2011年06月30日

新穂高温泉スキー場(岐阜県高山市)

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(左)雲間から垣間見えた残雪の北アルプス。(右)中尾の温泉街。

新穂高温泉という名前から受けるイメージは、北アルプスの岐阜県側からの主要登山口というもの。実際、私も新穂高温泉を登山口として、いわゆる「北アルプス・裏銀座」の縦走をしたことがあった。新穂高・蒲田・中尾の3つの源泉をもち、山麓の温泉地として野趣あふれる魅力があるようだ。

中尾の温泉街へは、新穂高ロープウェイに向かう道が蒲田トンネルを抜けたところから、右上に山腹を上っていく。「中尾高原」という標識も見られる。2回ほど大きなカーブを切って上がれば、20数件の温泉宿がある中尾の温泉街に至る。そのほとんど最上部にある山本館の前を右に入れば、ゲレンデ跡に行けそうだと見当をつれていた。しかし林道ゲートはしっかり閉ざされていたので、クルマを置いて歩き始める。途中、土砂が崩れた箇所があったが、30分足らずでゲレンデ跡と思われる場所にたどり着いた。

高い電波塔がいくつか立ち並び、林道の脇には駐車場だったと思われるスペース。その左に樹木の少ないなだらかな斜面が広がっている。ここが、新穂高温泉スキー場の跡地のようだ。ゲレンデの両端にリフトがあったようだが、その痕跡は見あたらない。このあたりがリフト乗場だっただろうか、と思える平地は見つけられたが。ロッジなどの建物もあったようだが、その痕跡もすっかりなくなっている。

すぐ隣に山岳スキーの雰囲気を持った新穂高ロープウェイスキー場もあった。そちらも営業休止となっているが、スキーヤーの棲み分けはどうたったのだろうか。温泉地だけに、冬も集客をはかる手段としてスキー場を開発したのだろうか。

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(左)送電鉄塔の建つ場所は平らに整地されていて、駐車場の跡に見えた。左の木立の向こうがゲレンデ。(右)下部からゲレンデを見上げる。

「'95オールスキー場完全ガイド(立風書房)」によれば、「リフト2基(680m、380m)。標高1200mの中尾高原にひろがる変化に富んだスキー場で、初級者から中級者まで7通りのコースがつくられ、のんびりスキーが楽しめる。最長滑走距離750m、最大斜度25度。また、付近には北欧風のホテルやペンションも建ち並ぶ奥飛騨屈指のリゾート地。ムードにあふれている」と紹介されている。交通は、高山駅からバス1時間45分。クルマでは高山からR158と県道で53km、P1,000台(平日無料)。営業開始・休止の年月は現在までの調査では不明だが、営業休止は10年ほど前ではないだろうか。

見上げるゲレンデは想像していたほどの規模ではなく、斜度からいっても初中級者向けのスキー場と思えた。緩斜面にはサクラの木などの植樹がされているようすで、もとの森林に戻そうとしているように見えた。本来なら、眼前に残雪をまとった雄大な穂高連峰の姿が見えるはずだが、あいにくの天気ですべては霧の中だった。(現地訪問:2011年5月)

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(左)ゲレンデの下部。
ラベル:新穂高温泉

2011年03月04日

飛騨ハイランドスキー場(岐阜県飛騨市)

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(左)下部駐車場から見たゲレンデ全体。(右)第1リフト下にあったゲレンデ案内。

飛騨ハイランドスキー場の経営主体が平成22年3月に民事再生の申立をした。引き続き事業を継続していくとし、4月には事業の中心であったゴルフ場をオープンさせていたが、スキー場がどうなるのか動向が気になっていた。一部、「飛騨数河リゾートスキー場」として継続するとの情報があったのだが……。

飛騨方面に出かける機会があったので寄ってみる。国道41号を高山方面から進んでいくと、ひとしきり坂を上りきったあたりの右手に斜面が見える。ゲレンデ下から見上げると、案の定、リフトは動いていなかった。リフトの椅子はつけられたままで、すぐにでも動かすことができそうだが、ゲレンデの圧雪はごく一部しかおこなわれていない。しばらく車道を上り、ゲレンデ中間部にあるホテルの前まで行ってみても、ひっそりとしている。事務所らしき部屋からは明かりが漏れているが。聞くところによると、修学旅行などの団体をのぞいて(だからリフトはいつでも動かせるようにしてあるのだろうが)、今シーズンは一般の営業を休止しているという。ホテルも一般営業をしていないようだ。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」によれば、「東海から富山へ抜ける国道41号線沿い。北アルプスを望む数河高原の飛騨ハイランドホテルを中心に、初級から上級までの3コースが展開する。ホテルにはアルカリ単純泉の温泉もあって露天風呂も楽しめる」と紹介されている。ペアリフト2基。アクセスは飛騨古川駅からタクシー15分、北陸道富山ICから60kmと案内されている。

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(左)下部の第1リフト乗場。(右)中間部のホテル上にある第2リフト。

国道41号から少し入った下部の駐車場の先には、第1リフトがある。夏期にはゴルフコースになる緩斜面。その上にホテルがあり、さらにその上部の第2リフト沿いに中上級者コースが開かれていた。ゴルフコースに併設されたゲレンデには、何となく共通点があるような気がする。たとえば、妙高スキーパークや妙高パインバレーなど、独特な雰囲気をもっているような気がする。雪山という一歩間違えれば遭難となる世界とはやや異質な、やはりリゾート的な雰囲気なのだろう。いずれにしても、今後の一般営業の復活を祈りたい。(現地訪問:2011年1月)

【続報】
コメント欄にお寄せいただいた通り、2016シーズンは日程を限定して「一般開放」をしているということ。詳しくは「飛騨数河リゾート&カントリークラブ」のホームページをご参照ください。→http://www.hidasugo.jp/
その後、スキー場の営業は休止している模様。

2011年02月03日

パルクすごうスキー場(岐阜県飛騨市)

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(左)国道41号沿いの駐車場から、ゲレンデを見上げる。

市町村合併で、飛騨地方の北部は飛騨古川を中心とする飛騨市という大きな括りとなった。その飛騨市内の神岡から古川に国道41号で向かう。しばらく坂を上っていけば右手に大規模な「ひだ流葉スキー場」があらわれる。それを通り過ぎれば、やがて右手に国道に面して小広い駐車スペースがあらわれ、その上部に斜面が広がっている。「パルクすごうスキー場」の跡地だ。スキー場の名前は、「さわやか数河高原」「スノーランドすごう」などさまざまに変わったようだが、最後は「パルクすごう」の名前だったと記憶している。1963年の開設。2003年に営業休止。現在はスノーモービルランドなどとして使われているようで、その窓口も駐車場に面して設けられている。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「R41沿いにあり、クルマでスキーには絶好のロケーション。全体になだらか。ハーフパイプがあり、スノーボーダーが多い。ビーグルランドは四輪バギー・雪上自転車など利用でき、ファミリーも安心の総合スノーランド。スクール、レンタルあり」と紹介されている。リフトはペア2基の施設があった。

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(左)圧雪車も置かれたまま。スノーモービルの受付窓口もある。(右)ゲレンデを少し登ったところから、最下部を見おろす。(2010年9月)

ゲレンデ下部にはリフト券売場やパトロールが入っていたと思われる小屋や、いくつかの建物が残っている。スノーモービルランドとしての営業は続けているようで、ちょうど、大型の車からスノーモービルを降ろそうとしているグループがいた。小屋の脇には圧雪車が置かれたままになっていた。

秋口にここに来てゲレンデを見上げたときには広い草地の緩斜面が続いていて、国道に面している立地でもあるのでファミリースキー場としては最適だったと思った。リフトはきれいに撤去されていて、痕跡を見つけることはできなかった。今は斜面は一面の雪に覆われている。ガイドブックには、車のアクセスとして(当時は東海北陸道がまだ全通していなかったから、名古屋方面からはそう表記せざるをえなかったのだろうが)「中央道中津川ICから130km(!)」などと書かれていて、飛騨地域にも他に多くのスキー場があることを考えると、アクセス面からはあまり便利とはいえなかったのではないかと思われた。(現地訪問:2011年1月)

2011年01月22日

白木ヶ峰スキー場(岐阜県飛騨市)

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(左)遠景から見たゲレンデ全体。(右)駐車場入口の案内。 

富山方面からクルマで国道41号を南下し、猪谷の先から宮川に沿う国道360号に入る。細かい雪が降り続いているが、新しく長いトンネルを幾つか通れば、「飛騨まんが王国」の案内板が見える。右折して宮川の橋を渡り、JR杉原駅の前を通って上がっていけば、前方にリフト乗場が見えて、やがて白木ヶ峰スキー場下の駐車場に導かれる。駐車場入口には「本年度の白木ヶ峰スキー場は休止致します」と表示されている。駐車場のまわりは、まんが図書館・宿泊施設・温泉施設おんり~湯やレストランなどの建物が取り囲んでいる。

見上げるゲレンデは、中間にある杉木立から下は緩斜面。その上はかなりの急斜面に見える。ゲレンデ右側のシングルリフトは初級者用なのであろう、中間部までの長さであり、左側のリフトは最上部まで達している。リフトは椅子をはずされ、雪に埋もれている。資料によると2009シーズン入込み数は3900人だったという。昨シーズンは土・日・祝のみの営業となっていたが、2011シーズンは営業休止となった。

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(左)駐車場から見上げるゲレンデ全体。(右)雪に埋もれた第2リフト乗場。

まんが図書館や温泉施設などが併設されていた、というよりもスキー場の方がむしろ付随施設だったような感じを受ける。ファミリー向けには使いやすいスキー場だったようで、その時もちょうどソリ遊びに来た家族連れも見られたし、温泉や宿泊に来た人の車が何台か駐車場にとめられていた。

白木ヶ峰スキー場は1972年(昭和47)に、地元有志による開発機関によりリフト2基を建設してオープン。最大斜度32度、最長滑走距離1.2km、標高350m~515m。JR高山線の杉原駅からは徒歩10分程度だが、この駅に停車する列車の数は上下別に1日8本であり、鉄道を利用してのスキーはあまり現実的ではなかっただろう。

飛騨市観光サイトには「富山県との県境にも近い穴場的スキー場ゆえに、混雑とは無縁でスキー&ボードを満喫できる」と案内されている。シングルリフト2本、プライベートゲレンデのようなコンパクトさながら、第2リフト上部から滑走すれば上級者も楽しめただろう。宮川に沿う谷から目を上げれば、雪の白と木々の黒だけの色になった飛騨の山並みがどこまでも続いていた。(現地訪問:2011年1月)

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(左)ゲレンデ中腹から、駐車場を囲むように建てられた「まんが図書館」や温泉・カフェテリアなどのさまざまな施設を見おろす。

【追記】
「飛騨まんが王国」のホームページには、2011年12月12日付で「昨年度休業いたしておりました『白木ケ峰スキー場』は今シーズンより正式に閉鎖となりました。長い間ご愛顧いただき本当にありがとうございました。なお、リフトは動きませんがゲレンデは雪遊びができますのでぜひご利用ください」と案内されている。

2010年11月22日

日和田高原オケジッタスキー場(岐阜県高山市)

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(左)ゲレンデ全体を俯瞰する。

木曽から飛騨高山にぬけるときに使う国道361号。その最奥部の標高1,000mを超える開田高原や日和田高原は、信州や飛騨の一般的なイメージとは少し異なる印象がある。その標高にありながら、北海道の原野などに通じる視界の広がりを感じるからだろう。長峰峠を越えて岐阜県に入ると間もなく、左にチャオ御岳に向かう道が分岐する。その分岐点の右側にあったのが、日和田高原オケジッタスキー場。

周辺にはグランドや体育館があり、各種スポーツの高地トレーニングの場となっているようだ。体育館の横からゲレンデを見上げると初中級斜面が2本あったのがはっきり分かる。リフトはきれいに撤去されていて、その痕跡はわからない。営業休止年月ははっきりしないが、2005年前後ではないだろうか。

「オールスキー場完全ガイド'93(立風書房)」には「ヤナギラン(1,000m、最大斜度26度、平均11度)、シラカバ(500m、最大13度、平均10度)の2コースで、初中級向けにできている。子ども用にソリコースもあり、ファミリーに適する。北に乗鞍岳、南に御岳を望む。スノーマシン7基あり、スノーボード可」と紹介されている。眺望にも恵まれ国道361号に面してクルマの便もよく、家族連れにも気軽に滑れるスキー場だったようだ。シングル1基(第1)、ペア1基(第2)。

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(左)ゲレンデ下にはグランドと体育館がある。右手に斜面が広がっていた。(右)高地トレーニングエリアの案内板。

スノーボード解禁のスキー場が少なかった時期に、周囲のスキー場に先駆けていちはやく全面解禁。公認ハーフパイプもあり、ひそかに人気があったようだ。その後、多くのスキー場がスノーボードの解禁に踏み切ったため、そうしたメリットも薄れたようだ。

名鉄系が経営していたようだが、すぐ近くにオープンしたJR東海のチャオ御岳に敗北するような結果になってしまった。アクセスはあまり良いとはいえないのだが、チャオ御岳の手前だから、それよりは良いといえるかもしれない。眺望や周辺の景観は素晴らしいところだが、南斜面で積雪はそれほどでもなく、だからスノーマシンも設置されていたようだ。多くのスキー場のスノボ解禁後、それに次ぐ特色を出さねば集客は難しかったということだろうか。(現地訪問:2010年10月)