2010年11月12日

濁河温泉スキー場(岐阜県下呂市)

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(左)駐車場前からゲレンデを見上げる。

濁河温泉は御岳山の西北側にあたり、長野市方面からはアプローチがやっかいなところ。いったん木曽福島に出てR361で開田高原を越え、岐阜県側の日和田高原にクルマを進める。チャオ御岳の少し先までは立派な2車線道路が続くが、その先は行き違いもままならない細い道となる。小さな峠を越えて高山市域から下呂市域へ入れば、まもなく飛騨小坂からの道と合流する、その交差点の脇から広がるのが濁河温泉スキー場の跡地。ちなみに温泉街はこの先2kmほど進んだところにある。

「'92全国スキー場ガイド」(山と渓谷社)によれば、「御岳山の岐阜県側六合目に位置するスキー場。雪質が良いので、降雪時には新雪・深雪滑走が可能だ。リフト待ちはほとんどなく、思う存分すべることができる。アフタースキーは温泉で」と紹介されている。ペアリフト1基があり、5コースを備え、最長滑走距離2.5km、最大斜度28度。クルマでのアクセスは「中央道中津川ICからR257とR41経由で112km」という案内もあるが、R19木曽福島からR361開田高原・チャオ御岳経由の方が、現在では走りやすいのではないだろうか。

2010年2月の新聞報道によると「下呂市は22日、利用客減などにより市立濁河温泉スキー場を今季限りで閉鎖する方針を発表した」という。濁河温泉スキー場は1963年に開設。近年の利用客は年2700人前後で、半数以上は付近にある御嶽少年自然の家利用者だった。施設の老朽化や利用客の減少と、岐阜県が自然の家を廃止することから、このスキー場の閉鎖を決めたらしい。濁河温泉スキー場のホームページにも「永年のご愛顧ありがとうございました」とあるから、閉鎖は本決まりのようだ。

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(左)ペアリフト乗場から斜面を見上げる。(右)ペアリフト乗場からレストハウス付近を見おろす。

濁河温泉への道路に面した駐車場のすぐ上にゲレンデが広がっている。1基だけあったペアリフトは少々上がったところにあるため、そこまでは連絡用のロープトゥがあった。正面のコースは結構な急斜面だが、左右に迂回するコースがいくつかあったようで、思っていたよりも広がりを感じさせる。先シーズンまで稼動していたのだから、当然リフトやロープトゥの施設はそのまま残っていて、人待ち顔のように思えた。どの方面からもアクセスが厳しいけれど、雪質が良かったことは想像に難くない。山間の温泉とともに一度、営業中に訪ね、しみじみとした雰囲気のゲレンデを楽しみたかったと後悔の念にかられた。(現地訪問:2010年10月)

2010年07月02日

一色国際スキー場(岐阜県高山市)

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(左)一色の集落から見た一色国際スキー場のゲレンデ上部。(右)ゲレンデ下部から見上げる。かつては駐車場入口の管理をしたと思われる小屋も残っている。


2008シーズンを最後に閉鎖された一色国際スキー場。「スキー人口減少・売り上げ減少のため」と廃業理由は述べられていた。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「石川・富山両県境に近い奥美濃の豪雪地帯だけに、雪質は保証付き、自然雪を堪能できる。下部の2本のリフトで滑るコースはファミリー向けの緩斜面、上部に45度のカベをもつ上級コースや初級向きの1,600mのツアーコースがある。スクール、レンタルあり」と案内されている。

リフトはペア1基、シングル3基。アクセスは東海北陸道・荘川ICから5kmとそんなに悪くはなかったと思うが、名古屋方面からはその前に多くのスキー場が林立してしまっていたのが、厳しかったのだろうか。なお、ガイドには奥美濃と記されているが、正確には立地は飛騨になるのではないだろうか。

東海北陸道の荘川ICから国道158号を高山方面にわずかに進み、右折して一色の集落に入る。初夏の花が咲く、ほのぼのとしたこの集落から南を見れば一色国際の上部のゲレンデが見える。一帯は、奥美濃・飛騨の境界にあたる山深いところ。一色川に沿って南下し樹林帯を抜ければ、川を挟んだ左手に一色国際のゲレンデ跡地が広がる。現在はキャンプ場として整備されているようで、そのセントラルロッジがゲレンデ下部にある。

駐車場の一部は森林組合の土場に転用され、木材が積み上げられている。見上げる斜面からはリフト施設などは綺麗に撤去されているようだ。下部の緩斜面は牧草地のように、緑色の草に覆われている。上部は土色の斜面が露出したままのようだが、ものすごい急斜面のように見える。思いのほか、緩急の斜面をそろえ奥行きのあるゲレンデのようだ。積雪豊富な地の、コースバリエーションも備えたこのようなスキー場がなくなってしまったのは残念だと思う。(現地訪問:2010年5月)

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(左)いまはキャンプ場として整備されている。ゲレンデ下にはキャンプ場のセントラルロッジ。(右)「オールスキー場完全ガイド2000」ほかを参考に作図。

2010年06月01日

上宝高原スキー場(岐阜県高山市)

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(左)下部に建つ石碑付近から、ゲレンデを見上げる。(右)ゲレンデ下にあるレストハウス。いまは農機具置場となっているようだ。右手奥に第1リフト乗場のリフト券売場が見える。

旧国府町から旧上宝村の中心部に向かう県道76号。その道沿いからわずかに南側に入った北斜面に上宝高原スキー場は開かれていた。2000シーズンを最後に営業休止(閉鎖)。最後のシーズンの集客は1700人との話を聞けば、やむを得なかったのだろうと思う。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「大雨見山(1336m)の北斜面に展開する。家族揃ってのファミリースキーに最適。最大斜度35度の上級コースもあり、豪快な滑りが楽しめる。車で5分に上宝トーカイリゾートホテル日帰り入浴可。標高差は300mある。リフト券が安価(1日券2,500円、11回券1,000円)」と案内されている。シングルリフト2基の施設があった。

ゲレンデ下には「上宝高原スキー場」と書かれた石碑がある。下部はファミリースキーに適した緩斜面だが、上部はスリバチ状の上級コースと見受けられる。ゲレンデ下のレストハウスは、農機具置場と化してしまっているようだが、食堂のメニューが掲示されたままになっているのがもの悲しい。その左に第1リフトの乗場があったようで、リフト券売場の建物が残されている。

見上げるとゲレンデ中央には、第2リフトの乗場と思われる建物が残っている。ゲレンデは少しずつ、草や潅木に覆われ始めているようだ。ふとゲレンデに動くものを感じて目を凝らすと、鹿が地面を穿り返して何かを食べているのが見えた。次第に野生のものの往来する場に戻ろうとしているのだろうか。(現地訪問:2010年5月)

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(左)リフト券売場。上方には第2リフト乗場と思われる建物が見える。(右)リフト券売場に掲げられていたゲレンデマップ。

2010年05月25日

ロッセスポーツランド(岐阜県高山市)

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(左)第2リフト下からゲレンデ全体を見上げる。(右)第1リフトの痕跡と、ゲレンデ下に1軒建物の残ったロッジ。

いまは高山市となった旧国府町から、東の山中に車を進ませる。こんな山間の谷間を進んだ先にスキー場があるのか不安になる頃、呂瀬のわずかな平地に出て少しほっとする。飛騨のこのような山中に生活を求めた理由は何なのか、そんな気持ちにさせられる集落である。その先、駒鼻峠に向かう道の東側にロッセスポーツランドの西向き斜面のゲレンデ跡があった。ゲレンデ下には1軒だけロッジの建物が残っていて、その庭にあるブリキでできた獅子おどしが、静寂の中でときどきカターンと音をたてる。道沿いのサクラが満開だ。

旧丹生川村にあったロッセスポーツランド(ロッセ高原スキー場)。1973年の開設。最盛期の1980年代には年間2~3万人の集客があったというが、最後の頃には1万人を割り込んでいたようだ。2004シーズンを最後に閉鎖となった。「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「国見山頂から北アルプスを一望できる景観の美しいスキー場。山頂からのロングコースを3本もそろえていたり、40度の急斜面、下部の緩斜面など7コース。変化に富んだ本格的スキー場としてファンが多い。ゲレンデ下のロッセ山荘と国見山荘がベース。スノーモビル専用コースあり」と記載されている。

ゲレンデを見上げると、最上部は相当な急斜面に見える。このゲレンデ構成ならば、熱烈なファンが多かったという話もうなずける。3本あったというシングルリフトの乗場には、コンクリートの残骸が残っている。上部の斜面は土色のままで、樹木が覆いゲレンデの痕跡を消し去るのにはまだ何年かの時間がかかりそうだ。アクセスの悪さや、今風とはおそらくいえなかったであろう施設などにもかかわらず、このスキー場に通い続けた人々がいたという。このゲレンデを見上げれば、スキーヤーなら何となく共感してしまうのではないだろうか。(現地訪問:2010年5月)

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(左)第2リフト乗場。右手奥に第3リフト乗場。

2010年05月18日

原山市民スキー場(岐阜県高山市)

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(左)駐車場にはまだ「スキー場」の文字が残る。跡地は市民公園として整備された。(右)遊具や芝すべりなども備えられた。

全国規模の企業では、山深い高山支社への異動は左遷を意味すると聞いたことがある。しかし今日では飛騨の小京都とも称され、高山祭などを中心とした観光都市として脚光を浴びる面のほうが多いと思う。以前、岐阜県の森林資源について調べていたとき「岐阜県で1番人口が多いのはもちろん岐阜市だが、昔は2番目は林業が盛んな高山だった」という話を聞いたことがある。真偽のほどを確かめていないが、石化エネルギーや化学物質が普及する以前の木材資源の重要性や、各地域ごとに産業や文化が繁栄していたことを示す話だと思う。

高山駅から西に3kmほどの距離にある市民スキー場。それが、原山市民スキー場だった。現地を訪れてみるとリフトなどスキー場施設は綺麗に撤去され、市民公園として生まれ変わっていた。遊具やそり遊びを連想させる芝すべりなども備えられている。おりしも5月の晴天の休日。サクラも満開で、家族連れが思い思いに楽しんでいた。斜面は全体になだらかな印象を受けた。

原山市民スキー場は1920年(大正9)創業で、1963年にリフトが設置された。2008シーズンを最後に営業休止。かつては高山市民のメインスキー場で、いつも大混雑していたという。運営会社によると「暖冬などによる雪不足で利用客が激減し、累積赤字解消の見込みがなくなった」とのことだ。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」には「高山市のシティゲレンデ。市街地から気軽に行ける便利さが地元のスキーヤーに好評。コースも一部を除き、すべて初中級向き。ソリ専用ゲレンデもあり、近隣からの家族連れでにぎわう。初級75%、中級25%。リフト ペア1基、シングル1基」と記載されている。市民生活に密着していたこのようなスキー場がなくなっていくのは、寂しいと思う。(現地訪問:2010年5月)

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(左)ゲレンデ中腹から見おろす。市街地に隣接したスキー場だったことがわかる。(右)「オールスキー場完全ガイド2000」を参考に作図。