2013年04月30日

上大谷スキー場(新潟県加茂市)

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(左)「上大谷スキー場」バス停。(右)バス停の周辺には春の花が咲き、石仏が並んでいる。前方の杉林のあたりとその向こう側がゲレンデだったらしい。

新潟県の市町村ごとの地図を眺めていたときのこと。ふと目に飛び込んできたのは「上大谷スキー場」というバス停の名前だった。バス路線やバス停の名前までが掲載された詳細な地図だったが、しかし、バス停の名に「スキー場」とあるものの、近くにスキー場がある様子はない。加茂市東部の山間地であり、すぐ北東にある小さな峠を越えれば五泉市(旧村松町)という場所である。それ以来、このバス停はずっと心の片隅にひっかかっていた。

一度、阿賀方面からの帰路にその場所を車で通ったことがあった。思ったより狭い道で対向車が来ると、すれ違いに少々緊張を要するほどの道である。そして、山沿いの小さな集落の中の三叉路に「上大谷スキー場」というバス停は確かに立っていた。その支柱に付いている時刻表を見ると、加茂市役所から戸倉の間を結ぶバスが1日7往復走っていることがわかった。しかし、案の定、周囲を見てもスキー場らしき場所は見あたらない。通りかかった人にでも聞こうと思ったが、あいにくと季節と時間帯が悪くて人の姿は皆無だった。

帰ってからインターネットで調べてみると、確かに加茂市営市民バスが運行されているようだ。あらためて地図を見ると、周囲の地形から推測して、バス停南側にある丘陵の北斜面あたりにスキー場があったのではないかと推測できた。バス停周辺の人々が畑仕事に外に出てくる季節を狙って再訪しようと考えた。

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(左)ゲレンデがあったと思われる斜面を見上げる。(右)道路際から見る。前方の竹林の向こう側がゲレンデ。

4月下旬の休日、あらためて上大谷スキー場バス停を訪れた。周囲には春の花が咲き、バス停の立つ三叉路には石仏や石標がいくつもあって、古くから人の往来があった道であることをうかがわせた。バス停の前の家からちょうど出てきた小父さんに話をうかがう。バス停の南側、山に向かってやや右手にある畑地のあたりがゲレンデだったようだ。その左手にある杉林のあたりにも当時はゲレンデが広がっていたらしい。畑や杉林となっているためゲレンデのイメージはいまひとつつかめないが、快適な中斜面を思わせる斜度ではなかろうか。小父さんの記憶によると、50年ほど前には加茂のスキークラブの練習ゲレンデとして賑わっていたという。リフトやロープトウなどの施設はなかったと話してくれた。

数10年前には、おそらくスキー場としての機能は果たさなくなっていたのではないかと思われる。それでありながら、なぜいまだにバス停に名前を残しているのか、詳しい事情はわからない。しかし、この土地の歴史の一端を残しておいてくれるような気がして、なんだかしみじみと嬉しく感じた。(現地訪問:2013年4月)

2013年04月21日

下条中峰スキー場(新潟県十日町市)

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Tバーリフトが動いていた2010年1月の訪問時のようす。

2013年3月14日の十日町新聞によれば、「中峰スキー場感謝とお礼の会が3月17日、午前10時半から同スキー場で開催される。中峰スキー場は下条地区の身近なスキー場として幼児、児童、生徒を中心に40年間にわたって親しまれてきたが、諸般の事情からスキー場機能を停止し、下条地区振興会(長谷川肇会長)が中心となって感謝とお礼の会を開くもの。今後は有効活用出来る方法を研究協議することにしている。当日は設立時の有志に感謝状の贈呈や、下条小・中学校の児童生徒の感謝の言葉を述べ、全員参加の宝探しやゲームが行われる。」と報道された。「十日町市民」さんからも、本ブログのコメント欄に「今年の3月いっぱいをもって閉鎖」という投稿があった。

長く地域の力によって運営されてきたスキー場だった。どのような経緯で廃止となったのか詳細はわからないが、地元の負担もそれなりに重いものになっていたのだろうか。数年前からは、地元では負担しきれない部分もあるため、スキー場の位置づけを明確にして、行政などにいっそうの負担を依頼しようという動きもあったようだ。なお、同じ新潟県内の魚沼市(旧入広瀬村)にも中峰スキー場(入広瀬中峰)があったため、区別するために「下条中峰」とも呼ばれる。

2010年1月の休日、この下条中峯スキー場を訪れたことがある。十日町周辺のこのような小さなスキー場のようすを、丹念に調べはじめようとしていた頃のこと。ゲレンデに到着した頃は1本だけあるTバーリフトも止まっていたが、やがて地元のボランティアと思われる小父さんが何処からともなくあらわれて動かし始めた。そうすると、雪が降りしきる悪天候であったが、地元の子どもたちが5~6人滑りはじめた。まさに地元の子どもたちのためのスキー場だった。

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(左)スキー場手前には案内掲示がまだ掲げられていた。(右)ゲレンデ下から見上げる。

閉鎖のニュースを聞いて、現地を再訪してみた。十日町の中心部から北に位置する下条の集落。そこから信濃川支流の貝ノ川に沿って東の山中にわずかに進んだところ。東京ではサクラもとうに散った季節だが、このあたりではこれから春がはじまろうという気配である。ゲレンデ手前には「中峰スキー場」の案内看板がまだ掲げられていた。ゲレンデ下には10数台は駐車できそうなスペース。ゲレンデ沿いにはロッヂも建ち、ひととおりの施設は備えている様子。快適に滑れそうな緩斜面のゲレンデにはまだ雪が残っており、傍らには圧雪車が置かれたまま。そして、Tバーリフトもそのままになっていた。

近くで何かを燃やしているらしく煙が漂っている。そんな埃っぽい雰囲気も、春らしいといえなくもない。しかし、このゲレンデに再び歓声があがる日はこないのかもしれない。(現地訪問:2013年4月)

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(左)Tバーリフトはそのまま残されていた。(右)ゲレンデ中腹のロッヂ付近から見おろす。

2012年09月22日

大崎山スキー場(新潟県三条市)

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(左)北側遠景から見た大崎山スキー場の跡。(右)案内図にはスキー場の表記が残っていた。

新潟県三条市の市街地南東にある大崎山。一般的には永明寺山とも呼ばれている。標高は123m。景観と自然に恵まれ、グリーンスポーツセンターを中心に、芝生広場・テニスコート・野外ステージ・頂上広場などがある。春には1900本の桜が咲く市民憩いの場。頂上広場には、日蝕観測碑や遊具もあり、また展望台からは市街地や弥彦山を一望できる大パノラマを堪能できる。この大崎山にかつてスキー場があった。長岡の悠久山などと似た立地であり、かつてはこのような市民に身近な小丘陵にも多くのスキー場が開かれていた。

永明寺山の北西側から、山頂の公園まで車道が通じているので車で上って行く。しばらくすると山頂下の北側斜面が開けた。現在はこの傾斜地は区画された畑地になっているが、畑で農作業をしているおじさんに聞いてみると、この斜面がかつての大崎山スキー場だったという。ロープの設備をつけたがそれも数年程度で、降雪が少なくなって休業ということになってしまったという。山頂から右側に降りるのは急斜面で上級者用、左に行くほど斜度は緩くなっていた。

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(左)ゲレンデ跡は現在は畑になっている。(右)ゲレンデ上部から斜面を見おろす。三条市郊外の田園地帯が眼下に広がる。

開設・休業の年月はさまざまな資料を調べてもわからなかったが、話を聞いたおじさんが「滑ったことがある」といっていたから、おじさんの年齢などから推測して1970年代頃が大崎山スキー場が賑わった時代ではないだろうか。そこからキャンプ場のあるグリーンスポーツセンターに向かう分岐には案内板があったが、その案内板にはスキー場の位置が表記されたままになっていた。

グリーンスポーツセンターから取って返して山頂部に向かう。山頂部には遊具も備えた大崎山公園が整備されているが、その手前あたりがゲレンデの最上部。そこには木柱に滑車がついたものが残っていた。はっきりとはわからないがスキー場のロープの跡ではないだろうか。見おろす斜面は段々の畑になっているが、ゲレンデだった当時をなんとなく連想することができた。その先には米どころ越後の稲田がどこまでも広がっていた。(現地訪問:2012年7月)

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(左)ゲレンデ上部には、ロープ施設の跡(?)と思われる滑車。(右)大崎山山頂部は公園として整備されている。

2012年09月12日

下田八木スキー場(新潟県三条市)

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(左)ねずみ薬師の北東斜面にスキー場があった。(右)オートキャンプ場から見たねずみ薬師、ゲレンデは山頂の左下あたり。

2005年に三条市と合併した南蒲原郡下田(しただ)村。清流・五十嵐川と秀峰粟ヶ岳・守門山に代表される自然豊かな地域である。八木ヶ鼻温泉や越後長野温泉といった泉質の良い温泉でも知られている。また、漢学研究者・諸橋轍次の生家・記念館を併設した道の駅『漢学の里・下田」が国道289号沿いにある。かつては国鉄弥彦線が東三条からさらに南東に向け、村内の越後長沢駅まで通じていたが、1985年にこの区間は廃止となった。

国道289号を五十嵐川に沿って上流に向かうと、やがて八木ヶ鼻と呼ばれる絶壁が左手にあらわれる。五十嵐川が削り取った、石英粗面岩の切り立った崖。ここはハヤブサの生息地でもあるという。五十嵐川をはさんで、その八木ヶ鼻に対峙する斜面にあったのが下田八木スキー場である。「ねずみ薬師」と呼ばれる里山の北東斜面にあたる。昭和42年12月20日の開設。地元の大会も開かれたことがあるという。休止年月は現在までの調査では不明だが、10年ほど前ではないかと推測している。

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(左)国道289号から見た八木ヶ鼻。(右)最下部から見上げたゲレンデ。

国道289号が八木ヶ鼻のちょうど前を通るあたりに南側に上って行く簡易舗装の林道がある。入口には施錠がされているので、車を置いて歩いて登って行く。途中、コンクリート製の水道施設らしき建物のあるところで舗装は終わり、その先しばらく未舗装の道を進めば、ゲレンデ下に導かれる。軽自動車なら通れそうな道ではあるが、ゲレンデ下に駐車スペースがあったのかはよくわからない。

見上げるゲレンデは背の高いススキに覆われている。上部に行くほど急傾斜に見える。右手にプレハブ小屋があり、中には練習用のポールなどが置かれていた。地元の子どもたちのよい練習場だったのだろう。距離はせいぜい300mくらいだろうか。ゲレンデ規模から考えてリフトがあったとは思えないが、ロープトウくらいはあったように思える。ネズミ薬師への登山道と思われる道を、ゲレンデ上部まで登ってみる。下部から見上げた時よりも急な斜面に思える。対岸の八木ヶ鼻が迫力満点、それに向かって滑る気分はどうだったのだろうか。(現地訪問:2012年7月)

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(左)ゲレンデ最上部から見おろす。正面に八木ヶ鼻。(右)ゲレンデ下部には小屋が残っていて、中にはポールなどが置かれていた。

2011年01月12日

小国スノーパーク(新潟県長岡市)

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(左)広い駐車場に面してさまざまな施設があり、その背後にリフトが見える。(右)椅子がはずされただけで残っているリフトの施設。

いまは長岡市に合併となった小国町。ひとつ山を隔てた東は小千谷、西は柏崎という位置関係にある。この旧小国町の中心から東南東の方角の丘陵地に「おぐに森林公園」がある。キャンプ場やパターゴルフ・バーベキューなどアウトドア系の設備のほか、各種の体験ができる体験館や特産の小国和紙にちなむ「紙の美術博物館」、そしてトロン温泉の養楽館・延命の湯などの施設がある。それらの一角に小国スノーパークがあった。

「オールスキー場完全ガイド2000(立風書房)」によれば「森林公園内に開かれたスキー場。基本的にソリ場だというユニークなゲレンデ。スノーモービルやスノーチューブも楽しめる。初級向き100%のゲレンデでファミリーや本当のビギナーに向く。レンタルあり。隣接する紙の美術博物館の駐車場脇に『養楽館』(休憩・食事・入浴)」と紹介されている。ペアリフト(116m)が1基あった。

小国町の中心街から「森林公園」の標識に従って車を進めれば、黄色いオプスタワーが見えてくる。広い駐車場を備えたこのタワーと養楽館の背後の斜面にいまもリフトがあるのが見える。リフト下まで行って見ると、椅子をはずされて一部草木に覆われているものの少し整備すれば再び運転することができそうだ。リフトはごく短いもので、斜面脇の遊歩道を登っても、あっという間にリフト終点まで行くことができた。リフト終点の周辺にもさまざまな森林公園としての施設があるようだった。眼下には小国の小盆地の風景が広がっていた。

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(左)リフト終点の施設。(右)リフト上部から見おろす。

この規模では本格的なスキーというわけにはいかず、ソリやスノーチューブを中心とした施設となったのだろう。長岡中心地や柏崎からのアクセスは悪くないと思うが、雪遊びという程度の集客ではリフトを稼動するほどの意味はないと判断されたのではないか。1993シーズン開設と思われる。営業を休止した年代ははっきりしないが、この数年以内ではないかと思われる。(現地訪問:2010年12月)

【スキー発祥100周年】
今日1月12日は、1911年1月12日にオーストリア・ハンガリー帝国のレルヒ少佐が、日本に初めてスキーを伝えてからちょうど100周年。新潟県高田(現在の上越市)の陸軍第13師団に指導をおこなった。