(左)蛭ヶ野林道の途中から見たゲレンデ全景。かすかに樹林の少ないゲレンデ跡がわかる。(右)ゲレンデには赤錆びたリフトの鉄柱やナイター設備が残っている。
はじめてこのスキー場のことを知ったとき、地図上でその場所を確認して驚いた。こんな山奥にほんとうにスキー場があったのだろうか。郡上市ひるがの高原から山をひとつ越えた北側。ゲレンデの所在地は高山市(旧荘川村)にあたる。ネット上で調べると、MTBなどのツーリストによってロッジやリフトの写真がアップされている。いつかは足を運ばなければと思っていた。
「熱中症に注意」といわれる真夏の休日、ひるがの高原を目指す。ひるがの高原スキー場の少し南を、国道156号から西に入る。別荘地の中を北西に向かって登っていくと、やがて道はダートな林道となる。峠状の場所にたどり着くと、左へ進む蛭ヶ野林道も右の大黒谷林道もゲートが閉まっている。冬期にはゲートが開いていることもあるようだが、この季節、ゲートが閉まっていることは計算済み。準備してきた登山の支度を整えて、蛭ヶ野林道を歩いて進むことにする。
林道は概ね山腹を左に見て巻いていく。40分ほど歩くと前方が開け、谷の向こうにリフトの鉄塔やナイター照明の立つ斜面が望める。うっすらと樹木の少ない東向きのゲレンデの形跡も見て取れる。そこから林道を7~8分も下れば赤い金属屋根のロッジの前に出る。ここで林道は二分していて、右はゲレンデ下に、左に進めばゲレンデ中腹に出る。
(左)廃屋と化したロッジは意外と大きな建物でしっかりした造り。(右)リフト券もこんな値段の時代。
右にたどればすぐにロッジへの踏み跡が左にある。ロッジはガラスが割れ廃墟と化しているが、思ったよりも大きな建物で構造はしっかりしていた。1階は宿泊用、2階は広い食堂だったようだ。食堂にはシングルリフトのチェアが置かれていた。このロッジから考えると、思っていたよりも規模の大きなスキー場だったようだ。
リフト乗場はゲレンデトップに向かって右手にあって、左手にあるロッジとは少し離れている。そのリフト乗場までは夏草を掻き分けて進まなければならなかった。乗場まで行ってみると、リフトは並列に2基あったことがわかった。草木に覆われ、リフトの遺構である錆びた鉄柱とワイヤーが斜面を駆け上っていた。
(左)リフト乗場。2基が並列だったようだ。(右)2基のリフト乗場と傍らには機械の操作室。
ロッジの前までもどり、ゲレンデ中腹まで登っている林道をたどる。ほんの10分ほど歩けば、この林道をリフトのワイヤーが横切っている場所に出た。乗場でリフトは並列2基であることがわかったが、1本(左側)はここが終点、もう1本はさらに上部まで通じている。しかし、上部はまったく樹林の中に飲み込まれていた。傍らにはナイター照明が立っていたが、その姿は何となく所在なさげに見えた。
このスキー場についてはいろいろと資料を探したけれど、あまり情報が得られなかった。大垣市の企業が経営していたが、1987年頃に閉鎖したという。この立地条件になぜスキー場をつくったのか、そしてアクセスはどうだったのか、大いに気になるところ。みんな車でこの山道をアクセスしたのか、白鳥あたりからバスでもあったのか……。さすがに周囲は自然が豊かで、ゲレンデ周辺の渓流には清冽な水が流れていた。(現地訪問:2015年8月)
(左)ゲレンデ中腹。左側のリフトはさらに上部までワイヤーがのびている。右手のリフトはここが終点。(右)現地のようすから想像してつくったゲレンデマップ。