2022年04月08日

なかさと清津スキー場(新潟県十日町市)

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(左)ゲレンデ下のヴィレッジハウス(2010年1月訪問時)。(右)古くは上越国際のマップにも記載されていた(1989シーズンのパンフレット)。

なかさと清津スキー場のホームページで来シーズンの営業休止が告げられている。「来シーズン(2022-2023)は3年間のコロナ禍による来場者数の減少や設備の状況により、誠に勝手ながら営業を休止いたします。来シーズン以降の営業につきましては今後の状況等を見ながら判断いたします」となっている。2024シーズン以降の動向はわからないものの、予断を許さないのではないだろうか。

なかさと清津は当初、広大な上越国際スキー場の一部として計画されていた。当時の上越国際のゲレンデマップには清津ゲレンデとして掲載され、いずれ当間ゲレンデとつながるのだろうと考えられていた。実際、当間山を挟んでリフトを数本架ければつながりそうである。しかし、バブル崩壊の時期にあたり、その計画は頓挫したものと思われる。

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(左)ゲレンデ内にあったマップ。ペア2基はすでに稼働せず。「上越国際清津ゲレンデ」の表記のままだった。(右)稼働していない「ファミリーロマンス」沿いから信濃川方面を見下ろす。(いずれも2010年1月)

その後、「なかさと清津スキー場」と独立したスキー場を名乗るようになり、現在に至っている。運営は現在まで上越国際と一体でおこなわれているのではないだろうか。最盛期にはクワッド1本の他、ペアリフト2本もありそれなりの規模であったが、後にペアリフトは休止となりクワッドだけの営業となった。

私は2010年1月に滑りに出かけた。国道117号から南東部の山中へと入る。駐車場の目の前にあるヴィレッジハウスという建物は、上越国際のグリーンプラザの縮小版といった趣き。レストランなどが入ったいわゆるセンターハウスである。稼働していたのはクワッド1本だけ。コースは初中級中心だったが、気持ちよく滑ることができた。一部、圧雪されていないコースもあった。

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(左)クワッドリフト乗場(2010年1月)。(右)アクセス道の案内板。前方にスキー場を俯瞰する。(以下、2022年4月)。

当時、すでに曜日を限定しての営業になっていた。土曜日にもかかわらず滑っている人は少なくて、少々寂しかった。しかし、ゲレンデ上部から見おろす信濃川の河岸段丘の眺めはなかなかのもの。「上越国際清津スキー場」という表記も残っているなど、各所に上越国際の名残が感じられるのも面白かった。

「オースキー場完全ガイド2000(立風書房)」には上越国際スキー場の紹介ページに「清津ゲレンデ」として紹介がある。「当間ゲレンデの裏側の穴場的スキー場。'98シーズンに新コースが3本できてリニューアルオープンした。全体的に初中級者向きの緩斜面だが、ハーフパイプやワンメイクにもチャレンジでき、スキーポール専用バーンもできた」。

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(左)以前とデザインが変わったヴィレッジハウス。左手にクワッド乗場。(右)以前から稼働していない「からまつロマンスリフト」。

あらためて現地を訪れてみた。さすがに車道に雪はないが、両側の田畑にはまだ多くの雪が残っていた。正面にゲレンデの姿を見ながらアクセス道を進む。道脇の「なかさと清津スキー場」の案内板も健在。ゲレンデ下に建つ印象的なヴィレッジハウスの外観デザインは少し変更されたようだ。まだ多くの緩んだ雪が残っていて、ヴィレッジハウスの脇からゲレンデを見上げることしかできなかった。

2024シーズン以降の動向は未定のため、建物やリフトなどの施設にはいまのところ変更は見られない。雪を運搬するダンプが走り回っている、と思ったら、スキー場の駐車場脇が雪捨て場になっているためだった。随分暖かくなったが、周囲にはまだまだ多くの雪が残っていた。(現地訪問:2022年4月)

2015年11月22日

マウンテンパーク津南スキー場(新潟県津南町)

いくつかのスキー場でオープンの便りも届いたものの、例年にない温かさによりオープンを延期したところもある。シーズン直前になって気をもませることが多いけれど、今シーズンも一般営業休止の話が聞こえてきた。

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(左)レストハウスやロッジがあるゲレンデ入口。(右)右は第2リフト降場、左に第3リフト乗場が見える。その向こうにメインゲレンデが広がる。

新潟県津南町。長野県北部とは隣接した土地であり、そんな親しさもあってマウンテンパーク津南のことはずっと気になっていた。当間や清津などに出かけたときの帰り道に寄ってみたことがあるけれど、営業終了時刻近くだったせいだろうか、いつも閑散としていた。一般客は果たしているのだろうか、という感じだった。

そんな心配があたったといっていいだろうか、今シーズンは一般向け営業を行わないことが伝えられた。「マウンテンパーク、今冬は営業せず」という見出しで「存廃が検討されていた津南町の町設スキー場『マウンテンパーク津南』について、町は28日までに、今冬の一般客向け営業を行わず、学校の課外活動や競技などの目的に限って使用することを決めた。来季以降の存続は未定で、町は運営業者を探している。」と報じられた(新潟日報2015年10月29日)。

かつてはJR飯山線津南駅から連絡リフトがあったが、下部のリフトはずいぶん前に廃止されていて、その点は以前、本ブログでも取り上げた。近年は週末のみ第2・第3ペアリフトだけの営業となっていたようだ。
 → こちらもご覧ください 「2013年5月14日 マウンテンパーク津南スキー場・津南駅連絡コース」 (ゲレンデマップもこちらを参照願います)

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(左)第3リフト乗場。(右)メインゲレンデ最上部。第3リフト降場が見える。遠く越後三山の山頂部はもう白い。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」では本スキー場について以下のように紹介している。「日本一の河岸段丘の眺めと、温泉付きセンターハウスも魅力。ゲレンデ内にはロッジがあり、宿泊が即ゲレンデと直結している。標高727mの茶屋峠山頂から2.5kmダウンヒルコースがとれ、大会やポールの練習に人気がある。ベースタウンの津南町には旅館や温泉もあって便利」。全リフト稼働時には、最大斜度35度、ペアリフト5基を備えていた。関越道・石打塩沢ICから24km、50分。首都圏からは足を運びにくい立地だったと思う。

一般向け営業休止のニュースを聞いて、あらためて津南を訪れる。越後田中駅付近で国道117号から分岐して北に入り、車でゲレンデ中心部まで上がっていく。周囲の山並みは紅葉に染まっている。学校活動や競技には使用されるということなので、とくに営業休止を感じさせるようなものはない。レストハウスやロッジの建物は、中をのぞくと近年あまり使われていないようすがうかがえるものの、異常はない。その背後の第2ペア・第3ペアは搬器を外されてはいるものの、そのままスタンバイしている様子。

ゲレンデ斜面につけられた車道を通って、ゲレンデ最上部の茶屋峠まで上がってみる。秋空の眺望を楽しもうと、他にも車でやってきている人々がいた。撤去された第7ペアの降場の場所は、駐車スペースになっていて、そこからわずかに歩くとコンクリート製の展望台がある。また、その付近から東に歩けば第3リフトの降場にたどり着く。山頂部一帯からは眼下にメインゲレンデ、その下にレストハウスやロッジ、さらに河岸段丘の向こうに越後三山や谷川連峰、苗場山などの山並みを望むことができた。この眺望を楽しみながら滑ることは、もうできなくなるのだろうか。(現地訪問:2015年11月)

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(左)ゲレンデ最上部(第3リフト降場付近)からゲレンデを見おろす。河岸段丘の向こうに谷川連峰や苗場山。(右)少し下った場所にある第2リフト乗場。

2015年09月22日

千の坂スキー場(新潟県十日町市)

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(左)松之山温泉街。(右)資料などから推測した千の坂スキー場の位置。

松之山温泉は、草津温泉・有馬温泉とともに日本三大薬湯といわれている。その泉質はホウ酸含有量日本一で塩分濃度も高い。温泉地ではあるものの歓楽的な雰囲気は少なく、里山の自然美を色濃く残している。山深い豪雪地であり、小正月に松之山の新婦を娶った新郎を雪の中に放り投げる「婿投げ」という奇祭が行われることでも知られている。

それほどの豪雪地であるから、温泉とスキーをセットにした集客も当然考えられ、現在もペアリフト2基の松之山温泉スキー場が営業を続けている。松之山温泉街から南へ1kmほどの場所である。この松之山温泉スキー場は1983年の開設であるが、それ以前に松之山にあったのがここで紹介する千の坂スキー場である。

「スキー天国にいがた(1975年、新潟日報事業社)」には以下のように紹介されている。「松之山温泉から徒歩5~15分のところにあり、主に初心者向けのコース。スロープは400~500mで小規模スキー場である。(後略)」。また、「松之山町史(1991年)」には以下のように記されている。「早くから大松山周辺がスキー場として利用されてきたが、温泉場付近にスキー場がほしいという観光客の要望にこたえて、昭和39(1964)年に千ノ坂スキー場がオープンした。51年には津南町で使用されていたロープトウが設置され、無料休憩所もできた」。しかし、その後さらに本格的なスキー場建設が必要とされ、現在の松之山温泉スキー場が登場することになるのである。

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(左)木造三階建の堂々とした凌雲閣。(右)古いプールの向こうがゲレンデだったと教えられた。

小雨降る9月の午後、松之山を訪れる。「スキー天国にいがた」にあった地図から、温泉旅館・凌雲閣の近くではないかと考えていた。松之山温泉街への入口から少し南下した場所に凌雲閣は位置している。年月を経た木造三階の建物は存在感を放っていた。その窓口でスキー場について聞いてみると、「その脇の道を行くとプールがあって、その向こうがゲレンデでした」と教えていただけた。

駐車場の脇の道を進むと使われていないようすのプールがあって、その向こうに右上(西)から左下(東)への斜面があった。手前の部分(北側)はススキが繁っていて、向こう側は棚田が並んでいる。その中を温泉街上部の不動滝へ通ずる車道が通っている。どのあたりまでがゲレンデだったのかははっきりしないが、この斜面だったことは間違いないだろう。ロープトウが架けられていたらしいが、スキー場の痕跡は何も残っていない。しかし、スキーをするのには程よい傾斜のように思えた。棚田の稲穂は収穫を前に首を垂れはじめていた。(現地訪問:2015年9月)

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(左)下部から斜面を見上げる。(右)谷を挟んだ東側から見た斜面全体。

2013年05月29日

見附水道山スキー場(新潟県見附市)

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(左)田園の中~住宅地の向こうに水道山。こちら側の斜面がゲレンデだった。(右)斜面下の畑地から見上げる。

見附の市街地の南東側に位置する水道山。その名前は、水道施設がこの丘陵に設けられたことによるものらしい。そんな水道山にかつてスキー場があった。市街地のすぐ奥に位置する丘陵だから、地元の人々にとっては身近なスキー場として賑わったのではないだろうか。

水道山は6~7月には約4,000本の紫陽花が咲き乱れる公園としても知られている。その紫陽花の季節に一度、三条方面からの帰り道のついでとして訪れたことがある。山頂稜線部を南北に車道が走っていて、ところどころにベンチやあずまや、遊具などが配置され、まさに手近な市民の憩いの場というかたちになっていた。しかし、あたりを歩き回ったりしてみたが、丘陵地のどのあたりにゲレンデがあったのかそのときはよくわからなかった。

稜線部から東側にかけてはやや展望が広がり、疎林が覆っているだけの場所があった。そちら側にゲレンデがあったのではないかと見当をつけて、4月の休日にあらためて出かけた。東側にある腰越という地名の住宅地、その中の狭い道をたどって、丘陵地の裾野部分まで行ってみる。そのあたりは畑地となっていて、何人かが畑仕事をしていた。

その中のひとりの小父さんに話を聞いてみると、正面に見える斜面がまさにスキー場の跡地だということだった。予想したとおりの場所である。稜線までのぼる遊歩道が設置されているのも見える。その斜面に白っぽい支柱が3本立っている。それがナイター照明施設の痕跡だと教えてくれた。ナイター照明は、昭和50年頃まで使われていたのではないかという。その後、照明施設は取り外されて、野球場に移設されたようだ。照明施設はあったものの、リフトやロープといった施設はなかったとその小父さんは話してくれた。

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(左)白っぽいナイター照明の支柱が残っている。(右)ゲレンデ斜面上から見おろす。

今度は水道山の山頂稜線部から見おろしてみると、眼下に細越の住宅地が見え、その向こうには広大な田園地帯が広がっているのが見えた。足元の斜面はけっこう急で、まっすぐ滑り降りるのは初級者では難しいと思った。

ナイター照明の撤去時期などから推測すると、もう30年ほど前にはスキー場としての機能は停止していたのではないだろうか。長岡悠久山・三条大崎山などと類似の立地である。降雪が減った影響もあり、また、もっと大規模なスキー場が開発されたことにもよるのだろうが、このようなスキー場が次々と消えていった。かつては多くの市民で賑わったのであろう時代を、いまは偲ぶしかないのかもしれない。(現地訪問:2013年4月)

2013年05月14日

マウンテンパーク津南スキー場 津南駅連絡コース(新潟県津南町)

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(左)日帰り温泉が同居するJR飯山線の津南駅。(右)津南駅と中心街の間をむすぶ千曲川の橋から、前方の斜面にコースとリフトの跡が見える。

小学生の頃だっただろうか、友人に聞いた話は「津南のスキー場は駅前にリフト乗場があって、列車を降りるとすぐにゲレンデに登る連絡リフトに乗ることができる」というものだった。車を持っている家は少なくて、スキーに行く交通手段はおもに鉄道とバスだった時代である。私も「それはずいぶん便利だなあ」と感心した記憶がある。飯山線の運転本数もいまと同じくらいだったと思うが、当時はそれが貴重な移動手段だった。

現在、マウンテンパーク津南は上部のロッジ周辺のイエローリフト・オレンジリフトという2本のリフトで、土・日・祝のみ営業している。その下部のオレンジリフト(以前の名前は第2ペアリフト)の下に、かつてはさらに2本のリフト(第1ペアリフト・第10連絡ペアリフト)があって津南駅との間を結んでいた。時代が変わって、鉄道やバスがスキー場へのアクセス手段としての主役の座を降りて、多くのスキー客が車で上部のロッジ周辺の駐車場まで乗り入れるようになり、下部のリフトは必要がなくなってしまった。

「SKIER'91 日本のスキー場・東日本編」(山と渓谷社)に掲載されている「マントパーク津南」のゲレンデマップには、まだ第1ペアリフト・第10連絡ペアリフトが存在しているし、「オールスキー場完全ガイド2000」(立風書房)にも記載があるから、この両リフトが廃止されたのは2000年代初頭ではないかと推測している。前者には「中里同様、JRの駅前からリフトが架かっており、全国的にも珍しい駅前グループのスキー場。連絡リフトで上がった所がメインゲレンデで、ほぼまっすぐにコースが延びている」とある。また、「第1リフトの外側に位置するチャレンジコースは、最大斜度37・平均斜度20度の上級向きバーン」と書かれている。

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(左)駅裏側のリフト乗場があったと思われる場所。右側の斜面にコンクリートの基礎部分が残っている。

私が初めてマウンテンパーク津南に滑りに行ったのは2004年12月のことで、そのときには既に下部のリフトは稼働していなかったと記憶している。その時はもっぱら、現在の「イエローリフト」沿いで滑った。私のほかは、ほとんど地元の少年たちが練習に励んでいるばかりだった。しかし、「日本一の河岸段丘」とうたう周囲の展望はやはり素晴らしかった。

あらためてマントパーク津南の連絡リフト付近を訪れてみることにする。JR津南駅は、国道117号が走る津南の中心街からは少し離れた信濃川の左岸に位置している。その信濃川に架かる橋からは、津南駅の背後の丘陵にスキーコースやリフトのための切り開きの跡がはっきりとわかった。津南駅は日帰り温泉が駅舎内に同居しているが、現在ではこのような温泉設置の駅はさほど珍しくはなくなった。鉄道に乗るために駅に来る人より、温泉に入るために車で乗りつける人の方が多いくらいではないだろうか。駅の線路を挟んだ裏側にわずかに広がる平地にリフト乗場があったと思われる。まだ雪が残り、その跡を確認することはできなかったが、正面の斜面にはリフトの支柱が立っていたと思われるコンクリートの基礎部分を見つけることができた。

一方、上部に車で登り、オレンジリフトの乗場に行ってみる。そのすぐ下には、第1ペアリフトの終点と思われるコンクリートの角柱が立っていた。そこから下を覗くとかなり急な斜面が続いている。チャレンジコースはこの場所から、右に回って駅へとくだっていた。その向こうには信濃川、そして苗場山方面の山並が続いているのを見渡すことができた。(現地訪問:2013年4月)

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(左)オレンジリフト乗場。左手奥に第1リフト終点の痕跡がある。(右)第1リフト終点部分のコンクリートの残骸。