜいまさらといいたいところだけれど、諸々の事情があったのだろう。12月1日営業開始の予定を延期するといったんは発表され、早割パス購入者には払い戻しの案内がおこなわれていたので、今シーズンの営業は厳しいのではないかと憶測を呼んでいた。3月以降営業再開とのことだが、そこにスキーシーズンが含まれるのかもいまひとつわからない。

同スキー場について「ニッポンのデレンデ2013(実業之日本社)」では「御嶽山の北斜面に展開し、トップの標高は2000mオーバー。眺望はもちろん、雪の質・量ともに上々で、ゴンドラを使ってロングコースが3本もとれるとあって人気が高い」と紹介されている。ゴンドラ1基、ペアリフト2基(以前は3基)の施設があった。近年はスノーボーダーの比率が高いゲレンデという印象だった。

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(左)第1リフト前。多くの車両があった。(右)第3リフト下。

岐阜方面への所用のついでに、12月中旬に現地を訪れてみる。アクセスはお世辞にもいいとはいえない。木曽路から国道361号で長峰峠を越えて岐阜県に入り、すぐの分岐を左に向かう。途中にあるチャオの案内板には、営業延期などの表示は見られなかった。チャオまではよい道が続く。広い駐車場の上にセンターハウスやゴンドラ乗場などが位置している。センターハウスに横には多くの車両がとめられていて、人が出入りしていた。営業再開に向けて進められている様子に、何となくほっとする。

見上げるゲレンデにはまだ雪が少ないけれど、人工降雪機や圧雪車も稼働せず手持ち無沙汰の様子。リフトは搬器を取り付けられた状態である。今シーズンがどうなるのか解らないけれど、遅くとも来シーズンには復活するのではないかと思っている。ゲレンデの向こうには、雲の中から御嶽山が姿を見せてくれた。(現地訪問:2018年12月)

【追記】
3月に入っても動きはなく、今シーズンはやはり冬季営業はしないように感じられる。(2019年3月8日)
posted by 急行野沢 at 09:00| Comment(5) | 岐阜県 飛騨 営業休止のスキー場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月07日

西霧野スキー場(岐阜県飛騨市)

本ブログで何回もお世話になっているKさんから、黒内にあるスキー場のことを聞いていた。飛騨市古川町の「桃源郷温泉すぱーふる」のすぐ近く。現在は黒内果樹園になっている場所だという。温泉スタッフのおばさんに聞いたところ、小さい頃行ったことがあるけれど、リフトもなくスキー場というよりスキーができる場所だったとのこと。

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(左)桃源郷温泉の案内板と黒内果樹園の建物。(左)黒内果樹園内の小道から斜面上部を見る。

調べてみたところ「西霧野スキー場」と呼ばれていて、昭和初期にはスキー大会が開かれていたようだ。飛騨市の広報紙「広報ひだ」(2013年12月号)に古川町史編纂室による記事「飛騨市歴史探訪 西霧野スキー場から黒内果樹園へ」が掲載されている。それによれば、昭和17年(1942)の小鷹利村々勢要覧の添付地図で、現在の黒内果樹園の位置に西霧野スキー場を確認することができるという。

この要覧には「約1キロメートルのスロープにヒュッテが二棟あり、雪質は良好で冬季は大変賑わっており、定期自動車の便がある」と記されている。その後、同地では果樹園開墾の計画が進められ、昭和34年(1959)、西霧野スキー場は果樹園と桑園に開墾されてスキー場としての歴史を閉じたようだ。

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(左)黒内果樹園内の小道から下部を見おろす。

飛騨方面に出かけた際に立ち寄ってみた。桃源郷温泉の案内標識に従って進み、その手前左手にあるフルーツパーク黒内果樹園の建物手前を左折、川を渡れば果樹園内の小道に入り込む。一面の果樹園は雪に埋もれている。見たところ果樹園は緩やかな斜面に立地していて、スキーで滑るのにはちょうどよい傾斜のように思えた。当然ながらスキーに関係する痕跡は見られなかった。

訪問時には果樹園は一面の雪に覆われていたが、季節がよければ、果樹狩りと温泉施設が隣接していて休日を楽しむのによい場所ではないだろうか。しかし、いまとなっては、ここでスキーが行われていた頃を想像するのは難しかった。(現地訪問:2018年3月)
posted by 急行野沢 at 10:10| Comment(0) | 岐阜県 飛騨 営業休止のスキー場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月09日

尾上平スキー場(岐阜県高山市)

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(左)蛭ヶ野林道の途中から見たゲレンデ全景。かすかに樹林の少ないゲレンデ跡がわかる。(右)ゲレンデには赤錆びたリフトの鉄柱やナイター設備が残っている。

はじめてこのスキー場のことを知ったとき、地図上でその場所を確認して驚いた。こんな山奥にほんとうにスキー場があったのだろうか。郡上市ひるがの高原から山をひとつ越えた北側。ゲレンデの所在地は高山市(旧荘川村)にあたる。ネット上で調べると、MTBなどのツーリストによってロッジやリフトの写真がアップされている。いつかは足を運ばなければと思っていた。

「熱中症に注意」といわれる真夏の休日、ひるがの高原を目指す。ひるがの高原スキー場の少し南を、国道156号から西に入る。別荘地の中を北西に向かって登っていくと、やがて道はダートな林道となる。峠状の場所にたどり着くと、左へ進む蛭ヶ野林道も右の大黒谷林道もゲートが閉まっている。冬期にはゲートが開いていることもあるようだが、この季節、ゲートが閉まっていることは計算済み。準備してきた登山の支度を整えて、蛭ヶ野林道を歩いて進むことにする。

林道は概ね山腹を左に見て巻いていく。40分ほど歩くと前方が開け、谷の向こうにリフトの鉄塔やナイター照明の立つ斜面が望める。うっすらと樹木の少ない東向きのゲレンデの形跡も見て取れる。そこから林道を7〜8分も下れば赤い金属屋根のロッジの前に出る。ここで林道は二分していて、右はゲレンデ下に、左に進めばゲレンデ中腹に出る。

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(左)廃屋と化したロッジは意外と大きな建物でしっかりした造り。(右)リフト券もこんな値段の時代。

右にたどればすぐにロッジへの踏み跡が左にある。ロッジはガラスが割れ廃墟と化しているが、思ったよりも大きな建物で構造はしっかりしていた。1階は宿泊用、2階は広い食堂だったようだ。食堂にはシングルリフトのチェアが置かれていた。このロッジから考えると、思っていたよりも規模の大きなスキー場だったようだ。

リフト乗場はゲレンデトップに向かって右手にあって、左手にあるロッジとは少し離れている。そのリフト乗場までは夏草を掻き分けて進まなければならなかった。乗場まで行ってみると、リフトは並列に2基あったことがわかった。草木に覆われ、リフトの遺構である錆びた鉄柱とワイヤーが斜面を駆け上っていた。

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(左)リフト乗場。2基が並列だったようだ。(右)2基のリフト乗場と傍らには機械の操作室。

ロッジの前までもどり、ゲレンデ中腹まで登っている林道をたどる。ほんの10分ほど歩けば、この林道をリフトのワイヤーが横切っている場所に出た。乗場でリフトは並列2基であることがわかったが、1本(左側)はここが終点、もう1本はさらに上部まで通じている。しかし、上部はまったく樹林の中に飲み込まれていた。傍らにはナイター照明が立っていたが、その姿は何となく所在なさげに見えた。

このスキー場についてはいろいろと資料を探したけれど、あまり情報が得られなかった。大垣市の企業が経営していたが、1987年頃に閉鎖したという。この立地条件になぜスキー場をつくったのか、そしてアクセスはどうだったのか、大いに気になるところ。みんな車でこの山道をアクセスしたのか、白鳥あたりからバスでもあったのか……。さすがに周囲は自然が豊かで、ゲレンデ周辺の渓流には清冽な水が流れていた。(現地訪問:2015年8月)

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(左)ゲレンデ中腹。左側のリフトはさらに上部までワイヤーがのびている。右手のリフトはここが終点。(右)現地のようすから想像してつくったゲレンデマップ。

2013年10月04日

新穂高ロープウェイスキー場(その2)(岐阜県高山市)

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(左)第2ロープウェイから見たしらかば平駅と左にくだる鍋平ゲレンデの跡地。(右)千石平ゲレンデの跡地。

以前、本ブログで「新穂高ロープウェイスキー場」についてレポートしたが、それは山麓部分だけを歩き回ったに過ぎなかった。9月の晴天の休日、新穂高ロープウェイに乗車する機会を得たので、上部の現在の様子を少しレポートしたいと思う。

新穂高ロープウェイは下部の第1ロープウェイと上部の第2ロープウェイを乗り継ぐかたちになっている。今回は上部の第2ロープウェイから乗ることにして、鍋平高原に車を進める。白樺レストハウスの前で駐車料金を支払い、かつての鍋平ゲレンデの中を進んでその上部に設置された駐車場に車をとめる。第2ロープウェイのしらかば平駅までは、ビジターセンターや日帰り温泉施設の脇を少し歩くことになる。

ロープウェイは混雑していたが、幸いにも山麓側の窓際に立つことができた。正面には笠ヶ岳の姿が美しい。まず、しらかば平駅から左に鍋平ゲレンデの跡地の駐車場が見おろせる。さらに高度を上げると、左手眼下に千石平ゲレンデの跡が広がる。小さな建物が残されているようだが、ヒュッテの跡かはわからない。ゲレンデには草木が繁りはじめているようだ。

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(左)鉄塔から右へパノラマコース。(右)西穂高口駅から見た笠ヶ岳。

その上部の第3鉄塔からは右へパノラマコースが続いていることが見て取れた。さらに西穂高口駅まではロープウェイに沿ってコースの跡が続いている。しかし、全体にコースの跡はわかるものの、西穂高口駅周辺にもスキーに関する施設や掲示などの痕跡は残されていなかった。

西穂高口駅からは笠ヶ岳、焼岳、西穂高岳の展望が素晴らしい。北アルプスの稜線(西穂山荘)までは、登山道を1時間ほどたどらなければならない。とはいうものの、ここはもう標高2,156m。上級者向けとはいえ、この標高に一般スキー場が開かれていたことは、いまとなっては驚きというべきだろう。

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(左)西穂高口駅からの滑り出し地点。

こちらもご覧ください → 2013年01月01日 新穂高ロープウェイスキー場

2013年01月01日

新穂高ロープウェイスキー場(岐阜県高山市)

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(左)冬期、鍋平高原への入口ゲートはクローズされている。前方は鍋平ゲレンデ最下部にあった白樺レストハウス。

新穂高ロープウェイスキー場は、他の一般的なスキー場とは一線を画す存在だったと思う。山岳スキーの色彩の強いスキー場はいろいろあるが、北アルプスの稜線といってもよい地点がゲレンデトップという迫力。正面に笠ヶ岳、右手に槍穂高の素晴らしい景観。スキー場廃業後もロープウェイはフルシーズン稼動していて、この景観を見るために観光客が冬場にも訪れる。スキーコースはロープウェイ山頂駅(西穂高口駅)から狭い尾根をくだる、逃げ場のない上級コース(パノラマコース)に最大の特色があった。一方、中間部から下にはリフトも設けられ、特に最下部の鍋平ゲレンデは平均12度の緩斜面だった。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」の記載では「標高2,156mの西穂高山頂(注:厳密には山頂ではない)から標高1,308mの鍋平までに広がる山岳色豊かなスキー場。西穂高の尾根に展開する全6kmのコースは、幅15mほどの蟻の渡り、ウサギの逃げ道、腰までつかる深雪、アイスバーンと迫力満点の山岳滑走が楽しめる。ベースの新穂高温泉は川岸の露天風呂がいくつもある人気観光地」と紹介されている。

このスキー場をレポートするには、西穂登山とあわせてがよいと考えて数年が経過してしまった。くずぐずしていても仕方ないので、平地にも雪がちらつきはじめた12月初旬に現地を訪ねた。夏期には第2ロープウェイ白樺平駅下の駐車場まで車を入れることができるが、積雪期に入り鍋平高原入口のゲートは閉ざされている。近くに車を置いて鍋平ゲレンデから歩いていく。すぐにあらわれる白樺レストハウス左手に第3リフトの乗場があったはずだが、痕跡は残っていない。そのほか各リフト施設の跡はすっかり撤去されているようだ。レストハウス前からは尾根に向かって第5リフトの切り開きの跡がはっきりわかった。

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(左)白樺レストハウスの前から認められた第5リフトの跡。(右)鍋平ゲレンデの跡は整地されて駐車場になっている。

駐車場として整備されてしまった鍋平ゲレンデを歩いていくと、ビジターセンターや温泉施設があらわれ、第2ロープウェイの白樺平駅に至る。この日も多くの観光客がロープウェイに乗り込んでいた。ロープウェイの右側には第1リフトの切り開きの跡が残っている。そのリフト乗場があったと思われる場所に立って振り返ると、白樺平駅の向こうに新雪の笠ヶ岳が輝いていた。

このスキー場は1973年に営業開始、多くのファンに惜しまれながら2003年3月に廃業となった。2002年10月の新聞報道によれば、「名鉄グループの奥飛観光開発(本社高山市、東匡弘社長)は24日までに、吉城郡上宝村新穂高で経営する新穂高ロープウェイスキー場を、今シーズンを最後に閉鎖することを決めた。リゾート型の大型スキー場とは一線を画し、野趣あふれるコース、ゲレンデが愛好者の人気を集めてきたが、減り続ける入場者で赤字が膨らみ、幕を閉じることとなった。(中略)入場者数は92年の6万人をピークに減り続けた。昨シーズンからはスノーボードの全面滑走可能やクロスカントリーの冬山ガイドツアーを始めたが、入場者は10,817人と微増にとどまった。維持管理費で経費がかさみ、92年から10年間の累積赤字は1億円を超えた。(後略)」ということであった。

いまも廃業にあたっての支配人からのあいさつ文をWEB上で見ることができる(http://www.okuhi.jp/Rops/FRTOPNEW.html)。
野趣あふれるコースは時代の流れにあわなくなっていたのかもしれない。そう思うとなんだか寂しい気がする。(現地訪問:2012年12月)

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(左)第2ロープウェイの右側には、第1リフトの跡。(右)第1リフト乗場付近から白樺平駅の背後に新雪の笠ヶ岳。

こちらもご覧ください → 2013年10月04日 新穂高ロープウェイスキー場(その2)